第三十三話「心が落ちる」
陽は沈み始め夜の幎が下りる。人影は無くなり全く別の視線や殺気が森を包み始める。彼等は朝や昼などの陽が照る時間よりも夜陰の方が好まれる。何故なら暗い深淵こそが力であり、本能であり、牙であるのだから─。
月明かりだけが私達を導いてくれる。クラウンシャイネスから零れたそれを頼りに周囲を見渡す。こんなところで光を灯せば、彼等の格好の的となる。油断してはいけない。昼の彼等は眠りに付いてるのと同意義である。本当の意味での戦いは夜から始まる。故に、夜になって初めて外出をし始めるギルドメンバー達は曲者揃いだ。その殆どは群れを成すことを嫌う。ときに集団で行動している者も見掛けるが、それは珍しい方だ。目配せの難しいここでは連携プレイは最難関となり、寧ろ1人の方が真価を発揮する。だが、独りで居ても危険だ。敵の殆どは集団だ。前の敵によって受けた傷跡を何重にも掛けて返しに来てるのだ。孤高で立ち向かおうとはしない。確実に肉を削ぎに来ている。確実に柔い肌を剥ぎに来ている。その命の一欠片も残さずにしゃぶりつくのだ。
ほら、聞こえるだろう?
狼達の絵物を狩る為の行進が、一人とて見逃しはしないと雄叫びが直ぐそこまで迫っている。
そして、見えるだろう?
私達を囲んでいる幾千の黒魔狼達の赤い目がこちらの様子を窺っている。まだそんなに奥に進んでいないというのもあって、周りにちらほら他のメンバーの姿が見え、独りごちた声も聞こえてくる。
「おいおい、誰だよ。ワンちゃんに気に入られちまった奴は…。」
心当たりがあるとすれば、アセトくらいだ。この中で最も狼と関わり、直接的でないにしろ、狼王を殺す原因を作った重要人物として認識されてる可能性は高い。黒魔狼自体そこまでの知能はない。精々、襲うべき相手の判定や餌を探す程度だ。単純だからこそ精度は良いらしく、多数の殺気の殆がアセトに集中した。それを察したBランク達がそれにまぎれて逃げようとするものの、黒魔狼達によって立ち塞がれる。一人足りとも逃さないというその姿勢にこれを引き起こした張本人のことを良くは思わなくとも、仕方無しに参戦することにした。
「譲ちゃん、随分な気にいられようだな!」
近くに居た他のギルメンが横を走り去ると共にそう声を掛けられた。その勇気あるギルメンが黒魔狼に突っ込むと共に戦端の火蓋が切られる。剣を持つ戦士は雄叫びを上げながら迫り来るその全ての闇を切り払い、杖を持つ魔術師は高速詠唱で戦士が受けきれなかったその漆黒の波を森へと叩き戻す。暗殺者はそれでも漏らされた小粒を1つも漏らさず斬る。斬る。斬りまくる。ここに両者の決定的な境界線が引かれたのだ。その一線を超えた方が相手に大打撃を与える事ができる。だが、それも時間の問題と見るしかない。相手はいったいどれほどの戦力かはわからないが、個々の力は弱くとも数だけは一流。倒せども倒せども分身でもしてるんじゃないかと疑いたくなるほどに無尽蔵に湧いてくる。正に黒魔狼と名乗るに相応しく、闇の塊と言えよう。恐らく相手は決死の覚悟で総動員来てるはずだ。ここさえ乗り切れば次からは襲われることはほぼ無いと見て間違いない。
周囲で次々と戦いが始まると共にアセトもその重い足を前に進める。最近のパートナーのウィンドと違って、完全に組むの自体初めてで前衛ではなく後衛特化。自分が進んで戦うしかない。あくまでディーモートは回復術士としては超一流かもしれないが、見た目からも筋力のなさは見てわかる。Sランクともなると身体強化などのバフを掛けて、Aランク相当の戦士と戦え合えるようになることもあるが、そんなことのできる者は世界レベルの話である。私自身世界をその目で見たわけではないので、確かな話とは言いづらいが失礼ながらもディーモートにそれができるとは到底思えないのだ。よって、こうして夜に出てきたことはある意味後悔をしている。最悪の場合を考えもせず彼と共に出てきてしまったのは間違いなく精神的な疲れが関係してる。今はスッキリしてるが、人間はそう簡単に気分までは変えられない。体力も精神力も戻っていても先程からの差が狂わせていた。今更、戻ろうなど言えないし、ウィンドにも迷惑を掛けてしまってるだろうが、それらの面倒事は頭の片隅に寄せて、狼剣を引き抜く。
「それじゃあ、ディーモート君。行くわよ!」
アセトが走り出す。それを追いかけるディーモートが詠唱破棄で魔法を発動する。ディーモートはその見た目から弱そうというイメージを周りに植え付けているが、彼の動く時間帯は夕方から夜である。つまり、Aランクに近いBランク勢の一人であり、何かしらが優秀であるのは間違いない。これだけどのパーティにも入れなかったのだから回復しか使えないのでは?と思うかもしれないが、そんなことはない。今から使う魔法は補助魔法である。
「《精神加速-スピリット・アクセラレーション-》《肉体加速- パワー・アクセラレーション-》《暗闇晒す目-ダークネス・アイ-》」
《精神加速》により、思考力が上昇し、物事へと立ち向かう瞬間の選択肢が増え、それに対しての判断力の精度は高まり、常に一手先を思考し続けられるようになった。《肉体加速》は基本的な肉体強化の上位版。本来なら体のあちこちの筋力を一つずつパフを掛けて行くのが初心者向け。それをこの魔法なら全身の筋力の底上げをする。尚、全ての魔法を発動時の魔力効率はこちらの方が上だが、魔力に対しての底上げされる倍率はこちらの方が微妙に低い。《腕力加速》《脚力加速》《握力加速》《耐久力加速》《持久力加速》は魔力に対しての倍率は1.5とすると、《肉体加速》は1.3だ。微妙な差ではあるが、この差は魔力量によっては相当違ってくる。その魔術に対してどれだけの余分魔力を付加させるかによって、その効果量は圧倒的に変動する。《暗闇晒す目》は見た目の通り夜でも明るく見えるようになるという単純な魔術。単純だからこそ覚えようとする魔術士は圧倒的に少ない。それを覚えてるとすれば、街に引き篭もらずギルメンか冒険者として旅をしてる者に限る。アセトはその魔術が掛けられると共に少しだけ安堵した。彼も見た目に伴わない経験がその身に詰まっているのだと気付けた。少し軽くなった気持ちで黒魔狼の牙と剣を交える。
正面からぶつかり合ったその牙は斬ることなく無傷である。昼の彼等ではないということがよくわかる耐久力だ。寧ろ、これこそが黒魔狼の本来の力であり、太陽が昇っているときは弱体化しているだけのこと。確かに夜は力を与えているが、それ以上に太陽が彼等から力を奪っていたのだ。朝や昼のように冒険者から逃げ回ることはなく、全ての黒魔狼が統一してその口元かは牙を剥いている。一匹として逃げるような意志はなく如何なる場合を置いても後進はあり得ない。怠惰を貪る者はおらず、強欲に刈り取る者もおらず、貪食に死体を漁る者もおらず、傲慢に隙を見せる者もおらず、憤怒で我を忘れる者もおらず、嫉妬を他の狼達にする者もおらず、色欲に溺れる者もおらず、全にして個の存在である彼等は全員がお互いにフィードバックを行い続け、常に一方通行へと進み続ける恐怖なき闇なのだ。
弾かれたその剣を強く握り直す。左の死角から襲ってきた黒魔狼は気付けず、後ろからディーモートが直ぐ様サポートする。《対物障壁・光》をピンポイントで発動する。曼荼羅障壁や様々なギルドメンバー達が使用する障壁の殆どは完成されたもので、物理と魔法の両方を兼ね備えてる。ただ、初心者向けとしては対物と対魔障壁の2つを最初に覚える。その次に属性特化させるか両立化を目指すかに分かれる。大半は耐久率が低くなろうとも両立化を目指す。倍率に変動はないが、魔力の上乗せで耐久値は上がるし、複数枚張ることによりダメージの軽減は出来る。様々な場面で対応出来て、かつ覚えるにあたっての時間効率が良いのは両立化というわけだ。それに対して、属性毎の障壁は有利属性相手ならば、両立化障壁よりも圧倒的に倍率が高い。ただ、同じ属性相手だと両立化障壁よりも少し低く、不利属性相手だと僅か0.1倍程度しかない。その点からも使いどころが難しく、回復魔術士や珍しい中だと補助魔術士くらいしか覚えない。回復魔術士に関しては大抵は回復魔術を極めようとするために、補助系は最低限しか覚えないのが基本だ。だから、世にも珍しい補助しかしない魔術士ぐらいしか持ってる可能性が低い。そんな属性魔法をディーモートは使用した。闇に対しての光障壁は触れた相手の力を奪う。だが、奪った闇は時間が経てば勝手に回復されるのはわかりきったことだ。この真夜中には影が無数に存在してる。
一匹目を弾いたところで無数に襲って来る。ディーモートの援護が良い例だ。当然、ディーモートの方にも来ているが、その硬質の障壁は罅すらも入れさせず、黒魔狼が共有思考で呼び出し、どんどん障壁の周りに群がってくる。そのお陰でアセトに行く数が減るのかと思いきや、減る様子はない。待機してる狼の数に変動が見られないのだ。最悪の場合を想定するなら、この周辺の共有住宅地に張られた障壁が破られる恐れもある。それを如実に証明するかのようにAランクが既に玄関の前に立っていた。こちらの援護をする気はないようだが、魔力探知で特定の距離に侵入した黒魔狼を倒しに行く様子が見られる。しかも、不思議なことに黒魔狼からのヘイトが上がっていないようで、認識阻害を掛けてるらしい。認識力の低い狼では倒された瞬間にも実行される共有思考では殺害ではなく自殺か事故扱いとして処理されるのだろう。だから、Aランクの周りには寄って来ない。
ディーモートの周りの狼が視界も遮るくらい真黒に塞がったところで彼の狙い、秘策を見せる。
「《対物障壁・光》《対物障壁・光》」
両手の先に障壁を張る。その手をそのまま舞うように周りの狼へとぶつけていく。光によってダメージを受けつつ弾き飛ばされる。ダメージ的には低いが弱体化のデバフがあるので、回復しに森へと身を潜める。確かに狼は回復しているからループして一見無駄に見えるかもしれないが、魔力効率的な話をするなら一晩相手するくらいならわけない。しかも、元から張ってる障壁そのものは突破されないのだから、実質的にはディーモートに敗北はあり得ない。
一方、アセトはそちらを見てる余裕などなく必死の覚悟で次から次へと襲い掛かる獣達を薙いでいた。段々と当てるだけなら簡単になり、思考より体が先に追い抜いてしまった。戦いの舞を踊りながら、どうやれば切れるかその剣に纏わせる風の強弱を変える。刃の切断面がギザギザになるように風の魔力のイメージを研ぎ澄ませる。
物を切るというのは、つまるところ原子間及び分子間の結合を離すということ。物理結合を切るためによりミクロ単位でのギザギザを強くイメージする。化学結合を切るためにより硬度をイメージする。魔術結合を切るためにより魔力から不純物を取り除く。
これだけの微調整は戦士よりも魔術士向きだが、彼女は寧ろ元は研究者である。剣士となっての方が経験は浅い。だからこそ、こうして脳で考えるのは彼女の得意分野であり、その思考を形にして感覚で体に身につける鍛錬をこの死闘の最中で行っている。傍から見れば只の馬鹿としか言いようがないかもしれない。だが、アセトには後退という言葉はない。前に味わった屈辱や悔しさがあるからこそ、次の一歩が踏み出せる。足早に次々と踏んで行ける。確かにどうせそれを行わなくとも死が過ぎ去るわけではないというのもある。一種の諦めに近いのかもしれない。けれど、自暴自棄になったというわけではなく、その目には確かに冒険者としての炎を灯していた。
勇気の炎。不動の炎。知識欲の炎。………。
それでも剣士でない彼女は体に疲労が溜まりやすいからこそ、一歩多く踏む毎に壁は際限なく高く遠くなっていく。幾ら炎が強くても人には限界があるのだ。
だからこそ、その瞬間、アセトは少しだけ限界という壁を落ちるという形で乗り越えた。ニ重の意味で彼女はミスを犯したのだ。そのことを知るのは私が自分の間違いを知るときまで気付くことはない。
どうして、こうなってしまったのだろうか。
最近は執筆出来なくて申し訳ないです。
ぼちぼち書いてはいますので、次もお待ち下さいませ。




