第31話 兄妹の再会
リュカさん達が出ていった直後、私は兄様に抱きしめられました。
突然の抱擁にビックリしましたが、兄様の腕には今まで感じた事がない位力が込められていて、痛くはないのですが全く身動きが取れず。
『あの……兄様』
『すまない……だけど、もう少しだけこうしていたい』
念話で呼びかけると、切実な声が返ってきます。
兄様も父様のように商売の為に一週間から半節程家を空ける事がありました。
家に帰ってくる度に、優しく抱擁してくれた事を思い出します。
これが兄妹として最後の抱擁だと思うと、拒む事などできませんでした。
私も、兄様に抱擁されるのは最後――と思うと背中に回す手に自然と力が入り。
『……本当は、もっと早く来たかったんだけど』
『いいえ……きっとすぐに会いに来られても、私は会えなかったと思います』
きっと自分が情けなくて、申し訳なくて、泣きながら詫びる事しか出来なかった。そんな私を見て兄様はなおさら心を痛めたでしょう。
この節に来ると分かっていたから心の準備も出来たし、みすぼらしい骨と皮の状態から脱する事も出来たのです。
『こうして……泣かずに話が出来る今、会う事が出来て、本当に良かった』
そう言えた後、どのくらいの時が経ったでしょうか。
ふっ、と兄様の腕の力が緩んで解放され、兄様の目は微かに赤くなってる事に気づいた時、深く頭を下げられました。
『……システィナ、お前を守ってやる事が出来なくて、すまなかった』
『そんな、謝るのは私の方です……! 全ては家族の気持ちを考えずに愚かな事をした私のせいです。どうしようもない妹で、本当に申し訳ありません……!』
『どうしてあの夜、身を投げたのか……話してくれるかい?』
『……あの時の私は、死ぬのが最善だと思ってしまったのです。別の男に嫁がされるのも、修道院に行くのも嫌でした。それならもう、死ぬしかないと……』
兄様の穏やかな、だけど真剣な眼差しに嘘はつけません。
素直な気持ちを念話に込めると、アーティ兄様は目を閉じて天井を仰ぎました。
そして、一つ息をついて――真っ直ぐに私を見据えました。
『システィナ、あの夜……コンラッド様の婚約者をマイシャに変更したい、という話がきた事をマイシャから聞いた、というのは本当かい?』
『はい……ですが兄様、マイシャを責めないでください。きっとマイシャは私が死のうとするなんて思ってなかったのです』
『……そうだね。死のうとするって分かっててあの態度なら、流石に……』
『……兄様?』
含みのあるような言い方に戸惑っていると伯父様の咳払いが聞こえました。
振り返るとテーブルには既に昼食の用意が出来ていて、私と兄様は慌てて席に着きます。
『……システィナ、あの子は父上から婚約者の交替の話をお前にしたのかと聞かれた時、否定したんだ』
食事を始めて早々に、兄様の念話が部屋に響きます。
今この場で伯父様だけ会話に入れない訳にはいかないのでしょう。対複数人に対して響く念話です。私もそれに合わせます。
『……言った後であんな事になってしまっては、言えない気持ちも分かりますわ。あの子は父上の事が苦手でしたし……』
『ああ……だけど、僕にも打ち明けてくれなかった。マイシャはこれまでずっと、父上に言い辛い事は僕に相談してくれたのに』
確かに、厳しく時には怒る事もあるお父様より、優しくて怒らないアーティ兄様にマイシャは懐いていました。
『マイシャはお前の為にアドニス家の資産を食い潰して破滅させてやる、なんて言ってたのに……』
憎い相手の資産を食い潰す――マイシャらしいと言えばマイシャらしい言い方です。
ですが、何故でしょう? 今の言葉、なんだか違和感があります。
その理由に辿り着きそうな時、兄様の言葉が重なりました。
『今じゃ生まれてくる子の為に、とアドニス家からメルカトール家への援助も止めさせてほしいと言ってくる』
『……援助?』
『……お前が襲われたのは、アドニス家への恨みを持つ者の仕業だ。だからお前が救出された時、アドニス伯はシスティナの今後の療養費と慰謝料を払うと約束していた。その金がシスティナが死んだ事とマイシャが代わりに嫁いだ事から、メルカトール家への援助という形に変わった』
療養費、慰謝料――確かに、アドニス伯様がそのような事を仰っていたとマイシャが言っていた気がしますが、救出されてから日が浅かった事もあってよく覚えていません。
そこから半年間、コンラッド様が一度も来てくれなかった事だけははっきり覚えているのですが。
『だけど今話した通り、結婚式の後マイシャが妊娠してね……子どもの事を考えるとアドニス家を破滅させられない、と。それにシスティナを失って消沈しているコンラッド様に寄り添ううちに、愛してしまったんだと打ち明けられたんだ。それで、僕にも父上に援助を減額するように説得してほしいと』
兄様の淡々とした言葉が、頭の中に綺麗に入ってきます。
先ほどの違和感がハッキリした事もあってか、一切の動揺も無く。
『……子どもが出来れば感情が変わるのは当たり前だ。コンラッド様も僕に何度も謝罪してくるし、マイシャを本当に大切にしてるのは伝わってくる。お前に悪いと思っていると悩む二人に対して、僕もお前が生きていると明かせない後ろめたさがあった。だから、減額について父上と相談しよう――と思った時に伯父上から手紙が届いてね。それでマイシャがお前に婚約者交替の事を告げたらしいと書かれていたんだ』
『そうだったのですか……』
チラ、と伯父様に視線を向けますが、伯父様は私から視線を逸らしてスープを飲んでいます。
『正直、手紙を受け取った時は信じられなかったが……今お前と話して事実だと分かった』
抑揚のない念話から、兄様も私と同様の感情を抱いている事が伺えます。
『……兄様は私の言葉を信じてくださるのですか?』
『……ああ。僕はこれまでシスティナから悪い嘘をつかれた事が一度も無いからね。それに引き換えマイシャは子どもの為にと言ってアドニス家からうちへの援助を止めさせようとする割に、自分の事には変わらず金を使っているみたいだし……』
そう、私に家の為の選択を迫った口で、お父様や兄様には酷い目に合わされた私の為に嫁ぐと言い。
そして、一年も経たぬ間に子どもが出来た、コンラッド様を愛してしまったから、と家の為の援助を減額しようとする――社交的で、明るくて、気の強い所もあるけれど可愛らしかった、私の大切な、妹。
(身勝手な道を選んだ私も私ですが、あの子もだいぶ身勝手な道を歩いてること……)
急速に冷えていく心と、その中で疼く感情が食事から味を奪っていきます。
だけどもう、涙は出てきません。
『……お父様はお元気ですか?』
これ以上マイシャについて話続ける事が辛くて別の話題を振ると、兄様の表情が少し緩みました。
『ああ……元気だよ。父上にはお前が生きている事を伝えてあるんだ。というより、遺体を確認されたから白状せざるを得なかったんだけどね』
『遺体を、確認……?』
『マイシャは遺体からずっと目を逸らしていたけど……父上はシスティナが普段身に着けない手袋やタイツを付けている事に違和感を覚えたらしくて。僕らが席を外してる間に遺体の手を確認したんだ』
遺体の手を――手袋を外して確認して、私ではない事が分かった、というのならば。
『……やはり、私の葬儀にはステラの遺体がそのまま使われたのですね』
『ああ……そうするしかなかったんだ。あの時はシスティナが身を投げる程に苦しんでいたと知って解放してやりたかったし、ステラ嬢自身もそれを望んでいたから』
兄様の説明を伯父様は黙って聞いています。
目の前にある料理を見ているようで見ていない――空虚を見つめる伯父様の姿に心が痛みますが、私はその話題に一歩踏み込まざるを得ませんでした。
『教えてください、兄様……あの夜、何が起きたのかを』




