第32話 従姉妹の死(※アーティ視点)
あの夜――父上とマイシャが婚約者変更の返事をする為にアドニス邸に向かって、しばらく経った頃。
通いの従者達は既に帰り、住み込みの者は皆離れの方に移動していて、館の中には僕とシスティナしかいなかった。
静まりかえった自室で本を読んでいると突然、ガサガサと木々が揺れて何かが落ちる音が響いた。
鳥や小動物が木から落ちたにしては大きすぎる音を無視する事は出来ず、恐る恐る外に出て音がした方に向かうと、システィナの部屋の真下で蹲っている女性がいた。
痩せ細って、足や手が血に塗れたその女性がシスティナだとすぐに分かった。
すぐに治癒師を呼ばなければ、とシスティナを抱えて館に入ろうとすると、扉の前に伯父上と杖をついたステラ嬢が立っていた。
星明かりに照らされた、痩せ細って生気の無い二人はまるで亡霊か死神のようで一瞬身が竦んだけれど、只事じゃない状況は向こうも察したようで。
頭を打ってるかもしれないから、と伯父上の指示に従ってシスティナをその場に寝かせて治療が始まった。
「脳や臓物に致命傷はないようだが、弱った体がどれだけ失血に耐えられるか……この家に魔力回復促進薬はあるか?」
「そ、倉庫にあるはずです」
「よし……それがあれば私だけでも何とかできるはずだ、すぐに持って来てくれ!」
それだけ言うと伯父上はシスティナの治療を始めた。
僕は無我夢中で倉庫まで走って、魔力回復促進薬を取りに行ったんだ。
魔力回復促進薬は飲んだ者の魔力回復を促す、高価な薬品だ。 普通の下級貴族の家ではまず常備してない。
治癒師や魔道士向けにうちの商会がたまたま取り扱っている商品だった奇跡に感謝しながら伯父上達のところに戻る途中で、ステラ嬢に再会した。
杖を突きながら懸命に歩く彼女を放っておく事は出来ず声をかけると、
「あっ、あの……アーティ様、トイレってどこにありますか……?」
「ああ、案内し」
「いえ、道を教えて頂けたら一人で行けます! アーティ様は早くお父様に魔力回復促進薬を……!」
「あ、ああ……では、そこの突き当りを右に曲がって、二番目の扉です」
説明するとステラ嬢は深く頭を下げた。そして顔をあげると、少し困ったような顔をして、
「ありがとうございます…………あの、アーティ様、こんな状況で、こんな事頼みたくないのですが……お父様に謝っておいてください」
その時の僕にはステラ嬢の言葉が『こんな状況でお手洗いに行く事を謝っておいて』って意味にしか聞こえなかったし、そんな事を気にしてる場合じゃなかった。
だから、伯父上にマナポーションを手渡す時には彼女の言葉はすっかり抜け落ちてしまっていた。
思い出したのは、システィナの失血が止まったと安堵した時――伯父上が辺りを見回してステラ嬢がいない事に気づいた時だ。
「何故それを、すぐに伝えてくれなかった……!!」
そう言われた直後に響いた――何かが落ちる音に対する伯父上の絶望した表情は、今でも忘れられない。
僕がすぐに伝えていたら、きっとステラ嬢が飛び降りる前に止められた。
『伯父上……あの時は本当に、申し訳ありませんでした』
システィナを抱擁した時に拭った涙が、またこみ上げてきたのをハンカチで抑える。
『……もういい、私もあの時は気が動転していた。君は何も悪くない。私の方こそすまなかった』
伯父上からそう返されて、少し心が軽くなる。
だけどきっと、この重みが完全に無くなる事は一生無いんだろう。
全てを聞いたシスティナからは何の言葉も返ってこない。
口を閉ざし、視線を落とし――今話した事を必死に自分の中で噛み砕いているんだろう。
この場では愛想笑いも、間を持たせる為の会話もいらない。
聡明な妹が考える事に集中している間に、僕は伯父上に言わなければならない事を伝える事にした。
『……伯父上、大変申し訳ないのですが、この村への援助は来年から大幅に減らさなくてはならなさそうです』
『先ほど言っていた、マイシャ嬢の我儘か』
『そちらについては、今の時点ではまだ何とも言えません……それとは別にうちの商会で取り扱っている主力商品の原材料がいくつも高騰してる関係で利益が思うように出なくて……この状況は数年は続きそうです』
『そうか……後4年あれば、子ども達を出稼ぎに出せるのだが』
9年前、伯父上は『村の子ども達が街や都市に出稼ぎに出せるようにしたい、その為の援助をお願いしたい』とメルカトール邸を訪れた。
子ども達が出稼ぎに出て、呪いの噂が払拭されれば冒険者や行商人も来やすくなる、それによる収益と子ども達からの仕送りで村を存続させたい――無謀としか思えない伯父上の頼みに父上は悩んだ。
こちらに見返りがあるかも知れない<投資>ではなく、一切見返りが無い<援助>の話。
何故父上は拒まないのか不思議に思って質問すると、母の故郷の村の話や母上が村から家出同然で父上に着いて来た事を教えられた。
しかしいくら母の故郷の為と言えど、村の子ども達に食べさせる3節分の果物を別領地の辺境に送り届けるなんて、多額の費用を要する援助に父上はなかなか頷く事も出来ず。
応接間に気まずい空気が流れる中、妹達がステラ嬢に対して酷い態度を取った事で伯父上達は話の途中で帰らざるをえなくなった。
伯父上の胸に頭を埋めて泣きじゃくるステラ嬢に対して父上も私も心を痛め、反省している所でシスティナがステラ嬢に絵本を送りたいと言い出したのをきっかけに、ティブロン村への援助が始まった。
『……本来はシスティナの生活の為にと、用意した物なのですが……今ここに金貨と銀貨合わせて50万ベルガーあります。ひとまずこれでフカワニサメを追い払って漁の範囲を広げ、釣れた魚を持って伯父上が内陸の都市に行商に出てみてはいかがでしょう? たまに送って頂いた魚の干物など、それなりの金になるはずです』
『……今追い払えたとて、フカワニサメがまたいつ居着くか分からん。それに近くの都市では魚は売れんし、内陸の都市となると旅費もかかる。道中の事を考えると護衛も欲しい……それらを差し引いたら君が思っている程の金にはならん』
『そうですか……』
ラリマー領は海に面していない。海の事情を深く知らない僕が伯父上の言葉に強く反論する事は出来なかった。
ウェス・アドニスからここまで馬車三台――果物の代金もそうだけど、護衛や御者の分の宿代、相当な金がかかっている。
帰りの道程で色々商品を積んでいく事を考えても、この村への、一切の見返りが無い援助はメルカトール家にとってかなりの損失である。
『……こちらも、極力村人の不快を買わぬように援助に甘えていた面はある……必要な果物を最低限に出来るよう、村人達を説得してみる』
『そう言って頂けると助かります。こちらもできるだけ善処しますので』
頼る事しかない側の申し訳なさ――それは、伯父上が一番分かっている事だろう。
母上が病に倒れた時に、ポツリと零した事がある。
――自分だけ幸せになってしまったから、きっと罰が当たったのね――
何の事かと聞いても答えてくれなかった。でも今なら分かる。
呪われ廃れゆく村を逃げ出して父上と一緒になって、僕達が生まれた。
きっと母上は死ぬまで、この村に対する罪悪感に駆られていたんだろう。
だから、父上も僕も、この村への援助を続ける事で――ティブロン村が救われる事で天上の母上の心を慰められたらと思っている。
システィナがステラ嬢の慰めになれば、と何の見返りも求めずに自分の大切な絵本を差し出したように。
食事を終えた僕を、システィナと伯父上は村の入り口まで見送ってくれた。
既に空の木箱を積み終えた馬車を前に、二人に振り返る。
「……スティ、来年は父上が会いたいと言ってるんだけど、いいかな?」
「……パーシヴァル様が望まれるのであれば、喜んで」
「ああ、スティが元気だと知ったら父上も喜ぶよ。……それまでどうか、元気で。何かあったらいつでも手紙を送っていいからね」
「ありがとうございます……どうかアーティ様もお元気で」
そう言って微笑むスティに、僕の心はまた少しだけ、軽くなった。
同時に『従姉妹でも、兄様って呼んでもいいんだよ』――って言いたくなったけれど、グッと堪える。
僕はきっとその兄様という言葉を兄として受け取ってしまう。
貴族としての価値と、光を失くしたシスティナ――ステラ嬢の遺志に押されたけれど、システィナを死んだ事にした事は間違っていなかったと思っている。
システィナはあのまま貴族として生き永らえた所で誰も幸せにならなかった。
今、システィナは、従姉妹として第二の人生を生きている。
パサついた銀髪も、こけた頬も、貴族の令嬢としてはあまりにみすぼらしく感じるけど、その目には確かに光が宿っている。
だから、僕の大切な妹はもういない――いない事にしないといけない。
『兄』ではなく『従兄弟』として、彼女の幸せを見守れるように。
潤む目に気づかれたくなくて、僕は馬車に乗るとすぐに御者に村を出るように命じた。




