それぞれの思い
大体、この小説は週一位で投稿できればと思っています。
翌日、ルシオンは見覚えの無い場所で目を覚ました。
簡素なベッドに寝かされていたルシオンには、何枚も毛布が掛けられており、海に長時間浸かっていた為に、冷え切っていた身体を温めようとしていた。
「此処は何処だ? 確か俺は……」
ルシオンは簡易なベットの上で上半身を起こし、親衛隊長ザルガの反乱、沈没する船、そして木片に掴まって海面を漂う自身の姿、それらを思い出した。
「運よく他の船に海上で発見されたのか? それとも何処かに漂流して助かったのか…。いや、しかしそれにしては変だ」
ルシオンは腰の皮袋に気が付いた。
そこには宝石と金貨などが収められている。
漂流したにしろなんにせよ助けられた後、奪われていないのは理にかなっていなかった。
皮袋に収められていた宝石と金貨を検め、『余程お人よしに助けられたか? もしくはこういった金貨や宝石に、何の価値も無い場所に流れ着いたのか…』と、疑問にすら感じていた。
そして身に着けていた筈のある物が存在しない事に気が付いた。
「短剣が無い、アレが誰かに見つかっているとマズイな……」
海に飛び込む前に宝石や金貨が詰まった皮袋と共に、腰に括り付けた王家の紋章の入った短剣。
考えようによっては金貨や宝石よりも価値があり、最悪ルシオンの身分が知れ渡りどんな事態が起こるか想像も出来なかった。
「テーブルやベットの傍には見当たらない、この部屋にはないのか?」
室内の物音に気が付いたのか、扉の向こうに人の気配がした。
「目を覚ましたか? あの…、今室内に入っても大丈夫かい?」
扉の向こうから明るい女性の声が響いた。
「ああ、大丈夫だ」
ルシオンはベッドに戻って宝石と金貨を再び皮袋に収め、扉の向こうの声の主にそう答えた。
「失礼しするよ。気分は大丈夫かい? 長い時間海の上を漂流してたんだ、何処か違和感がある所は無いか?」
室内に入った女性はルシオンの傍まで歩み寄り、額に掌を当てて体温を測る仕草をし、そのままそう質問してきた。
「助けてくれたのは貴女か? おかげで身体の方は問題ない。すまないが此処は何処なんだ?」
尤もな疑問を抱くルシオンに、女性は自らをミレーヌと名乗り、此処はポーリという漁村でルシオンは今朝この村の浜辺に打ち上げられていたと説明した。そしてルシオンに今日の日付と今の時刻を教えた。
「と、言う訳よ。理解できたかしら? まあこんな田舎の漁村では時間はあまり気にしないけどね」
ルシオンの身分を知らないミレーヌは、優しいがやや小馬鹿にした様な口調で話し掛けていた。しかし、ルシオンはそんな事は気にせず、ミレーヌから聞いたポーリという村の名を思い出し、今自らが何処に居るのか確認していた。
『ポーリは確か海を隔てた対岸の国、ルガリア王国の支配下にある村だったか…。海流に運ばれたにしても妙な話だな…』
セーラに記憶を封じられているルシオンは、船が沈み始めた時の正確な場所を思い出せない。
マーメイドサンクチュアリを象徴する、テーブル岩の記憶を取り戻せば記憶の矛盾に気が付き、シャルロット達の事を思い出す危険があった為に、セーラがそのあたりの記憶にまで封印を掛けていたからだ。
しかし、何処で船が沈没したにせよ、この村に辿り着くまで漂流したにしては日数が短すぎた。
「そんな難しい顔をしなくても良いじゃない。漂流して命があっただけでもありがたいと思わなきゃね。食欲はあるかい? 簡単な食事で良ければ持ってくるよ」
ルシオンが頷くとミレーヌは一旦隣の部屋へ姿をけし、温かいスープとパン、それと水を持って再びルシオンの部屋へ姿を現した。
「すまないご馳走になる」
行儀良くパンとスープを食べるルシオンの姿を目にし、「あんた、もしかしてイイトコのお坊ちゃん?」と、ミレーヌは聞いてきた。
この質問でルシオンは一瞬、ミレーヌが短剣を盗んで隠し持ち、其処に記されていた紋章の意味を理解しているのかと思った。
しかし、もしそうであるならば、今までの態度に不可解な点も多く、最終的にルシオンは王家の紋章の入った短剣は漂流中に海底に沈んだと考え、ミレーヌを疑う事を止めた。
ルシオンは口の中のパンを飲み込み、水を飲んで一呼吸おいて、「まあ、そんなところだ」と言葉を濁した。
敵対している国では無いとはいえ他国である。
身分を明かせば、どんな問題が発生するか分からない以上、そう答えるしかなかった。
ルシオンがポーリに漂流してから既に二週間が経った。
ポロガニア王国行きの船がこんな田舎の漁村に寄港する訳も無く、ルシオンは漁船の手伝いをしながらどうやって故国に帰るか思案していた。
「お帰りルシオン、今日も大漁かい?」
目を覚ました翌日からルシオンは、食事と宿泊のお礼も兼ねてポーリで漁の手伝いをしていた。
ポーリで使われていた漁具は、ポロガニア王国で使われていた物より数段遅れており、より効果的に漁が出来る様に、ルシオンはその漁具に様々な改良を施した。
初めはルシオンのこの行動に難色を示した村人達も、ルシオンが改良を加えた仕掛けに大量の獲物がかかると態度を一変し、今ではすっかり村の一員として受け入れていた。
村で一番大きな船が各漁船で獲れた魚介類を仕分けし、それを少し離れた町で売りに出す。
勿論自分たちで食べる分と、形が小さく売り物にならない魚は、村で加工されて消費される。
町での売り上げは漁に出た村人で等分され、全員が均等に同じだけの金を得る。
とはいえ、この村で金を使う事など殆ど無く、金の使い道といえば町にいった船が仕入れる、様々な雑貨を買う時や、重い病気にかかり隣村にある教会に薬を貰いに行く時だけだった。
「今日は大量の蟹が手に入った。今夜のメインディッシュは蟹だ」
ルシオンが乗り込む船は毎日違っていた。
ポロガニア王国の城下町や漁村で様々な知識を得ていたルシオンが乗る船は、必ずと言っていい程大漁に恵まれ、その為に漁民の間で今日は誰がルシオンを船に乗せるか、水面下での激しい争奪戦が繰り広げられていた。
「このやり方なら誰の船が大漁で、誰の船が不漁でも変わりないだろうに……」
そうは言っても海の男達にも意地がある。海に出て何も獲物を手にせず港に帰る悔しさは他の何にも代えがたい苦痛だった。
特に年頃の男たちにとって村で待つ女性に対するアピールでこれに勝るものは無く、意中の女性が居る者は何としてでも大量の獲物を手にして村への帰還を果たしたい所だった。
一方で女性達はと言えば男達が取ってきた獲物を、いかに美味しく料理できるかで男達にアピールしている。
そして、それは今日もルシオンが世話になっているミレーヌの家で繰り広げられていた。
「はい、ルシオン。蟹と香草の卵とじだよ」
いわゆる蟹玉を出してきたのはメリッサという名の女性で、ルシオンが漁に出た次の日からミレーヌの家を訪れ、毎日ルシオンに手作りの料理を振る舞っていた。
「ちょっとメリッサさん、そんな簡単な料理を作るなら最後にしてよね……。という訳でお兄ちゃん。私の料理は蟹爪のバター焼きで~す。今日の蟹は大きかったから食べごたえがあるよ♡」
次に料理を運んできたのはミルという名の少女で、ルシオンに遭った日からルシオンの事をお兄ちゃんと呼び、妙に懐いていた。一週間前からミレーヌの家で料理を初め、メリッサに料理で張り合っていた。
「ミルも人の事なんて言えないじゃないの。此処、あたしんちだってわかってる? ルシオン、私は蟹のクリームパスタ。二人がおかずっぽいの作ってたからパスタに変更してみたの」
成り行きでルシオンを泊める事となったミレーヌも、今では満更でも無いようで、毎日色々な料理を作り、ルシオンに振る舞っていた。
「美味しそうな料理も揃ったし、皆で食べようじゃないか」
食事の時、ルシオンは必ずミレーヌが作った料理から手を付ける。それはこの家で世話になっているという理由の他に、ミレーヌこそが命の恩人であると誤解している部分もあったからだ。
尤も、この村の海岸に運ばれてきた時の人魚との約束も、ルシオンが漂流してきた事の真実もミレーヌしか知らず、ルシオンに好意を寄せているミレーヌもその誤解に気が付きながらも、間違いを正そうとはしなかった。
結果として、ルシオンに少しばかり負い目を感じながらも、そのアドバンテージを生かし、ルシオンの隣を獲得しようと努力していた。
「ねえ、ルシオン。そろそろミレーヌの家に居候するんじゃなくて何処かに家を建てない? きっと[[rb:村人 > みんな]]も歓迎するよ」
「そうだよお兄ちゃん。少し狭いけどミルの隣の空き家だったら掃除をしたら直ぐに住めるよ」
この村には村を出た元漁民の家や、漁で事故に遭い誰も住まなくなった家も結構存在する。
ミレーヌの家に居候するのも悪いと思ったルシオンはこの村に来てから数日は何度か村長に相談しようと考えた。
しかし、この村に家を持つことが、この地に根を下ろす事に繋がりそうになった為、短い間だけならとミレーヌの家で世話になっている内に、二週間も経過してしまっていた。
「そんな事より今は美味しい料理を食べようじゃないの。ほら、メリッサの蟹と卵の料理もミリの蟹爪のバター焼きも美味しいよ」
ミレーヌに勧められ、ルシオンはメリッサの蟹玉を口にした。
ふんわりとした卵と口一杯に広がる蟹の風味。
それは、今まで王宮で出された格式ばった食事よりも数段美味しく感じた。
そしてミリの蟹爪のバター焼き。
こちらはシンプルな料理でありながらも、蟹の旨味を十分に引き出しており、料理があまり得意ではないミリとしては、最高の選択ともいえた。
「確かに、二人の料理も美味しいよ」
ルシオンの感想を聞き、ミリとメリッサもお互いに作った料理を口に運んだ。
この後ミレーヌが台所から持ち出したワインを、全員で飲みだした事により小規模な宴会が始まり、ミレーヌの目論見通りに、ルシオンの引っ越し話は有耶無耶になった。
更に一週間が過ぎたある夜、ルシオンは一人で海岸を歩いていた。
「此処での暮らしも悪くない、しかし国の事も気になる。あの後どうなった事やら……」
元々王宮での暮らしが気に入らず、度々城を抜け出していたルシオンはこの村での暮らしが気に入っていた。
それでも、ルシオンは王族であり、民の平穏な暮らしを守るという、その責務を忘れてはいない。
その上、自らも巻き込まれた事でソフィアの企みを知っており、その後ポロガニア王国に異変が起きていないか心配でならなかった。
「情報屋のカイと連絡が付けば……、こんな所では無理な話だが……」
カイという女性はルシオンが個人的に重用していた情報屋で、求める金銭以上の情報をいつでも入手してくれた。
カイの方もルシオンを気に入っており、ルシオンが必要としそうな情報を優先的に入手していた。
此度のイスパラント皇国で行われる舞踏会の情報を、ルシオンに齎したのも彼女である。
「カ…イ……?」
その声は確かにルシオンの耳に届いた。
「誰だ?! ……誰も……いない?」
ルシオンは辺りの気配を探った、しかし、波音以外に物音はせず、辺りを見渡してみても怪しい人影は無かった。
「気の…せいか?」
その時、海で魚か何かが跳ねたのか、小さな水音が響いた。
それ自体は珍しい事では無く、ルシオンも特に警戒する事も無くその場を立ち去り、居候しているミレーヌの家へ戻った。
事態が急変したのは、ルシオンが一人で海岸を歩いていたあの夜から、更に一週間が経過した後の事だった。
「ハーイ、ルシオン、お久しぶり。元気そうで何よりね♪」
漁から戻ってきたルシオンを、漁港で待っていたのはミレーヌ達では無く、王都リガニアに居る筈の情報屋のカイだった。
彼女はどうやってルシオンの居場所を知ったのか、その情報源をルシオンに明かす事は決して無かったが、ある情報筋から知ったとだけは教えてくれた。
「カイ!! 久しぶりだな。お前に聞きたい事がありすぎて困っていたんだ」
ルシオンは家で話を聞こうかと思ったが、ミレーヌの存在を思い出した。
そして辺りを見渡して適当な空き家にカイを連れ込み、其処で話を切り出した。
「今、王宮はどうなっている? 俺の事は死んだと公表されたのか?」
最初にルシオンが聞いたのは、まずその事だった。
ザルガが失敗したにせよ、あの船にはソフィアの手先であるリリーも乗っていたのだ。
しかもリリーは確実に、あの船から脱出している。
あの女が無事にソフィアの元に帰還していれば、どう報告したのかは容易に想像がつく。
「その事なんだけど…、ルシオン。あんたはイスパラント皇国で行われる舞踏会に向かう途中、海難事故に遭って外務大臣ルヴォルグと親衛隊長のザルガと共に命を落としたと発表された。それと……、第二王子ファーレンと第三王子ビルトも流行病の為に病死したと発表された……、つい先日の話だ」
「病死? アレは俺を一人で舞踏会に向かわせる口実では……」
その時、ルシオンは脳裏にある違和感を覚えた。
確かにルシオンは、第二王妃のソフィアにとっては忌むべき存在だろう。
しかし、その為に外務大臣ルヴォルグまで巻き添えにするには、デメリットが大きすぎる。
元々ポロガニア王国にはそこまで人材が育っておらず、外務大臣ルヴォルグクラスの人材など、国中探してもそうそう見つかりはしない。
ソフィアの企みに加担したとはいえ、親衛隊長のザルガも愚直ではあったが、無能者ではない。
使い捨ての駒にするには、惜しい人材の筈だ。
そして今回、第二王子ファーレンと第三王子ビルトまで病死させた。
本当に病死かどうか窺わしいが、正式に発表したという事は死亡した事に間違いはないだろう。
様々な情報が頭の中で組みあがり、ルシオンはある結論に達した。
「あの女、ソフィアの狙いは売国だ。おそらくあの女はイスパラント皇国皇帝ガルフォードと密かに通じ合い、我が父マウリッツ三世の信用を得る為にその身を重ね二人の王子を産んだ。そして、第一王妃のマーリンが病死するのを待ち、邪魔になった俺と二人の王子を始末し……、おそらく父上も……」
気の長い話ではあるが自国の兵を使わず一国を滅ぼそうとしているのだ。
これ位の事はしてくるだろう。
そう考えればルシオンの母である第一王妃のマーリンの病も、疑わしい所が多かった。
「流石だね、殆どあんたの読み通りさ。三人の王子を失って気力を無くしたマウリッツ三世が病に臥せっているそうだ。まだ発表されちゃいないがね……」
それも本当に病気か怪しい所だった、このままいけばマウリッツ三世は病死。
直系の王子として残されているのは、去年生まれた第四王子のブレッドのみ。
当然、まだ赤子に過ぎないブレッドを即位させるわけにはいかない。
即位できる年齢に達した直系の王子が居ない以上、ブレッドが成人するまで以上第一王妃のソフィアが摂政としてこの国を支配する事だろう。
そしてこの時、ルシオンの脳裏にある事が思いだされた。
「そういえばソフィアがブレッドを授かる前、やけにイスパラント皇国との間に会合が設けられていた。そしてそれはソフィアがブレッドをその腹に宿した後、急速に回数を減らした……。まさか……な……」
ルシオンは第四王子のブレッドが、マウリッツ三世とソフィアの間にもうけられた子では無く、イスパラント皇国皇帝ガルフォードとの間で、もうけられた子ではないかと予測した。
万が一それが事実ならば、ポロガニア王国はブレッドが成人する頃には、完全にイスパラント皇国に併合されている事だろう。
「俺もポロガニア王国の王子だ。国の一大事を黙って見過ごす訳にはいかない。カイ、お前が此処にきたという事は、此処に来る手段がある筈だ。それを使って俺はポロガニア王国に戻りたい。案内して貰えるか?」
「安くは無いけどね。ルシオン、あんたこのまま帰っても良いのかい? あのお嬢ちゃん達はどうする?」
流石というか、カイはミレーヌ達の情報まで持っていた。
そして彼女たちがルシオンに好意を向けている事も知っている。
「彼女達には感謝しているが、国の大事と比べようも無いだろう。この一件が無事に終われば、彼女達には十分な礼をするさ」
ルシオンは廃屋の壁に漁で使っていたナイフを使ってメッセージを残し、そしてその夜、カイと共にこの村から姿を消した。
ルーとニーがルシオンをポーリに送り届けた翌日、シャルロットは姉と呼べる人魚が集う、ある場所に向かっていた。
其処は神殿から離れた空気溜まりがある海底洞窟の中で、海中では普通に味わう事の出来ないある物を口にする為に、多くの人魚が訪れていた。
ルシオンを初めとする多くの人間が人魚は海中、つまり何時でも海水の中で暮らしていると思い込んでいたが、真実はそうではなかった。
生まれて間もない人魚であるならばともかく、ある程度力を持つ人魚であれば皆、空中を泳ぐ術を得る。
その術を覚えた人魚は母なる海の水から栄養を得るだけでなく、神殿やこういった空気溜まりのある洞窟に様々な物を集め、酒や料理を楽しめるようになる。
空気がある事を利用して歌を歌ったり楽器を演奏する人魚も居る。
極稀にその歌が海上に流れ、何処からともなく美しい歌声が聞こえる不思議な場所として船乗りたちの間で噂になる事もある。
「あら、シャル。貴女もコレを飲みに来たの?」
「今までは興味が無かったみたいだけど、ようやくコレの良さが理解できたのかしら?」
人魚たちが口にしていたコレとは、沈没船から引き揚げた様々な銘柄の酒だった。
ワインにビール、その上、この近海では滅多に手に入らないウイスキーまで入手していた。
人魚たちは人間が生み出したその魅惑の液体を口にし、口々にその味を称えていた。
数年前、航海術の進歩と安全な航路の発見により、沈没船の数が激減した時など、「そろそろワインやブランデーが盛んに交易される時期よね? 誰か、なるべく人が犠牲にならない方法で二~三隻沈めてこない?」といった悪質な冗談が横行し、その人魚達はティーリアに厳重に注意されていた。
尤も、海魔が健在で生贄の風習がまだあったこの時期は、生贄に選ばれるのではないかという恐怖や不安を紛らわせる為に、酒を口にする人魚が少なくはなかった。
「いえ、そうではありません。今日は……お姉さま方に相談があり此処を訪れました」
「相談? そういえばシャル。貴女もう祝福の術を使える様になっていたそうね。まさか子供でも欲しいのかしら? 少し早い気がするけどティーリア様にお願いすれば、生命の貝の使用が認められると思うわ……」
基本、人魚には女性しか存在しないが、それには訳がある。
一定以上の年齢に達し、母なる海から祝福を授かった人魚が、生命の貝と呼ばれる大きな貝に身を寄せ、祈りを捧げると其処に自らの卵が吸い込まれ、母なる海の祝福の元に新たな人魚が命を授かる。
人魚が産める子供の数は、母なる海からどれだけ祝福を授けられるかにもよるが、平均して2~3人と言われている。
「こ……子供だなんて。私にはまだ……。いえ、そうではないんです」
初々しいシャルロットの反応を楽しみながら、相談を持ち掛けられた人魚は口に赤い液体を運んだ。
それは先日沈んだルシオンの船に積まれていたワインで、流石に王族が飲むだけはあり、その芳醇な味わいは、今までのワインと比べ物にならなかった。
「あの……ある方の事を考えると、こう、なんて言いますか胸が苦しくて……、私こんな事は初めてでどうしたらいいのか……」
シャルロットの中に芽生えた感情、それが何であるか相談された人魚たちは即座に理解していた。
本来であればシャルロットは昨晩、海魔の生贄として捧げられ今この場には居ない筈だった。
それを偶然現れたあの男が命がけで守り、更に目の前で恐怖を具現化したような存在である、海魔を葬って見せたのだ。
もし仮に自分がその立場であれば、同じ様にルシオンに恋をしていたのは間違いなかっただろう。
「……シャル。セーラに相談してみなさい」
人魚たちが出した結論。
それはシャルロットの気持ちを成就させてやる為に、他の人魚には使えない様々な術を使うセーラに、相談する様に持ち掛けた。
昨日終わる予定だったシャルロットの命。
それならば叶わぬ恋に焦がれるよりも、シャルロットの好きにさせてあげればいいと考えていた。
様々な魔法などを操る人魚セーラ。
彼女は海に起こる様々な災害、他の海域から持ち込まれた生物や病気に対応して薬や対処法を考え、この海域の人魚を統べるティーリアに逐次報告をしていた。
他の海域に居る人魚等は海水温度の上昇に対応せず、別の海域から流れてきた大量の鮫に襲わて全滅の一歩手前までいった事が有る。
他にもウミウシなどの小さな生物だと甘く見ていたが為に、浅瀬の海藻を全て食い荒らされ、それにより小魚の数が激減し、結果としてその海域の魚が壊滅しかかった事も有る。
当然魚を食べる人魚や他の海の生物、そして人間との資源の奪い合いが発生し、今その海域は魚も住まない死の海とまで呼ばれている。
「セーラさん、相談があるのですが……」
ティーリアが住む神殿から少し離れた場所に建造されている、小さな海底神殿。
その一室にセーラの研究室が存在する。
様々な薬の調合なども行う為に、万が一の事を考えて神殿内にその施設を造る事が躊躇われ、少し離れた場所に、空気溜まりのある小さな神殿を造られていた。
「あらシャル? 此処に来るなんて珍しいわね」
此処に訪れる人魚の存在が既にレアケースで、普段は用が無ければこの研究室を訪ねる人魚など居ない。
「丁度よかったわ、今この薬を飲んでくれる人を探して……」
セーラは今まで沈んできたガラスを加工して作った、三角フラスコの様なモノに満たされた、青色に光る液体をシャルロットの前に差し出した。
これが人魚たちが此処を訪ねない理由の一つだ。
セーラが作る薬、それは鰭の形や色が変わったり、髪の色が金色から翠色に変化したりと今までも碌な事がなかった。
身体の一部……、乳房の大きさが変わる薬が完成した時、一時的に試飲を希望する人魚で溢れた事があるが、その人魚の体質によって、胸が大きくなるか小さくなるかがは、薬を口にして結果が出るまで分からない上、薬の効能が一回目だけと分かった為に、僅かな膨らみすら失った人魚が近くの岩場で、試飲を希望した事を泣きながら後悔したという話もある。
「それ……、何のお薬ですか?」
「ああ、今度の薬は泳ぐ速度が通常の三倍ほどになる薬だ。若干鱗や鰭がピンク色っぽく変わるが其処まで問題ないだろう?」
シャルロットは以前他の人魚が以前言っていた、「セーラは新しい薬を完成させた時はまるで別人のようになるから近付いてはダメよ」という言葉の意味がようやく理解できた。
「あの…お薬の事では無く、少し相談があるのですが……」
「相談? 新しい薬の試飲に来たのではなかったのか……」
おそらくそれは幻聴ではないかと思う。
セーラはここを訪ねてきた人魚に、全員同じことをしているのだろう。
「すいません。あの……、先日セーラさんもお会いしたのでどんな方かは分かると思うんですが……」
その言葉を聞いた瞬間、セーラはおおよその事情を理解した。
今まで何度も同じ様な相談に乗ってきたセーラだ、全て話さなくてもシャルロットが言いたい事など御見通しだ。
「つまりあの時の男に一目惚れしたんだろう? 年間五十回は受ける相談だ、特に珍しくも無い」
そう、一時の気の迷いも含めれば、人間と恋に落ちる人魚の数はかなり多い。
恋に落ちた理由は様々だが、サメに襲われていた幼い人魚が人間の突き入れた銛によって命を助けられたとか、油断していて網に掛かった人魚を心優しい青年が見逃してくれただとか、岩場から飛び込んだ青年と海中を泳いでいた人魚の唇が偶然重なり、『これは運命の出会いだ!!』と勘違いした人魚がいたりもした。
今回のシャルロットを助けたルシオンの様に、海魔を倒すといった武勇伝を打ち立てた勇者はいなかったが、助けられた人魚にしてみれば、それほど大きな違いは無かった。
「やめておけ、と、口で説明してみても納得しないのだろう? 私に付いてくるが良い、見せたいモノがある」
セーラはようやく完成させた新薬を机の上に置き、神殿の奥へと進み始めた。
途中、海中に繋がるトンネルを泳ぎ、やがてセーラとシャルロットはその奥にある大きな海底洞窟へと辿り着いた。
海水で満たされた洞窟、その奥に無数の人魚が存在していた。
しかしシャルロットがいくら近付いても、誰一人としてその場を動く者は無く、美しい身体を遥か海上から差し込む光に反射させて輝いていた。
「人間と恋に落ち、その恋を成就させて、愛する人と結ばれようと努力した人魚の末路だ……」
セーラが案内した洞窟内には百体を軽く超える人魚の石像が並んでいた。
その足も魚の物や人間の様な二本の足の者も居る。
つまり、セーラは人魚を人間に変える方法を知っている事になる。
「海魔の呪いの話は聞いているな? 海魔に敵対した人魚はその身を石に変えられて、永遠に晒し物にされる。そして敵対する以外の方法、つまり海魔の呪いから逃れようとし、逃亡を謀った人魚にも同じ呪いが降りかかる」
その身を人魚から人に変える事は、海魔の生贄から逃れようとしていると判断されるという事だ。
「勿論、恋に落ちた人魚たちにはそんな考えは無い。しかし、人として新たな人生を踏み出すという事は、海魔の呪いから逃げていると邪推されても仕方が無いのかもしれん……」
セーラは一体の石像の前に立ち、その頬を撫でた。
その人魚の足は人のままで、その顔は微笑んでいたが、それが無理をしているモノである事をセーラは知っていた。
「この娘の名はカタリナ。呪いの事を十分に理解していながらその身を人に変え、恋人にその事を全て話し、最後の瞬間まで一緒にいたそうだ。恋人だったロドルフォという名の男はその瞬間が訪れるまで神に祈り、カタリナの手を握っていたそうだ……」
人魚たちには海魔の呪いの力は、夜空に輝くあの月の力を使った物だと言い伝えられていた。
その事を裏付けるように、カタリナは満月の夜、その身を月長石の彫刻へと変えた。
「無論、その呪いを打ち破る方法が無い訳では無い、【女神の祝福を受ける者、大いなる日輪の力を借りて、海魔の呪いを退けん】、私達の祖先からはこんな言い伝えもあるが、正確にどうすればいいのかは分かってはいない」
月の象徴と言われる海魔は太陽の光に弱い。
逆に満月の夜はその力を如何無く発揮し、無限とまでいわれる力を得るとまで言われていた。
「私の研究室には人魚を人間に変える薬がある。しかし、その身を人間に変えても海魔の呪いは人魚を逃さない。その人魚が海上で満月の光を一定時間以上浴びた時、その人魚の身体は月長石へと変わる。私だけでは無く、多くの人魚がその呪いを打ち消そうと今まで様々な薬を作り、多くの神に祈りを捧げてみた。その結果、一時的に海魔の呪いから逃れる方法が、いくつか見つかりはしたが、やはりそれは一時的な物にしか過ぎず、呪われた人魚の身体は、やがて月長石へと変わる……」
セーラは憂いを湛えた顔でシャルロットにそう伝えたが、シャルロットの決意は変わらなかった。
「構いません、私はあの人と僅かな時間でも共に過ごせるなら……」
「あの男はあの夜の記憶を封じられている。お前に会ったとしても、困惑するだけかもしれんぞ?」
記憶を残していたとしても相手は王族、そうやすやすと人ならざるモノと恋に落ちるとは思えない。
しかし、シャルロットはあの月の下で語り合っていた時、確かに二人の心は惹かれあっていたと信じていた。
「この薬をあげるわ。でも、飲むのは必ず満月が過ぎた次の夜にしなさい。でないとそれだけ時間が少なくなるわ」
「ありがとうございます、セーラさん」
シャルロットは秘薬を手にし、ある港へと向かった。
最後にルシオンを見かけた、ポーリの港へと……。
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