12 トレーナーとの出会い (第2シーズン-1)
焼き鳥屋で彼女のはオタク話を、幸せに感じながら
聞いていた僕は、時おり視線を強く感じていた。
もしかして彼女と話している僕のことを、殺意を持
って見ているヤツでもいるのだろうか。
それとなく周囲を見渡していたが、そのうち忘れて
しまっていた。
トイレに行って、席へもどろうとしている途中で、
グイッと腕をつかまれた。男の感じではなかった。
「ちょっといい?」
僕の腕をつかんで、そう言ってきたのは、彼女と
同じように、そのままでも海に行けそうな服装を
した30代半位の女性だった。
「どこかで会いましたか?」
僕は、昔会ったことがある女性を、頭で検索したが
該当する女性は思い浮かばなかった。人
間違いしているのか?
「今日はじめてよ。だけど、とても素敵な彼女を連れてい
たから、君にひとつだけ教えてあげておこうと思ってね。
本当に君が満足できるには、どうすればいいかを」
何様だ。この女は。
身も知らないヤツに教えてもらうことなんてないぞ。
僕は今、十分に幸せだ。
そう思って立ち去ろうとした。
「まあ、もし気が向いたら連絡をして来て」
その上から目線の女は僕の指に名刺を差し込んで来た。
単純に僕の手に渡そうとしたら絶対に受け取っては
いなかっただろう。
そう思って、僕の指にハサまれた名刺を胸ポケット
に入れた。
席にもどると、彼女が僕の耳元で言った。
「遅かったわね。アキ君がいない間、5人から声を
掛けられたのよ。うち1人は大将だけどどね。
次に声掛けられたら、アキ君を忘れて置いて帰っ
てたかもしれないんだから」
「ごめん。変なヤツにつかまってさ。この人なんだ
けど……」胸ポケットに入れたはずの名刺がなかった。
「あれ、名刺、どこに行ったんだろう」
そう言いながら、僕がポケットをまさぐっていると
「そんなのは、どうでもいいから、ハイ。おかわり
2杯来たから、あらためて乾杯ね」
彼女が生ビールのジョッキを僕に渡しながら言った。
「ああ。飲み直しだ」
乾杯で、僕は、さっきのことは忘れてしまっていた。
ただ、満足できるには、どうすればいいか、という
言葉だけは残っていた。
座敷のグループ客が少しずつ帰り始めた。
7時ごろから始めて、2、3時間の宴会なんだろう。
「アキ君、このあと、どうする? 私はいつも外食の
あとは、スポーツジムに行ってるの。普段から行く程
じゃないけど、体型維持のために外食のあとだけはね」
彼女はこれからジム行くのかと考えながら、安定した
会社をやめた僕は、体のことは今一番大事だと思って
「体験コースとかで1日でもやれるなら、僕も行って
みようかな」
「本当? 行こうよ。いつもは1人で行くけど、2人
で行くのって、ほら昔の四畳半フォークの『神田川』
であった、「2人で行った横丁の風呂屋」みたいで
楽しそう」
僕は昔の歌謡曲のことは、よく知らないが『神田川』
というタイトルの歌は、深夜放送のラジオで爆発的
な人気となってから、シングル発売され100万枚以上
売れたというので、その歌詞も聞いたことがあった。
「そのかわりに、ジムの帰りに、どこかでコーヒーを
飲ませてくれる?」
僕は、自販機のコーヒーと思われなくなくて、落ち着
た深夜喫茶みたいなところで、静かに話ができたらいい
と思って言った。
「もちろん、その位は、お安いご用よ」
店の外に出ると、月夜と虫の鳴き声が秋を感じさせて
くれ、風は少し肌寒い程だが心地良かった。
彼女が自分のスカーフを、僕の首に巻きつけて、彼女も
それを自分の首に巻きつけた。