妖精の森
酒場の掲示板に張り出されている依頼書の数々。その中のひとつをサヤカは読み上げる。
「カザミ村で行方不明者が発生……」
サヤカはカザミ村に行ったことはないから詳しいことは知らないが、村の近くにある森には妖精が暮らしているということは聞いたことがある。依頼書を読み進めていくと、どうやらこの行方不明の原因はその妖精の仕業ではないかと書かれている。
「マスターさん、この仕事誰か受け手はいますか?」
依頼を掲示板から剥がして、マスターに向ける。サヤカの受け持つ仕事のほとんどが、命の危険が少ないようなものばかりだ。この仕事もそのひとつと判断したのだ。もっとも命に関わるような仕事は受けようとした時点で待ったがかかるだろう。サヤカには純粋に力がないのだから。
普段扱っている武器は木剣で、最近奮発した剣は重すぎて振ることも出来ず、宿屋の屋根裏部屋に立てかけてあるのだ。
「いや、これはまだ誰も」
依頼書を手渡されたマスターは仕事内容に目を向けてから首を横に振った。冒険者として生計を立てているものは血気盛んな者が多い。大いに戦い、多くの報酬を得るそれこそが冒険者なのだと言うほどだ。
そのため、人探しといった仕事はどうにも不人気なものだ。目的の人物を見つけることさえ出来れば争いごとは起きないうえに報酬もそこそこなためだ。
「それじゃあこの仕事私が受けてもいいですね?」
争いごとを好まないサヤカからすればこういった仕事は大歓迎だ。王都内での仕事と比べて実入りが良い。
それに妖精というものを見たことのないので興味も湧いてくる。
「どうぞどうぞ。あ、でもちょっと待って」
マスターは腕を組みながら眉をひそめて難しい表情をしている。少し唸っては黙り、また少し唸っては黙るというのを繰り返した。
思ったよりも長考だったので耐えかねたサヤカは問いかける。
「どうしたんですか?」
「少しね。本当に任せていいものかと……」
「何か難しいことがあるんですか?」
妖精に魅せられて森の中で迷子にさせられてしまったのならそれほど命の危険があるような仕事ではないはず。妖精の知識などそれほどあるわけではないが命を奪うまでに危険だという話は聞いたことがない。サヤカは首をかしげて疑問の表情を浮かべた。
「実はね、それ妖精の仕業じゃないって噂を聞いたんだ」
今回の事件には妖精のせいだと決めつけるには不可解なものがあるらしい。
実際にはマスター自身も妖精の生態に詳しいわけではないので、確実に否定することは出来ないようだが。
さらにこの依頼を薦めることを拒む理由を続けた。
「もうひとつ付け加えるならこの森には大鬼の目撃情報があるんだ」
こちらの情報もサヤカにはあまりピンとくるものではないだろう。実際に目の当たりにしたことはなく、他の冒険者たちの言伝程度でしか知らないのだから。
サヤカの知っている大鬼の情報といえば、その体躯は普通の人間のおよそ二から三倍ほどの大きさ。金色の毛髪に赤みがかった肌をしていて、腕力で木をなぎ倒す程だということ。
そのかわりその体格から小回りが利かず、のしのしと歩き回ることしか出来ないということくらいだろう。
そういった弱点を持っているのであれば、玄人の冒険者は戦うことも出来るだろう。けれどサヤカの場合は……。
「危険な仕事になるかもしれないってことですね」
はっきり言って相対すれば、命の保証はない。まともな武器も持たないサヤカは魔法も使えない。戦う術など持っていない。
しかし、それなら行方不明の男性はより一層早めの救出をするべきだと考える。
「今回の仕事は行方不明者の救出ですよね」
大鬼と対峙する必要はない。目当ての人を見つけたら一目散に逃げればそれで完了だ。
「それは……そうだけど……。そうだ、明日まで待つのはどうだい?」
マスターは手を叩いて提案した。
「どうしてですか?」
「それはね、明日キッドくんが帰って来るからだよ」
「キッドさんが、本当ですか!?」
ずい、と体をマスターの方へと傾けるサヤカ。
「キッド」とはサヤカがノンビリ村から王都にやってきて、右も左もわからなかった時に助けてくれた人物だ。キッドのおかげで、田舎から出てきたサヤカは無事に冒険者として生活できていると言っても過言ではない。
この街におけるサヤカの兄貴分とでも言うべき存在だ。
「うん。だからね、キッドくんと行ってくれれば安心だと思ってね。彼なら大鬼くらいなんてことないだろうし」
キッドはこの国では指折りの射撃の名手だ。魔法を弾丸として撃つ「魔銃」の使い手である。所持をするのに特別な許可を必要とする魔銃を持っているのは、冒険者ではそう数はいない。
しかし、明日帰ってくる、ということは帰ってきた矢先にまた、仕事の同行を頼むということに他ならない。世話になっているキッドに対して、サヤカはそれほど図々しくなれずにいた。
「でも、キッドさんも疲れてるでしょうし……」
明日戻ってくるキッドに、すぐ付いてきてほしいだなんて言いにくい。サヤカは心底申し訳なさそうな顔をして言った。
結局のところ大鬼とさえ遭遇しなければいいんだと、楽観的ではあるがマスターを説得する。
「でもねえ…………」
「行方不明の方を一刻も早く助けるべきなら、すぐにでも行くべきだと思います」
「…………わかったよ」
少しの間、小さく唸るような声を出していたマスターは、あまり納得したようではないがやむを得ず了承したという感じだ。
「ありがとうございます」
「ただし! 危なくなったらすぐに逃げること、これだけは忘れないで」
身を前に乗り出しながら、ひとつ指を立てて忠告する。マスターからすれば非常に判断に迷ったのだ。サヤカが大鬼と遭遇しないとしても、行方不明者が大鬼の被害にあってしまうかもしれないからだ。
「はい。わかってます」
「サヤカちゃんが命を落とすようなことがあれば、街を早く出た意味もなくなる。肝に命じておいて」
真剣な表情で忠告するマスターの言葉に、サヤカはしっかりと首を縦に振る。
手配してもらった馬車で揺られることどれくらいか、カザミ村に到着した。
昼頃に王都を出発するときには明るかった太陽もすっかり赤暗くなっていた。
サヤカは本日中の探索は諦めた。なぜなら暗くなってから森に行くのは得策ではないと知っているからだ。
村で一番安い宿屋を探し、宿屋の主人に部屋を借りたいと話す。サヤカは宿屋の階段を上った先の部屋に案内される。
部屋の内装は質素なものではあったが清潔に保っていた。これでこの値段ならいいものだと満足する。
腰に提げている木剣を壁に立て掛け、縛っている髪をほどいて布団に入る。眠りにつくまでの間に、村で聞いた話を思い出す。
今回の仕事の依頼のきっかけは行方不明になった青年の勤め先の上司だった。始業時間になっても出勤しない青年にたいして、真面目な彼が仕事を無断で休む訳がないと、青年の家に訪ねてみたらしい。しかしご両親も仕事に行ったはずだと言い、これは何か厄介ことに巻き込まれたのではないかと依頼を出したのだという。
サヤカが青年の上司の男性に尋ねてみると妖精がいたずらで村人を迷わせることはよくある話ではある、しかし森で迷ったとしても妖精たちはその日のうちに村に帰れるようにするんだと。決して命に関わるようないたずらはしないのだ、と腕を組んで唸っていた。
サヤカは青年が妖精を怒らせたのではないかと問いかけてみたが、青年の性格は温厚で、今までも妖精からいたずらをされることはあったが毎回笑って許していたと青年の上司はこたえた。
いたずらに寛容な者には妖精たちも親しみを抱くものなのだと。
最後に大鬼が関わっているのだろうかということだが、それも違うようだという話だった。大鬼の目撃情報が出たのは森の奥深く。村のものなら皆知っている話だと言う。絶対に森の奥には近づかないと断言した。
であるなら件の男性は何故、行方不明になったのか、明日、森の中を探索して見ないことには、わからないことばかりであった。サヤカは考えても仕方のないことなので眠りについた。
次の日、目覚めたサヤカは布団から体をゆっくりと起こし窓の外を見る。雨でも振りそうな雰囲気の空模様だ。
布団を剥がして眠い目をこすりながら立ち上がり両手を上げ大きく伸びる。
「雨が降る前に、見つけ出さないと」
出かける準備を済ませると部屋を出た。
村から妖精の暮らす森まではそれほどの距離はない。朝方に村を出たら歩いて向かってもそれほど時間は掛からずに妖精の暮らす森に着くことが出来る。
サヤカはまず妖精を探すことから始めた。ことの発端が何なのか、青年はなぜ行方不明になったのかを知る必要があるからだ。
森をしばらくあるいていると奥のほうからサヤカの手のひら程度の大きさの光が飛んできた。その小さな光をよく見ると、羽が4枚、左右に2枚ずつ生えている、人間の女の子のような姿をしていた。
その光の少女はサヤカの眼の前で止まってこう言った。
「ねえ、あなたもしかしてあの人を助けに来てくれたの?」
サヤカは突然のことで少し驚いた様子だ。それでもこちらに敵意が無いようだということは今の一言で伝わった。
「ええ、そうなの。あなたが妖精?」
少女は頷いた。サヤカは青年を攫ったのは妖精たちじゃないかという噂が立っていることを話した。すると妖精は首を横に振り、声を大にして否定した。
「ちがうの! 私達はやってない! 私達はちゃんと村人たちは無事に帰れるようにしてるわ」
サヤカはそれなら青年を攫った犯人は、誰か知っているのかと尋ねた。その問いかけに対して妖精は頷きこう答えた。
「最近魔女がこの森にやってきたわ。小さな人間の女の子よ。きっとあの子の仕業よ」
「魔女?」
また新しい情報だとサヤカは頭を悩ませる。今まで妖精、大鬼の仕業かと思っていたのに、まさかの第3の選択肢だった。
妖精は魔女のことをよくは思っていないのだろう。顔をしかめて続けた。
「あの子最近この辺にやってきたの。魔法の実験をするとか言ってたわ」
「そんな! それじゃあ、攫われた人はもしかして……」
「彼はお人好しだし、騙されたのよ」
青年は魔女の実験体として攫われたであろうことがわかったサヤカは、青年が攫われた場所への道案内をするように妖精に頼んだ。
「こっちよ、ついてきて」
妖精はサヤカを先導して森の奥へと入っていく。
つば付き帽子を首にかけた、襟巻きが特徴的な男は馬車に揺られながら、武器の手入れをしている。
もうかなりの間、揺られ続けたのではないかと思った彼は、御者に問いかけた。
「おい、もう少し速くはならねえかい?」
「すいません。これでも精一杯です」
「……そうか」
急かしても速くはならないのはわかっている。それでも言わずにはいられなかった。座っていてもどうにも落ち着かない。体を揺すって見たり、立ち上がってはまた座ったり。天気の様子を伺ってみたり。また武器の手入れをしてみたりとあらゆることをしている。
「……本当に速くならないのか?」
「ええ、これ以上は馬への負担が大きくなってしまいます」
男の問いかけに御者はどうにもならないから静かにしていてくれと言った様子で返答する。
「……だよな」
諦めた男は座り込んで、目をつぶる。
少し長い妖精の案内を受けて、サヤカは森の少し奥へと足を運んでいく。雲で覆われた空もより一層暗さが増している。
森を進む途中にはところどころに枝が折れた木があった。サヤカは魔女が魔法で荒らしたのではないかと考えた。青年を攫うのもそうだが、ずいぶんと魔女の性格は荒々しいものだということが見受けられるようだった。
妖精の進む先に、ひとつの小屋が見えた。ずいぶんと前に建てられ、誰も使うことがなくなっていたのか、その小屋には朽ちている部分が見受けられた。その小屋を指さし、妖精はサヤカに言った。
「あそこよ魔女がいる場所は」
「それじゃあ行こうか」
サヤカは腰に提げている木剣を手に取り、慎重に小屋に近づく。妖精はそんなサヤカに対して何気ない疑問を投げかける。
「そういえばあなた、どうしてそんな武器を使っているの?」
妖精は心底不思議そうな顔で尋ねる。それはそうだろう、サヤカの使っている木剣は、いわゆる訓練をするための素振り用の剣なのだから。
サヤカは妖精の質問に対して、きまり悪くボソリと返す。
「…………お金ないからね」
「え?」
「剣ってね、結構するの」
「…………」
妖精は眉間にシワを寄せて、不安なのか、疑っているのか、よくわからない表情をしている。本当は持っているが、せっかく造ってもらった剣が使えないことを言うのは恥ずかしかった。
そんな妖精をさておき、サヤカは小屋の扉をゆっくりと音をたてないように開ける。そこには縄で縛り付けられ、布を噛まされた青年がひとり、床に寝転がっていた。
小屋の中には部屋は他になく、魔女の姿は見えない。どうやら留守にしていたようだ。
「大丈夫ですか!?」
サヤカは床に転がっていた青年に近づき縄を解き、噛まされている布を外す。
「ありがとう、ございます」
青年は少し息を切らしている。眉を下げて、安堵したと言った表情だ。
「いったい何があったんですか?」
サヤカはどうしてこんなことになったのか青年に尋ねた。青年は魔女から、困っているから助けてほしいと頼まれたのだと言った。
「まさかこんなことになるなんて思ってなかったよ……」
「なんであれ無事でよかったです。……それじゃあ、ここから出ましょうか」
サヤカは青年に肩を貸し立ち上がらせる。魔女がいないこの間に青年を連れてここから遠ざかろうとしたのだ。しかし……。
「ちょっと! あなたたち何してるの!」
小屋から出たところには女の子がひとり立っていた。話を聞いていたサヤカはすぐに理解した。この子が魔女だと。魔女は小さく村にいる子どもたちとそれほど変わらない年頃だった。
「その人をかえしなさい! わたしのじっけん体なんだから!」
眉間にシワを寄せて、大声で訴えてくるその魔女から、大変に怒っている様子が見受けられた。右手には大きな箒を持っていた。魔法使いは自らの魔法を補助する触媒を持ち歩くことが多い。この魔女は箒を触媒としていることがサヤカには推測できた。
こんな森の中で箒を本来の方法で使うものなどいないだろうという単純な理由だ。
「あなたが魔女ね。どうしてこんなことをしたの?」
サヤカの問いかけに、魔女は胸を張り笑って答える。
「まほうのはってんには、ぎせいはつきものよ」
魔女からは悪いことをしているという罪悪感は全く見受けられなかった。さも、当然のことしたまでだと言わんばかりだった。
「それで、この人を攫ってあなたの魔法の実験に使おうとしたの?」
「そうよ。ここなら、ようせいのせいに出来るでしょ?」
「そんなひどい!」
魔女の物言いに妖精が批難の声をあげる。サヤカはこの魔女にはお仕置きが必要だと感じた。
「ふたりとも村に戻っておいて」
サヤカは青年を肩からゆっくりとおろし自力で立たせる。そして、妖精に青年を連れて帰るように指示する。
「ええ、わかったわ、気をつけてね。……ほらこっちよ、歩ける?」
妖精が男性を連れてここから遠ざかっていく。
魔女はそんなふたりを追いかけようとするが、サヤカはその前に立ちふさがる。
「……なによ?」
「お姉さんがお灸を据えてあげる」
腹立たしげな表情の魔女とは裏腹にサヤカはニンマリと口角を上げている。
「ふん、べつにじっけん体はなんでもいいんだから。あなたを代わりに使わせてもらうわ」
サヤカは木剣を、魔女は箒を構えて互いに戦闘態勢を作る。
「なあ、まだ着かねえのか」
先程まで目をつぶり静かにしていた男がこらえきれず御者に問いかける。
「はい、もう少しかかりますね」
このやり取りも何度もしている。御者も呆れ返って返答もてきとうになってきている。
「見えてきましたよ」
「本当か!?」
男は立ち上がり前方へ乗り出す。
「ほら、あそこです」
御者は指をさして目的地を指し示す。
「…………まだ結構あるな」
座り直し、帽子をかぶり目を隠すと、眠りについた。
「ほらほら、おきゅうをすえるんじゃなかったの?」
魔女は強気で攻める。放たれる魔法にサヤカは逃げるので精一杯だ。魔法はずるいとサヤカはそう感じた。
遠距離から魔法を使われてしまったら、近づけなければ戦うことの出来ないサヤカは圧倒的に不利だ。
必死で魔法から逃げ回る。飛んでくる魔法を避けながら木々を掻い潜る。
サヤカは魔女の攻撃に驚きが隠せなかった。魔法は形を保つことが難しく、特に集中力の無い子どもの魔法は、生み出してすぐに消えてしまうと聞いていたのだが、そんなことはおかまいなしと言わんばかりに撃ってくる。
とはいえ魔法の精度自体はそれほど高くなく、狙いは不確かだった。さらにまだ未熟なようで、木を壁にすれば防ぐことも出来るほどの威力ではあった。
辺りも少しずつ暗くなってきている。さてと、どうしたものか。子どもだからと侮りすぎたかなとサヤカは空を見上げながら溜息をつく。
「まったく、調子に乗っちゃってさ……」
これが子どもの元気とやらなんだなと、よく体力がもつものだと年寄りのような関心をしてしまう。サヤカの作戦としては疲れたところを狙おうと考えていた。しかしそれまで待つと日が暮れてしまいそうで悩んでいた。ただでさえ太陽が隠れて暗いというのに、夜になったら前が見えなくなってしまう。
「かくれてないで、出てきなさい!」
サヤカは考える。石を投げてぶつければそれでケリがつくことはわかってはいる。しかし、当たりどころが悪く、後遺症が残るような自体は避けたい。
サヤカからしたら、反省してもらいたいだけで、苦しめたいわけではないのだ。
魔女はいら立っていた。気にくわないのだ。実験体を奪った女の存在が。偉そうなことを言っておきながら、逃げまわる姿が。
学校で魔法を学んでいる彼女は、周りから落ちこぼれの扱いを受けてきた。魔法を使うことが出来るから退学させられることはなかった。しかし、指示された通りに魔法を操ることが出来ず、いつも居残りを受けていた。
落ちこぼれであり、ろくに操ることも出来ないくせに魔力は抜群の才能を持っているため、周りの生徒からは妬まれ、執拗に蔑まれてきた。
学校から逃げ出した彼女は、同期の生徒を見返すために孤独に魔法の練習を重ねていた。
最近知ったこの森の存在から計画までは時間がかからなかった。都合のいい実験体が見つかって、ここまでは順調だったのにこの女が邪魔をした。
魔女は自分の存在が知られてしまってはここにはいられないことをわかっていた。そのため、この女のせいで台無しだと強く思ったのだ。
しかし、自分の魔法が試せるならば相手は選ばない。お人好しの青年だろうが憎らしい女であろうが。ならば、せめて自分の魔法を試してから、ここから出ていってやると考えたのだ。
しばらく戦っていて魔女は確信したことがある。この女は私の魔法に怯え逃げ回っているのだ。私はこの女よりも強いのだと。
自分の魔法が当たれば勝てるのだと。
魔女の怒りは有頂天だった。いや、感情的で冷静さを欠いていただけかもしれないが。魔女の心にあったのはただひとつ。
『わたしは魔法の天才なんだから。こんなやつに負けはしない』
一方のサヤカは落ち着いていた。
(……魔法やまないなあ。しっちゃかめっちゃかに撃ってきてるから、当たりはしないけどね。魔法使いってのは才能なんだろうね。これほど闘争的な性格だから魔素も反応するってもんなんだろう。向こうは私を見失ってるし、後はどうやってこの距離を詰めるかだよね)
サヤカは木を盾にして、動き回っては自分の場所が悟られないように立ち回っていた。それでも、近付こうとすれば気付かれてしまうだろうと考え、魔女の狙いが定まらないように努めていた。
そんな戦い方をしているサヤカに対して魔女の苛立ちも増して言った。
「ちょこまかしてっ……! これでもくらいなさい!!」
魔女はありったけの力を使い、魔法を放つ準備をしている。魔女の周りは白く輝き、その光が魔女の手のひらの上で大きな玉として集まっていく。
サヤカは得体の知れない魔法に驚くばかりだ。どのような魔法であるかはわからないが、当たればひとたまりもないことは火を見るよりも明らかというものだった。
魔女はサヤカの場所を特定しているわけではない。ただいるであろう場所をまとめて吹き飛ばしてしまおうとしているのだ。
サヤカは大慌てで持っている木剣を力一杯投げる。遠くに投げられた木剣は枝に当たり、ガサガサという音を立てた。
「っ! そこね!!」
魔女は音のする方めがけて目一杯の魔法を飛ばした。魔法は木々をなぎ倒していく。
「はあ……はあ……。わ、わたしのじゃまをするから、こうなるのよ」
「はい、おしまい」
「!」
「おっと、魔法はもう無しね」
驚いている魔女の右腕を掴み、魔法は撃たせないように抑える。
魔女の体力はもうすでに限界だった。大きな魔法を撃って、集中力も切れていたのだろう。サヤカが近づくのも難しいものではなかった。
魔女の腕を掴んでいる手とは逆の手でげんこつを作り、頭に一発いれる。
「……つっ!」
「もう二度と魔法の実験に誰かを巻き込まないこと。わかった?」
「う、うう」
「わかった?」
サヤカのきつい視線にたじろいだ魔女は、目にいっぱいの涙をためている。歯を食いしばって、うつむいたかと思ったら、必死に腕を上下させてサヤカの腕を振りほどいた。
「ちょっと……! 待ちなさい!」
「うるさい! ばか! 覚えてなさいおばさん!」
魔女は捨て台詞を吐き捨てるとともに森の奥へと走っていく。
「………………おばさんかあ」
結局、魔女を反省させることは出来ず、さらに取り逃してしまった。
なんにせよ行方不明の男性は助けることが出来たことで、仕事は無事に完了だ。
安心して、帰り道につこうとした時……。
「きゃあああああぁぁっ!!!」
悲鳴が聞こえてきた。森の奥の方からだ。聞き覚えのある声、というよりも先程まで聞いていた声だ。
「森の奥……まさか!!」
その悲鳴に悪い予感を感じたサヤカは、木剣を拾って、悲鳴の聞こえた方向へ、全速力で駆け出す。
ポツポツと雨が降り始めてきた。暗くて道がよくわからない森を奥へ走ることしばらく。座り込んだ魔女とその側には大きな人影。
その姿を見た瞬間にサヤカは理解した。その人影が大鬼であるということを。ボサボサの毛髪に筋骨隆々の肉体。座り込んだ魔女は大鬼のスネの3分の1くらいの大きさに見える。
怯えてしまって動けなくなってしまった魔女に、大鬼が大きな腕を振り上げた。
「危ない!」
間一髪、魔女に向かって飛び込み、抱きかかえながら大鬼のひと振りをかわす。そのまま、大鬼の視界から外れるために茂みに体をひそめる。
サヤカは魔女の体を触り、怪我がないことを確認する。
「大丈夫!?」
「あんた、どうして?」
泥まみれの魔女は、目尻を下げて今にも泣きそうな顔をしていた。
「ワケなんてどうだっていい! 立てる? 立てるなら逃げなさい!」
「で、でも……」
「さっさとしなさい!!」
サヤカの鬼気迫る声に魔女は体を跳ね上げた。フラフラと立ち上がると、足取りのままならないまま森の出口へと駆け出す。余裕がないのだろう、ガサガサと走る音が立つ。
大鬼は音に反応するかのように首を魔女の方へと回すと体の向きを変えた。行かせてなるものかと、サヤカはそっぽ向いた大鬼の後頭部に石を投げつけ、姿を見せた。
「こっちだよ」
「──────ッ!!!!」
ビリビリと森全体がしびれるような咆哮をあげる大鬼。サヤカには決して勝算があるわけではない。ただ、必死に獲物はこちらだと大鬼を誘う。
足が震えていて自分が地に足をついて立っていることが不思議なくらいだった。正面から戦えば敵わないことはわかりきっているサヤカは、いかにして時間を稼ぎ、逃げるかということのみを考えていた。
「……鬼ごっこ第二幕ね」
たらりと頬をつたうのは雨粒か、冷や汗か。
(逃げろ。逃げ続けろ。かすりでもしたら命に関わるぞ)
サヤカは自分に言い聞かせる。心臓が高鳴り、呼吸が荒くなる。手汗が湧き出てくる。足はかろうじて動いている。
怒った大鬼は完全に狙いをサヤカに向けた。大鬼の大きな体は小回りが利かない。この森なら走ることはできないだろう。それでも一歩が大きいから移動速度はかなりのものだ。油断をすればあっという間に追いつかれてしまうだろう。
全速力で逃げ、少しでも近づいて来たら、右へ左へと切り返す。
「はあ……はあ……」
紙一重でかわしているサヤカに、一切の余裕はなかった。神経を研ぎ澄まして、逃げに徹する。
(これだけ逃げれば十分! あとはこいつから隠れられれば……!)
魔女が逃げることが出来たならば、大鬼と対峙している理由なんてない。とはいえ、このまま逃げても追いかけてくることはわかっていた。だから身を隠す必要があったのだが、サヤカの体力も限界寸前だ。
そして雨により、足場が悪くなっていることが災いした。
「──────ッ!」
雨に濡れた草に足を取られて、体勢が崩れる。慌てて手を付いて体勢を立て直すが、大鬼はすぐ側まで来ていた。
「────────────!!!!」
大鬼は全身がしびれるような叫び声をあげ、サヤカ目掛けて左腕で薙ぎ払った。丸太の様な太い腕によって大きく吹き飛ばされるサヤカ。
「うっ!」
飛ばされただけで済んだのは運がよかった。勢いよく木に叩きつけられていたら、意識はなくなっていただろう。しかし、強い力を受けたことに代わりはない。サヤカの全身に鈍痛が走る。痛みからかまともに立ち上がることも出来ない。早く逃げなきゃいけないことくらいわかっているのに体が動かない。
「えぅ……うぅ」
視界がぼやける。全身がヒリヒリと熱い。痛みから吐き気も出てきた。あと少しというところで、逃げる術は絶たれた。
大鬼はゆっくりとその巨体をこちらへと近づけてくる。
震える腕で必死に立ち上がるサヤカ。その眼の前に巨大な大鬼が立つ。
──────もうだめだ。
サヤカの脳裏にそんな言葉が頭に浮かぶ。助からない、私はここで死ぬのだと。
(…………それでもあの子を助けることが出来た。それで充分)
サヤカは半ば諦めながら、木剣を手に取る。両手でしっかりと握りしめる。フラフラと定まらないを剣先を大鬼に向ける。
「来なさい……来い!」
──────せめて声だけでも力強く、勇ましく。ありったけの力を込めて……。
けれども大鬼はそんなサヤカの威勢を嘲るように一歩前に踏み出してきた。
(足が震える。自分が今立っているのかさえ曖昧だ。歯だってくいしばることが出来ない。私の体ではないみたいだ)
大鬼はグワリと大きく太い腕を重々しく振り上げた。
──────来る。
(この仕事の報酬はどうだったかな、往復の交通費と宿泊代……? それと、どうだったかな、食事代ならどれくらい? …………5、いや6食分くらい? まったく…………)
「割に合わない仕事だなあ」
大鬼が腕を勢いよく振り下ろそうとする。恐怖から目をつぶるサヤカ。
しかし次の瞬間、森全体に広がるほどの破裂音が響き渡る。
そして、眼の前の大鬼が大きく地面を揺らして後ろに倒れた。
「………………え?」
サヤカは何が起こったのか理解が追いついていない。先程まで命を狙っていた大鬼は仰向けになりピクリとも動かなくなっていたのだ。
構えていた木剣をゆっくりとおろす。するとサヤカの後ろからガサガサと草木の揺れる音がした。
「!」
慌てて後ろを振り返るサヤカ。視線の先には草を踏みつける音を鳴らしながら歩いてくる人影がひとつ。
人影はサヤカの横を通り抜けて倒れた大鬼の様子を見ている。どうやら死んでいるようだ。死亡を確認したらサヤカの方に振り返り小さく笑った。
「…………大丈夫か?」
その人物はサヤカのよく知る人物であった。
「き、キッドさん…………キッドさん!」
木剣を手放し思わず抱きついてしまうサヤカ。安心から先程までは出もしなかった、涙が溢れてくる。
「キッドさん………………うぅ………こわかった………………こわかったです……」
「…………よく頑張ったな」
キッドは胸の中で泣いているサヤカの背中に手を回し、優しく叩く。
サヤカがキッドの胸で泣くことしばらくの間。先程まで降っていた雨は徐々に止みだしてきた。
「落ち着いたか?」
「え、ええ。すいません。服をこんなに……」
キッドの服はサヤカの涙と鼻水でグチャグチャになってしまっている。子どものように大泣きしてしまったサヤカは少し顔を赤くする。
「気にするなよ、服くらい」
キッドは手ぬぐいをサヤカに差し出して止まりきっていない涙を拭くようにうながした。
出された手ぬぐいを両手で受け取り、涙と鼻水で濡れてしまった顔を拭き上げるサヤカ。
「……ありがとうございます。キッドさん」
サヤカは涙を拭いて「洗って返しますね」と手ぬぐいをしまった。
「キッドさんはどうしてここに?」
「…………マスターに聞いてな」
キッドが王都に帰ってきてすぐ、酒場でマスターに挨拶に行った時に、マスターから事情を聞いたのだ。その話を聞いてすぐ、悪い予感を感じたキッドは大急ぎで、妖精の森までやってきたのだ。
「ほら、帰るぞ」
「はい!…………あ、すいません」
来た道を帰ろうとするキッド。そのすぐ後ろをついていこうとするサヤカだが……。
「なんだ?」
「もう少しゆっくり…………足がまだ言うことを聞かなくて……」
痛みは徐々に引いてきたが、体が思うように動かなかった。
「…………」
キッドは呆れた様子でサヤカに背を向けてしゃがみこんだ。その背中に遠慮なく乗らせてもらうサヤカであった。
翌日、キッドとサヤカは仕事の完了を報告するために酒場に来ていた。
「本当に無事でよかったよ、サヤカちゃん!」
サヤカを送り出してから、不安で仕方なかったマスターは、キッドと帰ってきたサヤカを見て、胸をなでおろした。
「心配かけてすみません……」
「いやいや、こちらこそ」
サヤカとマスターが互いに謝りあっているのを、見かねたキッドがふたりに割り込む。
「いつまでやってんだよ。サヤカ、マスターもだ」
「あ、すみません」
「仕事の完了報告と報酬の受け取りしに来たんだろ?」
謝りに来た訳ではないだろうと呆れた。
「あ、そうでした。マスターさん」
「うん。ちょっと待っててね…………はい。これが今回のお仕事代」
硬貨の入っている袋をサヤカが両手で受け取る。依頼書通りの金額だ。
「…………」
「どうしたの?」
袋をじっと眺めて固まったサヤカを不思議そうに見つめるマスター
「あ、いえ、なんでもないです。あの、キッドさん」
「ん?」
「これ、キッドさんが受け取ってください」
「……は?」
渡された袋をキッドに差し出すサヤカ。その提案に素っ頓狂な声を出すキッド。
「今回、キッドさんがいなければ、私は死んでました。せめてものお礼に──────」
「いらねえよ」
「でも……」
「仕事内容はなんだ? 俺は行方不明者なんて知らんぜ。その金はお前にこそふさわしいもんだ」
そう言い、袋をサヤカの方に押し返して、キッドは酒場から出ていった。
そんなキッドの後ろ姿を見つめるサヤカ。
「…………」
「キッドくんの言うとおりだよ。サヤカちゃん。それに、魔女だっけ? もしかしたらサヤカちゃんがここを出る日がもう1日遅かったら、魔女に命を奪われていたかも知れなかったんだ。サヤカちゃんの判断が青年を救ったんだよ」
マスターがサヤカの肩をたたき労う。すると……。
「ちょっと! 失礼なこと言わないでよ! そんなぶっそうなことしないわ!」
酒場の扉が元気よく開いて、そこにはよく見た顔があった。
「うわ! 魔女だ」
「うわとは何よ! うわとは!」
「そんなことより、あなたどうしてここに? ここはお子様の来るようなところじゃないよ」
「ふふん、わたしにそんな口を聞いていいのかしら?」
胸を張り、信じられないほど偉そうな態度の魔女。
「どういうこと?」
「森で帽子のお兄さんにおばさんの場しょを教えたのはわたしなのよ?」
わたしがいなかったら帽子のお兄さんはあなたを助けるの間に合わなかったかもと、恩着せがましく話す。
「それは、その、ありがとうございます……」
「わかればいいのよ」
納得の言ってないサヤカの表情とは裏腹に、満足げな表情の魔女。
「…………ちょっと待って、なんで私がおばさんで、キッドさんは帽子のお兄さんなの? 私はサヤカ、おばさんだなんて言わないで。そんな年じゃないし」
「あらそう、それじゃあ、これからはサヤカって呼ばせてもらうわ」
「……可愛くないやつ」
「それで、お嬢ちゃんは、どんな用かな?」
サヤカと魔女のやり取りをさっきから黙って聞いていたマスター。少々よくない空気を感じたため、話の流れを変えようと問いかけた。
「あぁ、そうだった。わたしも冒険者として仕事をしたいのよ」
「えぇ!?」
魔女の発言に目を見開くマスター。
「何よ、ねんれいせいげんでもあるって言うの?」
「いや、そうじゃないけど」
「じゃあ、いいわね。とうろく、たのんだわよ。そういうわけだから、これからよろしくね。サヤカ先輩」
「えぇ……」
明らかに乗り気ではない。サヤカの返事は喜びの色が感じられなかった。
「なによ」
「べつに、いいけどね」
「じゃあ、いいじゃない。わたしはエリよろしくね」
元気よく右手をサヤカに向ける魔女エリ。
「うん、よろしくね」
差し出された手を半ば仕方なくとり、挨拶をするサヤカ。そんなサヤカの右手にエリは開いている左手を重ねた。
「それと、その………………たすけてくれて、ありがと」
「……どういたしまして」
(妖精の森 終わり)