五話 台風の騒音と
月曜の朝。
空は暗雲に覆われ、どんよりとしていた。
悠太はいつも通り登校し、下駄箱で靴を上履きに履き替えていた。
「今日の放課後空いてるー?」
楽し気に話す女子生徒。
「空いてるよ、月曜だしちょっと遠く行かない?」
少女達は曜日を確認し、天気を知る。
悠太の苦労を知らないのだから目の前でこんな話もできるのだろう。
こんな会話は何回も聞いた。
「おい、中世古」
グッと、後ろから肩を引っ張られた。
「ぶぇっ? う、漆原?」
振り返った先には美嘉が立っていた。
(急に引っ張らないで、心臓に悪いから)
「なんだその声」
「気にすんな。で、何ですか?」
「えーっと……」
美嘉は右手で髪の毛をクルクルと触りながら、目を泳がせる。
「昨日のこと」
「あー……誰にも話してないし、話すつもりもない」
(話す相手もいなけど)
「そうじゃなくて、帰りの時だよ。見てたんだろ?」
「おう……」
「その、ありがとな。それと、誰にも言わないでくれ」
美嘉は深く頭を下げた。
誰かに対し頭を下げるという行動に、悠太は驚いた。
自分だけではどうにもできない。誰かの助けが欲しいが、頼めない。そんな所だろう。
「前にも言っただろ? 言っても得がない」
「すまない……」
「おう、じゃあ」
何事も無かったように悠太はその場を立ち去ろうとする。
「まだだ、中世古」
「なんだよ」
足早に去ろうとする悠太を止め、カツアゲをするかの如く命令をする。
「今日は午前で終わりだろ? その後美術室の上に来い」
この日の午後は保護者会が行われるため、授業は午前で終了だ。
「上って?」
「屋上。それじゃ」
美嘉はその言葉を最後に学校を歩いて出て行った。
(それを言いに学校来たのか……暇だねぇ)
そう思いながら悠太は歩を進め、教室へ向かう。
月曜日なので午後は美術室で時間を潰そうと思っていた悠太にとっては時間を潰すための絶好の用事となった。
教師達は保護者会に向け資料整理や体育館の準備に追われ、授業のほとんどが自習で終わってしまった。
自習の時間は決まって読書をする悠太は、ふと美嘉の席を見る。
登校の形跡はなく、何もない机がポツンと、クラスから隔離されているかのように浮いていた。
放課後。
悠太は立ち入り禁止の紙の貼ってある机を乗り越え、屋上に向かう階段を上った。
外へ出るためのドアに手をかけ、ゆっくりとノブを回した。
キィ……と音を立て、ドアが開く。
手入れのされていないタイルの隙間から雑草が生え、柵にも錆が目立つ。
長年使われることのなかった屋上。
「遅い」
どこから持ってきたのか……椅子に座りながら美嘉は不満そうに悠太を睨む。
「寄り道しないで来たんだから許せ」
「まぁいいけど」
「それで、要件は?」
「……」
美嘉はその質問を聞き、嘆息をひとつ。
少しだけ俯き、周りを見渡す。
真上に広がる空には分厚い雲が覆っていた。
「中世古はさ……親をどう思ってる?」
「親……か」
「いや、ゴメン……踏み入ったことを聞いてることは重々承知してるんだけど」
自分が聞いたことの意味を遅れて理解し、弁明をする。
「別に構わないけど」
「答えられる範囲で構わないから教えてほしい」
「親ねぇ? 俺の親は放任主義……というか、自分の仕事で手一杯だな。だから自由にさせてもらえてるし……でも、親がいなくて困ることも時々あるな」
「そっか」
強烈な熱風が屋上を通り過ぎる。
鉛色の空。遠くの空から轟音が響く。
「……父親か?」
「まぁ、うん。母さんと私は良く思ってなくて……ね」
そう言う美嘉は今までの威勢など無い、ひ弱な少女の姿をしていた。
「それは……俺に相談する事なのか? ぶっちゃけ、身近な大人……教師や然るべき機関に相談すべきだと思うんだが?」
「大人に相談できる程信頼されてないし、警察にも相談しようとした……でも母さんは警察沙汰になるのを嫌がったんだ。だから現状を維持したままになってる」
「だとしたら俺ではなくクラスの連中や、日向とかの方が頼れるだろ?」
「普通の思考じゃ理解できない」
悠太は美嘉に圧倒された。瞳の奥にある据わった覚悟を認め、空気の変化に気付く。
「中世古も通常では理解できないような何かを知ってるんだろ?」
「な……」
熱風の吹く方向が乱れ始める。
「ただクラスに馴染めない、馴染まない……それだけじゃ、その行動には理解できない点が多くあるんだよ。私の勘だけどね。それに加えて、あの先生が中世古に一目置いているのには何かあるんじゃないかなってね」
熱風が一層激しくなるが、その不快さは全く感じなくなり背中に冷たい汗が流れ落ちた。
唾を飲み込む音がやけに大きく響いた。
「もう――」
スッと空気が戻る。
「――限界……なんだ」
美嘉の瞳には涙が浮かんでいた。
「漆原……」
「中世古、私はもう限界なんだ。お前を頼ろうと思ったのは今でも理解できてないんだ。だけど、藁にも縋る思いなんだ。頭の中はぐちゃぐちゃだし、もう限界なんだ。中世古ならこの状況をどうする?」
「俺は――」
月鳥神の姿が頭の中に現れる。
(俺はただの高校生だぞ? 俺には何もできないが)
頭の中の月鳥神は『雲なぞ消してやろう』と語りかけてくる。
「――神にでも祈ってみるかな」
真夏の熱風が二人を飲み込む。
グラウンドには野球部の姿は無く、車が何台も規則的に並んでいた。
静寂が訪れる。
「……っ」
美嘉は肩を小刻みに震わせ、声を漏らす。
「ぷっ……アハハハハハ! お前、正気かよ? 私が真面目に相談してるのに……そうか、そうだよな! 神くらいしかもう手段はないよな! ……ないんだよな」
現実を改めて確認し、項垂れる。
「……悪いけど私は神なんて不確かな存在は信じてないから」
そう言い、美嘉は立ち上がる。
「自分の力で解決するのが定石だね。やっぱり中世古は最終手段ってことで」
暑さから逃げるように校舎に入る。
美嘉は最後に「ありがとね」と小さな声で呟いた。
「不確かな存在……か」
そう言われ、自分の存在を再確認した悠太は「フッ」とその言葉を嘲笑った。
(あぁ。俺を信じるな。自分の手で解決してみろよ)
悠太の小さなその願いは叶う事は無く、最悪の道を辿るのであった。
美嘉とのやり取りを終え、美術室に戻る悠太。
いつも通り。何事も無かったかのように平然とドアを開けると、
「ゆーた? 珍しく遅かったね? 寄り道か何か?」
口を尖らせ、目を泳がせながら日向が尋ねてくる。
「ん? あぁ……そんな感じ」
美嘉からの相談は秘密にしなければならず、察せられないよう上手く答えを返す。
「そうなんだ……ふーん」
不満げに目を逸らし、頬を膨らませる。
それを見て悠太は内心戸惑っている。
「中世古、寄り道は構わないが、遅刻は許されないからな?」
珍しく厳しい口調で釘を刺した先生はいつも通りアイスを齧る。
「わかってますよ」
「それと……今日は特に面白くなりそうだ」
アイスの爽やかな味の余韻に浸るように息を吐きながら笑う先生。
「それって?」
日向は先生の妖しい微笑みに質問を投げた。
「中世古がアクションを起こしたみたいだからな?」
「どうして――」
美嘉からの相談をなぜ、先生が知っているのか?
その疑問をぶつけようとした刹那――
「中世古! 助けてくれ!」
――美嘉が美術室に飛び込んできた。
恐怖に怯え、体を震わせている。
その瞳の視点は定まらず、明らかに疲弊している。
「漆原?」
「美嘉ちゃん? どうしたのそんなに焦って」
美嘉の姿を認め、その状況に狼狽えながらも確認をしようとする。
「母さんが!」
その叫びは美術室内を反響し、悠太と日向に恐怖を与えるのには十分だった。
「美嘉……」
来客用のスリッパの音を鳴らしながら、女性が入ってくる。
「……母さん」
美嘉の母親は右手に出刃包丁を持っていた。
キラリと肉厚の刃が光を反射する。
「美嘉さえ……」
静寂が包む美術室に静かな声がよく響いた。
「美嘉さえいなければ!」
フラフラと足元が安定せず、よろけながらゆっくりと美嘉に近づく。
その場にいる全員がこの状況に戦慄し、動けずにいる。
(動け……動けよ! 月鳥!)
悠太の願いも届かず、体とLSは命令を拒否した。
万事休すか。
「何をしている!」
胸に響くような、重圧感のある声が放たれた。
美術室に男性……美嘉の父親が入ってきた。
美嘉の母は自分の旦那の姿を認め、行動を停止した。
こんにちは、
下野枯葉です。
朝夕冷え込み、布団が恋しくなる季節になりました。
こんな季節の挨拶は許されますか?
えぇ、私の後書きなのですから許しましょう。
さて、台風です。
美術部、改め……月研に台風が直撃してしまいました。
いやぁ、困った。
困った、困った。
雲晴らしは台風にも有効なのでしょうか?
さぁ、どうでしょう。
楽しみです。
また来週続きを書きましょう。
では今回はこの辺で。
最後に、
金髪幼女は最強です。