8話 怪盗メガネアイ
週を跨いだ火曜日の昼休み。
中庭のベンチに長谷村と腰掛けながらも、顔を落とす。
俺はまたしても憂鬱に包まれてしまっていた。
金曜日の失恋フラッシュバックによるダメージこそ薄れていたが、それとは別件で問題が発生してしまったのだ。
大好物の唐揚げを口に運んでみても、俺の心は冷え切ったままだった。
「おう里島。こんな所にいたか。一緒に飯でも喰おうぜ」
「おう……」
「どうした里島。元気ないな」
「……実は昨日から霧山さんに何回か話しかけてみたんだが、態度がそっけないんだよ」
「それ、逆に脈アリかも知れねえぞ。好き避けって言うだろ? 俺も絵美にされた事あるぞ」
「多分、そういう感じでも無いんだよなあ」
「どんな感じだよ」
「最近暖かくなったね、って話しかけたら、霧山さんは『そーですねー』って適当に相槌だけ打って、逃げるように教室を出て行っちゃってさ。目も合わせてくれなかったよ」
「……ふーん」
「それに……」
「何だよまだあるのか」
「さっき廊下で鶴永さんに偶然会ったんだが……何故か物凄い形相で睨まれた」
微かだが、憎悪のような思念すら感じ取れた。
鶴永さんには一切接触していないので、こちらも全く身に覚えがない。
鶴永さんを推理部に誘おうとしていたことが風の噂で彼女の耳に入ってしまい、怒らせてしまったのだろうか。……だとしたら申し訳ない。
「まああんまり気にするなって」
「そうしたい所だが、こう立て続けだとな」
また溜息をつこうとして、思わず息を呑む。
霧山さんが、俺の方をチラチラと盗み見ながらも、低木の切れ目を縫うように近付いて来るではないか。
「里島さん!」
「どうしたの?」
唐揚げを弁当に戻し、出迎えるように立ち上がると、
「えっと……里島さん。これ、受け取ってください!」
霧山さんは白い紙きれを差し出してきた。
紙切れというより、カード?
ラブレターの類では……無さそうだ。
受け取ってみると、真っ白なトランプの予備カードのようだ。黒ペンで何か書いてある。
『推理部の棚に置いてあるタヌキ人形、とっても可愛いですね。今日の十七時に頂きに伺いたいです! もしダメだったらごめんなさい。怪盗メガネアイより』
「何だってぇ!?」
これは……怪盗の犯行予告状という奴か。
「あの、もし良かったらでいいんです。もちろん後でちゃんとお返ししますし」
随分と律儀な怪盗だなあ。まあ、俺はそこを突っ込む程ヤボな探偵ではない。
「よろしい! 探偵としてその挑戦、受けて立とう!」
「ありがとうございます! お互い頑張りましょうね!」
「ああ!」
なるほど。『探偵らしい活動のアイディアがある』と霧山さんが言っていたのは、この事だったか。そして霧山さんがずっと素っ気なかったのは、この犯行予告を悟られたくなかったという事だろう。嫌われてしまった訳では無さそうだ。
内股の女の子走りで危なっかしく教室を出ていく霧山さんを見送りながらも、全身の血が滾って来る。
「長谷村! 大変なことになった!」
「どうした? ラブレターか?」
「違う。怪盗メガネアイに推理部の伝説のお宝、タヌキ人形が狙われてるんだ!」
「怪盗メガネアイって……霧山さんか?」
「おい、空気を読め」
「あっ……すまん」
レインで糸子と明日香にも連絡しておく。相手は怪盗だ。警備をどれだけ厳重にしようと安心はできない。万全の状態で迎え撃たなければ。
遊びだろうがなんだろうが、やるからには負ける訳にはいかない。
◇
そして運命の放課後がやって来た。
部室に入って動物人形棚を真っ先に確認する。
狙われているタヌキ人形は、動物人形棚に確かにある。
……これは安全な場所に確保しておこう。
俺は人形を取り、部長用机の引き出しにしまいこむ。
続いて警備員の糸子と長谷村もやって来た。しかし、明日香がなかなか来ない。
「明日香先輩どうしたんだろ?」
「もしかしたら……いや言うまい」
「勿体ぶってないで言ってよ兄貴!」
「メガネアイの催眠術で操られてしまっているのかも……」
「マジで? ヤバいでしょそれ!」
……意外と糸子も乗ってくれるらしい。
「慌てるな糸子。数の優位は変わらない」
「とにかく、里島の部長机だけは絶対死守だな」
長谷村の声に深く頷く。
部室奥の中央にある、お宝を隠した部長机。引き出しは窓側にある。
「長谷村は机の右側に、糸子は左側に配置してくれ。俺は引き出しの前に立って死守しながら、不利になった方を援護する!」
「「ラジャー!」」
果たして……怪盗メガネアイはどんなトリックを使う気なのだろうか。
一応部室は一通り調べてみたが、おかしな点は見当たらなかった。
となると、普通に強行突破してくるのだろうか。
……もしかしたら、ラッキースケベを期待してしまっていいのかも知れない。
◇
運命の十七時がやってきた。立ち上がって入り口のドアを睨む。
長谷村と糸子も配置に付き、身構えている。
そして、部室の扉が傾いだ。
扉の向こうには、コートとシルクハット姿……黒ずくめの美少女コンビが立っていた。
「二人だと!?」
「一人で来るとは誰も言ってませんよ! 名探偵里島さん!」
名探偵って言われた。なんか嬉しい。
「怪盗メガネアイ、参上です! ほら、アスーカさんも」
「さ、参上……」
……明日香は霧山さんと似た伊達眼鏡を掛けて、少し恥ずかしそうにしている。
「メガネ似合ってるよ」
「あ……ありがとう」
俺が誉めると、明日香は顔を真っ赤にしながらもはにかむように微笑んでくれた。
「明日香さん、行きますよ!」
霧山さんの号令で、怪盗コンビが颯爽と部室に入りこんでくる。
右サイドの長谷村へと明日香が、左サイドの糸子へと霧山さんが、じりじりとにじり寄ってくる。
「糸子さん! 観念してください!」
「嫌です!」
……何か羨ましいんだが。俺もにじり寄られたいぞ。
しかし、長谷村も糸子も真剣そのものだ。俺も真面目にやらないと。
ラッキースケベを期待している場合じゃない。
「探偵君、そろそろ降参したら?」
恥ずかしさが吹っ切れたのか、明日香は顔を紅潮させながらも不敵な笑みを向けて来る。
「絶対にタヌキ人形は死守する……!」
部長机を挟んで、睨み返す。徐々に距離を詰めてくる。
――動いたのは明日香だった。
明日香は長谷村を振り切って部長机の背面へと飛びつくと、屈んで手を伸ばしている。
何をする気かは分からないが、机を守らないと。
慌てて机の引き戸を両手で抑えると、奇妙な音が響いた。
紙の破れるような音。……ん?
明日香の手が……机の中に入り込んでいるように見える。……いや、入り込んでいる。
「待て!」
俺が叫んだ時は……もう遅かった。
人形を手にした明日香は、一目散に扉の前まで逃げてしまった。
「里島! どうすんだよ!」
「どうしよう……」
俺も長谷村も、棒立ちするしかなかった。
「くうう! どいてください霧山先輩!」
糸子はというと、結構本気で明日香に追い縋ろうとしている。
しかし両手を広げた霧山さんにブロッキングされてしまっている。
「ここから先は一歩も通しません!」
というか……霧山さんの大きなおっぱいに糸子の顔が埋もれている感じになっている。羨ましいなあ……いやそんな場合じゃないんだが。
「兄貴、このままじゃ負けちゃうよ!」
「おい里島!」
そんな事言われても、こうなってしまった以上俺に出来る事はもうない。
……触ったらセクハラになるし。
明日香は部室の扉を開く。逃走経路を確保されてしまった。
「お宝のタヌキ人形は、私達が頂いたわ!」
「やったー! ナイスですよ明日香さん! お宝は私達の物です!」
霧山さんもドヤ顔で明日香に並び立つ。
俺は苦笑を浮かべつつも、二人に乾いた拍手を送ってやった。
「流石だ。怪盗メガネアイ。机の背面を壊して穴を作り、机と同じ色の紙を貼って穴を隠していたという事か! 背面は安全だという油断を突いた、見事なトリックだ!」
でもなあ……
「……机が壊れちゃったんだけど」
「安心してください。その机は先週の土曜日に私と明日香さんで買って本物と入れ替えておいたんです。同じの見つけるの、大変だったんですよ! 元の机は鮫渕先生に頼んで倉庫にしまってあります」
……すごい情熱だ。霧山さんも明日香も、全力で推理部をやってくれている。
部長として誇らしい限りだ。
「それでは諸君、さらばです! ハハハハハ!」
「じゃーねー! ハハハハハ!」
そして美少女怪盗コンビ、メガネアイとアスーカは逃げ去ってしまった。
「くそ……負けちゃったな里島」
「本当だよもおおおお! 兄貴何やってんの?」
「まあまあ」
苛立つ長谷村と糸子を宥めつつ、椅子に座ってのんびり水筒のお茶を飲む。
やがて霧山さんと明日香が制服に着替えて戻ってくる。霧山さんはまだドヤ顔だ。
「私達の勝ちですね!」
しかし俺はパイプ椅子に深く腰掛け直すと、不敵な笑みを作ってみせた。
「それはどうかな?」
「えっ!?」
「怪盗メガネアイ、君達が盗んだその人形をよく見たまえ」
俺は明日香が握りしめている動物人形を指さす。
先に気付いたのは明日香だった。
「悟君……これもしかして、アライグマ?」
「正解だよ明日香! シッポがシマシマだし、足が黒くない! それは君達が予告したタヌキ人形で
はない……! アライグマ人形だ!」
「……私達は踊らされてたって事ですか?」
「トリックは素晴らしかったが、一番警備が厳重な場所にお宝がある、という錯覚にとらわれてしまったようだね。本物は動物人形棚の中にあるよ」
本物のタヌキ人形をつまんで、怪盗たちの前にプラプラと揺らしてやる。
「見るべき場所を見ないから、大切なものを見落とす……かのホームズもそう言っていたよ」
「ぐううぅ!」
「そんな……」
霧山さんも明日香も悔しそうに歯噛みしている。
少し気の毒な気もするが、勝負は勝負だ。
「よっしゃ! 俺達探偵チームの勝利だ!」
ガッツポーズを上げて、長谷村と糸子とハイタッチを交わしていく。
「流石だぞ、里島!」
「兄貴見直したよ! カッコいい!」
「マジで!?」
「あ、ごめん嘘」
「人の顔見た途端失礼な事言うな!」
苦笑いしながらも、晴れやかな気分でお茶を飲む。
「さて、怪盗諸君! 面白いトリックだったよ。参加賞に、その動物の紙粘土、一個持っていっていいよ」
「本当ですか!? 私タヌキがいいです!」
「タヌキはお宝だからダメ」
「……はい」
霧山さんは唇を噛んでしまっている。本当に残念そうだ。
『――ううぅ……タヌキ……欲しかった……』
これは……間違いなく霧山さんの思念だろう。それ程までにタヌキ人形が欲しいとは。
……今度別にタヌキ人形を作って、プレゼントしてあげようかな。
◇
結局、霧山さんはアライグマを、明日香はイヌをチョイスした。
「お兄ちゃんズルい! 私も一個貰っていい?」
「仕方ないなあ。一個だけだからな」
「俺もくれよ。絵美にプレゼントしたい!」
糸子はネコ人形。長谷村はアルパカ人形か。
随分と人気だなあ、俺の動物紙粘土人形シリーズ。
「悟君って紙粘土のセンスあるんじゃない?」
「本当ですよー! とっても可愛いです」
「そうかな? そう言われると照れるなあ」
明日香と霧山さんに褒めて貰えて、何かやる気が出て来た。また作ってみようかな。
◇
いい気分で推理小説を読み進めて行くと、やがてチャイムが鳴った。
部員たちはボチボチ帰って行ったが、霧山さんは残っていた。
「あの……」
向かいに座る霧山さんが、四角い眼鏡越しに俺をじっと見上げていた。
「どうしたの?」
「えーっと……」
黙り込んでしまった。……困った……ちょっと気まずい。
「そういえば、霧山さんってウクレレ弾けるんだよね?」
「はい! 弾けますよ!」
「実は霧山さんの影響で俺もウクレレ買ったんだ」
「本当ですか!」
「まだ殆ど弾けないけどね」
「へぇ……」
「そうだ、今度霧山さんの家でウクレレ聴かせてよ」
言ってから少し後悔した。……いきなり距離を詰め過ぎかも知れない。
「いいですよ!」
……良かった。セーフだったみたいだ。
安堵していると、少し伏し目がちな霧山さんの目線。
どうしたんだろう。さっきから、どこか霧山さんの様子がおかしい。
「あの……」
「なに?」
「……もし良かったら今日、私の家に来てくれませんか?」
え……マジか……?
「ウクレレも聴いて欲しいですし、話したい事が……あるんです。……もしよかったら来てください」
「う、うん」