ウブメ
川沿いを歩いているとひとりの女性が泣いていた。
あたりは暗くなっているというのに、こんなところでいったいどうしたというんだろう?
よく見るとその女性は赤ん坊を抱いていた。
「あの、大丈夫ですか?」
理由はわからないけれど泣いている人を放っておくわけにはいかないだろう。
「うう…………うう……」
女性は泣いていてなかなか返事をしない。
「あの…………」
「じつは私……」
女性はゆっくりと口を開き始めた。どうやらこの女性は、お腹の中に赤子がいるまま命を落としたそうだ。その無念さからこの世をさまよっているらしい。いわゆる幽霊だ。
生きているうちに子供を抱くことも出来無かったことが心残りなんだと言った。
出産は命がけとは言ったものの今の時代は魔法の技術も上がり出産で命を落とす人は少ないようだけど。ずいぶんと昔の女性なのかもしれない。
いや、あまりに普通に話してはいるけど大丈夫だろうか。私はこれ呪われたりしないのだろうか。
「じゃあ、私は失礼しますね。成仏できるといいですね」
「ちょっと待って……」
呼び止めないでほしい。あんまり関わりたくないし。冷静を装ってはいるけれど動悸が止まらない。
「ねえ、あなたこの子を抱いてあげてくれない?」
女性は生前に抱いてあげられなかった赤ん坊に代わりにぬくもりを与えてほしいという。
私がためらっていると、催促するように赤ん坊をこちらに差し出してきた。
ひとけのない夜の川沿いで、幽霊に赤ん坊を抱いてほしいと言われたときの返答はおそらく、こうだろう。
「いやです」
「……え?」
「すみません。いやです。なんか重いですし」
「重いだなんて、まだ持ってもいないのに」
女性は不思議そうな顔でこちらを見ている。
「いやその、そういう物理的な話でなくて、なんというか……精神的に」
「……………………」
女性はうつむいて黙ってしまった。不気味な赤ん坊がこちらを向いたままだ。
「……ひどい」
女性はしばらく黙ったあとに、急に怒りだした。
「あなたには、人の心というものがないの!? 母親のぬくもりも知らないこの子が、可哀想だとは思わないの!?」
大きな声で怒鳴る女性は、まさに鬼気迫ると言った表情であった。子供に母親のぬくもりがどれほど大事なものなのかわかるでしょう。と言ってきた。
そんなことを言われても、私はその子供の母親じゃないし、そもそもの話ではあるが、この女性は重要なことを知っていない。
「そういえば私、自分の母親のことなんにも知りませんね」
だから母親のぬくもりと言われてもあまりピンとこないのだ。
「…………………………」
女性はまたも黙り込んでしまった。そして川沿いには生暖かい風の音だけが聞こえてくる。
「…………うう」
やっと何かを話し始めたと思ったら、また泣き出してしまった。
「可哀想に母親のぬくもりを知らずに育ってしまったばかりに。そんなに非情な性格になってしまったのね」
へんな同情までされてしまった。まあこの女性も無念ゆえにこうして幽霊になってしまっただけで、生前は決して悪い人ではなかったのかもしれない。
「そうだ。私があなたに、母親のぬくもりを教えてあげるわ」
「え、いや、いいです」
女性は遠慮しないで、と無理矢理に私を抱き寄せ始めた。
女性は赤ん坊を右側に寄せて左側に私を抱き寄せた。私を抱きしめてゆっくりと静かに体をゆらした。
「……どう?」
「冷たくて、気味が悪いです」
おまけに赤ん坊がこちらをじっと見ている。
「それは……死んでるから仕方ないわね。我慢して」
「…………」
…………冷たいなあ。
(ウブメ 終わり)