ちょっとした探検
春休みのはじまった2日目、僕はかねてから計画していた探検に出かけることにした。丁度、うるさい姉と母が遠くのデパートへ買い物に出かけていて、遅くまで帰ってこないのが分かっていたのだ。
ひとりでは心細いので、ミニ・ダックスフンドの“ちょびー”も背負ったナップサックから首だけ出して連れて行こうと思ったけど、“ちょびー”が嫌がったのでそれは諦めた。
目的は神社の裏山だ。僕の家の近所にはちょっと有名な神社がある。オカルトに詳しい人にその神社の名前を出すと訳知り顔になるくらいには有名なところだ。だけど、僕らの学校で流行ったのはオカルトめいたこととは関係がない、純粋な探検だった。つまり、神社の裏山はお正月とお盆の季節以外は関係者以外立ち入り禁止になっているのだけど、フェンスで2重に囲われたそこへ大人たちに知られないように潜って帰ってくるというものだった。単純だけど、行けば何かしら発見できてそれを翌日学校で自慢する。それが僕らには楽しくて仕方がなかった。発見したものが、たとえ湿ったタバコのカートンだったり、血の付いた生理用品だったり、濡れてぐしゃぐしゃになったコミック本だったり、不良中学生の残したタバコの吸い殻だったとしても。
同じ学年の慎吾が言っていたように裏山からはみ出た雑木林に自転車を隠して、僕はフェンスをよじ登って裏山へ入った。
標高なんて言うのもおこがましいくらいの低い山だけど、えぐれてへこんだ斜面に雑木が茂っていて大変登りつらいところだ。だけど、僕は勉君から発見したルートを教わっている。横から高所を選んで行けばやがて尾根に出て、それから尾根伝いに歩けば山のてっぺんにぶち当たる。
勉君の言った通り尾根伝いに歩くと、僕も山のてっぺんにたどり着いた。で、僕は考えた。勉君や慎吾はここを右に回って下り、コミック本とか生理用品とかを見つけてから神社の境内を横切って家に帰ったわけだ。ここでいまさら勉君たちの真似をしたところでコミック本や生理用品以上の発見は期待できない。勉君もコミック本を見つけたから自慢できたわけではなくて、みんなを出し抜いてはじめて裏山でコミック本を見つけたから自慢できたわけだ。
なので、僕は左に曲がることにした。
しばらく尾根伝いに下っていくと、神社の境内は一向に見えてこず、なぜだか上へ登っていくことになった。ちょっと焦ったけれど、ここはいつもの見慣れた神社の裏山。すぐにいつもの光景が現れると思い返して頑張って登ることにした。
だけど、現れたのはカルデラ火口のような大きな穴だった。校舎の屋上から下を見るのとは比べ物にならないくらい深く、底までびっしりと雑草が茂っている。
本当にここは神社の裏山なのだろうか?
僕はもう叫び出したいくらいに焦って左へ左へと駈け出して行った。
……しばらく走ったら下り坂の道へと出ることができた。アスファルトでもコンクリートでもないけれど、踏み固められた道だ。急いでその坂道を下ると、今度はコンクリートの階段が見えた。横には見覚えのある神社に付属する建物の屋根も確認できた。
「なんだよ。脅かすなよ」
びっくりしたけど、結局いつもの日常。だけど、僕は勉君たちとは違うちょっとした探検ができた。僕は口笛を吹いてその階段を下りた。ちょっと得意げに。
* * * *
階段の下に現れたのは僕のよく知る場所だった。
少し左側に曲がっていくアスファルトの道路。一方通行ではないけれどとても狭い道だ。少し先へ行くと錆びたシャッターの閉まった工場の跡があって、壊れたジュースの自動販売機が……!あれ。動いてる。90円?見たこともないジュースの名前。変なの。シャッターの閉まった工場も開いている。ここはオートバイの修理工場だったんだ。僕の後ろから自転車が追い抜いていく。中学生くらいかな。15メートルほど先の郵便局へ小包みを持って入っていく。手で扉を押して入った?あそこは自動扉だったはずだけど……。
やっぱり少し違う。
通りには、小さな子供の手を引いた、日傘をさしたおばさん。ふざけて走り回っている僕より少し年下の男の子たち。ありふれた光景みたいにも思える。でも、なんか服装が違う。夕方のまぶしい西日に照らされたそれは歪んだテレビの画面のように思えて、本当に怖い。僕は早く帰ろうと、私鉄の駅の方へと急いだ。
ほんの少しの距離だけど、全力で走って駅に着く。
高架の駅。幅広な階段。中央のエレベーター。それ自体に変わりはない。でも、やっぱり何かおかしい。階段に聞いたこともない商品の看板が一段づつ張り付けられている。階段に広告なんてあったっけ。
そして、喫茶ソレイユ。
一階にあるそのお店はお正月に帰ってくる叔父さんに連れられて何度か来たことがある。ウインドウに飾られているコーヒーカップの横の値段表が150円!!ホットケーキ、170円。クリームソーダ、100円。消費税込みなのかどうかという突っ込みよりも値段が安すぎる。ありえない。
隣は本屋さん。えっ。そうだったっけ。お花屋さんじゃなかったのかな。いやよくわからない。で、その隣はレコード店?レコードってなに?
僕は泣きそうになるのをこらえて家を目指して走った。通りを行く大人たちの怪訝そうな目に見送られながら。
* * * *
家の前で息を切らした僕は塀に手をついた。
一見変わりがないけど、やっぱりここも違っているんだろうな。
ああ。やっぱり。古い家だったはずだけど、塀も壁も妙に真新しい。カメラ付きのインターホンもおもちゃみたいな小さなものに変わっている。
どこかへ逃げようか?でも、どこへ?学校?健司君のお家?いや。だめだ。どこも多分違っている。それに、僕は家や自分の部屋じゃなくて母さんや千佳姉やちょびーに会いたいんだ。
僕は母さんか千佳姉か誰か見知った人が出てくれと必死に願いながらインターホンというか呼び鈴?みたいなものを押し続けた。
* * * *
ガチャリ
玄関のドアが開いた。中から黒の制服姿の中学生が出てきた。
僕はくらくらと倒れそうになった。
「ああ。XXか。来ちゃったんだな。おまえも神社の山の左を回ったんだろ?なんで回るのかな。まあいいや。
XX。おまえ、途中で何も食べなかったよな?言葉も出ないか。その様子だと誰に話しかけられているかもわからないみたいだな。おれだよ。よ・し・ひ・ろ。おまえの叔父さん。面影あるだろう?これが中学の頃のおれ」
「叔父さん!?義弘君なの?」
「おまえ。その呼び方……。まあ、いいけど」
「叔父さん、お正月に来なくて、みんな心配して、会社の方にもいなくて」
「そうだろうなあ。そういうことになるよな。失踪か。まあ、仕方がないよね。こうなったらどうしようもない。
俺さあ。正月に実家へ帰る前、神社に立ち寄ってなんとなく山を左に回ってしまったんだよねえ。そうしたら、目の前に妙に懐かしい光景が現れてね。駅のところのソレイユでコーヒー飲んでこの家に着いたら中学生の姿になっちゃったんだよ。なんだかよくわからんけど」
「やっぱり、僕、帰れないの?母さんや千佳姉やちょびーや父さんにももう会えないの?」
「何その順番。久武兄が聞いたら泣くぜ。ああ。泣くな泣くな。ここへ来る前に何も飲んだり食べたりしていなかったらちゃんと帰れるから。心配するな。とりあえず中へ入れ」
* * * *
あれから30年たった。
僕は大学へ行き、会社に勤め、何人かの女性とも付き合ったが、結局、結婚はしなかった。子供はいない。
そして、疲れてる。大変疲れている。
そろそろ実家近くの神社の裏山を左へ曲がろうかと考えている……。