第六話「座標の剣士」
薄暗い部屋の中で誰かが椅子に座り煙草を吸っている。窓は閉じているのにそちらの方を見つつ、考え事をしていた。
そこまで熟慮しつつも後ろで聞こえた扉の音に俊敏に反応し、足音から誰が来たのか推測をする。入ってきたのは一人の礼儀正しそうな青年である。普通の一般人と言われてみれば気付かないが、隠しきれないその動きから、上位のギルメンなら即座に暗殺者だと見抜けるだろう。彼は男にとってのお客さんだ。こうして、直接姿を現したということは何かしらの情報を掴んだのだろう。
「どうだ?何か情報を入手したか?」
「えぇ、レケについての新たな情報をお持ちしました。」
窓から差し込むその光によって見えたのは先程までレケと共にしていたウィンドであった。そのウィンドは仕事の為にレケのことを嗅ぎまわっているその男に対してレケのことを流さなければならない。喩えレケが好きだとしても、仕事であると割り切っている。その心理の奥底まではわからないが、少なくともそう見える。
ウィンド編1-2「イシス・スタラント」
「汚らしい雌豚風情が触らないでいただけます!?」
部屋まで連れてきたマーリンに対して、敵意の目を向ける。確かに負けはしたが、別段騎士でなければ敗者は勝者に従順などと即座に諦めるような精神はしていない。例え、首輪をつけられたとはいえ、飼い主となったわけではないのだ。あくまで一時的なもので今すぐにでも噛み殺してやりたいものだ。そんなセエレに対して特に気にすることもなく1つ質問する。
「どう?少しは頭の中スッキリしたかな?」
その質問を投げ掛ける理由がわからなかった。疑問でしかない。だが、一つだけわかったこともある。先程まであった激情は今はなく穏やかである。確かに人間に触れられたことはあまり気分がよろしくないがそれでも怒りはあまりない。故に結論に至った。
「まさか…私にこの首輪で何かしましたの…?」
先程、奴隷の証として装着させられたこの首輪に魔術師であろうマーリンが精神的な魔獣式を打ち込んでいるという発想へと辿り着いたのだが、それはお門違いだ。確かに精神的に干渉したと言えば、ある意味では正解だが、その魔術式は精神魔法ではない。どちらかというと魔力阻害系で魔法を使えないようにするときに用いるものである。
「いや、何も?君くらいの博識なら書かれてないことくらいわかるだろう?」
確かにそのとおりだ。だから、何も言えなくて黙るしかない。少なくともこの人間は嘘をついていないと思われる。先程までの私なら姑息な手段で何かしたと思ったかもしれないが、無駄に生きてきた訳ではないのだ。この程度の術式、魔力を用いらなくともわかる。だから、今回は少しだけ信じてみることにした。というより、他に思い当たる節が無いのも確かなこと。敵からも博識と呼ばれたようにその辺の魔術士と比べたら相当知識量を持っている。故にわからない以上それではないと断言せざる得ないのだ。自分を信じることでしか自分の知識を証明できない。それと同時に自分の知識の範囲の脆弱さも証明してしまうのだからなんて皮肉なのだろう。
それから眠る必要のないセエレはレケを待ち続けた。マーリンが寝て起きるまでの間は帰ってこなかった。敵を見るのも嫌でなんとなく部屋を物色していたが、この首輪がある限り何も出来ない。その首を締めるという単純動作すら行えない。体育座りで横を向くように寝てから一度も微動だにせず、生きてるのか死んでるのか確かめたくなる。だが、相手が相手なので確かめる気にはならない。敵であるという理由もあるし、あんなバケモノがこんな突然ぽっくり死ぬわけがない。いや、強者だからこそこんな死に方も面白いかもしれない。そういう希望はあっても、所詮は希望であって現実には程遠い。あと何時間このまま座っていれば良いのだろうか。寝る必要がないからこそ、目を閉じて眠る振りをしてみる。どれだけ待ってもやはり眠れる気がしない。昔は寝る必要がなくとも眠れたのに、やはりこの体は不便なものだ。
「結局帰って来ませんでしたわね」
寂しそうにセエレが呟いた。
マーリンの部屋の地面にて正座で座っている。この呟きは誰かに答えられたい訳ではなく、単純な寂しさによるものだ。やっと出会えて、今なら仕方ないという言い訳のもと幾らでも本音で話せるのだ。100余年の色々な感情を伝えても良いのだ。それと同時に何故身分を隠し悪魔ということも隠して知らないふりをするのかも聞きたい。それが共存という理由であるとは何となく理解してるが、それでも本人の口から聞きたいのだ。
ちなみに、ドイツの家では靴は基本的に脱ぐことはない。玄関前や中に靴箱があれぱ脱がなければならないが、マーリンの部屋にはそれがない。だからといって汚いのも嫌な為部屋に入った全てを常に浄化してるのだ。マーリンは見た目通り賢者に匹敵する程の凄腕魔術師だ。しかし、彼の使用する魔法の半分以上はこういう日常で使用されている。
貴族悪魔を前にして、他の魔法を使い続けられる度胸を持った魔術師などマーリン含めて数人だろう。
その点においてはランキングで上位に居てもおかしくないが、登録すらしていない為にランキングには表示されていない。
本人によると自身の顔を見せるのが嫌とのことだが、性別を隠し男として生きる彼女にとってはとても重要なことのようだ。
「そうだね。大方、レケだけ寝てるんだろう。」
マーリンはロープを改めて着ていて、いつものハスキーボイスと暗い表情が見えない顔に元通りだ。本人もそれを気に入ってるのと、長い間の習慣というのもある。というか、自分の美貌は自覚しているつもりだ。自慢やナルシストではないが、不細工とは思ってない。仮に自分を称えるようなことがあっても、その時の気分によるものが多い。その上で性別として衆知に晒されるのは良しとしてないのだ。それよりかは奇怪な目で見られる方が良い。だが、魔術士の基本は姿を見せるのを嫌う。故にこの姿は割と注目の的とならないので、便利というわけだ。特に女性でない声というのも目立たない理由の1つだ。
「そんなことよりも、先ずは君からだね。」
マーリンはセエレの方向を見る。顔を見てるわけではなく、本人にしかわかりそうにない何かを見て話している。当人としてはまじまじと見られる要因に心当たりはなく、疑問しかない。
「私のこと?何のことですか?」
セエレは昨日の死闘を忘れた訳ではない仕方なく従ってるだけだ。あの後、レケと別れてから首輪について聞いたところ、マーリンと一定距離離れると呪いを掛けて永遠に首を絞められるらしく、また、魔力阻害を無視して許可なしの魔法を発動すると首がまっぷたつになるとのこと。だからこそ、マーリンが手をこちらに伸ばされると、ついあの痛みを思い出し震えてしまう。昨夜の敵対心が何処へやら、か弱い小動物みたいだ。
「大丈夫、痛くしないから」
マーリンのその手は優しかった。マーリンが何かつぶやくと手が温かくじんわりとし始め次第に熱く熱く熱……く?
「熱!イタタタタタタ…ちょっ!!」
とても熱く痛かった。
「ん?浄化を発動しただけなのになぁ。あ、そっか、元から汚れてる悪魔にはその源を消されるのは痛くて至極当然と言う訳か。元から心の汚れが酷かったし少し我慢してね。」
セエレの心は地の王が裏切ってから心労も多くしたし闇が溜まっていてもおかしくはない。そもそも元から闇のような存在であるのだから、その量の有無に関わらず痛いのは当たり前だ。だから、この行為はある意味では悪魔という存在の書き換えである。闇を源に生きている存在から闇を奪うのだから何に変わっても不思議ではない。その灼熱地獄のような熱気を乗り切ったセエレは別人のように変わっていた。否、変わったのではなく汚染されていた為にあのような姿となっていただけだ。マーリンとて、簡単に殺したりはしない。限界ギリギリまで浄化したので力は弱くなってるかもしれないが、大したことではない。正気を取り戻したセエレは真っ先にマーリンへと土下座をした。
「申し訳ございませんでした!正気で無かったとはいえ、無礼極まりない態度をしてしまい、心より深く反省しております!」
人間嫌いは正気である今も同じだが、マーリンへの恐怖心はよりはっきりと鮮明となった為にこうして謝罪をしている。それと仮にも地の王の保護をしている方でもある。百年くらい前に似たような地の王の友を見た気がするが、他人の空似だろう。それに、あまり覚えてないというのもある。決定的に違うのは誤魔化しようのない性別。間違いなく地の王の友の方は男であった。彼女は女性だし、弟子ならばありえる程度だ。
この行動にはマーリンも驚きを隠せなかった。それほどの効果があるとは露知らず、それこそが真実でもないことも気付かなかったからこその反応である。顔を伏せているセエレには見えるはずもなく、驚きを隠してから顔を上げるように命じた。
「セエレはもう私達の仲間だ。今は無理だけど部屋もそのうち用意しよう。」
「ありがとうございます!」
その言葉にセエレは丁寧に礼を言った。
「それにしても、地の王は何故、あのような姿になっておられるのですか?」
そう、セエレにとって最も疑問であり、ずっと聞きたかったことだ。同行してるマーリンならば知ってると思い聞いたのだが帰って来たのは見当違いの言葉であった。
「さぁね。僕も彼とは数十年の付き合いだけれど、次会った時はあの姿だった。昔のことは何も教えてくれないし、もしかしたら、フェアツェルトが望んでいるのは平和ではないのかもしれないね。」
「そうですか……」
そう、マーリンすらもレケの真意は知らない。
彼が本当に人間との共存を望んでいるのか、はたまた、それは只の通過点に過ぎないのか、それとも全く違う何かがあるのか。話し方も性別も変わっていた今の彼女を見ていると自然とフェアツェルトのことを忘れそうになる時がある。
それほどまでに徹底している。
「君は何を………。」
(考えているんだ?)
言葉は形にならず空虚の中へと溶け込んでいった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦
「ただいまー」
重々しい声と共にレケが帰って来たのは夕暮れ時。この口調的に酔いが残ってるのだろう。見た目の年齢的には飲んではいけない年頃。中身の年齢的には飲むべきではないと思う年頃。だが、ウィンドという悪い友達の代表者のお陰でお酒に飲むのに慣れてしまった。確かに飲み始めの頃は味も最悪と言ってたが、今では好んで飲んでしまってる。その他にも薬以外なら大抵は教えてもらったらしく、マーリンも注意をしてる身だ。とはいえ、先に知っておくのは良い事でもあるので、よっぽどのことがない限りは詮索不要だ。それにお互いのプライベートを侵食し過ぎるのはお互いの為にならないし、共存を目指してるのだから変なことはしないと思いたい。何も法に対して絶対でなければならないとまでは言わない。正義による共存なら利害は一致するが、遵守による共存は求めるところではないからだ。よって、常に真面目にいる必要もない。とはいえ、レケの場合寿命があるのだから、時間に限りがあるはずなのだが、そんなことをしていていいのかは正直わからない。息抜きはマーリンにとっても必要なことだが、それは人生においては無駄でしかなく、共存という果てしなき砂浜を歩くような夢を叶えるという困難な前ではあまり良い選択とは言えない。その点、マーリンとて不死身というわけではないので、自身も充実した日だとは口を裂けても言えない。それでも、レケというパートナーが短い間であったとしてもできた以上単独行動は禁物なのでレケのことを思ってこうして家で休暇を過ごしている。
「レケ、今日の仕事は休日ということにしておきましたよ。」
体調の悪さなど会話中にはお首も出さずにいつもどおり交わした。頭痛に苛まれながらも、意識はハッキリとしてる為、セエレの姿を見て驚いた。それを見てマーリンは思い出したかのように語った。
「セエレは元より性別がありませんでしたし、男の子になってもらいました!今日から執事ですよ!」
あの素晴らしい胸と引き締まった腰とくびれ。美少女というカテゴリが似合っていたあの姿が無くなり、ストンと縦に何もかもが落ちた筋肉が多少付いたアイドル的な体へと変化していた。顔も中性的から明らかな男へと変化してる。だからといってむさ苦しいというわけではなく、美青年くらいだろう。マーリンの趣味もきっと入ってるんだろうと内心思いつつ、自分も割と好みであるので、特に文句は言わない。
「はい、改めてよろしくお願いします。」
お辞儀をした。
昨日とは雰囲気が随分違っている。単に性別が違うなどではない。まさかと思いマーリンの方を向いた。無いとは思うが、マーリンが男にさせる要因を作ったのなら有り得る。主にウィンドと私が夜したものと似ている。
「アンタ、セエレに手を出し……」
「レケと違って私はそんなことをしません。やめてくれないかな?」
全身で拒絶された。
違うというのはわかったが、そこまで拒絶しなくとも良いではないかと内心思った。何気にこういう冷たい反応を示してくるのは仲の良さと比例してる。だから、そんなに気にすることでもないが、まるで汚物を見るような目で見ないで欲しいものだ。いや、そう見えてる時点で自分がそういうことをやってると理解してるのかもしれない。頭がガンガンするし、とりあえず自室に戻り寝ることにした。
「では、セエレを連れてギルドの方へ行ってきますね。」
適当に受け流し、起きることを手放した。
「りょーかい……」
いつも行っている北のギルドに入ると、エプロン姿のアーデルが居た。最近は受付嬢として働いていたのだが、今度は2階の食事処の店員のようだ。常に上を見続けることはなく下々のことも考えて、様々な改善を促しているギルマスの鑑だ。
「あ!マーリンさぁぁぁぁん!いらっしゃいませー!」
「今日は随分とテンション高いですね。」
「貴方のことが好きなんでんぐっ!」
アーデルの口を抑えたのは受付嬢のディアナである。ランクはCの植物による回復魔法を得意としてる。戦いに関しては才能はなく、基本的に受付を担当としてる。交渉にも強い為、適任であるというわけだ。
「今日はどうかしましたか?後ろの男性はお初ですね。」
「あぁ、今日はセリエルのギルドメンバー登録しに来たんだよ。」
「あぁ、なるほど、承知しました。では、受付の方へどうぞ。」
アーデルの口が開放された途端告白の続きをしようとすると、仕事の邪魔とだけディアナに言われ、地べたに倒れ込んだ。身近な者からの罵倒に心が折れたらしい。念の為言うが振りだ。
それを見た周りのメンバー達は笑うだけで誰も助けようとはしない。寧ろ、今日の話のネタとなること間違い無しだろう。こういう点でもアーデルは優秀である。ユーモアが効いてる。
「では、お名前と出身、付き添いの方から見た強さの程度をお書き下さい。マーリンさんの目は信じてますから、戦闘試験は省きますよ。」
「へぇ、そっか、試験役の相手を瞬殺する姿見れないのか。」
「へっ!?」
通常、試験監督役として、戦闘する相手はBランクだ。実力的にはCでも問題ないかもしれないが、手加減を完璧に覚えてるのはBランクだからだ。それと同時にBランクとなれば、上級悪魔と渡り合えるほどの実力を持つ。上級悪魔を一人で相手では不安定なところはありつつも、勝てるのは間違いない。
そんな相手を瞬殺するとはどれほどの力を持っているのだろうか?しかし、そう疑問して当然なのだ。セエレは上級悪魔より上位の貴族悪魔なのだから。
「強さはレケより上で私より下と書いておくといい。」
マーリンの言葉にディアナは何かに気付いたように叫んだ。
「あぁ、やっぱり!マーリンさんの実力はレケと同じCランクの訳がないと思ってたんですよ!Bランク相当のセエレより上って、Aランク確定じゃないですか!」
それに対してマーリンは何処吹く風。さっきの言葉を撤回して、言い直しておいた。私より上に訂正しといてと。ちょっとした一悶着はありつつも、とりあえず、レケと同じcランクとなった。
帰ろうとすると、突然黒服の男が入ってきた。
そして、マーリンの前に立ち止まった。
「君がマーリンかね?」
「はいそうですが、何か?」
「おお!やはりそうだったか、実は君と相棒を指定した依頼があるんだ。」