復讐って必要?
勇者パーティーから追放されて、勇者より強くなって復讐するパターン。異世界テンプレの一つなんですが、どうもこの復讐ってのが私には面白くない。
と言っても、よくよく考えると昔の時代劇なんかは親やら主君の仇を討つって話がとても多くて、忠臣蔵なんてその代表作。勧善懲悪って面もあるんだけど、因縁が絡む話が多いように思う。昔から復讐劇はわかりやすくて人気があったのだろうと思う。
勇者パーティは魔王を倒すパーティで人類の正義を行う人だから、懲悪の対象でもないのだけれども、復讐までセットの物語では勇者が悪巧みをしたり貴族の特権を振りかざすような態度をとったりで妙に悪役に成り下がってるケースが多いと思う。それ、本物の勇者なんだろうか。
もし、勇者がRPGの勇者そのものであるならば、そのパーティから外された人間は勇者パーティに不要な存在だったわけで、追放されたとしてもそれは正義のための、人類のための行為であって、追放されたからと復讐するのは筋が違う。もし復讐をするなら逆恨みであって主人公が悪役になってしまう。
最近は忠臣蔵をテレビで見なくなった。客観的に見てしまえば討ち入りはテロ行為であり、当時であっても違法であるわけで、決して賞賛されるような話ではないように思える。もちろん、そこには主君に対する忠義という中世的な主従関係が背景にあるから美談になったわけだけど、今は主従関係を理解するのが難しい。
そして、復讐が成功したことで何を得たのかという疑問が残る。
忠臣蔵ならば主君の仇を討った忠義を貫いた、という物語なのだけれども、討ち入りをしなければ討ち入った人たちは切腹する必要もなく、それぞれの人生を歩めたはず。屈辱の人生より復讐を果たした死がより良いのだろうか。
凶悪犯罪の被害者の遺族の言葉の変化にも見える。
昔は死刑でも足りないと訴えるのが当たり前だった。最近は再発しないように訴える遺族の声が目につく。復讐よりも再発防止と考える人の比率が増えているように思う。もちろん、テレビだからというのはあると思う。犯人に対する怒りは何度殺しても足りないぐらい大きいだろうことは想像できる。
でも犯人を殺しても被害の回復にはならない。過去は消せない。消えた命は戻らない。復讐しても心は休まらないと考える人も増えているのではないだろうか。
元総理を暗殺した人間に対して、その人間がその行動に至った原因となる環境である宗教に怒りの矛先が向いていることもこの例だろう。本来ならば復讐対象は実行した人間のはずなのだが。
私は現実に凶悪犯の被害者になったこともないし、近くにそんな人物もいない。だから復讐したいと思うこともない。実際の被害者となってみないとわからない心なのかもしれない。
私自身は復讐を望まない人間だと思っているが、繰り返しの囚人のジレンマで考察されるように、復讐は自らの利得を最大化するには必要な行為であることが分かっている。罪に対して罰が用意されるように、ルールの中に復讐は必要なものだろうと思う。
一方、物語ではルールではなく主人公の復讐心の問題。復讐をして主人公の心が晴れるのならば、そんな主人公に共感できるのだろうか。それを和らげるのに勇者が主人公を攻撃するパターンになりがちな気がする。だったら最初から復讐要素はいらないんじゃないかと思ったり。
もう誰かが書いてる気もするけど、そんなの気にしてたらいつまでたっても出せないんで出した。