三話 新たな生活
惰性の様に授業を聞く。
休み時間となれば寝るだけの生活。
向こうの世界で醜悪を浴びるというのに、現実でもそんなものは聞きたくない。仮初の、薄っぺらい表面だけの笑い話、雑談など聞く価値もない。
耳に響かせるのは日向の心地よい声だけでいい。
悠太は自身に必要なのは日向だけであると確信している。
他の声を聞けば吐き気が込み上げてくるほどだ。
「あのー……中世古くん」
声が響き、肩を二回揺すられる。
「あ?」
敵を見るための視線を刺す。
声をかけた女子生徒は目を泳がせた。
「えっ……とね、先生が呼んでるよ」
一度怯んだ女子生徒は胸に手を当て呼吸を整える。
無論、悠太は女子生徒の顔など知らないし名前も知らない。
立ち上がるだけで騒めく教室は自分の居場所ではないと再確認し、先生の元へ歩く。
「伝達せず、直接声をかけてください」
およそ人間を見る目ではないだろう。悪魔か外道を見る目だ。自分にとって不利益となる者はゴミ同然と思う悠太の思考が故である。
「ダメよー? クラスのみんなと『仲良く』ならなきゃ」
クラスとの協調と調和を求める。
本来の教師としての姿を見せるが、内心では苦しみながら溶け合う姿を輪の外から見て嘲笑うクズであることは互いに理解している。
「ここで吐いてもいいんですか?」
「いいわよー? ちゃんと介抱してあげるわ。だけど、またクラスで浮いちゃうわよ?」
「元々浮いています。ここは居心地が悪い」
昼食を摂りながら雑談に励むクラスメイトは、悠太の一挙手一投足に繊細な注意を払っている。
それもそのはず。
悠太は入学してから先生と日向以外とはまともにコミュニケーションを取っていない。
入学からの間での一番の会話といえば、
「次の授業、多目的室だよ?」
「どうも」
「教室の鍵、お願いしてもいい?」
「はい」
という、事務的連絡だろう。
「その屈折……とってもいいわよ?」
「貴女よりまともな屈折ですけどね。こんな話をしに来たんですか?」
「いいえ、部活のことよ」
やはり、笑みを浮かべる先生はどこか感情を隠しているようにも捉えられる。
「手短に」
「今週は水曜日も集合日にするわ」
唐突に告げられた告知に驚きつつも、独りの悠太に予定はないので断る理由もない。
「いいですけど、理由は?」
「それも水曜日に」
「そうですか。……日向には?」
「まだよ」
「伝えておきます」
「それじゃあ、またねー」
白衣を翻し、足早に過ぎ去る先生の背中を見ながら四階へ向かう。
悠太は商業科に所属し、日向は進学科に所属している。科が違えばクラスも違うのは道理である。
しかし悠太には解せないことがある。なぜ科が違うと階が違うのだろうか。日向に会いに行くのに一階から四階まで登らなくてはならないのだ。どうすればこの問題が解決するのだろうか? 校長の脳ミソを弄り回して考えを改めさせればいいのか?
この問題は早急に解決すべき問題だ。
やっとの思いで四階到着する。運動嫌いの悠太には辛い。
進学科に進学していたら登校拒否待ったなしだっただろう。
日向のいるクラスを覗く。
実に賑やかだ。
クラスの人間全員が誰かとの会話に花を咲かせ、青春を有意義に過ごしていた。
日向は会話を中断し悠太の元へ駆け寄る。
「ゆーた! どうしたの?」
「部活、水曜日も集合になった。時間平気か?」
「えっ? 水曜日も部活なの? ……えっと……うん、平気だよ!」
明らかな間が開いた。恐らく予定が入っていたのだろう。
しかし予定を変更してまで部活に来ようとしているのだ。
悠太は安堵を心の中で漏らした。決して表情には出さない。
日向のいない部活など行く意味などない。ましてや月曜日でないなら尚更だ。
「わかった、それじゃあまた」
「あっ、ゆーた!」
「ん?」
「また部活でねっ!」
心臓を打ち抜かれた。
この表現は比喩表現である。
胸の動悸がはやし立てる。
この表現はそのままである。
絶対に水曜の部活を休めなくなった悠太は、心を躍らせながら帰宅するのであった。
その楽観的な感情とは反対に黒い感情が蠢いたのは日向のクラスだった。
「なぁ、今来たの誰だ?」
「確か商業科の中世古とかいうボッチだろ?」
「なんで圦本さんと話してんだよ」
「ボッチのくせして」
嫉み、妬み。
大きな雲が渦を巻き、力が大きくなる。それは月鳥町の空を包み『負』として停滞する。
水曜日。
先生はいつも通り美術室の隅の椅子に座っている。
ソーダ味のアイスに少し塩を振りかけてから齧り、天を仰ぐ姿は子どものようだった。
「さて、集まってもらった理由だな」
アイスの余韻をよく味わった後に表情を整え切り出した。
「はい、一体なんですか?」
「この度」
ゴクリ……。
静寂の中、日向は唾を飲み込む。真剣な眼差し、ただならぬ空気を纏う先生の姿を見れば自然とこうなってしまう。
「美術部は廃部になった」
「「は?」」
突拍子もない、唐突過ぎる廃部宣言に驚きを隠せない。
「解散!」
(まるで家を失い、血迷った末に出されたような言葉だな。公園にでも住み始めて、段ボールを食い始めるぞ?)
悠太は顔を引きつらせながらそんなことを思ったが、決して口には出さなかった。
「先生、冗談は顔だけにしてください」
しかし、失礼極まりない言葉を吐く。
「お前! 私、先生だぞ? 言っていいこととそうでないことがあってだな? おん?」
コンビニの前を占拠する田舎のチンピラのような目をしていた。
(この人、本当に教師になっていい人なのか?)
「嘘を付けない性格でして」
「殴ってもいいか?」
「虐待? 教育委員会? 警察?」
震える拳を目の前に、教師が暴力を振るった際に恐れる単語を吐き出す。
「あのっ! そんなことより……月鳥の使命はどうなるんですか?」
「そうだそうだ、忘れてた」
日向の指摘で本来の目的を思い出し、悠太は一応姿勢を正して先生を見る。
「忘れんなー? それと、安心しなさい。新しい部活を作るから」
「新しい部活ですか?」
「『月鳥の伝統研究部』だ。通称『月研』になる予定だ」
先生は手元にあったスケッチブックに『月研』という文字と、月と鳥の絵手早く描きドヤ顔と共に見せつけて来る。
「うわー! ちゃんと目的がはっきりしてきましたね!」
「まぁ、そうだけど。部員が俺と日向だけなのが変わらないから廃部決定ですね」
「何を言ってるんだ? 二ヶ月の猶予期間中に新入部員を募集するんだよ」
「あのー……先生、質問なんですけど」
弱々しく右手を上げ、会話を中断する日向。
「なんだね? 圦本君」
「『月鳥の伝統研究部』って何をする部活なんですか? それと部員……集まりますかね?」
「活動内容は名前通りだ。簡潔に言えば雲を晴らす原因を突き止める。それと部員の候補はある程度見当がついている」
見当……というものに一抹の不安を抱えながらも、活動内容に矛盾点を見つけ指摘する。
「原因は俺達が一番知っているはずです。それに公表する気もない」
醜悪を一身に受ける姿は同情を買い、憐みの目を向けられ、養護されるには十分だろう。しかし、そんなモノは求めていない。
悠太の求めるモノはただ一つ。変わらぬ日常、日向と過ごす何気ない日常だ。
「だったら嘘の研究結果を公表してしまえばいいだろう? それに高校の部活が発表した研究など誰も目には止めないさ」
「まぁ、俺の使命を果たすための環境なら拒否する理由はありません。日向がそれでいいなら俺はそれを受け入れますよ」
「素直じゃないねぇ?」
「先生の教え子ですから。日向、どうだ?」
「うんっ、活動内容も難しくなさそうだし、ゆーたと一緒ならいいよ!」
「さしあたっては、書類を書いて欲しい。部長は美術部を引き継いで圦本でいいのか?」
「あっ、はい! 大丈夫ですよー!」
「すまないな。圦本は顔が効くから助かる……が、なぁ?」
悠太の顔に舐めるように視線をぶつけながら先生はケタケタと笑う。
(視線が痛い。陰キャなんだからしょうがないだろ)
「ゆーたは使命のために頑張ってるんですから、こういうのは私がやりますよ」
こういう時だけはシャキッとする日向はどこか目つきが変わる。
頼れる、全てを預けたくなる。身体も心も捧げても良いと、脳が自然と判断する。
これは英断だ。この判断に迷いも間違いもないと、そう語りかけてくる。
「お、おう。すまん」
だがこの思考は口に出されることはなく、不愛想な返事しかできず過ごしているのだ。
「えへへ、任せてよ! それと新しい部活、頑張ろうねっ!」
「おう……」
実に変化のない関係だ。しかしこの関係が最善だと互いに知っている。これ以上を求めれば使命に大きな影響を及ぼすのは明白だ。
「それじゃ、また明日ね!」
「日向、もう帰るのか?」
「うん、ちょっとね……」
表情がほんの少しだけ曇る。だが、日向は悟られまいと笑顔を作っている。
「そうか……んじゃ気を付けて」
互いの深いと事には介入しない。
寂しくとも、悲しくとも、踏み越えてはいけない一線があるのだ。
日向の背中を、見えなくなるまで目で追った。
「私から伝えてやってもいいんだぞ?」
背後からの悪魔の囁きの主は先生だ。
きっと日向は応えてくれるだろう。だがそんなことをすれば安定した現状から離れる。
「やめてください。それは絶対に望まないです」
そう呟き、支度をする。
財布と筆箱しか入っていないバッグを背負い、美術室から廊下に出る。
瞬間、人とぶつかりそうになる。
「おっと……」
相手の顔を確認する。
「チッ……中世古か。……邪魔」
茶に染められた髪を高めの位置で一つに纏め、着崩した制服を身に纏うのは漆原美嘉。
スクールカーストにおいてどこにも所属しないが、最上位層に怯えることのない人間。
「えっと、すまん」
反射的に謝ってしまうのは、自分に悪気があるか、自分より上位の存在と認めってしまっているからなのだろう。後者だと屈辱的だから前者であると言い聞かせる。
右の耳で星型のピアスがキラリと光った。
(おいおい、ピアスって……流石に生徒指導とかじゃねぇの?)
美嘉は悠太のことなど眼中になく、颯爽と美術室へ入っていくのだった。
(新入部員? そんな訳ないか)
先生が生徒指導部に所属していることを思い出し、どうせ生徒指導だろうと思った悠太は何事も無かったかのように学校を後にした――
――かった。
突然背後から大きな声が聞こえた。
「中世古ォ! 新入部員ゲットだぜぇ!」
ポケ○ントレーナーもビックリな大声の主は先生だった。
「まさか……漆原?」
「ご名答!」
(悲報、新入部員はヤンキー)
「退部しても?」
真っ直ぐな視線そのままに、先生に退部宣言を行うと、
「私の存在を知って逃げんな、殺すぞ?」
先生の背後から美嘉が登場し、在籍を強制された。
こんにちは、
下野枯葉です。
第三話。
新たな生活です。
まさかまさかの三話で新しいことです。
アホだなぁ……俺。
さて、今回のお話では中世古悠太君の学校生活を覗いていただきました。
なんだか自分の学生時代を思い出しました。
ガチボッチ楽しかったなぁ。
今思うと悲しいものでした。
悠太君も楽しいのだろうか? 悲しいのだろうか?
どっちなのか考えて読んでいただければと思います。
そしてお話は作者のちょっとしたことを。
最近、私の生活にも新しいことがありました。
嬉しい八割の、悲しい二割です。
でもこの新しいことが私に良い変化を与えているのは事実です。
この趣味にも反映されるといいんですけどねぇ……。
では、
今回はこの辺で。
最後に、
金髪幼女は最強です。