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たまにはこんな冒険物語  作者: 神玉
サヤカのその日暮らし冒険記
13/19

勇気をください

「…………甘い」

 私が今いるこの喫茶店には店の外にも席がある。晴れた日にだけ用意されるその席は、屋根がなくて青空を眺めながらお茶が飲めることから「晴見席(はるみせき)」と呼ばれている。そんな晴見席でお茶をひとすすりしている。喫茶店だなんてなかなか来る機会のない、私には不釣り合いなお店だ。

 どうして喫茶店で優雅にお茶を飲んでいるかというと、今回の依頼主との待ち合わせ場所がこのお店だったからだ。

 目の前には男女がひとりずつ。ふたりとも若そうな見た目をしている。若いと言っても私よりは年上の大人だ。今回私の仕事の依頼者は男性の方だ。

 ふたりは私のことなんて忘れてしまったみたいに話に夢中になっている。

 その光景を見て私は黙ってお茶をすすりながらふたりの会話が終わるのを待っている。


『勇気をください』


 ………………なんだこの貼り紙は。

 酒場で安全かつ実入りの良い仕事を探していた私の目に映ったのは意味のわからない仕事依頼。

 その貼り紙を剥がしてマスターさんに見せる。これは一体何なのでしょうかと。 

 マスターさんは私の差し出した紙を見て説明を始めた。

 しかし、どうやら仕事の内容については依頼人から詳しく聞かされていないらしい。怪しい依頼ではないかと疑ったが、依頼者のことをマスターさんは知っているようで心配の必要は無いのだとか。

 依頼者はこの酒場の常連さんだった人らしい。

「だった」というのは最近は、と言っても私がこの街に来るちょっと前あたりからめっきり姿を現さなくなったという。

 マスターさんに話を聞き、少なくとも危険ではないと判断した私はこの依頼を受けることに決めた。……結構な報酬額だし。

 そんなわけで翌日、依頼者との仕事の話をするために喫茶店で待ち合わせをした。待ち合わせ場所に行くと黒い服に身を纏った大きな男の人が晴見席で座っていた。近づいて挨拶をすると男性は椅子から立ち上がりこちらに向いた。

「この度はお仕事を引き受けてくださりありがとうございます」

 こちらを見下ろしながら、低くお腹に響くような声でそう言った。愛想笑いも無しに。それにしても大きい。首が痛くなるほど見上げなければ目が合わない。

 目を合わせると涼しげな目をしていると感じた。しかし身長差のせいか威圧感がある。表情も固いしなんだか怖い。背筋が凍ってしまうようだ。

「あ、あのサヤカです。よろしくお願いします」

「こちらこそ」

 男性はそう言って椅子に座った。私は丸い机を挟む形で向かいの席に座った。

 男性の名前は「ダン」さんといって魔法学校の教師だそうだ。なるほど飾らない格好は真面目で子どもたちの手本とも言える。靴紐まできっちりキレイに結ばれている。近づき難い雰囲気が増してしまっているけど。

「あ、あの、ご注文いただいていた、その、お茶をお持ちい、いたしました」

 店員さんがふたり分のお茶が乗ったお盆を持ってきた。よく見ると小刻みに震えていて、表情も笑顔を取り繕うと努力してるさまが伝わってくる。カタカタと震えながらダンさんの前にお茶を置く。

 ダンさんはその姿をギロリと睨む。店員はビクリと体がはねた後、青ざめて固まってしまった。

「あ、あの───」

「───ありがとうございます」

「…………え?」

「どうしました?」

「あ、いえ、失礼いたします」

 店員さんは私の目の前にお茶を置いて店内に戻っていった。

 去っていく店員さんの背中を見ていた私の方に低い声が向けられる。

「それでは早速仕事のお話をしたいのですが……」

 そう言ってダンさんは話し始めた。仕事の内容は単純明快だった。ダンさんには気になる女性がいてその人に交際を申し込むキッカケが欲しいということだった。

 ……そんなの思いを伝えれば終わりの話ではないかと思った。まあそれが出来るならお金を払ってまでこんな仕事を依頼する必要が無いわけで。この単純な仕事内容を言い出すのもかなりしどろもどろになっていた。初めに感じた怖い印象は話を聞くうちに、だんだんと薄まっていった。それでも基本的には表情が固いようで女性の話がなければ怖い印象が変わることはなかったと思う。

 話の途中でいろいろと提案をしてみたもののあまり良い感触のものはなかった。

 最終的には瑠璃を渡すことを私が提案した。少しやりすぎな贈り物だと思ったが、こうでもしないと動きそうもなかった。本気具合は間違いなく伝わるから大丈夫だろう。やや強引に話を進めたけどダンさんも納得してくれた。

 仕事の打ち合わせも締めに入ろうとしているところに何処からか女性の声がこちらに向けられた。

「あれ? ダン先生奇遇ですね」

 声のする方を向くと小柄な女性が立っている。短めの髪は明るい茶色だ。ダンさんは慌てたように立ち上がり女性の方を向いて挨拶をする。

 ダンさんとその女性の会話を傍らで聞いていると、どうやらその女性はダンさんの同僚らしい。仲が良いようで、ふたりの会話もそこそこにはずんでいる。ダンさんが思いを寄せている女性というのはこの人のことで間違いない、ひと目でわかった。

 そばにいるのに私のことを忘れているのではないかと思ってしまうほどだった。そんなふたりの会話の間に割り込むようなことは私には出来ない。

 仕方がないので注文したお茶に砂糖を入れてすすった。


 そんなふうに、ふたりの会話に加わるでもなく眺めていると小さな人影がダンさんに飛びついてきた。

「センセー! おはようございます!」

 とっても明るくて元気の良い挨拶をした人影の正体はエリだった。以前、妖精の森で青年を魔法の実験に使おうとしていた女の子だ。ダンさんの教え子だったのか。

 急にやってきたエリに少し驚いた様子を見せながらも、ダンさんは少しだけ表情を柔らかくし、かがんでエリに視線を合わせて挨拶を返した。

「おはようございます。エリさん、急に飛びつかれたらびっくりしてしまいますよ」

「えへへ、ごめんなさい」

 エリはダンさんから離れてイタズラっぽく笑っている。ダンさんの隣にいる女性が「私にはしてくれないの?」と冗談めかして言った。エリはその言葉を聞いて女性にも笑顔で挨拶をした。飛びつきはしなかった。

 ふたりが挨拶を終えたところでダンさんがこちらに向きなおり、女性とエリを紹介する。女性は私に向かって挨拶をした。私もそれに返すように挨拶をする。

「はじめましてサヤカです。何か困ったことがあれば私に依頼してくださいね」

 安全な仕事であればと付け足すと女性は軽く笑っていた。私たちの挨拶が終わるとエリが訪ねてきた。

「サヤカいつからいたの?」

「ずっといたよ」

「あらホント? 全然気づかなかった」

「……相変わらず生意気ね」

 エリはきっと私をからかっているんだと思う。そういうときのエリはやけに楽しそうだ。

「もしかしておふたりは知り合いでしたか?」

 私たちのやり取りを見ていたダンさんが私に尋ねる。その言葉にエリは眉を少し落とし不安そうな表情をしている。あんなことをしたのだから当然だろう。私がダンさんたちに事の顛末を話せばエリはお説教では済まない。当然エリの行いは子供だからといって許されるようなことではない。

 それでも私は具体的なことは言わないことにした。曖昧な返事で誤魔化す。結局は未遂で終わったし、エリがどんな魔法を試そうとしていたかはわからない。なによりエリは改心しているようで、魔法学校の休みの日にはいろいろなところで奉仕活動に励んでる良い子らしいからだ。それだけで許していいのかは微妙だけど同僚者のよしみもある。…………逆恨みされて襲われたら今度は助かる自信がないし。

「ああ、もしかして最近エリさんがよく言ってる―――」

「だめ! センセー、だめ!」

 エリは何かを言おうとしたダンさんの前でぴょんぴょんと跳ねて、高いところにある顔の前で必死に手を振っている。

「そうでした。これは内緒でしたね」

 ダンさんは口もとを少し緩めている。エリは顔を真っ赤にしている。私には何がなんだかわからない。

「サヤカさん。これからもエリさんと仲良くしてあげてください」

「え、あ、はい」

 よくわからないけど、まあいいか。普段の生意気な態度ならエリが私のことをどう言っていても、驚かないだろうし。

 そんなことを考えていたらエリがこちらに近づいて来た。ダンさんたちはエリがこちらに向かうのを確認するとふたりでまた話始めだした。

「ねえ、サヤカ」

 エリはふたりに聞こえないように私に耳打ちをしてきた。

「なに?」

「さっきはありがと。わたしが前やってたことをだまっててくれて」

 照れくさそうにお礼を言うエリ。こういうところがなかなか憎めない。

「……別に、言う必要がないと思っただけ」

 エリの先程の姿をみてダンさんをとても慕っているように見えた。わざわざその人に伝えるのは、こちらも居心地が悪い。

「それにしてもエリ、あなたダンさんと随分と仲が良さそうね」

 私の言葉にエリは表情を正して、ダンさんの方を向き答えた。

「ええ。わたしセンセーは好きよ。センセーはわたしを笑わない。バカにしない。その場しのぎではげましたりしない。だから好きなの」

 普段の生意気な雰囲気とは少し違うその表情にどう答えればいいかわからなかった。

「ねえ、あのふたりお似合いだと思わない?」

 教員ふたりが仲良さそうに話している姿を見て、エリに問いかける。けれど私の言葉を聞いたエリは少しだけ目を細め、眉をしかめて怪訝な表情でつぶやくように答える。

「……お似合い。お似合いねえ」

 なんだか煮えきらない態度だ。さっきダンさんのことを好きだと言っていたし、妬いているのかも。カワイイところもあるじゃないか。

「あ、いけない! わたしこれから教会の草むしりに行かなきゃ! サヤカ、しっかりやんなさいよ!」

 エリは私から離れて先生方にバイバイしたあと教会に向かって走り去っていった。エリが見えなくなると女性もつられたように用事を思い出したようだ。

「私も行かなきゃいけないのですが……」

「そうでしたか。引き留めてしまってすみません」

「いえそれはいいんですけど、これから重い荷物を運ぶので手伝って貰いたいなぁって思いまして」

 女性の提案を聞いて少し戸惑ってこちらを見た。私は既に話は終わっているので構わないとふたりに言った。

「それではサヤカさん。また明日。よろしくお願いします」

 残された私は残りのお茶を飲みきった。

「……うげえ」

 やっぱり甘い。今度からは砂糖の量を減らそう。


 翌日の朝。ダンさんとの待ち合わせ場所である街の出口に向かう。少し大きな荷物を背中に担いだダンさんがすでに来ていた。

 昨日の打ち合わせで、ダンさんから私は付いてくるだけでいいと言われた。それならひとりで行ったほうが良いと言ったけど、途中で逃げ出さないように監視していてほしいと頼まれてしまった。

 私が同行したところであまり助けになれることは無いことは分かり切っている。仕事を引き受けた以上は自分の出来る限りのことはするつもりだから断る選択肢は無いけれど、はっきり言って乗り気じゃない。

 そんな気持ちは押し殺してダンさんに話しかける。

「おはようございますダンさん。荷物重そうですね。少し持ちましょうか?」

「おはようございます。お気遣いは不要です。昨日も言いましたがサヤカさんには付いてきてもらうだけで大丈夫です。私が無理にお願いしているのですから」

 あっさりと断られてしまった。それにしても荷物の中身はなんだろうか。以前、ロウさんが瑠璃を採りに行ったときはかなり身軽だったはず。

 私が持ったら歩くだけでも大変になりそうだけど、体格の良いダンさんにはあまり苦ではなさそうだ。

「では行きましょうか」

 ダンさんはそう言って歩き出した。私は置いていかれないように歩幅を合わせてついていく。


 街を出て山道を歩く。私の前には大きな荷物を背負ったダンさんの姿がある。周りには木が足元には草が生い茂っている。瑠璃を採るのは伝統だとか言いながらこれ程道が整備されていないのには納得がいかないが、話を聞くとキレイな道にするとありがたみが減るとかお金儲けの為に採りに来る人を減らすためだとか理由があるらしい。そもそも加工して装飾品になっているものが高価ではあるけど売られているから普通は買うものなんだろう。

 じゃあなんで採りに来ているかと言うと自分で瑠璃の用意した方がいろいろな注文がしやすいのだ。自分で素材を用意する分安くすむし、形状の要望にも対応してくれる。そしてなにより一品物ということでこれ程特別な思いがこもるものはないだろう。

 ダンさんは途中で枝を折ったり、草を丁寧に踏みならしながらゆっくりと歩いている。私はダンさんの後ろについていくだけだ。結構歩いた気がするけどゆっくりと歩いているから目的地まではまだある。

「いつから好きなんですか?」

「───え?」

「あの人のことですよ」

「それを言う必要ありますか?」

 なんだかぶっきらぼうな返事だけど機嫌を損ねてしまったわけではなさそうだった。話すときは律儀に、こちらに視線を向けるためか横顔を覗かせている。どちらかというと照れていて言いづらいといった雰囲気だ。基本的に感情が希薄そうに見えるのにこの話題になると途端にわかりやすくなる。

「いえちょっと気になっただけなんですけど」

「恋愛に興味がおありですか?」

「他人の恋愛ならありますね。面白みがあればもっといいですね」

「あまり良い趣味ではありませんね」

「自分に関係ないところがいいですよね。物語を読んでるみたいで」

「…………サヤカさんにこの仕事を頼んだのは失敗かもしれませんね」

「そこは大丈夫ですよ。お仕事は真面目に精一杯尽くしますから」

「そうですか。その言葉を信じましょう」

 その言葉で今の会話を閉じたのかダンさんは進行方向に向き直ってしまった。

「あれ? 結局聞かせてくれないんですか?」

「面白くありませんので。サヤカさんは興味が無いでしょう」

「聞いてみないとわかりませんよ」

 私が引き下がらないと観念したのか少し長めの沈黙の後に話し始めた。

 ダンさんはもう随分と長い間思いを隠しているらしく、話を聞く限りでは私がこの街で生活を始めるよりも前からみたいだ。

 元々感情表現が苦手なうえに、外見が威圧的でもあるため周りからは避けられることが当たり前だったそうだ。たしかに私もダンさんを初めて見たときはその雰囲気から恐怖心があった。

 そんなダンさんに意中のあの人は普通に接してくれたという。今までそんなふうに接してもらったことのないダンさんはその優しさに惚れたという

 その話が終わったらダンさんはまた前を向いて歩きだしてしまった。

「……それで終わりですか?」

 まだ続きがあると思っていたのになんとも拍子抜けだ。

「他に必要ですか?」

「いえ、今の話を聞いて惚れる要素がどこにもなかったので」

 てっきり以前ナズナ集めを一緒にやった時のユリエさんみたいな話があるのかと思っていた。ユリエさんの話ぶりは凄かった。話を聞いてたら日を跨いでしまうような勢いだった。それに比べてダンさんはあっさりし過ぎている。

「人を好きになるのに何か大きな出来事がなければいけないのでしょうか? だとしたら彼女は普通に笑いかけてくれました。私にとってはおおごとです」

 その言葉を聞いてなんて返すべきかわからなかった。私を見て怖がる人なんていないし普通に話しかけられることこそ普通だ。そんなことで恋に落ちていたらキリがない。

「普通に話すだけで好きになるなら私にも惚れちゃうかもしれませんね」

 冗談めかしてダンさんに言った。

「意中の女性がいるのに、他の人に心が向くほど不誠実ではありませんよ」

 本当に興味無さげにあっさりとかわされてしまった。いやまぁ真に受けられても困るけど。


「この辺りで今日は休みましょうか」

 辺りは暗くなりつつある。ゆっくり歩いていたし、もともと日帰りは難しいという話なのでこれは予定通りだ。

 ダンさんは草木の出来るだけ生えていない空間を見つけて荷物を下ろした。

「こちらへどうぞ」

 ダンさんが地面に手をかざすと地面が四角く盛り上がった。そこに荷物から大きな布をひとつ取り出して敷き、簡易的な椅子を作りあげた。そして私にそこへ座るように促した。

「ありがとうございます」

 ダンさんに感謝しながら言われた通りの場所に座る。冒険者として生活をしてる以上、あまり汚れることを気にしていないのだけど。

 私を座らせたダンさんは来る途中で折ってきた枝を重ねるように置いていた。そしてそこにダンさんがしゃがみこみ、手をかざすとたちまち火がついた。

「おお、さすが魔法学校の先生ですね」

「これくらいは初歩の初歩ですよ」

 私の言葉にダンさんは火を見つめながら低い声で自慢げな様子は一切見せずに当然の事だと言わんばかりの調子で返した。

「私には魔法が使えませんから」

 私の生活していた村はとても田舎で魔法学校なんてなかった。近くに魔法を使える人もいなかったから、私が魔法を身に付ける機会はなかった。

「魔法は幼い時の方が身に付きやすいですからね。サヤカさんくらいの年頃から始めるのは難しいでしょうね」

 魔法は空気中に含まれる魔素が感情に反応して姿を変えるもの。だから感情の起伏が激しい幼少期が適齢だ。

「そういえばダンさんは感情表現が苦手なのに魔法はしっかり使えてますね」

「感情表現が苦手なだけで感情が無い訳ではありませんから」

 そう呟いたダンさんは少しだけ俯いて寂しそうな雰囲気を纏っているような気がした。

「そんなことよりもお腹がすきませんか?」

「え? それは、まあすいてますけど」

「少し待っていてください。食べられるものを探して来ます」

 火のそばでしゃがんでいたダンさんは立ち上がり食料を探しにどこかにいこうとしている。

「私も手伝いますよ」

 ひとりで行こうとするダンさんの背中に慌てて声をかける。しかし───。

「大丈夫ですよ。ゆっくりしていてください」

 あくまでも私にはなにもさせるつもりがないようだ。依頼人がそう言っているのだから私は当然それにしたがって、それ以上何も言わずに快くダンさんを見送った。

 私はゆらゆらと燃える火を見つめながら座り、ダンさんの帰りを待っていた。しばらくすると草木をガサガサと揺らすような音がした。帰ってきたかなと音のする方を見ると、そこにはダンさんよりふたまわり程大きい魔物が姿を見せていた。茶色い毛に全身を覆われていて、大きくて鋭い爪が特徴的だ。

「うわぁ!」

 あまりの出来事に驚いて声をあげてしまった。その魔物から目を離さないように体を魔物の方に向けながら、音をたてずに刺激しないように立ち上がる。心臓が激しく動いている。いつでも走れるように体勢を整える。しかし魔物は先程から微動だにしない。するとそこへ───。

「すみません。驚かせてしまいましたか?」

 先程まで聞いていた低い声が魔物の方から聞こえてきた。よく見るとダンさんが魔物を背中に担いでいる体勢だった。魔物があまりにも大きくてダンさんがすっぽりと隠れてしまっていたようだ。

「ホントにびっくりしましたよ」

 ダンさんは魔物を背中から下ろして再度すみませんと謝った。

「それどうしたんですか?」

「さっき仕留めました。偶然見つけたものですから」

 まるで戦う力を持たない植物でも拾ったかのように語っているが、その魔物の生前の姿はどう考えても獰猛で、少なくとも並大抵の人が敵うものではない。

「強いんですね」

「どうでしょう。まるで敵いそうにない友人がいるものですから、あまり実感はありませんね」

「そんな友達がいるんですか」

「まあこの話はいいでしょう。それでは食べましょうか」

 ダンさんは荷物の中から調理器具、食器そして調味料の入った小瓶を取り出した。そして手慣れた様子で調理を始めた。出来上がった料理はとても野外で食べるものとは思えない程の出来映えだった。

「どうぞ」

 温かいご飯が食べられるだけでもありがたいのに、これほどしっかりした物にありつけるなんて思っていなかった。食欲をそそるその外観と野性的な香りの素晴らしさに感謝しながら、渡された器を受け取り料理を口に運ぶ。

「すっごく美味しいです」

「それはなによりです」

 ダンさんは地面に手をかざして簡易的な椅子を作って座り、料理を食べ始める。それなりに満足できる出来だったのか食べながら小さく頷いている。

「料理上手なんですね」

「ありがとうございます。人に食べてもらうのは初めてでしたので少し緊張しました」

「全然そんなふうには見えませんでしたけど」

 ダンさんは視線をそらして黙ってしまった。まさかとは思うけどあの人に振る舞うために練習をしたのかもしれない。なんて考えていたらものすごく健気な人に思えてきた。

「ダンさんが周りから避けられてることがどうにも信じられないですね」

 私の言葉にダンさんは食事の手を止めて、口にいれていたものを飲み込んでから尋ねてきた。

「どうしてですか?」

「だってこんなにイイ人じゃないですか。それに実際にエリには好かれてますし」

「そうでしょうか」

 まさか自覚が無いというのだろうか。

「そうですよ。私あんなにはしゃいでるエリを見るの初めて見ました」

「エリさんは気むずかしい方ですからね」

「ああいうのは生意気って言うんですよ」

「とても素直な性格をしていると思いますよ」

「そうですかね………それにしても意外です」

「何がですか?」

「エリくらいの年の生徒に教えてることです。初等部って言うんですよね?」

 エリくらいの子どもは初等部、そのうえに中等部があり最後に私と同じくらいか少し下くらいから高等部だ。それぞれで基礎、応用そして実践に向けた学びが行われていると聞いたことがある。

「ダンさんが初等部を教えてるなんて、失礼かもしれませんけど、とてもそうは見えません」

「ああ、その事ですか。エリさんは私の担当ではありませんよ。私は高等部の担任ですので」

「あれ? そうなんですか。それならそもそもどうして面識があるんですか?」

 たしか学舎は全て同じだけど階層で分けられているはずだ。

「たまたまですよ。放課後の見回りで、エリさんが誰もいない教室でひとり練習をしてるところに出会っただけです」

 いつのまにか食事を終えていたダンさんは魔法で火と水を合わせて生み出したお湯で食器を洗っている。私も残りを食べ終えてダンさんに食器を渡す。きれいに汚れを落とした食器に今度は水の代わりに風を合わせた温風で乾かす。

「エリさんの魔法は少し変わっていましてね」

 ダンさんは乾かした食器を重ねて片付けながら話を続ける。

「普通魔法というのは火・水・風・土に分類されます。これらを応用または組み合わせるのが基本となります」

 片付けを終えてまた座り直す。

「ですがエリさんの魔法はこれらとはまた別です」

 私もエリの魔法は見たことがある。というか実際にエリに魔法を向けられたことがある。あれはまるで白い光が球状に固まったようなものだった。

「それってすごいことなんですか?」

「ええ。私は魔法についての知識はそれなりにありますが、エリさんと同じ魔法を見たことはありません」

 ダンさんはその魔法についてエリの純粋な心が成せる特別なものだろうと推測してるらしい。個人的にはエリが純粋は無理があると思う。別に口に出したりはしないけど。

 話をほどほどにダンさんは立ち上がり、私にも簡易席から退くように言う。そして私が座っていた席を平らに戻して私が座っていた布を丁寧に地面に敷いている。さらに荷物の中から大きな寝袋をひとつ布のうえに置いた。

「どうぞ使ってください」

 ダンさんはまた食事の時に使ってた席に戻った。

「ダンさんはどうするんですか?」

「私はこちらで。火の番もしなければいけませんので」

「そうですか。ありがとうございます」

 渡された寝袋に足から潜り込む。大きくてブカブカだ。

「寒くありませんか?」

「はい大丈夫です。あったかいです」

 束ねていた髪をほどいて寝る体勢になる。顔を横に向けるとダンさんが座って静かに火を見つめていた。


 翌日、瞼を閉じていても日が昇ったことを感じ取れるくらいに周りが明るくなったころに目が覚めた。すぐには起き上がらずに目を薄く開いて横に寝返りをうつ。ゆっくりと意識が覚醒するのを待って目の前の光景を認識すると、ダンさんがすでに起きていて何かをしていた。目を覚ました私にダンさんが気づきこちらに顔を向ける。

「おはようございます。よく眠れましたか?」

「はい。おかげさまで。何をしてるんですか?」

「朝食を作っているところです」

 ダンさんの作っている朝食には緑が溢れていた。

「あれ? 昨日の残りならあの魔物だけですよね?」

「ええ。朝からお肉だけでは重いと思ったので、いくらか食べられる野草を採ってきました」

 至れり尽くせりとはこういうことだろうか。もぞもぞと寝袋から這い出て体を起こす。脱け殻になった寝袋をたたんでダンさんに渡す。立ち上がり腕を大きく上にあげて伸びる。ダンさんがこちらに液体を差し出してくる。私はそれを使って顔を洗う。水かと思ったがぬるま湯で起きたばかりの心臓にも優しい。最後に渡された布巾で顔を拭う……これは魔法じゃない。

 用意してもらった朝食を美味しくいただき出発の準備をする。目的地まではもうすぐだ。あとはダンさんが瑠璃を採掘して帰るだけだと言ってもいい。

目的地に到着してダンさんが採掘をする。私はここでも何もせずにダンさんの近くに待機する。これはダンさんの監視が仕事だからと自分に言い聞かせている。まさか日を跨ぐ仕事でありながらこれほど何もしないのは落ち着かない。

「そういえば今回の仕事は泊まり掛けですね」

「ええ。それがどうかしましたか?」

 採掘中だったのダンさんは手を止めてこちらを見た。

「私が最近受けた仕事で、ひとりで瑠璃を採掘して日帰りした人がいたのを思い出しまして。しかも途中で飛竜を倒してですよ」

 私は飛竜を精肉店で加工された姿しか見られなかったけど多分凶暴な魔物だと思う。

 私の話を聞いて何かを察したような様子でダンさんが答える。

「ああ、もしかしてロウのことですか?」

「あ、はいそうです。もしかして知り合いですか?」

「昔からの付き合いですよ。この前も式に招待されました」

 そう言って採掘を再開するダンさん。ロウさんの式、結婚式は身内だけで行われた小規模な式だったはず。そのなかに呼ばれるだなんて相当親しいんだろうと予想できる。だけど、あまり人間性が合うとは思えない。

「そんなに仲がいいんですか?」

「魔法学校の初等部からの付き合いですからね」

「まさか同じ学年ですか?」

 ダンさんとロウさんでは纏っている雰囲気が違いすぎる。

「何がまさかなのかは知りませんが同い年です」

「あ、いえ……その…………それで、どんなキッカケで仲良くなったんですか?」

 私の言葉にダンさんは手を止めて自嘲気味に微笑んでこう言った。

「ただの問題児同盟ですよ」


 目的を終えて来た道を下っていく。ダンさんの荷物には大きな瑠璃の原石が加わっている。この青い石が加工されて瑠璃の宝石になるらしい。

「それでさっきの話の続きなんですけど、ダンさんとロウさんが問題児だったってホントですか?」

優男感の漂うロウさんは勿論だけど、ダンさんが問題児だったとは考えられない。怖い雰囲気はあるけれど荒ぶっている訳ではないし。

「問題児と言うのは『落ちこぼれ』という意味です」

「え?」

 話を聞くと、もともとダンさんとロウさんは魔法が得意ではなかったらしい。ただ苦手と言っても種類が全く別物だった。感情を表に出すのが苦手なダンさんは魔法そのものを生み出すことに苦戦していた。一方ロウさんは───。

「ロウの魔法……いえ、ロウの家系は特別な魔法ひとつを除いて扱うことが出来ないのだと聞きました」

 その魔法とは「身体強化」。魔法の基礎である要素とは異なる性質を持っている。その魔法の効果は単純で、自分自身の身体能力を高めることだけだ。この魔法を使うことで自分の肉体の限界以上の力を出すことが出来るらしい。魔法が使用者の意思通りに体を操っているようなものだという。人体に作用するという意味では癒やしの魔法に近いのかもしれない。

「でもロウさんは魔法が使えてたんですよね?」

「そうですね。ですが学校内では教えられた魔法を扱えてこそ優秀なのですよ。エリさんも同じ境遇ですね」

 ダンさん達は結局、魔法が使えない問題児として居残りで練習をしていた。その時に親切に教えてくれた先生に憧れてダンさんは教師になったらしい。エリに魔法を教えているのもきっとその人の影響だろう。


 つつがなく街に戻ることが出来た。すっかりと辺りも暗くなっている。街についてからは特に何かあったわけではなかった。ダンさんからは瑠璃の装飾品が完成したら最後の手伝いを言い渡された。


 ─────────数日後。


 連絡を受けて私はダンさんと仕事の打ち合わせをした喫茶店に向かった。青空がきれいでこれから良いことが起きることの予兆を表しているようだった。

 ダンさんは既に来ていて晴見席で座って待っていた。机の上には小さな布袋ぬのぶくろがひとつ置いてあった。軽く挨拶を済ませてダンさんの向かい側の席に座る。

 ダンさんは既にあの人と待ち合わせの約束をしていて、この後会ってその時に思いを打ち明ける。そしてその時に瑠璃の装飾品も一緒に渡す手筈だ。

「瑠璃はその袋の中ですか?」

 机の上に置いてある袋を指差して尋ねる。ダンさんは頷き布袋を机の真ん中に置くと、私に中身が見えるように開いて見せた。

「うわぁ、すごい」

 袋の中には瑠璃で彩られた様々な装飾品が入っていた。腕輪に首飾りなど思い付く形状の装飾品はひと通りあった。

「どんな物が好みなのか分からなかったので、とりあえず出来る限り用意しました」

 正直なところ、その袋いっぱいの装飾品には驚きが隠せなかった。自分で提案した贈り物であったけど、まさかこんなに気合いを入れるとは思っていなかった。さすがにこれはやり過ぎな気もした。でも口を挟んでせっかくの決心に水をさしたりはしない。

 後はこの仕事が何事もなく完了するのを待つだけだ。この席に座ってお茶でも飲みながら。

「それでは行ってきます」

「きっとうまくいきますよ。自信を持ってください」

 私の言葉に頷き、大事そうに布袋を手に取り、女性と待ち合わせしたであろう場所へ向かう。人通りは多くないので多少離れた場所にいてもその姿は確認できる。

 ダンさんとその女性が話している。大切な袋はまだ後ろ手に隠している。あとは思いを伝えれば終わりだ。ここまで来たらふたりの様子を眺めている必要はないだろう。今さら口を挟むことも出来ないし見守り続けるのもなかなか心臓に悪い。

 ───そうだ。せっかく滅多にこない喫茶店にいるんだからお茶だけじゃなくて他の物も頼もう。今日は仕事の完了日でお金が入る。少しくらい贅沢をしてもいいはず。

 店員さんを呼びつけて注文をする。お茶と甘々でふわふわなお菓子をひとつずつ。注文してからはそれほど時間が掛からずに、お茶とお菓子が目の前に置かれる。前にお茶を飲んだときは砂糖を入れすぎて少しくどくなってしまったから今日は砂糖を入れない。

 お菓子をひとくち食べる。甘さが口の中に広がり頭の中に幸福が染み渡る。とてもいい気分だ。甘さの広がった口内にお茶をゆっくりと流す。砂糖を入れていないので私の舌にはやや苦い。でもそれが残ってしまう甘さを浄化するようでこれもまた嬉しい。

 今回の仕事はダンさんの後ろをついて回るだけだった。それだけなのに普通以上のお金が入る。なんて良い仕事だろうか。これからはもういっそのこと他人の恋愛相談だけを請け負ってしまおうか。

 そんなことを考えていたらお菓子を全て食べきってしまった。お茶はまだ残っているのに。なんならもうひとつくらい頼んでしまおうかと悩んでいると視界の端に黒くて大きな人影がちらりと見えた。

 人影の方に目を向けるとダンさんがこちらに歩いて来ていた。その顔を見るとうっすらと微笑んでいるような気がする。きっと良い話が聞けたのだ。

「おかえりなさい。どうでしたか?」

 私の問いかけにもまだ微笑んでいた。そして私の頼んだお茶とお菓子の乗っていたお皿を見て、その代金を取り出して机の上においた。

 ───()()()()()()()()()()()()()()()()

「………………どうして、それをまだ持ってるんですか?」

「…………」

 ダンさんはなにも答えず微笑んでいるだけだ。

「ああ、もしかしてそれを渡すまでもなかったってことですか?」

 この言葉は本気で思ったというよりはそうであって欲しいという期待に近かった。

「…………」

 なにも答えないダンさんに少しのイラ立ちを覚えながら問い詰める。

「まさか、ここまで来て怖じ気づいたんですか!?」

 ダンさんは微笑みを崩さないままに沈黙を貫いている。少ないとはいえ他にも人がいるというのにまるで私たちしかいないかのような沈黙だった。

長い沈黙のあとダンさんはゆっくりと閉ざしていた口を開いた。

「彼女の結婚が決まったそうです」

「…………え?」

「相手は大金持ちで親切でとても素敵な方だと言ってました。急にまとまるような話ではないので、きっと随分前から決まっていたことなのでしょう。私が思いを伝える間もありませんでした」

 そんなことを言っていてもなおも微笑んだままだった。

「…………悲しくは、ツラくはないんですか?」

 聞かずにはいられなかった。私の言葉にダンさんは調子を変えずにこう言った。

()()の結婚を悲しむようなことはしませんよ」

 先ほどまで恋心を抱いていた相手をそう呼ぶ姿はいたたまれなかった。どうしてこんな思いをしなければいけないのだろうか。

「サヤカさん。この度は本当にありがとうございました」

 ───やめてくださいよ。

 そんな言葉が喉から出そうになってこらえた。

「私は、何もしてません」

「そんなことありませんよ。サヤカさんに引き受けてもらわなければ、ここまですることも出来ませんでした」

 そしてそのまま背を向けて歩いていってしまった。去っていく前に今夜、酒場で待っていて欲しいと言われた。そのときに今回の報酬を払ってくれるらしい。

 ひとり残された私はやるせない気持ちに満たされていた。先ほどまでお菓子を食べていた浮かれ気分がすっかりとなくなってしまった。

 ふと、この仕事を受ける時にエリに言われた言葉を思い出し、誰に言うでもなく呟く。

「しっかりやれってこういうこと?」

 すっかり冷めてしまったお茶を一気に口の中に流し込む。

「…………苦いなぁ」


 その夜、私はダンさんに言われた通り酒場で待っていた。夜と言ってもダンさんのことだからそれほど遅くはならないだろうと思って夕方くらいに酒場にいた。しかし、なかなか現れない。夜もすっかり更けてしまって、仕事終わりにお酒を飲みに来た人たちが集まって来ていた。

 少しずつ人は減ってきてはいるが残っている人は酔っぱらっていて店内はわりと騒がしい。私はマスターさんが作業をしている台の向かい側、ひとり用の席でずっと座っている。

「サヤカちゃんもそろそろ帰った方がいいんじゃない? お金ならこっちで預かっておくから」

「いえ、待ちます」

 もうこのやり取りも何回かやってる。別にマスターさんのことを信頼してないから帰らないわけじゃない。あの状態のダンさんを見送ったままこの仕事を終わりとするのは非常に気持ち悪い。

「お待たせしました」

 低い声のする方に目を向けるとダンさんが立っていた。その手にはギッシリと中身が詰まってそうな袋がひとつ。それをこちらに差し出した。これが今回の報酬ということだろう。

 袋の中身は当然のようにお金だった。でもその多さが気がかりだ。あまりにも多すぎる。依頼書に書かれた金額よりもかなり上乗せされている。

「ダンさんこれは……」

「受け取ってください。サヤカさんの仕事に私はとても満足しました」

「何もしてませんよ」

「いいえ、ありがとうございました」

「………………」

 ───やめてほしい。

「それで、その分多めにお金を払いたいと思いました」

 たしかに依頼の報酬額は基本的には記載通りに渡すものだが、仕事の結果に対して互いの納得があれば増減も出来る。それにしても多すぎる。

「…………こんなに、受け取れませんよ」

 突き返そうとするが、ダンさんは頑として受け取りはしなかった。

「それでは失礼します。サヤカさんありがとうございました」

 微笑みを浮かべながら感謝の言葉を述べ、踵を返して立ち去ろうとしている。しかし別れ際に放たれた言葉にさっきから押さえていた感情が溢れだしてしまった。

「それ、やめませんか?」

「…………え?」

 私の言葉にダンさんは足を止めてこちらに体を向けた。その姿から困惑している様子が見てとれる。そんなダンさんに近くにある席を指差しながら続ける。

「そこに座ってください」

 その席はひとりで使うには大きい。仕事仲間達で集まって使うのが普通の席だ。戸惑っているダンさんに四の五の言わせずに上座に座らせる。そして、さっきダンさんに押し付けられたお金をマスターさんの方に差し出す。

「このお金でありったけのお酒と料理をお願いします」

 マスターさんは私の言葉に最初は驚いていたが、心変わりが絶対にないという私の意思を汲み取ったのか、お金を受け取り調理場に指示を出した。

 それを確認してダンさんの席の向かい側に立ち、何が起きているかわからないであろうままに座っているダンさんに向けて言う。

「ずっと、考えていたことがあるんです」

 私の切り出した話にダンさんはいったい何のことを言っているのかと疑問の表情を浮かべる。ダンさんが私の問いの意味に気づくことを待つ必要はないから続ける。

「どうして今日だったんでしょうか?」

 続きを聞いてもやはりダンさんは府に落ちる様子はない。だからそのまま私が考えていたものの正体を明かす。

「あの人が自分の結婚が決まったことの報告ですよ」

 そうだ。私がずっと気になっていたのはあの人が何故今日になって、いきなりこの話を出したかということだ。ダンさんは私の言葉にたまたまだと、言う機会が今まで無かっただけだと言った。さらにそんなことに何の問題があるのかとも。

「随分前から決まっていたなら、雑談程度でも話すことはありえますよね? 同僚でそれなりに仲が良いなら」

 ダンさんとあの人が仲良さそうに話しているのは私も以前に見ている。決して気まずい関係ではなかった。私の言葉に要領を得ないと感じたのか、ダンさんは少しだけ声を低くして私に聞いてきた。

「いったい、何が言いたいのでしょうか」

「あの人全部知ってたんじゃないですか? ダンさんの好意も、今日思いを打ち明けるつもりだったのも」

 これが私の気になっていた問題点だ。あの人が好意を知っていたのならあの人はとても嫌な人だ。

 私の言葉の意味を理解出来ていないのか、はたまた信じていないのかは分からないが首を少し傾げて、それの何が問題なのかと聞いてきた。

「ダンさんは昔は問題児だったみたいですけど、今は素人目に見ても優秀な魔法使いです。そのうえ気遣いが出来て真面目です」

「いえ、そんなことは───」

「───でも、人付き合いがとても苦手です」

 それと今回のこと、そこにどんな関係があるかダンさんは理解出来ずにいる。

「珍しく自分に良く接してくれる人がいたら、その人に好意を抱くのは別に可笑しな話じゃありません」

 しかしその相手がすべてわかったうえで接してきているなら全く話が違う。何故そんなことをする必要があるのか。

「利用するためですよ。真面目で優秀な貴方を」

「…………そんな大袈裟な」

 馬鹿馬鹿しい話だと意に介さず私の話を一蹴する。

「ダンさんこそ『利用』という言葉を大袈裟に捉えすぎです」

「え?」

 私だって別に大きな陰謀によって動かされているだなんて思ってはいない。利用するということは、困ったときに代わりに何かを押し付けることが出来るということだ。例えば雑用なんかでも。

「自分に好意を寄せている人間ほど、都合良く使える存在はありませんよ。それが今までまともに人付き合い出来ていない人ならなおさらです」

「彼女がそんなことを考える人だと思っているんですか?」

 私の言葉に少しずつ苛立ちのようなものを見せ始めている。その言葉の少ない威圧感には手に汗を握ってしまう。

 それでも、この言葉を撤回するつもりはない。

「それに、結局受け入れることが出来ないのなら私の思いを知っているかどうかは関係ないと思いますが」

「わかりませんか? 何故ダンさんが思いを打ち明ける前に言ったか」

 それは簡単に推測できる。思いを打ち明けられなければ、知らないフリが出来る。今まで通り、私に思いを寄せているなんて知らなかった、ただ親切な人だと思っていたと。

 しかし、思いを知ってしまったらそうはいかない。既に思いを断っているというのにも関わらずこれまで通りに利用をすることは難しくなる。そして何よりも自分がいい子ちゃんではいられない。

「ではずっと彼女が私の好意につけこんでいたとでも言うんですか?」

 そう低い声で私を威圧するように問いただす。

「はい、あの人はきっとダンさんに対してこう思っていたでしょう」


 ───『便利な奴』だと。


 私の言葉に初めて感情的になり、ダンさんは立ち上がった。そして声を荒げてこういった。

「彼女のことを何も知らない癖に悪く言うのはやめてください!」

 その姿はあまりにも威圧的だった。人間相手にこんな思いをする体験は滅多に無いだろう。それでも私は意見を変えない。むしろダンさんに向かって体を前のめりにして負けないと意思表示をする。

「ダンさんだって何も知らなかったじゃないですか! あの人の好みも! 結婚をすることさえも何もかも!」

 感情の高ぶりのせいで机に思いっきり手の平を打ち付ける。大きな音が酒場に響く。興奮して声が大きくなってしまった。

 私の言葉に頭に上っていた血が冷めたのか、冷静になったダンさんはまた席に座り直す。私も努めて落ち着きを取り戻そうとして、出来るだけ平静時の声を作って続ける。

「ダンさん。私はダンさんと知り合ってまだ数日です。でもダンさんにはいくつも魅力があることを知りました」

 右手を閉じて少し大袈裟にダンさんに見せる。そして魅力を列挙しながら指をひとつずつ伸ばしていく。

「強くて、魔法が達者で料理が出来て、簡単そうに言ってましたけど食べられる野草を判断するのは簡単に出来ることじゃありません。そのうえ靴紐だってキレイに結べます。ほらたった数日で右手の指が全部必要になっちゃいましたよ」

「く、靴紐……?」

 次に左手を閉じてダンさんに見せる。

「それに比べてあの人はダンさんがもう長い間、ほとんど毎日顔を会わせています。その中でダンさんがあの人に見いだした魅力は───」

 最初に人指し指を伸ばして数え始める。

「───優しさ……」

 ここで止まる。ダンさんがあげたあの人の魅力のすべてを数え終えたからだ。

「長い間一緒にいたのにこれしか無いんですよ。全然釣り合いがとれていません」

 あまりの馬鹿馬鹿しさに鼻で笑ってしまう。

「それで、何が言いたいんでしょうか?」

「あの人はダンさんに相応しい人じゃありません。何も気に病む必要はないんですよ」

 ここで、狙い済ましたかのように大量のお酒と料理が運ばれてくる。その中からお酒をひとつダンさんの前に置く。差し出されたお酒を見下ろすが手をつけずにダンさんは言った。

「サヤカさん。私はお酒はもう止めましたので。それに飲んで忘れようなどとは……」

「ダンさん。勘違いしてませんか?」

「何をですか?」

「私は別に自棄(やけ)になってお酒を飲んでほしいとは思ってません。これは言わば祝盃ですよ」

「祝盃?」

「そうです。哀れにも素敵な男性が自分に不釣り合いな女性に恋をしてしまった。しかし今日、その呪いから解放されたんです!」

 まるで演劇でもするかのように大袈裟に身ぶり手振りで伝える。

「解放されたら自由です。今までは偶然近くにいたあの人に目が眩んでいたかもしれませんが、もっと自分に相応しい素晴らしい女性と巡り会う機会が得られたんです。これはとても喜ばしいことですよ」

 ダンさんの前にあるお酒に視線を落としてさらに続ける。

「だから今日は良い日なんです。ダンさん、私がどうして欲しいかわかりますか?」

 私の視線に釣られるようにダンさんは目の前のお酒に目をあてた。そしてそのお酒を手に取る。

「サヤカさん。あなたの言ってることは滅茶苦茶です」

 手にお酒を持ちながら私に笑いかけてそう言った。

「どこがですか?」

「頭から足…………いえ、靴紐までですよ。ですが───」

 お酒を机から持ち上げて飲む体制に入っている。

「たしかに私は彼女のことをよく知らずに近くにいたから好意を持ったのかもしれません」

「ダンさんは素敵な男性ですよ。あと必要なのはいろんな人と関わろうとする勇気だけです」

「……これからはもっと人付き合いを頑張らなければいけませんね」

 そして手に持ってるお酒をグイっと持ち上げて口へ運ぶ。喉をならしながら豪快に飲む。一気に飲みきりお酒の入っていた容器を机のうえに戻す。その満足そうな顔はさっきまでの貼りついた微笑みとは違って清々しかった。


 運ばれて来た料理はあまりにも多くてふたりではとても食べきれなかった。騒がしくしてしまったお詫びにと他の席に運んでもらった。ここにいる人たちはお酒がただで飲めるならと快く受け入れてくれた。

 酒場のみんなが騒がしくなり、まるで小さな宴会のようになってた。運ばれた料理もお酒もほとんどなくなっていて、そろそろ終わりが近づいている空気が出てきた。

 食べ疲れた私はマスターさんの目の前のひとり席で水を飲んでひと休みしている。そこへお酒を手に持ってスッキリした表情のダンさんがやって来た。

「サヤカさん。今日は本当にありがとうございました」

「いいんですよ。その表情(かお)で言ってほしかっただけですから」

 表情が乏しい人だと思っていたがそんなことはない。とても良い笑顔が出来るじゃないか。

「もしも会う順番が違ったらサヤカさんに惚れていたかもしれませんね」

「あ、それは困ります」

「そうですか、残念です」

 ダンさんも冗談混じりで会話をすることが出来るのかと心の中で呟く。

「そういえば、どうしてここに来るのが遅くなったんですか?」

 ダンさんは気恥ずかしそうに答えた。

「ああ、それは瑠璃の装飾品をお金に変えてもらってたからです」

「え、それってもしかして」

「はい。報酬の上乗せ分にあてました」

「よかったんですか?」

 あんなに大事そうに持っていたというのに。

「もちろんですよ。渡す相手がいないならただの石ころですから。それに私には(こっち)の方があってますから」

「そんなに好きなのにどうしてやめてたんですか?」

「それはですね、彼女が言ってたんです」

 ダンさんは物思いにふけった様子で答えた。

「あの人が?」

「ええ。『お酒を飲む人が苦手』だと」

「それだけでやめたんですか?」

「そうです。私はそれまで毎日のように飲んでいましたからね。…………もしかしたらあれは彼女からの牽制で、私にはそのときから既に希望はなかったのかもしれません」

 そう言い切ってから手に持っていたお酒を口に当て、上を向き飲む。ゆっくりと味わうように。

「どうですか? 久しぶりのお酒は」

 お酒を飲み終えても口から容器を離さず上を向いたままのダンさんに問いかける。体制を変えずに低く呟くような声が返ってきた。

「しょっぱいです…………とっても」


(勇気をください おわり)

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