師と弟子との回想とたわいない会話
「ほよ。どうしました?会っていない1年の間に何か心境の変化でもありましたか、我が宝」
開口一番そう言ってのけたのは、エリカの錬金術の師匠、シメイ・スクールモンだった。
彼女は腰まで届こうかという長いストレートの銀髪を風にそよがせ、その燃え盛る炎のような真紅の相貌で俺たちを見つめている。
彼女は今や数少なくなった純血のレムリア人の錬金術師であり、齢200歳をゆうに超えているにも関わらず、
その容姿も声も俺たちより若々しく、精気に満ちているように感じられるほどである。
知らぬ者が見れば、年端もいかぬ少女と青年男女が談笑しているようにしか見えないだろう。
「い、いえ!弟子をとったのは心境の変化というよりも、驚異の逸材が見付かったから、というだけでして!」
エリカが若干緊張気味に師匠に告げると、彼女は興味深そうにアーニャちゃんの方を見つめる。
「なるほど、君が軍で最強と名高い魔法使いでしたか。その年でその魔力量は大したものです、が、錬金術師としては初心者もいい所ですね。
まだまだ魔力の器を大きく、深くすることに専念した方が良いでしょう。なに、錬成などはコツさえ掴めば息をするかの如く出来るようになりますし、
たっぷり時間をかけて成長すると良いでしょう。
才のなさを気に病む事はありませんよ。才覚に関して言わせてもらえば、あなたの師が異常な程の才覚をもつ人間であったというだけで、
大半の人間の錬金術師は、一生をかけて大いなる秘法に到達できるか、というレベルなのですから」
こればかりは日々研鑽あるのみですよ、とエリカの師匠はアーニャちゃんに噛んで含めるように言うと、次は俺の方に向き直った。
「貴方が我が宝の選んだ伴侶ですか。はじめまして、ですね、ケンジュウロウ・ヒノサキ、私は、シメイ・スクールモン。
ここ最近の200年ほどは錬金術師をしています。貴方が我が宝の伴侶に相応しいかどうか、少し試してみても?」
俺がハイ、と返事を返すと同時に、安全ピンの抜かれた手榴弾が突如として空中に出現した!
何故、どうしてなどと考えるよりも先に身体が動いていた。俺は手榴弾を思い切り強く下から蹴り上げ、空中高く蹴り飛ばす。
高さ15~20メートルは行っただろうか、そこで手榴弾は爆発した。ドーンという爆音が鳴り、地面をビリビリと震わせる。
破片は魔力障壁でもれなく防がれ、俺たち3人は傷一つ負うことがなかった。
「ほよ、流石は元少年兵、その手のモノに対する対処は身に染み付いているようですね。
過酷な地球の戦場を生き残ってきただけあって、流石です」
俺は内心『なんて物騒なテストをしやがる』と慄きながら、どうもありがとうございます、と生返事を返すのが精一杯だった。
エリカのぶっ飛びようも相当だが、師匠もそれに負けず劣らずぶっ飛んだ思考の持ち主らしい。
「私も使わせてもらっているので分かりますけれど、鍛冶屋としての腕も素晴らしいものがありますが、
やはり兵士としての能力の方がやや優っているようですね。もう銃は握るつもりは無いのですか?貴方ほどの腕前なら、国防省も喜ぶことでしょうに」
「皆様そう言われますが、あいにく私としてはもう銃は握らないと心に決めたのですよ。血なまぐさい殺し合いはもうコリゴリですし」
異世界でダンジョンに潜って安全に戦えるならともかく、地球での戦争は本気で生死にかかわる。
俺が地球で15歳になるまで少年兵として戦い、日本に帰ってくるまで生き残れたのは、腕ではなく単に運が良かったからにすぎないだろう。
もう二度と、命を運否天賦に任せるのはゴメンである。幸い平和なレムリアでは厳格なガン・コントロールが成されているので、
拳銃や小銃といった銃火器を手に出来るのは身体・精神検査を突破した郵便局員・銀行員・警察官・軍人の4職種に限られている。
民間人が銃火器を携帯することは原則禁止されており、法に背馳した人間には無期または死刑という厳罰が課せられる。
医療体制も地球より整っており、突然、死が訪れる危険性は地球より遥かに低いだろう。
「ほよ、それは残念です。長く生きているとそれなりにコネクションというものも出来てきますし、
我が宝に相談しづらい事があったら是非私の工房にいらして下さい。力になりますよ」
「合格を頂けたようで何よりです。こちらこそ、貴女のように名のある錬金術師にウチの製品をご愛用して頂いて感謝の念が絶えません。
時間はかかりますがオーダーメイドも受け付けていますので、欲しい商品が頭に浮かばれたなら店に来て下さい。
可能な限りご要望に沿うよう尽力しますので」
俺は営業スマイルを顔に貼り付けて彼女に答える。
彼女のように名のある錬金術師にウチの商品を使ってもらえていたとは、驚いた方はこちらである。
これは、ウチも帝都でそこそこ名が売れてきたということだろうか?
価格性能比に優れるウチの商品だからなのか、はたまた『我が宝』と呼んで猫可愛がりしている愛弟子、
エリカの選んだ伴侶の造ったモノに興味が湧いたからなのかは分からないが、気に入ってくれている様子が言葉の端々から伺える。
コレこそ鍛冶屋冥利に尽きるというものである。鍛冶屋をやっててよかった、と心から思える瞬間だ。
「さて、話を本筋に戻しましょうか、我が宝。
貴女が我が工房を卒業する時に渡した魔導書とリミッターはしっかり携帯していますか?
あなたほどの規格外な魔力量だと全力を出すと大地に悪影響を与えかねないので、
しっかり携帯して常に相手の実力に見合った出力になるように熟慮熟考しないといけない、と言いましたよね?」
その為に相手の力量を測る”バロールの魔眼”も与えたのですから、と師匠がエリカに向かって厳しい表情で言う。
「ハイ先生、この通り四肢にリミッターを装着し、魔導書は鞄の中に入れて常に携帯しています」
おそらくはバロールの魔眼というものの効果なのだろう、血のように真っ赤に染まった眼をしたエリカが師匠に答えた。
「戒めを守っているようで何よりです、我が宝。リミッターによりあなたのチカラは半減していますが、
その半減状態でもこの世に貴女の敵はいないでしょう。
貴女も弟子をとった以上、弟子を導く立派な師匠たらねばなりません。
くれぐれも、私の下での修行中の時のような軽率極まりない行動は慎むように」
あなたの軽率な行動が生み出した諸問題を穏便に済ませるには、
それなりにコネクションを行使しなくてはならなかったのですから、と彼女は改めてエリカを戒めた。
俺は苦笑いしながら頷くエリカを肘で小突いて、
「おいエリカ、修行中、何をやらかしたんだよ?」
「エヘヘー、力に物言わせてドラゴン族とケンカしたり、
竜殺しの神剣を奪ってリバースエンジニアリングして自分のモノにしたりとかしたよ~。
まさしく、『あの時君は若かった』って感じでトラブル起こして師匠に骨を折らせてばっかりいた。今は反省しているよ」
師匠がコネ全開で庇ってくれなかったら今頃僕はとっくに墓の下だね、と前非を悔いているのか、
エリカの口調は俺の想像以上に重かった。
俺は慌てて話題を変える事にした。
「尊敬出来る先輩は居たか?」
「いたよ、ひとりだけ」
「いた?過去形なのか?」
「ボクが錬金術師として実力をつけていくにつれ、羨望と嫉妬に塗り潰されていったほかの先輩たちと違って、
彼女だけは胸を張って堂々と先輩をしてくれていたよ」
「名前は?」
「カエデ・ナナセ。もし生きていたらさぞ魅力的な女性錬金術師になっていただろうね」
「死んでしまったのか?」
「いや、ボクがこの手で殺したんだ。ボクと先生が彼女の異変に気付いた時にはもう、どうにもならない状態だったから」
…エリカはそうして俺が日本に帰ってくる前に起きた事件について語り始めた。
異世界の帝国、レムリアに基本的人権の尊重、という概念や風習が根付き始めたのは、
地球との交流が盛んになってから―つい最近になってから―である。
錬金術師の間の争いなど帝国にとっては取るに足らない日常茶飯事であり、
互いの店のスパイ活動なんてそれこそ掃いて捨てるほどあった程だとエリカは暗い顔で語った。
ただ一つ違ったのは、その錬金術師にとって人間とは等しく価値などなかった。それに尽きる。
ただ利用し、使い物にならなくなればゴミのように打ち捨てるだけ、それだけだった。
「ボクと先生があちらさんの事務所に踏み込んだ時には、彼女の生体改造は終了していた。
彼女に与えられた命令は一つだけ。主が安全圏に逃げ切れるまで、全身全霊をもって侵入者を足止めせよ。
ここでヤツを取り逃がす事は決して出来ないから、先生はヤツを追いかけて外へ。ボクが彼女と対峙することになった」
「警察の手を待つって選択は無かったのか?」
「無かったよ。先生はヤツを生かして捕らえるつもりは無かったし、ボクも彼女を生かしておくつもりは無かった」
「知ってる?けんちゃん。錬金術師の犯罪者を捕らえたら、改造された人間はどうなるか」
「あいにく、知らないな」
「犯罪を犯した錬金術師を逮捕したら、改造された人間は生きた証拠―リヴィング・エヴィデンス―として保全措置がとられるんだよ。
遠隔制御用の針を体中に打ち込まれ、生きたまま裁判に犯罪の証拠として提出される。
証拠は裁判が終わって刑罰が確定した後に、速やかに処理される。
壊されたアカシックレコードの復元は、どんな錬金術師にも不可能なんだ。だからボク達は―」
彼も、彼女も法の手に委ねる事はしなかったのか。悲しいな。
「警察が駆け付けてくるまでの時間はおよそ3分。それがボクに与えられた時間だった。
彼女とボクとの実力差はもう歴然たるものだったから、
決着がつくのにそう時間はかからなかった。光の槍が化け物と化した彼女を射抜き、炸裂する閃光。そこに勝利の歓喜は無かった。
ただ、殺めてしまったのが誰なのか、失ってしまったものがなんなのかはハッキリしていた。
彼女のことは、決して忘れることはないだろうね」
「犯罪錬金術師は?」
「警察が察知する前に、先生自らの手で完全に、跡形も無く消滅させられたそうだよ」
弱くて、臆病で、ちっぽけで、貪欲で、不完全な人間を心から愛している先生にとって、彼の存在は到底赦す事の出来ない存在だったからね、
とエリカは言って少しだけ笑った。
全ての事が済んだ後、駆け付けた警察の発表によると被害者数1500人という帝国始まって以来のワースト記録を大幅に塗り替えたこの惨事以降、
帝国警察による犯罪錬金術師の取り締まりは徹底的に強化された。
人間を改造しようとする錬金術師は急速にその数を減らし、現在ではほぼゼロに近い存在になっている。
この事件以降、全ての錬金術師の店には定期的に警察の査察が入るようになり、人体改造は法改正によって全面的に禁止された。
噂では帝国軍には犯罪錬金術師を発見次第、隠密裏に処理する専門の部隊があるらしいが、真相は闇の中である。
「俺が日本に帰ってくる前に、横綱の突進を腕一本で防いだって、ホントか?」
「したよ~。先生は好角家だからね。先生が10秒しか時間くれなかったから、右の張り手一発でノックダウンさせた。それだけ」
向こうには悪いことをしちゃったかな?と言ってエリカは笑った。
「横綱と戦った感想は?」
「特に何も。大した事なかったな、ってのが僕の正直な感想。人間じゃいくら鍛えていても錬金術師には勝てないなと思った」
タマゴとはいえ錬金術師、普通の人間では勝ち目が全く無いのも納得がいく。
「その後、角界からの挑戦者は?」
「無かったよ。全く全然。横綱を張り手一発でノックアウトされたんだから、仕方ないと思う」
大関や三役以下じゃあ、腕一本どころか指一本で十分だろうね…と言ってエリカは右の拳で自分の頭をコツリ、と叩いてみせた。
まんまとやられた側の事なんぞ髪の毛一本ほども気にかけてはいない。無邪気なもんである。
「前にも言いましたが、貴女は相手のプライドを無意識のうちに砕いてしまう傾向が強いのですよ、気を付けるように。我が宝」
そこに何の前兆もなく現れて会話に割り込んでくるお師匠様。まさに神出鬼没。
「重々承知しています。先生」
「…修業時代のエリカってそんなに問題児だったんですか?」
俺は思い切って師匠の方に話を振ってみることにした。
当人の口から聞くのもアリだが、育てた側から見た姿、というのも非常に気になるところだったからだ。
「ええ、それはそれは酷いものでした…入門当初は大人しいものでしたが、実力をつけていくうちに軽率な行動が目立つようになりました。
当時の綽名は『暴れ回る厄災』ならまだ良い方で『災いをもたらす者』とさえ言われる始末。
入門時点で魔力の器は先に入門した弟子達を足しても足りないほど巨大で、深さは底なしと言って良い程深く、
無謀なようでいてその実頭も回るという問題児ぶり。本当に…本当にこの子には手を焼かされました。
五大龍の血をひく貴族との勝負に勝ち、龍殺しの神剣を持ち帰ってきてしまった時は本当に頭がクラッとした程です。
…終いについた綽名は『スクールモンの狂犬』、『人界から来たりし厄災』の二つでした。
『大いなる秘法』を授けるか否か最後まで悩みましたが、今では弟子をとる位に改善されているようですし、
過程は褒められたものではありませんが、結果的には大成功の部類に入るでしょう」
喋っていてエリカの修業時代を思い出したのか、多分に呆れの入った声音でお師匠様が答えてくれた。
「我が宝がなぜ力を半減させられているのか知りたければ、
帝都南門にある封印都市へ通じる転送ゲートをくぐって都市の東門を抜ければその理由が分かるでしょう。
星を一周する程の長さの不毛の大地…その発生原因が我が宝なのですから」
幅1メートルに満たないが、惑星を一周するほどの長さの不毛の大地が封印都市の外には広がっている
…帝都でも噂に名高いエリカの築いた伝説の一端だ。
当の本人を横目に見てみるが、それだけの事をしでかしておいてケロリとしたもんである。
「えー、先生がおっしゃったんじゃないですか、3秒間だけ、本気を出していいって」
「あなたも相当フラストレーションが溜まっていたようですから、許可しただけの事です。
600ページ台の破壊魔法まで使って良いとはひとことも言っていませんよ?我が宝」
珍しく不満を口にするエリカに対して、お師匠様はあくまでも冷静だ。
しかしたった3秒で惑星を一周するほどの不毛の大地を作り出せるとは、恐るべき魔力量と威力の魔法である。
さしもの俺もそれだけのエネルギーの攻撃を食らった側に同情せざるを得なかった。
「死んでないですか?相手は」
「本気を出してよいとは言いましたが、決して殺すな、と言い含めていましたので死亡には至りませんでしたが、
かわいそうに、相手の錬金術師は恐怖のあまり衆人環視の中、失禁してしまいました。
無謀にも本気を出せと要望してきた彼自身にも問題が無かった訳ではありませんが、流石に同情の念も湧いて来ようというものです」
どうやらエリカは本気を出すと加減の具合いを間違える人間のようだ。おお、恐ろしい。
「せ、先生…流石にそれはやりすぎなのでは…禁呪に等しい破壊魔法を使われただけでも相手の味わった恐怖が分かりますよ…」
あ、アーニャちゃんがいいこと言った。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ!死んでいないんだから、また戦いを挑んでくれる事を個人的には期待しているよ」
たぶんムリだろうけど、とエリカは言って屈託のない笑顔を愛弟子と俺に向けるのだった。




