錬金術師とその弟子の日常その1
1.
俺が政府からの大量発注と客からの注文に悪戦苦闘する日々を過ごしているうちに月日は流れ、4月がやってきた。
4月といえばアーニャちゃんが軍を退役してエリカのもとに来る月だ。
槌を振るってミスリルを鍛えながら、爆誕!怪物師弟といった感じだなと俺が考えていると、鍛冶場の扉がノックされる。
俺が『どうぞ』と返事を返すと扉が開き、考えていた師弟―エリカとアーニャちゃん―が入ってきた。
挨拶ならいの一番に受けていたし、何の用だろう?と俺が考えていると、アーニャちゃんが仕込み杖をおずおずと差し出してきた。
「こっこれ!ダンジョンで使っていたら中の剣が折れちゃって!しゅ、修理して頂きたいと思って!」
俺の造った剣はよほどの事がない限り折れたりしないようとりわけ頑丈に造ってあるのが特徴の一つだが、
コイツを折ってしまうとは。流石は天才少女と号されるだけあってケタ外れの魔力量だ。
俺は無言で仕込み杖から剣を抜く。仕込まれた剣は半ばから真っ二つに折れていた。
残った剣の半分を鞘から取り出すと、俺は折れた剣を両方とも炉にぶち込んで加熱し始める。
待つこと小一時間。真っ赤に熱せられた折れた剣を俺は金鋏で挟み、接合させると無属性に調整した魔力を槌に込めて叩き始めた。
折れた剣はみるみるうちに元通りになっていく。ソレを見ているアーニャちゃんは安心したのか、ホッと安堵の溜め息を漏らした。
規格外の師匠に規格外の弟子か…ますますもって恐ろしい存在になったもんだとつくづく思う。
ひょっとしたら俺はこれから始まる伝説の一端に乗っているのかも知れないな、などと考えてしまう。
そら恐ろしい考えを振り払うように、俺は黙して無心に槌を振るった。
ジュバアアア、と鍛冶場に水が勢いよく蒸発していく音が響く。
ひと仕事終えた俺は小さく吐息を吐きながら額の汗をぬぐう。修復は無事完了し、折れた剣は元通りの姿になっていた。
俺は剣についた水分を拭き取ると、鞘に納めてアーニャちゃんに渡す。
「だっ、代金は?」
と問う少女に俺はこれからの事を考えて今回はツケ払いにしておくよ、と言ってエリカの方に少女の体を押しやった。
とと、とたたらを踏むアーニャちゃんの両腕に光るミスリルのリング―ウチで造ったマジックリミッター(魔力制限器)だ―を見て、俺は少し面映い気持ちになった。
このまま常連客になってくれればウチとしてはバンバンザイなのだが、その可能性は高そうだ。
俺は折れたり曲がったりしたらすぐウチに来てくれ、程度にもよるがすぐ修復するからねとアーニャちゃんに告げると次の作業の準備にとりかかる。
「このお店もけっこう名前が売れてきたね~。そろそろ独りじゃ苦しいんじゃない?」
人を雇って魔剣の増産を考えたほうが良いかも、とエリカが言ってくる。
俺は確かにそうかもな、と返事を返して次なる魔剣制作の体制に入る。
「邪魔するのも悪いし、僕たちはこれで失礼することにするよ。じゃあねまたね、けんちゃん!」
「しっ、失礼しました!」
去っていく師弟を見送ると、俺はミスリルの板材を幾つかまとめて炉にぶち込んだ。
カーン、カーンと鍛冶場に響く槌音。槌を打ち付ける度、徐々に剣のカタチに変わっていくミスリル。
鍛冶屋をやっていて良かった、と心から思える瞬間である。
今造っているのは俺とエリカが所属しているパーティーのメンバーである落合さんが新規に発注してくれた魔剣である。
刃長約90cmの両刃剣で、先に行けば行くほど刀身が細くなっているのが特徴だ。
鍔元は鳥をモチーフにした意匠が施されており、その中央にはタリスマンを嵌め込むスロットが1つ空いているのも大きな特徴と言えた。
残りのタリスマン用スロットは柄尻に3つちゃんと配されており、細部において抜かりない、堅実な魔剣と言えた。
俺が得意とする反りがある斬撃主体のミスリルブレードではなく、正確に急所を突く刺突をメインに据えつつも斬撃が十全に可能な辺り、堅実な落合さんらしい。
剣が生きるも死ぬもタリスマン次第であり、落合さんがどういったタリスマンをセットするかが気になったが、それは今度会った時に聞けるだろう。
鞘づくりは親父様に任せているので、俺の仕事はコレでおしまいである。
俺は出来上がった魔剣にキズがつかないように慎重に布を敷いた剣台に置いた。
2.
錬金術師の修行というのは、地味なものから始まる。
錬金術師見習いはまず限られた魔力を活かし切ることが出来るよう、リミッターを装着させられる。
その上で常住坐臥、大気中に満ちている魔力を取り込み、練り上げて任意に取捨選択して放出できるよう徹底的に教育されるのである。
使わない属性の魔力を外に放出せず体内に還元させる事も求められており、錬金術師がマジックユーザーとは次元を異にするのは概ねそこに集約される。
錬金術師はマジックユーザーと違って、とかく使う魔力量が質・量ともにケタ違いで範囲も広範なのだ。
錬金術師は一人前になるまでに多くの時間と労力を必要としており、当然、大半の者はマジックユーザーとなって脱落する。
指導者にもそれ相応の質を求める錬金術師への道はかくも長く、試練に満ちている。
ソレを考えれば、たった数年で一人前になったエリカの天稟がいかに異常で、異才といっていいか分かろうというものである。
人類から発生した突然変異の異常天才の一種と言っても言い過ぎではないだろう。
魔力に自在に属性を付与し、取捨選択して放出し、尚且つ使わない属性の魔力をその身に還元して
再循環させられるだけの器の容量と魔力を自在に操る想像力が際立って高いのが
マジックユーザーと錬金術師の最大の違いだろう。
兎に角、錬金術師という職種はチート職と揶揄されるだけのポテンシャルを秘めている。
エリカ級の錬金術師となると、帝国広しと言えど十指に余るほどしかいないだろう。
そして十代で軍のトップクラスのマジックユーザーであったアーニャちゃんが加われば、向かう所敵なしだろう。
もっとも、器の完成までは時間がかかるだろうから、年単位で考える必要もあろうが―などと俺が考えていると、
隣からドォン!という爆発音が響き、地震のような微弱な揺れが断続的に襲いかかってきた。
「うわっ!なんだなんだ!?」
俺は慌てて鍛冶場から飛び出し、外に出て被害状況を確認する。
錬金術師が使うだけあって、念入りに強化された建物と多重化された結界のせいだろうか?エリカの工房の窓ガラスやレンガ壁には傷一つついていない。
代わりにゴー…と何かが唸るような断続的な低音と微弱な振動はいまも続いている。
何か起きたな、と思いながら俺はエリカの工房に直接繋がる扉を開け、中に入った。
そこに待ち受けていたのは、黙礼しているかのように目を閉じて佇むアーニャちゃんと、轟音を立てて渦を巻くカラフルな魔力だった。
どうやら魔力の放出と余剰魔力の体内への還元に失敗したらしく、杖の先端に嵌め込まれた魔力増幅効果のあるタリスマンは断続的に赤白青黄と目まぐるしく色を変えながら明滅している。
「いやー、アーニャちゃんの魔力の器の大きさを見誤ったみたいだね~。まま、見習い期間中にはよくあるミスだよ~」
放出されている魔力の量からいってアーニャちゃんの規格外さの片鱗を見せているが、当のエリカは呑気なモンである。
「これでか!?サッサとこの轟音と魔力の放出を止めさせろ。でないとお客に迷惑だ」
エリカは分かってるよ~と呑気に答え、アーニャちゃんに向き直った。
「ハイ、アーニャちゃん!ゆっくりでいいから目を開けて~♪次に自分の放出した魔力に向き合ってみよっか♪」
エリカがアーニャちゃんに言うと、少女はゆっくりと瞼を開けて、自分の放出した魔力に向き合った。
「え!?な、なんですかコレ!?せっ、先生!?」
軽くパニックになるアーニャちゃんに対して、先生たるエリカは悠然としたものである。
「コレが君の放出した魔力だよ~。じゃあ、ゆっくりでいいからアーニャちゃんの得意な属性から吸収して身体の中に戻していこうね~」
「ハッ、ハイ!」
少女が軽く息を吸い、吐き出すと同時に、赤く光る魔力―おそらく火の魔力だろう―が轟音を立てて回る渦から離れ、アーニャちゃんの身体の中に吸収され始める。
「ウン、上手上手~。この調子で順番に吸収していっちゃおう!」
「ハッ、ハイ!頑張ります!」
呑気な師の声に対して少女はまさに必死、といった声音で返事を返す。
魔力の扱いに慣れた元マジックユーザーらしく、次は青色の光を放つ魔力が渦を離れて少女の身体に吸収され始める。
この歳でたいしたもんだと俺が感心していると、エリカが得意顔でこちらに寄ってきた。何か言いたいらしい。
「この歳でこの魔力量を蓄えられる器とはね~、珍しいよ~。レアケースだよ、レアケース!」
このまま慎重に育てていけば、いずれ僕をも超える器が手に入る公算大だよ、とエリカは無邪気に笑った。
安心安心、と言ってエリカはアーニャちゃんの方を向いた。
苦手属性の魔力を扱っているらしく、少女は悪戦苦闘している。
「苦手属性の魔力を体内に還元させるのは、身体の中に流れる血の流れをイメージして、
体のすみずみに同化させるようにイメージするとよりラクに取り込めるようになるよ~。
錬金術師にはイマジネーションの制御が重要って最初に教えたとおりに頭のすみっこに入れてやると、もっとうまく出来るようになるよ♪」
「ハッ、ハイ!こうですか!?」
師匠の声に応えて、アーニャちゃんは魔力吸収をしている部分を自身の心臓近辺から身体中に広げる。
よどんでいた魔力の流れが一挙にスムーズになり、流れるようにして吸収されていく。
「ウン、上手上手♪その調子で残りもやっちゃおう!」
「ハッ、ハイ!やってみます!!」
エリカの教え方がうまいのか、アーニャちゃんは順調にそのチカラを伸ばしているように見える。
アーニャちゃんがエリカに師事してわずか数日でこの成長ぶりだと、将来器が完成した時にはどれほどのモノになっているか。
規格外の異常天才が見初めただけあって、その器の広さと深さは計り知れない。
年端もいかないこの年令でこの魔力量だ、軍もさぞかし手放したくなかっただろうな、とつくづく思う。
もっとも、400年前に不倶戴天の敵であったレムリア民主共和国を併呑して惑星統一を成し遂げた帝国にとって、国防というのはあまり重要視されない。
この惑星に帝国にとっての敵性国家という概念が存在していた頃から魔法とその関連技術に秀でていた帝国にとって、敵はほぼ無かったといっても過言ではない。
地球人類の技術では帝国の兵に傷一つつけられないのは、地球に繋がる門を開いた際に起きたささやかな戦いで実証済みであり、
軍に入隊するというのは帝国国民にとって義務ではなく権利といって差し支えはない。
軍人というのは数ある公務員の職種の中でも低賃金な部類であり、あまり人気が無かったりするのが実情だ。
アーニャちゃんのように小さな頃から軍人生活をさせるのは、団体行動や礼儀作法といった一般常識などを培う為に入隊させるのが主な目的である。
何でそんな事をさせるかと言うと、小中高大といった地球における教育機関を軍が主体として運営しているからだ。
親からしたら礼儀作法に一般常識などを徹底的に叩き込んでくれる上に、安いとはいえ給与まで出るんだから、願ったり叶ったりである。
アーニャちゃんのようにマジックユーザーとしての才を見込まれれば軍属のマジックユーザーとして一生安泰だろう。
もっとも、当のアーニャちゃんはマジックユーザーとしての一生より錬金術師としての一生を選んだようだが。
錬金術師が皆金持ちになれるとは限らないし、金持ち=幸せとは限らないが、世の中お金で買えるモノの方が多いので、彼女の選択はあながち間違いではないだろう。
一般的に魔力の総量というのは18歳になるまでの鍛錬で決まると言っても過言ではなく、錬金術師としての修行はその時々の魔力総量と相談しながら行うのが常だ。
錬成には高度なイマジネーションの制御が必要であり、集中を欠けば即失敗、というケースが大半だ。
失敗の反動を受け止めるのは錬金術師自身であり、ひとつ間違えば肉体へのダメージとなって還ってくる危険性を秘めている。
それをバッファーとして肉体へのダメージなしに受け止める為、魔力の器を深く且つ大きくとることを求められるのが錬金術師見習いである。
一見して魔力の吸収も肉体への反動なしにうまいこと行えているようであるし。アーニャちゃんの修行は順調に推移しているように見える。
器の完成が楽しみだな、なんて俺が考えていると、俺の思考を読んだのかエリカが近寄ってきた。
「アーニャちゃんの修行はまだまだ始まったばかりだからね~、
器の完成までイマジネーションのコントロールと魔力の放出、吸収がメインのトレーニングメニューになると思うよ~」
そんなにも基本に時間を割くのか。
「基本を極めれば奥義に自然と至るからね。錬成なんてコツさえ掴めば息をするように簡単に出来るようになるから器の完成まで待っても十二分に覚えられるし、
今はとにかく器の拡大と魔力の放出と吸収に力を注がないといけないんだよ~」
今の腕前では錬成に失敗したら重大な事故になる危険性が大だからね、今は徹底的に基本中の基本を教えていかないと、と言ってエリカはアーニャちゃんの所に戻っていった。
「じゃあ昨日教えた通りにやってみよっか~。右手から火属性の魔力、左手から水属性の魔力を出してみて~」
エリカに言われて少女は小さく頷くと、体内で違う属性の魔力を練って放出しにかかる。
直後、ボン!と小さな爆発音が響き、少女の小さな体を揺さぶった。
魔力放出の失敗だ。
「し、失敗しちゃいました…」
申し訳なさそうに謝罪するアーニャちゃんに対して、エリカは喜色満面、といった感じである。
「その程度の失敗で謝罪する必要は無いよ~。これからもっともっと失敗して、学んでいかないといけないんだから♪
まだまだ一人前の錬金術師への道は遠いよ~?今は失敗を恐れずにどんどん経験値を積んでいかないといけない時期だからね」
僕も一人前になるまで数え切れないほど失敗したものだよ、とエリカは懐かしそうに付け加えて少女の方を向いた。
「最初に言った通り、錬金術師になるには失敗を恐れずに挑戦するって事が重要なんだよ~。
失敗は成功の元って諺通り、何回失敗しても最後には出来るようになるまで執念深く、情熱を失うことなく取り組む姿勢が錬金術のイロハを学ぶ上で何より重要なんだよ~。
サラリと生きているようじゃあ、到底立派な錬金術師にはなれない!いや、情熱も執念もない人間は錬金術師には、いや、何者にもなれない!」
さぁ、もう一度やり直してみよう!とエリカはアーニャちゃんに言う。
「何事も、『出来るかもしれない』ってい所から始まるんだよ~。
錬金術師は人間存在を黄金の如く光り輝かせる事を究極の目標とする職業だからね~。この程度でへこたれているようじゃダメなんだよ~」
少女はハイ!と元気に返事を返して頷くと、先ほど失敗した魔力放出にとりかかる。
またぞろ失敗か、と俺が踏んでいると、流石はエリカが見初めただけあってコツを掴むのは得意なようだ。
最初は掌の周囲でよどんでいた魔力の流れが少しずつスムーズになり始め、次の瞬間には流れる河のように異なる属性の魔力が放出され、左右の掌に吸収されていく。
「ウン、上手上手~」
よく出来ました、と言ってエリカはアーニャちゃんの頭をわしわしと撫で回す。
どうやらこの師弟関係はうまくいっているようだ。
心配するまでもなかったな、と俺は一安心して踵を返し、外に通じる出口に向かった。
3.
鍛冶場に戻ると、俺は改めて注文を受けた魔剣の制作にとりかかる。
最近ではレムリア帝国からの作刀依頼も多くなってきており、ダンジョンにパーティーを組んで潜る機会も少なくなってきているが、
それでもヒマをみつけてはパーティーに入ってダンジョン探索を続けており、俺たちが所属しているパーティーのダンジョン探索は中層階である地下50階まで進行していた。
店頭に置く商品の在庫も切らしてはいけないし、ヒマそうに見えて結構鍛冶屋は忙しい職業だ。
魔剣を造れるのは俺一人とだけあって、今ではたまにヒマになった時にエリカの工房を訪れる位の外出機会しか与えられない。
政府直々の依頼を受けられる位には名が売れているだけあって、ダンジョンに入る客が増える土日祝日は客足が絶えることがないと言っていい。
ゾーリンゲンや菊一文字といった有名ブランドに較べて規模も知名度も小さいウチの店だが、エリカの工房の隣に立地しているだけあって売り上げは一家が飢えずに、
尚且つ貯蓄を増やしていく程度に暮らしていけるほどには上がっている。
非常にありがたいことである。
幸いミスリルは魔力との感応性が高く、剣の形に加工するのにさほど時間はかからないのが日本刀との最大の違いだ。
一般的なカタチの魔剣と鞘のセットなら、事前に準備をしていさえすれば依頼を受けてから小一時間も待てば完成するほどである。
そんなこんなで俺は今日も今日とて熱したミスリルに向き合い、槌を振るう事になるのだった。
平素は店頭に置く在庫品を増やすのと、作成依頼のあった武器を制作するのが最近の俺の日常になっている。
ミスリルの魔力との感応性の高さは魔剣制作に大いに役立っており、魔剣制作に慣れ始めた今や在庫を増やすのも作成依頼に応えるのも楽になってきてはいるが、
最初のうちは魔力の使いすぎで心身共に疲労困憊になり、休みの日は自室で寝て過ごすのが常だった。
最近では魔力を込めすぎてハンマーを壊すなんて凡ミスをやらかす事もなくなり、要領よく、効率よくやれるようになってきた感じがする。
しかし何だろう?効率を追求すればするほど大事な『何か』が薄らいでいくような気がしてならないのは?
地球で少年兵をしていた時のデジタルな思考からすれば、それなりに効率がいい今の状態というのは大変好ましい筈なのに、
異世界に来てからこっち、逆に非効率的な部分がある方が、質のいい魔剣を造る事には良いんじゃないかと思い始めている自分がいる。
営業トークも上手くなって、言う事なしなのに、何だろうこのモヤモヤした不安感は?
そういえば親父様が言っていた。日本刀には他の剣と違う所は、魂がこもっているところだと。
魂…か。確かに最近は情熱をもって作刀に取り組む事がなくなってきた感じがする。
よくよく考えてみると、最近では効率を追求するあまり、情熱や一球入魂ならぬ一刀入魂の精神が薄らいでいっているのだろう。
それでは遅かれ早かれ客は引いていき、ウチの商売は早晩成り立たなくなる。
「情熱も執念もない人間は何者にもなれない…か」
どの仕事にも当てはまる言葉だな、と俺はエリカの言葉を思い出して自戒しながらハンマーを手に取ると、真っ赤に熱したミスリルに叩き付け始めた。
4.
異世界の帝国、レムリア帝国に住まうレムリア人―地球からの移民を除いて―の大半は地球で言うところのモンスターとされる種族である。
バンパイアであったり、リザードマンであったりとその種族は様々だ。
彼等の殆どは人化の法という魔法を使って人間の姿になっており、その正体を表す事は―ダンジョンに勤める公務員でもない限り―ごく稀である。
貴族ともなればその正体はドラゴンや巨人であったり、天使や悪魔といった地球でもゲームでおなじみの種族が多くなり始める。
なお、皇族の真の姿は不明である。その姿を見た者は絶無といっても過言ではない。
人化の法を解除するということは人前で全裸になるのと同義であり、ダンジョン内といった限定空間でもなければ法的にも倫理的にも許されていない。
何せ見上げるようなギガース(巨人)やドラゴンに変化するのだから、身に付けている服は当然破れてしまう。
貴族のお偉方がダンジョン内で人化の法を解除すれば落盤といった大惨事は確定であり、巨人族やドラゴン族のダンジョン内に於ける人化の法の解除は法律によって厳格に禁止されている。
人化の法が齎す利益は地球人類と子をなすことが可能になるというだけではなく、レムリア人の肉体的強度、運動能力の限界を飛躍的に高める作用も併せ持つ。
例えば人間なら落下死は避けられない高さから落ちても、レムリア人にはなんてこと無かったりするのである。
当然、地球産の銃火器の類はたとえ急所に命中したとしても致命傷となるキズを与える事は出来ず、服に穴を開けるだけの用しか成さない。
炭素が圧縮されてダイヤモンドになるように、人間のサイズにその身を圧縮することでレムリア人の大半は通常の武器では傷一つ付けられない肉体の強度を持っている。
貴族ともなれば一般のレムリア人より遥かに強い存在であり、その真の力は計り知れない次元にある。
鉄はその希少さから別名『王侯貴族の金属』と呼ばれており、王侯貴族は金銀プラチナといった地球における貴金属よりも
鈍く輝く鉄・鋼・ステンレスといった鉄製品を身に付けているので一般人との識別は容易だ。
当然、その財布や装飾品などを狙って地球からスリや泥棒が群れをなして移住してきたりもしたが、
固定の魔法を破って財布や装飾品を盗み取るのは至難の業であり、万一スられても財布を開くことが出来なくなっている。
鉄製品を売ろうにも、それらの大半にはシリアルナンバーが刻まれており、通常の宝飾店では買い取りに応じるケースは絶無と言っていい。
当然、これらの行為はれっきとした犯罪であり、警察も窃盗、盗難事件として捜査し、犯人を逮捕して罰するのであるが、
刑務所や裁判所から出て来た彼等を待つのは同業者よりも貴族からの身辺警護等へのスカウトである。
貴族から何かを盗み取るなどという前代未聞の偉業を成し遂げた稀有なる才覚を持つ者たちを、貴族は決して無視して放置したりしない。
かくして大多数の元・泥棒は高給で貴族の身辺警護や身辺の世話係として取り立てられるのが常となっている。
新聞も貴族に対する窃盗行為の成功を大きく扱う―それがいけすかない存在であればあるほど大きく扱われる―ので、
庶民にとって泥棒はある種のヒーローとも言えなくもない存在である。
…なろうと思ってなれる職業ではないのが泥棒の唯一の弱点だろう。
かくして庶民は泥棒対策に余念が無いのが帝国における生活の実情であった。
5.
カーン、カーンと鍛冶場に快音が響き、ミスリルが刃物のカタチに成形されていく。
俺が今作っているのは食卓用ナイフとフォークのセット―いわゆるカトラリーセットだ―だった。
最近は武器だけではなく包丁やペティナイフといった生活に必要な刃物の製作というのも、しょっちゅうではないものの依頼が舞い込むようになってきていた。
ウチの店は基本、来る依頼は基本的に断らない方針である。
エングレービング等といった細工仕事は流石にウチでは出来ないので外注に出さないといけないが、その加工賃を含めた料金体系をとっており、
破綻をきたしている訳ではない辺り、元銀行員であった我が母君の経営手腕たるや流石だ。
鍛冶屋なんてニッチな商売を成り立たせていただけあって、経営面はしっかりしているので俺は安心して作業に没頭できる。
余計なことを考えずに済むよう配慮してくれているのだろうか?俺としてはこういった両親の姿勢は非常にありがたいと思っている。
幸い、異世界には少年兵をしていた頃の話を聞きたがる、うるさくてうざったいマスコミも無ければ週刊誌の取材といった仕事を邪魔する要素は無いので
俺は安心して、真剣に仕事に向き合うことが出来るようになっていた。
まだまだ鍛冶屋としては駆け出しであり、目指す所は遥か遠い地点にある。
高い魔力適性を持つとはいえ良くも悪くも我が身は売り出し中であり、鍛冶屋としての高みに立てるようになるには気の遠くなるような時間を要するだろう。
たった数年で一人前の錬金術師になったエリカのような異常天才と較べると自分が惨めに感じるだけなので、較べるだけ時間と労力のムダだと俺は思っている。
今はただ初心を忘れず、ひとつひとつの仕事に真剣に向き合っていくだけだ。
それが鍛冶屋としての評判を上げることに繋がるし、ウチを更に繁盛させる素となるハズだ…と俺は実感している。
何事も一足飛びに進んでいけるのは一握りの、いわゆる天才と言われる人種だけであって、
絵に描いたような凡人である(と、俺は俺自身をそう評価している)俺にとって日々の地道な努力は前に進んでいくのに欠かせない。
そんなこんなで、今日も今日とて俺は熱したミスリルに槌を打ち付けるのであった。
正午前にもなると客も少なくなってくるので、俺は作業を一段落させた後、昼食をとることにした。
鍛冶場から玄関に通じる扉をくぐり、階段を登って居間に入る。
一足先に昼食をとった母の手によって、食事は既に用意されていた。炊きたての白米に、メインは昨日の夕食の残りの煮込みハンバーグだ。
俺は一言『いただきます』と言って箸を手に取って昼食をとり始める。
少年兵をしていた頃とは違い、冷めたクソまずいメシを食べさせられるよりは遥かにマシな食事だ。
あの頃は人間扱いをされていなかったのだから当然と言えば当然だが。
異世界に移住してきて良かったと思える点その2である。
ああ、生きてて良かった…などと俺がしんみり考えていると、トントンと扉をノックする音が響いた。
俺は『どうぞ』と返事を返し、扉の方に視線を向ける。
扉は軋む音ひとつ立てず、スムーズに開かれた。
…扉の向こうに立っていたのはエリカとアーニャちゃんの2人だった。
「ヤッホー、けんちゃん!お昼をご相伴に来たよ~♪」
「しっ、失礼します!」
勝手知ったる他人の家、といった仕草のエリカに対し、アーニャちゃんは軍隊生活が長いせいか敬礼ポーズをしそうな感じで腰を折った。
そんなに畏まられても困るので、俺は昨日の余りで良かったらどうぞ、と返事を返す。
「けんちゃんのウチとは家族ぐるみの付き合いだから、アーニャちゃんも遠慮しなくて良いんだよ~?遅かれ早かれ僕の家族になる人達なんだから、ね?」
いつもの調子で勝手に食器を並べてテキパキと食事の準備をするエリカに対して、
少女はやはりぎこちない動きで炊飯ジャーから白米を茶碗によそい、ハンバーグを小皿に盛って席に座った。
「今はおばさんがカウンターに座ってるのか?」
「そうだよ~。今日は人体錬成の予約も入っていないし、お客様の相手をするだけならお母さんでも出来るしね~」
まだ隠居なんて早いよ、とエリカが俺の問いに返事を返す。
「アーニャちゃんの方は?」
「ん~、まだまだお尻に卵のカラが付いてるヒヨコちゃんだね~。まだまだ伸びしろがあるから、魔力の器の拡大に力を入れて練習中だよ。
元マジックユーザーだから魔力の扱いは慣れたモンだし、アーニャちゃんは飲み込みも早いから先生としては大変嬉しい限りかな?」
エリカは頬張ったハンバーグを飲み込むと、嬉しそうに俺に返事を返してきた。
「ただ、マジメ過ぎるのが玉にキズかな~。真面目ってのは悪癖なんだけど、裏を返せば真面目な所はアーニャちゃんの長所であるとも思うし、無理に矯正する気はないよ~」
分かってさえいれば悪癖は制御できるからね、とエリカは言って隣りに座って食事をしているアーニャちゃんを見つめる。
「アーニャちゃんはさしずめ硬い鋼鉄って感じかな?もっともっと柔軟になってもらわないと、伸び悩む所も出て来るだろうね~」
イマジネーションを制御するには精神が硬軟相合わせていないとやりにくくて困るんだよね、と言ってエリカはマッシュポテトを頬張った。
「ブレない芯と柔軟な発想を合わせ持て、と言う事か?」
「そうだね~。アーニャちゃんはブレない芯は通っているけど、生真面目すぎて精神が柔軟じゃないんだよね~。もっといい加減になっていいと思う」
まともとか、普通とかじゃ到底立派な錬金術師になる事は出来ないね、と言ってエリカは麦茶を一気飲みした。
錬金術師になるにはマトモだとかフツーだとかいった一般常識や既成概念とかに囚われていてはいけない、とはエリカの師匠がよく言っていた言葉だそうだ。
確かに一理ある。ありもしないフツーだとか、ありもしないマトモだとかいった『幻のイメージ』に囚われ、
それらに振り回されていては立派な錬金術師どころか何者にもなれず、大業を成す事は到底出来ないだろう。
少女は『はぁ…』と半信半疑の色が濃い返事を返すのみであった。
「フツーの人間とか、まともな人間とかってのは、誰もが見る幻のイメージなんだ。追いかけても決して追い付けない蜃気楼みたいなもんなんだよ~。
そんなありもしないもの、幻と向き合っても単なる時間と労力の浪費に終わるよ?今のアーニャちゃんに必要なのは、
失敗を恐れない勇気と、決して冷めない情熱に尽きない執念と、チカラを受け流すしなやかな強さ、ぶっちゃけてしまうとある種の『いい加減さ』なんだ」
「ハァ…いい加減さ…ですか?」
「アーニャちゃんは真面目だから、真面目に錬金術師になろうとしているけれど、それじゃあよくて三流にしかなれないよ?
ましてや商売をする上での真面目さなんて、足枷にしかならない。
真面目な人間は知恵の利く人間にはめっぽう弱い。真面目さを逆手に取られ、利用されておしまいさ。
もっとずる賢くならないといけない…清濁併せ呑む、柔軟な強さがこれからは必要になるんだ」
真面目って悪癖を上手に制御しつつね、と付け加えてエリカは残りのハンバーグを口に放り込んで咀嚼する。
「真面目だけではいけないんですか?」
問いかける少女に対して、エリカは無言で首肯した。
「そうだよ~。真面目に修行に取り組んでくれていることは先生としては大変嬉しいけれど、
『錬金術師・西園寺エリカを利用して超一流の錬金術師に成り上がってやる!』位の貪欲さ、ある種の図々しさが欲しい所だね」
幸せは手に入れるものじゃなくて感じるものなんだよ、と言ってエリカはすっかりヌルくなった味噌汁を一気飲みする。
「好きなように生きるのと、好きなことをして生きるってのは全く違うよ?好きなことをして生きるのは決してたやすくないんだ。
好きなことをして生きるのは楽しいけれど、ラクじゃない。苦労の連続だよ。
僕は稀代の天才と言われているけれど、修行していた時はそれこそ失敗ばかりしていた。
数え切れないほど失敗して、それを糧に『負けるもんか』と思って数々の試練を乗り越えてきたから今の僕があるんだ。
アーニャちゃんはまだ魔力の器が完成していないからかなり待たないといけないけれど、見習いでも試練はいっぱいあるよ?
コレはやろうとしない奴、分かろうとしない奴には決して理解できない。そして、そんな奴にイチイチ説明していられるほど人生は長くない」
「つまり、これからは他人には理解不能な事象が増えるって事ですか?」
真剣な眼差しで問いかける弟子に、エリカは我が意を得たり、といった感じで向き直る。
「正確に言えば、これから先は理解しようとしない人間には理解出来ない事象が増えるんだ。
気付こうとしない限り何も気付けないし、分かろうとしない限り何も分からない事が爆発的に増える。
近視眼的視点じゃなくて、長期的視野に立ったモノの見方も必要になってくる。
旅をするには地図が欠かせないように、錬金術師になるにはこうでありたいという想いを込めた未来予想図が必要になってくるんだよ。
ソレがなければ挑戦は挑戦じゃなくなって、単なるムダに終わってしまう。未来予想図がない人間は決して一人前の錬金術師にはなれない。
あと、未熟な今の自分を認める勇気も必要だね。未熟な今の自分をちゃんと認めて、それから高みを見るようにしないと物事は何も動き出してくれない。
それらを単なる嫉妬や現実逃避に終わらせずに、前を向いて明日への一歩を粛々と踏み出す姿勢が必要になってくるんだ」
「未来予想図が必要…」
独り言のようにごちる少女に対して、エリカはそう!と言って彼女の細い肩をガシッと両手で掴んだ。
「人間は渡り鳥じゃないから、どうしても未来予想図っていう地図が必要になってくるんだよ~。
ソレの重要さを分かってくれただけでも僕は嬉しいな!」
エリカは嬉しそうに笑いながらアーニャちゃんの肩を掴んで前後に揺さぶる。
「わ、わたしは未来において、先生より強くなってみたいです!」
「ウンウン、いい感じだよ~。それからそれから?」
「帝都に名高いと言われるような、自分だけのお店が持ちたいです!」
…これじゃダメですか?と最後に小さくアーニャちゃんがつぶやくと、エリカは更に喜色満面になってアーニャちゃんの肩を激しく揺さぶった。
「ウン!人間は弱いけれど、夢は必ず叶うんだ!だから今を必死になって生きないといけないんだよ~」
もう今日の修行はおしまいでもいい、といったエリカの雰囲気に、アーニャちゃんはたじろいだ。
流石にソレはないだろうに…
俺がどの時点で話に割って入ろうかと逡巡していると、やっと俺の存在に気付いたらしいエリカが申し訳無さそうな顔をした。
「けんちゃん、ごめん!すっかり忘れてた」
「弟子の育成にチカラを注ぐのは大いに結構だが、人の家で大声を出すなよ…」
人一人を預かって一人前になるまで育てるのだから当然その責任は重大であり、
弟子の育成方針でヒートアップするのも一向に構わないが、せめて使った皿を洗う事くらいは手伝って貰いたいもんだ。
我が将来の伴侶の怒涛の如き情熱と奔放さには全くもって恐れ入る他にない。
こりゃカカア天下で一生尻に敷かれるのは間違い無さそうだ。
俺はそう考えながらエリカとアーニャちゃんから使用済みの食器を預かり、手早く洗って汚れを落とし、水気を切ると食器棚に戻した。
6.
「フンッ!」
須藤さんの裂帛の気合を込めたミスリル製の槍の一突きがヴァンパイアロードの心臓に突き刺さる。
「グガアーッ!」
と断末魔の悲鳴がダンジョン内部に響き渡ると、次の瞬間にその肉体は小さなコウモリに変化して広場の中央に戻っていく。
カッと光が閃き、次の瞬間にはケロリとした顔で戦闘で負ったダメージなぞ何もなかったかのように平然とした壮年の男性が立っていた。
「いやぁ、やられたやられた!やはりたまにはダンジョンに出向いて戦闘でもしないと退屈で仕方ないですな♪」
そういってヴァンパイアロード―名前はウォーリー・カルダモン伯爵と言う―がカラカラと声を上げて笑った。
現在俺たちのパーティーは迷宮の地下55階でガーディアンたるヴァンパイアロードと死闘を繰り広げ、それに辛くも打ち勝った所である。
ダンジョンに貴族が現れるなどということは大変珍しく、俺たちの実力では魔法生物版のヴァンパイアロードにしか勝てないかと思っていたが、
俺たちの相手をしてくれた伯爵も久しぶりの手に汗握る戦闘に大変満足している様子で、パーティーメンバーはこの結果に全員ホッと安堵の溜め息をついた。
ココから下に通すも通さないもガーディアンたるヴァンパイアロードのご機嫌次第とあっては手を抜く訳にはいかず、
パーティーメンバー全員が全力をもって伯爵の相手をしていた。
「君たちならココを通しても良いよ。私もけっこう本気を出させてもらったし、今回の戦闘には大変満足している」
にこやかな笑みを浮かべて話しかけてくる伯爵に、俺たちは顔を向けあった後、感謝の言葉を返した。
貴族というから身構えていたが、伯爵は話をしてみれば気のいい、カイゼル髭をたくわえた普通の壮年男性であった。
その事に二重の意味で安堵した俺たちは、普段から気になっている貴族の生活などについて聞いてみたりと話に花を咲かせる。
普段、伯爵は帝国から賜った領地の維持発展にチカラを注いでいるらしい。
幸いにしてカルダモン伯爵領は長年の平和を存分に享受しており、税収も安定している模様だ。
「爵位なんてサッサと子供に継がせて私は領地にこもって楽隠居がしたいもんですが、なかなかうまくは行きませんね。
1番上の息子が貴族としての義務である軍役を終えるのは10年後ですし、ソレまでに領地を更に発展させないといけません。
まぁ息子たちはまだまだ子供ですし、成長して独り立ちするまでは私が爵位を保持しておくのがベターでしょうな」
7人(!)もお子様がおられるらしく、伯爵はにこやかな笑みを浮かべて仰った。
帝国全土に蔓延している人材不足はカルダモン伯爵領でも例外ではないようで、
こうして時折帝都に戻ってはダンジョンに潜ったりして伯爵自ら人材のスカウトを行っておられるそうだ。
「お子様が成人なさったら、是非ともうちの領地に来て頂きたいものですよ。幸いにして我が所領は穀物と鉱物資源に恵まれているので、
帝都とほぼ変わらない生活が出来る事は保証しますよ」
「このレベルのパーティーメンバーには勿体無いお言葉です。それだけでも全員が全力を尽くした甲斐があったと言うものですよ」
堀田さんの返事に対して、カルダモン伯爵は残念そうな顔もせず、ケロリとした顔である。
「帝都と違って娯楽には乏しいですが、なに、それも意味を返せば都会の喧騒とは無縁に心豊かに暮らせるというものでして、
温泉や保養地もありますし、長期休暇の際には是非立ち寄って頂きたいものですな」
「ハイ、そうですね。鍛冶屋と錬金術師の2人は無理にしても、彼等以外のメンバーは長期休暇がとりやすい職業ですから、
長期休暇がとれたら是非行かせて頂きたいと思います」
伯爵閣下は大変満足そうに笑うと、カルダモン領への地図が記された羊皮紙を堀田さんに投げて寄越す。
「では、私はそろそろ失礼させてもらう事にしよう。では、良い休日を!」
典雅に腰を折ると、伯爵閣下は帰還の巻き物を広げる。
カァッ、と魔法陣が青白い光を放つと、次の瞬間には伯爵の姿は消えていた。
7.
「フゥー、疲れたぁ~!!!!!」
伯爵が去られた後、俺たち一行は床に大の字になって寝転んだ。
本物のヴァンパイアロードがこれほどまでに手強い存在とは思いもしなかったので、皆が皆、皆疲労困憊と言った体である。
俺は一息ついた後、むくりと起き上がると、バックパックから疲労回復効果のあるポーションを取り出して一気飲みした。
尾崎さんや堀田さんの使ってくれる回復魔法では疲労の回復が追いつかないので、ポーションを2本、3本と一気飲みする。
エリカにアーニャちゃんといった規格外の師弟ならともかく、一行の大半、特に前衛職の魔力なんてとうに枯渇している。
須藤さんの一撃が決まっていなかったら、この階層を突破することはかなわなかっただろう。
俺はカラッポになった魔力を回復するための呼吸法を行うと、身体に魔力が満たされていくのを感じ始めた。
俺の右隣では勝負の決め手となった一撃をきめた須藤さんが、呼吸を整えて魔力の回復にあたっている。
俺の左隣ではゼェ…ハァ…と息を切らせながら、大の字になって寝転がっているアーニャちゃんがいた。
伸びしろはエリカをして稀有なる天才と言わしめるだけあって相当なものがあるのだろうが、いかんせんその魔力の器は未完成である。
まだ少女にはエリカ級の魔力量は望むべくもないのだろうか?魔力再吸収も行われてはいなかった。
アーニャちゃんの師匠たるエリカも苦しげな吐息をつきながら、床に片膝をついて魔力の回復に専念している。
ゴウゴウと風の唸るような音を立てながら、莫大な魔力がエリカの全身に急速に吸収されていく。
エリカはひとしきり魔力を吸収した後、俺たち一行の中で一番早く2本の足で立ち上がった。
いつもの余裕が混じった鼻歌は聞こえないが、ある程度まで魔力が回復したらしく、その足取りはしっかりとしている。
エリカはアーニャちゃんに歩み寄ると、少女の身体を優しく抱き上げた。
「アーニャちゃん、お疲れ様~。息を整えた後でいいから、魔力回復の呼吸をしてみよっか~」
少女は無言で頷くと、魔力回復の呼吸をし始める。すると、そよ風のように微弱だが、大気中に満ちる魔力がアーニャちゃんの身体に吸収され始めた。
「ウン、上手上手~、本物のヴァンパイアロード相手によくもった方だと思うよ~。
体力は身体が成長してきたら自然についてくると思うから、ダンジョンに入る前に言ったように、今は魔力の器の拡幅に努めてね~」
「ハ…ハイ…!…分かり…ました…!」
師匠の言葉に、少女は余裕のない声を返すばかりであった。
小一時間ほど回復魔法を浴び続け、魔力回復に努めていれば、歩ける程度には体力も回復してくる。
俺たち一行は中央部にある階層縦断魔法陣に向かって歩き始めた。尚、アーニャちゃんはエリカに抱き抱えられたままである。
まだ年端もいかない少女には、あの戦闘は苛烈に過ぎただろう。
歩くだけの体力も残っていないらしく、少女はエリカに抱き抱えられたまま、ひたすら魔力回復の呼吸をし続けている。
ダンジョンも地下55階になると広さも上層階とは段違いである。
ひたすら歩くこと1時間、俺たち一行は階層縦断魔法陣のある場所まで到達していた。
まずは堀田さんが石碑に自分の魔力を登録する。俺たちも堀田さんに続いて石碑に自らの魔力を登録していく。
最後にエリカに抱き抱えられたまま、その手を伸ばしてアーニャちゃんが石碑に魔力を登録する。
それがアーニャちゃんに残された最後の体力だったらしく、少女はエリカの腕の中ですやすやと穏やかな寝息を立てて眠り始めた。
「あちゃー、寝ちゃったか~。まぁ、アーニャちゃんはまだまだ子供だから仕方ないね~」
エリカがそう漏らすと、一行の面々は静かに笑った。
今日は帰ったら夕飯もお風呂も抜きでそのままベッドに直行だね~、とエリカが言う。
それもそうだろう。アーニャちゃんはエリカの家に住み込みで錬金術の修行に来ており、
そのまま寝かせておく方が手間がかからない。
店が定休日の日は修行も休みであり、その日は親御さんの所に帰って存分に甘えたり、可愛がってもらうようにしているのだそうだ。
アーニャちゃんは軍大学を卒業しているので肩書き上は俺たちより上の大卒である。
しかし年齢的にはまだ若干10歳の少女であり、多感な幼年期を修行漬けの日々で過ごさせるのは本人の幸せに繋がらないから、とはエリカの弁である。
今は兎に角、錬金術の基本中の基本である魔力と想像力のコントロールを徹底的に身に付けないといけない時期であり、
錬成と言った高等とされる技術の殆どは魔力の器の完成を待ってからでも十二分にマスターする事が出来るので、
今は前述の通り、基本動作と魔力の器の拡幅にチカラを注いでいる段階だそうだ。
『褒めて伸ばす、それが僕の教育の基本方針だよ~』
とは師匠たるエリカの弁である。
『旧日本軍はクズ揃いだったけれど、山本五十六だけは例外~。彼の残した言葉は人材育成をするにあたっては欠かせないね』
とも言っていた。鬼畜無茶口と辻政信は嫌いな人物の最右翼だとも言っていた。
お師匠様であるエリカはアーニャちゃんにまず師たるを見せる事で尊敬を得、師たるを見せ続けることで弟子は学べることも多いので、
修行はうまいこと回っている感じがある。
異常な程の天稟に支えられた規格外の天才に加え、人心掌握術にも長けており、人材育成も上手く、頭の回転も速い。その上美人で巨乳ときた。
どこから切り取っても文句のつけようのない、正真正銘の天才というのは世の中にはいるものだ。凡人代表の俺としてはそれこそ理解不能の極致である。
較べて俺ときたら、顔立ちはお世辞にもイケメンとは言い難いし、良くも悪くも平均的、平凡な顔である。
ぶっちゃけモブ顔といって差し支えはないだろう。まさに凡人ヅラだ。
こんな俺をエリカは伴侶として選んだと本人の口から聞いた時、俺は『何で俺が?』と仰天したのを覚えている。
『あの過酷な戦場を少年兵として生き抜いてきたんだから、けんちゃんは僕とは別のベクトルの天才だよ~。無自覚な天才ってのは罪だよ、罪!』
ハァ、さいですか…と俺はエリカに向かって頷く事しか出来なかった。
『けんちゃんも天才なんだから、レムリアに行ったらおじさんと一緒に鍛冶屋をすれば良いんだよ~。
少年兵として過酷な戦場で戦い続けた経験がきっと剣作りに役立つと思うな~』
かくして俺はレムリア政府が地球で開いている移民向け魔力適性検査を受け、
魔力適性A++ランクという鍛冶屋兼魔剣士にしては質・量共に大きい魔力の器を持っている事が判明し、今に至っているわけである。
幸いにして鍛冶屋の商売としては比較的好調であり、腕の良い外注先も見付かって一家3人が飢えずに済み、貯蓄も増やせるようになってきてはいる。
効率のいい今の状態を維持していけば、競争の激しい帝都の鍛冶屋として生き残り、名を売っていけるようになるのにそう時間はかからないだろう。
何せ元銀行マンである母親様は営業トークに長けており、自己PRが致命的に下手な親父様に代わってよそから仕事を取ってくる程である。
おかげで鍛冶屋としての仕事は日々舞い込み、今のところ途絶えてはいない。
魔剣の切れ味、耐久性の試験という名目でダンジョンに入ってパーティーでダンジョン探索に行く機会をもたせてくれたりと、
両親の不断の努力と俺にかけてくれる愛情には感謝の念と頭が下がる思いでいっぱいである。
もっとも、俺は俺の好きなことをして生きているだけだったりするのだが。
そうこうしているうちに時間が経ち、時計は午後5時を指していた。
「そろそろ疲労も回復しただろうし、愛しき地上に戻ろうか」
堀田さんがメンバー全員に声をかける。俺たちは無言で頷くと転送の魔法陣の上に乗った。
8.
今日もたいした怪我もなくダンジョン探索を終え、地上に帰ってきた俺たちは堀田さんの解散の号令を受けて、
めいめいがめいめいの足取りで自宅に向けて歩き始めた。
俺たち2人も自宅の方向へと向かって歩き始める。ダンジョンの入口がある帝都の中心部は一等地であり、
帝国各地を治める貴族が帝都で暮らす際に使う貴族の城館や、地球の各国の大使館がおかれている。
無論、店もあって、バーバリーやカルティエ、ルイ・ヴィトンといった地球の一流ブランドの店が帝都中心部で軒を連ねている。
俺たちの家兼職場は帝都の南東にある日本人街にあり、ダンジョンから出てもさほど迷わずに済むのが最大の利点だ。
「ヴァンパイアロードとの戦いはキツかったな」
「僕も疲れたよ~。何せ大魔法は味方を巻き込んじゃうから使えないし、
乱戦になったら錬金術師はマジックユーザーの強化版みたいになるしね」
「それでもお前や尾崎さんの強化魔法が無かったら負けてただろ?やっぱ錬金術師はチート職だな」
「チート職かぁ…これでも苦労してるんだけれどなぁ~。そりゃ凡百のマジックユーザーよりは強いって自覚あるけど、
やっぱり錬金術師はタイマン勝負より強盗の集団とかみたいな1対多数の戦闘が本分って感じがする~。
しかしアーニャちゃんは頑張ってくれたなぁ~。魔力を使い切っちゃたのは減点だけど、
この子の全力全開と魔力の器の完成度が見られたからそれで良しとするかな。
まだまだ伸びると思うし、先が楽しみな可愛いヒヨコちゃんだね~。師匠としてはこの子の成長が楽しみでならないよ」
ひどく疲れているのだろう。俺たちが話しながら歩いていても、アーニャちゃんは目覚める気配を微塵も見せない。
「師匠としては、教え甲斐があっていいんじゃないか?この歳であれだけの魔力を扱えるなら、
魔力の器が完成する年齢になったらどれほどのものになっているか、楽しみで仕方ないだろう?」
俺がそう問いかけるとエリカは満面の笑みを浮かべて返事を返してきた。
「ウン、魔力の器が完成する時が楽しみだね~。今のアーニャちゃんなら、
成長したらひょっとすると僕以上の量の魔力を扱えるようになるかもしれない。
お母さんのことを考えたら、将来的にも有望だね。今はペッタンコだけれども、僕並みのプロポーションになると思うな。
一人前の錬金術師になったら商売のノウハウも教えないといけないし、課題山積って感じだね~」
一人前の錬金術師になって店を構えるのは決してラクな道ではない。
大半の錬金術師は師匠の下で日々の仕事をこなしながら、師匠が支払ってくれる給与を貯めて独立するのである。
師匠との生活が気に入ったなら、師匠が引退するまでその店に留まり続けるのも立派な選択肢の1つだ。
各領地の中心都市には必ず1人は錬金術師が必要とされており、駆け出しの錬金術師でも受け入れられる余地は十二分にある。
アーニャちゃんは帝都で店を構えたいと言っていたが、帝都には競争相手が多い。
やはり一旦は地方都市に留まって錬金術師としての腕と商売のセンスを磨いて、
帝都までその名が響いてくるようにならなければ帝都での旗揚げは難しいだろう。
エリカは移住するにあたって錬金術師として移住する旨を帝国政府に申請しており、
職住一体の家屋という制約が付くものの、住居が与えられる優遇措置が受けられる地球からの移民であり、
俺が紛争地帯で少年兵をしていた頃から師匠の下について錬金術を学んでいたので、その辺の根回しもしっかりされていた。
尚、俺も同様の優遇措置が与えられたのは移住前に職業の登録申請をしていたからだ。
同月同日に帝都に移住するという制約があるものの、エリカの家の隣に住む事が出来たのは移住する年月日を事前に帝国に申請しておけば、
そう取り計らってもらえるからだ。
アーニャちゃんの家も地球からの移民ではあるが、職業登録が事前になされていなかった
―と言うよりも、娘が錬金術師になるとは思いもしなかったのだろう―ので、帝国から与えられた住居は
お店のない一般的な3LDK の集合住宅である。
一旦申請された住居の申請を取り下げるのは不可能であり、これからアーニャちゃんは苦労する事になるだろう。
そうこうしているうちに、俺たちは自宅の前まで辿り着いていた。
両手が塞がっているエリカは俺に扉を開かせ、自宅へと入った。
俺も続いてエリカ宅に入り、アーニャちゃんの部屋に通じる扉を開く。
「じゃあ、ココからは僕1人でも大丈夫だから、けんちゃんは出ていってね。女の子のお世話は女の子がしてあげないと」
そう言うとエリカは少女の小さな体をベッドに横たえ、衣装箪笥から寝間着を取り出してベッドに広げる。
俺はサッと扉の方向を向いた。
「そうだな。それじゃ今日はここらで退散させてもらうよ。今日はお疲れ様。またな」
「ウン。けんちゃん、またね!」
おう、と俺は返事を返すとアーニャちゃんの部屋の扉を閉じ、玄関に向かって歩き始めた。