いざ、異世界へ!
1.
1999年の夏以降、世界の有様は一変した。
剣と魔法の異世界―名をレムリア帝国と言う―へ通じる門が世界各地に開かれ、
深刻な人口不足に喘ぐ帝国に地球から多くの人間が移住し、それぞれがそれぞれの国の特色を活かした生活を営み始めたのである。
ある者は帝国各地にある果てなき迷宮―いわゆるダンジョン―に挑み、またある者は技術を活かしてビールを造った。
住んでいる国が違えば自然、住む所もその国の特色が出る。
日本人は日本特有の住まいを構える事が帝国から推奨され、日本古来の住まいを構え、日本酒や地ビールを帝国に齎し、帝国の彩りに華を添えた。
かくしてレムリア帝国はかつての繁栄を取り戻しつつあった。
レムリア皇室は地球人類の帝国移住に寛容であり、
レムリア帝国民―魔法で人類の姿をしているものの、真の姿はファンタジー小説に出てくるようなモンスターであったが―との結婚を推奨していた。
何せ帝国側は空前絶後の人不足である。地球の数百倍はあろうかという超巨大惑星国家において、人は多くても困る事はなかったのだ。
しかし、帝国には深刻な問題が幾つか存在していた。
地球における原子物理学というものが全く通じない上に(核兵器やそれらを利用した機械類は全く役に立たない)、
内燃機関に必要な石油といった化石資源が全く存在しなかったのである。
大気中に満ちる魔力のせいで機械類―機構が複雑であればあるほど変化の進行速度が速くなる―は軒並み意思を持った魔法生物と化してしまい、
地球から齎された近代兵器の大半は使い物にならなくなってしまった。
地球から齎された核兵器は飛びはしても揃いも揃って大玉花火と化し、アサルトライフルはあろうことか喋るようになった上に持ち主に牙を剥くようになってしまい、
アナログなルールに縛られる事にならざるをえなくなってしまったのである。
異世界との交流で人類に齎されたのは新天地だけではなかった。
異世界人と交流した人類の中に、特殊な能力を持つ者が現れ始めたのだ。
ある者は戦闘に適した姿に我が身を変えられるようになり、ある者は空を飛べるようになった。
いわゆる超能力者の誕生である。
もっとも、人間の超能力ではレムリア帝国軍の使用する魔導障壁を突破出来なかった上に、飛行するだけなら飛翔魔法があるので脅威とはみなされなかったが。
そんなこんなで、2016年現在においても異世界との交流は続いていた。
ある者は新天地に冒険を求めて旅立ち、またある者は一攫千金を夢見て異世界への門をくぐる。
帝都の賑わいは相当なもので、訪れる者は後を絶たない。
帝都の地下には巨大なダンジョンが広がっており、最下層には魔王の造った武器・防具や金銀財宝が眠っているとあってダンジョン探索に訪れる者は尽きる事がなかったのである。
勿論、帝国はダンジョン探索を無料で行わせている訳ではなく、ダンジョンに挑むには毎回税金を支払う必要があった。
ダンジョン内部は帝国でも把握しきれない程広大かつ深く、毒を持つモンスターや落とし穴といった死の危険を伴う罠が待ち受けており、
無意味な人的資源の損耗を避ける為に、
冒険者たちには死にそうになると自動的にダンジョン入り口に五体満足で戻る事が出来る
―魔法発動の代償としてダンジョン内で得た戦利品が失われてしまうが―帰還の指輪が帝国から支給された。
武器や防具などの元から持っているモノは失われないのだが、ダンジョン内で死亡、または死亡寸前になった場合、戦利品を持ち帰れないという制約が冒険者たちの悩みのタネであった。
指輪をはめてダンジョンに挑めば命を失わないで済むのだが、戦利品が得られない。
といって指輪を外してダンジョンに挑めば即、死の危険に身を晒すハメになる。
死者を蘇らせる蘇生魔法はこの世界から喪われて久しく、治癒系の魔法は解毒と傷の治療の2種類しかなかった。
地下一階に巣食うモンスターにも危険なものが数多く存在しており、初心者では歯が立たない位である。
長期間ダンジョンに潜るには、食料にテントと寝袋、解毒と傷の治療が出来るヒーラーは必要不可欠であり、とみにヒーラーは引っ張りだこ状態であった。
戦闘となれば地球で流行っているVRMMORPGのようにレベルが上がれば攻撃力や攻撃速度が上がる、
といった事がない為、パーティーで専ら前線に立つ剣士やサムライといった攻撃担当は戦闘ごとになにがしか傷を負うのが常である。
おかげで帝都にはヒーラーやウィザード―俗に言うマジックユーザーの事である―を専門に養成する専門学校が設立される程であった。
学校ではマジックユーザーは常日頃から大気中に満ちる魔力を自分の体を使って自らの望むカタチに練り上げ、
マジックバッテリーに蓄積しておくことで即座に魔法の行使が出来るように徹底的に教育された。
一方、前衛を務めるアタッカー達も武器防具の強化に余念がなかった。
今帝都で専ら人気を集めているのが武器・防具への属性付与である。
具体的には火や雷といった魔法効果のあるゴルフボール大の宝珠を武器に嵌め込む事で、斬る、叩き割るといった武具本来の目的に加えて、
火なら敵を焼く効果が、雷なら電撃で相手を一時的にマヒさせるといった副次効果を与えるのだ。
防具に宝珠を嵌め込めば防具本来の能力に加えてその属性の加護を得られるので、ベテラン冒険者ほどダンジョンに持ち込む宝珠の数は自然、多くなる。
いかに多くの宝珠を嵌め込めるように加工を施すかが鍛冶屋の腕の見せ所とあって、
帝都各所に存在する鍛冶屋にはより優れた武器・防具を求めて連日連夜のように冒険者たちが訪れるようになった。
主な素材となったのは帝国各地に豊富に算出する白金色に輝く神秘的な金属、通称ミスリル。
鉄とアルミも産出されるものの、量が地球に較べて極めて少ない為、鉄とアルミは金持ちや貴族・皇族への献上品となっており装身具となるのが通例となって久しい。
ミスリルの融点は1600度と鉄と同等ながら、アルミより軽く、鋼より強いミスリルで造られた武器防具は帝国軍にも長年に渡って制式採用されており、信頼性の高い金属と言えた。
ただし、ミスリルには欠点があった。溶かすのは容易でも、ソレを望む形に成形するには機械の力では不可能なのだ。
魔力への感能性が強いミスリルは魔力を込めたハンマーでなければ成形できず、地球で盛んに行われている金属機械加工法では溶解させるのが精一杯だったのである。
この問題は機械に魔力を送り込めば解決できるのだが、魔力を機械に送り込むと複雑な機械類はあっという間に魔法生物と化してしまい、
事故が起きるであろう事が予想された為、昔ながらのハンドメイドに頼るしかないのが現状であった。
機械が使えず、武器防具を生み出すにはハンドメイドに頼らざるを得ない帝国の現状は、日本の鍛冶屋、零細鉄工所にとっては朗報と言えた。
かくして日本に存在する鍛冶屋、零細鉄工所は武器防具屋として再起を図る為に、次々と異世界に旅立った。
刀鍛冶の傍ら、包丁屋を営む日野崎家もそのうちの1家族であった。
2.
「うーん、コレが異世界、レムリア帝国かぁ。何か日本と変わりない感じだなぁ」
「日本人街だからねー。昔の日本を模して造ってあるみたい」
異世界への門をくぐり抜けた先に待っていたのは、古式ゆかしい明治、大正時代から積み重ねられてきたような風景だった。
近代的なビルディングが立ち並ぶ東京とは打って変わって、この地に鎮座ましましているのは明治、大正ロマンを満ち溢れさせた、
古めかしい町並みだった。
ほぼ田舎道以外はコンクリートジャングルと化した日本に慣れた身には、古びたシャッターで区切られた鍛錬場と古ぼけた我が家だった建物が妙に懐かしく感じられる。
「こうまでそっくりだと、今いる世界が剣と魔法のファンタジー世界とは思えんよ」
ごちる俺、日野崎剣十郎に幼馴染にしてわが国初の錬金術師である西園寺エリカが返す。
「まぁまぁ、武器防具屋として働く事になったら気にならなくなると思うよ~?」
2人とも家庭の事情を無碍にする訳にもいかず、単位満了させて早目の高校卒業を選び、異世界への門をくぐったクチだ。
内心ワクワクしているのがお互いに見て取れる。
「ダンジョンに挑む冒険者のお眼鏡に叶う品物が出来たら良いんだけど、ミスリルって加工が難しかったっけ?」
名を売るにはどうしたらいいか?と今後の事を考えながら俺が材質の心配をすると、
そうでもないよ、と異世界での修行を一足先に済ませているエリカが言ってくる。
「魔力の取り込み方、練り方は訓練校で教われるし、その点は心配要らないんじゃない?」
「ホントに3ヶ月で身に付くのかなぁ…そこはかとなく不安だ」
早くもネガティブな思考に行き着く俺の顔を見ながら、もう君に教えることは何もないと師匠に言わしめた稀代の天才錬金術師がゆるーい感じで言う。
「けんちゃんは臆病者だねぇー。事前に試験受けて魔力適性Aだったんだから大丈夫だよ~」
移民局のお役人が言うには、この国でミスリルを鍛えるには魔力適性がAもあれば十二分に事足りるとのことで、そこは安心してかかっていいのかも知れないが、
何せ見ず知らずの異世界の事だ。用心に用心を重ねても誰もバチはあてまい。
「もー、けんちゃんはVRMMORPGのやりすぎだよ~。ここは剣と魔法の世界なんだから、もっと希望を持たないと!
どんどんサムライソードを造って、売って名を売って売って売りまくらないといけないんだよ~?そうでないと錬金術師の僕も商売上がったりになるんだからね!」
仕組みは簡単だ。俺が武器防具を造り、エリカが錬金術を使ってタリスマンを造って売る。
武器防具屋として名が売れるようになるまでは、エリカの超金属―オリハルコン―以外なら何でも錬成できるチートじみた錬金術頼みの日々が続くのである。
「エリカちゃんの機嫌を損ねないように、あんたはしっかり食らいついていきなさい」
とは我が母君のセリフだ。へいへい、分かってますって。
産まれてからこのかた、刃物のこと位しか考えた事のない俺にとって、こいつにはガキの頃から頭が上がらない存在だった。
何せ、小学校の時点でMENSAに登録されるだけの頭脳を持っていたのだから、頭を並べる気にもならなかった記憶がある。
しかし、天才と変人は紙一重とはよく言ったもので、こいつの頭脳なら小学校を飛び級しても何らおかしくはなかったのに、
わざわざ俺のような人の殺し方しか頭に入っていない一般人Aレベルでしかない人間に合わせて高校卒業まで合わせるとは、思いもよらなかったのだ。
コレを無条件の好意と信頼と受け取れば良いのか、はたまた天才ゆえのお情けととるか。はたしてどうだろう?
「君は僕に匹敵する逸材だよ。けんちゃん。何せ、人の殺し方なら誰よりも心得ている。武器屋を営むには最高の人材だよ」
ハー、さいですか。確かに人の殺し方なら超一流と名乗っても良いかもしれないが、ソレを武器づくりにどうやって活かせばいいのやら。
銃火器の全く通じない世界で、銃を使って敵を殺した少年兵としての経験がどう活かせるのか、神様とやらが居たら伺ってみたいものだ。
あの地獄で生き延びる為には、人を殺す他に選択肢が無かったのは他の誰よりも俺自身が承知している。単に生きるための選択肢が無かっただけだ。
あと3人殺せば殺害数300人達成で隊長から勲章が貰えた位にどうでもいい。
10歳の時に旅客機事故でおっ死んだと思われていた少年が、なんの因果かスーダンで少年兵として生きていて、両親が健在で俺を探していると知らされたのは15になって、
日本に帰ってきてからだった。政府の温情処置で高校に入り、幼年期の朧げな記憶しか残っていない俺を温かい笑顔で迎えてくれたのはエリカだった。
それからの3年間は、鮮やかな彩りに満ちた日々だった。振り返ってみれば、青春とはこういうものか、とすら思えるほど輝いている記憶ばかりだ。
超一流の天才となっていたエリカのおかげで勉強の要領を掴み、卒業に必要な単位も早目に取得でき、マスコミの喧しさから逃れるために一家で異世界に移り住む事を決めた。
冒険者なんかにならなくていい。ダンジョンに潜って血を流すこともない。大好きな金属のことを考えて、日々槌を振るえれば、ソレでよかった。
「訓練校に入れば3ヶ月で鍛冶屋かぁ。日本刀型の剣なんて需要あるんだろうか?」
考え込む俺にエリカはニッと笑って、
「需要はスロット次第じゃない?タリスマンを嵌め込めばミスリルソードでもロックゴーレムを倒せる位になるし。
もっとも、込められた魔力の性質によって切れ味は変わるみたいだけれども」
「ミスリルこそ、折れず曲がらずをモットーとする日本刀にふさわしい素材じゃない?魔力を込められた武器防具はよっぽどの事がない限り破壊されないし」
そうかも知れんが、日本刀に必要な『魂』はどうやって込めればいいのだ。
「魂が魔力、って事で良いんじゃない?けんちゃんならいい魔剣がきっと造れるようになるよ」
「魔剣ねぇ…魔剣にどれだけの需要があるか、やってみなくちゃわからんのが難点だな」
剣と魔法の異世界において、生活の基盤となるのが魔力だ。
この世界では待機中に満ちる魔力で自動的に電力を生成できる永久機関が発明されており、電気には困らない。
上下水道も整備されており、近代的な生活を営むには充分な環境が帝国によって整えられていた。
もっとも、地球側から持ち込まれる機械類は軒並み一昔前のローテクなモノに限られていたが、
洗濯機や冷蔵庫といったモノも旧型なら使えるので、家電メーカーはレムリア向けに二槽式洗濯機といった、やけに古めかしい制御機構を持つ電化製品を送り込んでいた。
帝国は移民の保護に余念がなく、移住者には家族の規模と希望する職種に応じて広さ、間取りの異なる住まいを用意していた。
帝国国民となるには養成学校に通ってそれぞれの希望する職種に応じた訓練を受けねばならず、
ハイ、異世界行って冒険者の完成、とはならないのが現状である。
コレは錬金術の師匠に「君に教えることはもう何もない」と言わしめた天才、エリカとて例外ではない。
タリスマン製造のノウハウを含めた錬金術の基礎をみっちり習い直さないと、錬金術の失敗は即、事故に繋がる危険性を秘めているからだ。
誰でもも18歳で鬼籍に入るのはイヤだろう。
「明日から学校通いかぁ。錬金術の基礎からまたやり直しってのも新鮮でいいね!」
「コッチで習うのは魔力の取り込み方だな。魔力の練り方は血液の循環をイメージすると楽に出来るって話だし、まずは第一関門突破を目指さないと」
2人共、先に新たな住まいに行っていた家族と合流するために歩き出す。
後に魔剣鍛冶と伝説の錬金術師と呼ばれる2名の異世界における第一歩であった。




