第一話「出逢いと決別」
レケ編1-1「ハインツ・レケとフェアツェルト」
ハインツ家はこの街の領主。
半径50kmにも渡る広大な円となっており、高い壁に囲まれた要塞都市としても知られる。国から攻められるようなことも最近はなく、ハインツ家当主の性格と人望により、世界ランキング上位者が数多く故郷として居住をしている。他の街とも仲が良く、この国の王とも交流が深い中で唯一独立している街としても有名だ。
ハインツ家当主の皆に優しく笑顔を振り撒く、そんな父に憧れていた。どうすれば、そんなに沢山の人々に好かれるのだろうか?どうすれば、皆から信頼されるようになるのだろうか?まだ小さな私にはそんな疑問の答えなどいつまでも出てくることはなく、よく考えていた。
そんな日常を切り裂く、それは突然起きた。
昨夜までは優しかった両親に捨てられた。
その表情からはいつもの笑みは消え失せ、無表情でまるで私は子ではなかったかのように、愛されていなかったかのように捨てた。
次の日からは、街から数十キロ離れた山小屋に閉じ込められた。街の壁の外の丘の上にある。周りは木々で覆われ、街の様子を見る事すらできない。
数ヶ月ごとに食糧が届く。しかし、いつも目が覚めてから玄関の前近くに置かれていた。その届けている人は私の就寝時間を狙って運んでいるらしい。まるで怯えるような目で私を見詰めてくる。
見ようとして夜遅くまで起きていたときも周りに灯りが無いことをいいことに全速力で逃げられた。馬で来ていたので、追いつけるはずもなく一度足りとも姿を見たことはなかった。
どうして?私は何もしてない。それなのに、どうして…。
そんな日々も1年が過ぎようとした頃になると不思議と慣れてしまった。目が覚めると、井戸から水を組みに行って、顔を洗い、髪を梳いて、今日の朝食を考える。
何気ない平和な一日と言えば聞こえは良いが、何もなく人と関われないこの生活は息苦しかった。約一年前の様々な想いは未だにこの胸に確かに存在してる。けれど、一人で考えていても答えは出てこない。誰も答えてはくれない。堂々巡りするだけだと、もう何度も理解させられたのだ。こんなにも幼い私でも、もう流石に気付いてはいた。
会うことは無いのだろう…と。
今日は雲一つ無い晴天だ。
こんな気持ちのいい朝は外に限る。嫌なことも全部空に預けてしまえば良い。朗らかな空は全てを飲みこんでくれる筈だ。太陽は私の心を晴れやかに照らしてくれる筈だ。だから、今は何も考えないでいよう。
外で朝食を取ることを決めた私は、食料庫から出しておいたハムと野菜とパンでサンドイッチを作った。
パンも野菜も干物状態なので水で戻す時間を急ぎたかったくらい外の暖かさに触れることが待ち遠しかった。
バスケットに入れたら、帽子を被って外へと出た。
晴天とはいえ、そこまでの暑さもなく、心地よい風が肌を撫でる。しかし、肌が焼けるのは好ましくないので、近くに立っている大樹の下に座った。
今となっては空に飛ぶ鳥が友達のようなもの。
もし近くに動物や悪魔が居るなら友達になりたいぐらいに寂しかった。話す相手が居ないのは彼女の歳だと少し堪えるものがある。その為、動物の声を聴くと少し話してる気分になれた。
1年近くも続けてるせいか独り言が多くなったが、私しか居ないのだから問題ない。そうしないと、気が狂ってしまいそうだったのだから仕方もない。私自身その独り言が異常だと気づかない時点でもう狂ってしまってるのかもしれないけれど、まだ大丈夫だ。
いざとなれば、言葉の話せる鳥ともきっと出会える。出会ってみせる。
ガサッ
後方の茂みの奥で何か居る音が聞こえた。
急に音がした為驚いて反射的にそちらへ向いた。
足元がふらふらで何も食べてない様子が伺える一人の白い悪魔が居た。
2メートルはありそうな巨体に細い骨のような全身。一つ目で皮はなく歯は直接顔の骨から剥き出てる。首周りにはギザギザの逆撫でしてる刺のようなものが突き出ていて、腰からマントのような毛皮が生えている。指は刃物のように鋭く、触れたものを切ってしまいそうな勢いだ。
普通ならばその悪魔を見た者は真っ先に悲鳴を上げて逃げ出すだろう。そして、街のギルドに報告して、悪魔狩りが始まる。低級ならば、1人。中級ならば、10人。上級なら一個軍団必要となる。貴族や高位のものならば街一つは軽く破壊出来る程の力を有する。
上級悪魔ですらそれだけ強いのにその上は100体近く世界中のあちこちに存在してる。
ギルドも相手したくないような相手であるのは間違いない。
ふらついてるその白い悪魔の注目すべき点はその姿だ。
これだけの体の大きさとなると中級クラスは間違いないだろう。
そんなことを考えていると、その悪魔は急に倒れた。
悪魔の主食は人間の血肉だ。
中には夢や魂など偏食家も存在するが、基本的に夢も魂も悪魔には干渉できない。
では、悪魔が何故人の血肉を食するかというと、人が最も欲にまみれているからだ。その辺にいる動物でも腹の足しにはなるかもしれないが、動物にある欲は数が少ない故に、効率も悪い。
しかし、人とは理知であればあるほどに欲はより深く複雑に絡み合う。
人を虐めていく内に虐待することに喜びを得て、後に大量殺人鬼として挙げられるような者。
人に何かを教える内に教育者として素晴らしい功績を得て、それを更に昇華させていく者。
何かを食べるのが好きで沢山食べていくうちに誰からも認められる美食家になり、店に評価を与えられる側になった結果、更に貪欲に食事を求める者。
人でなければこれらの欲は開花できない。
故に、人の欲を喰らう悪魔にとっては人の血肉は格好の餌というわけだ。欲を食らうという意味では魂の方が効率が良いのだが、魂は食べるという感覚はなく、次第に魂の食べ方も忘れていった現代の悪魔にとっては、味の無い魂を好む悪魔は高貴なものの嗜み程度に捉えてる。それを悪く言ったのが偏食家だ。
少女は目の前の悪魔を悪魔だとは認識せず、話し相手が作れるということに夢中で危険性を顧みなかった。
終いには助けられる方法を考えだした。
そして、出した結論は自らの血を与えることだった。
大樹から家までそこまでの距離は無かった為大急ぎでナイフを持ちだし、その悪魔の頭を膝に乗せ、その口に腕を持って行ってから、思い切り腕をナイフで切った。
かなりの激痛が体に走った。
そこまで大量の血が出てる訳ではないにしろ、息を止めて目を瞑りなんとか声は出さずに済んだ。
切り口が未だに痛むものの、流れる血を悪魔の口に持って行くことを忘れずに、血が止まるまで腕を置いた。その流した血の量は少女にとっては多かったようで貧血になり、そのまま眠りに落ちた。
目が覚めると、そこはベッドの上であった。
さっきまでの出来事は夢だったのだろうか?
否、腕が痛む。腕を見てみると包帯が巻かれている。
外はもう夕暮れ。あの悪魔が私をここまで連れてきたのだろうか?
眠りに落ちて頭もサッパリしたせいか、今更ながらあの悪魔が恐ろしく感じてきた。なぜ助けたのだろうか?と疑問する程に。
とりあえず、家の中に居るのか居ないのかを確認する為に、部屋から出ると、とても芳ばしい様々な料理の匂いがした。
誰かが作っているようだ。
キッチンに行ってみるとそこに居たのは先程の白い悪魔であった。その悪魔と私が目を合った。
「あ、キッチン借りてるよ!」
「え、はい。」
つい、普通に受け答えしてしまったが、あまりの状況に脳が追いついてないのだ。最初に悪魔が私を食べていない驚愕事実。そこに悪魔が私を助けた謎の事実が重なり、更には料理を作っているという謎スキル。
もう、驚愕と謎が頭の中で有象無象に渦巻いている。
白い悪魔はキッチンから取皿やナイフとフォークとスプーンを二人分取り出し、さっき作っていた料理をテーブルの上に並べ出した。
呆然と立っている私を見て何かに気付いた素振りと共に恐らく私が座るであろう椅子を後ろに引き、一言。
「お嬢様、どうぞ。」
その悪魔はどうやら盛大な勘違いをしているようだ。
これは天然というべきなのか計算の内と考えるべきなのかとても判断に困る行動だ。
そのまま立ち続けている訳にも行かず椅子に座ると、その白い悪魔も私の目の前に座った。
「さぁ、どうぞ、食べて。」
晴れやかな笑顔と共に目の前の料理を差し出した。
一向に食べようとしない私にまたもや何かを察したようだ。
「あぁ、そっか、ごめんね。自己紹介がまだだった。ボクの名前はフェアツェルト。よろしくね。」
「えぇ、よろしく。」
つい答えてしまったがどうやら天然のようだ。
その料理に何か入ってるかもしれないから食べないという発想には行き届かないのだろうか?いや、これも計算の内という計算高い罠である可能性もある。先ず大事なのは名前をバラさないこと。そう、それさえ守れば…………。
「君の名前は?」
「え?私はハインツ・レケよ。」
「ハインツ・レケ……レケか……不思議と良い響きのように思えてくるよ。」
反射的に名前を口に出したのはもう後の祭りだ。バラしたくはなかったが、つい出てしまったのだから仕方ない。もしかしたら、何かしらの魔法を使って誘導した?とにかく、私に非はない。それだけは間違いない。
「ところで、家の横にあったあの樽は?何か知ってる臭いがした気が……。」
「あぁ、気にしないで、殺した動物が入ってるだけ。食用よ。」
フェアツェルトはこのような子供が一人で狩りをしたことに驚いたが、何かしらの理由があるのだと察した。そもそも親御さんどころか身の回りを世話してくれるような大人が誰もいない時点で既に異常としか言えない。人には触れられたくない過去は付き物だ。そこを触れないよう気をつけなければならない。
「そうなのか……でも……あれは……。」
その樽の中身に心当たりがあるフェアツェルトは言い淀んだが、このような純粋そうな彼女に限ってそれはない。特に学校の低学年くらいの見た目をしているし、話す限りやはり子供だ。気のせいだったのだろう。
それから決して短くはない時が流れた。
今思えば、あの時の私は動転していた。
名前を曝け出さない様にと頭中で考えていながら、ポロリと吐いてしまうなんてどうかしている。
ただ孤独のときと違って、白い悪魔は私の家に住み着いた。
あんなにふらついていたのか理由を聞いてみると、仲間にやられて逃げるときに体力を消耗したとのこと。
何故、仲間にやられたのか聞いてみると、人との共存を目指したせいで、裏切り者扱いを受けたとのこと。
悪魔と人間が一時的にしろ共存しているかのように見えるこの世界では、未だに悪魔との戦いが続いてる。その為に存在するギルドという存在。教会だけでは役に立たないと悟った一人のシスターがギルドを作った。そのシスターは後に女神と呼ばれる程に強くなり、ギルドが少しずつ広がったそうだ。
そもそもお互いが啀み合いをやめる以前に悪魔の主食は人の血肉なのだから、共存など出来るはずがないのだ。
実際のところ、悪魔は長寿の為、無食でも50年は生きてられると聞く。只、飢えも凄まじいものであるとも聞く。だから、人の死体を食らい生きていくというシステムも作れそうかもしれないが、あくまで必要なのは生きている人間に限る。
故に、不思議なのだ。
それを踏まえた上で人との共存を望み、目の前の私を数カ月の間一度も襲わないフェアツェルトの存在が。どう足掻いても共存など不可能なのは誰が見ても自明の理。生きている人間を捧げろなど例え犯罪者であろうと人々の反感を買うだけだ。仮に認定されてもいつかは犯罪者も居なくなってしまう。底の見える浅はかな法である。
朝起きるとフェアツェルトは朝食を必ず作っている。住ませて貰ってるお礼だそうだ。
悪魔は動物など滅多に食べないし、人間のように調理もしない。食べた魂からわざわざ料理の作り方を閲覧する悪魔は上級以降の頭が良い者か、暇を持て余してる者に限る。
だからこそ、フェアツェルトが料理技術を持っているのがいつも不思議だったのだが、慣れとは恐ろしいものだ。
今はフェアツェルトの作る料理が楽しみで仕方ない。
フェアツェルトは食器を二人分並べて料理を並べ始めた。私が起きたことに気付いたようで、いつものようにニコリと笑いおはようと一言。
「おはよう」
「寝癖凄いよ。水は顔洗って、髪を梳かしてきな。」
そう、これが今の私の日常。
相手が悪魔なんて関係ない。
誰かと話せる喜びと、居てくれる幸せを味わっている。
しかし、悪魔と共存なんて不可能という現実を知らされるのは食事中のことであった。
私はフェアツェルトの手の一部が崩れていることに気付いた。
その手に目線を向けたまま問うた。
「フェアツェルト、その手どうしたの?」
実際、何か病気に掛かっているのだろうとか、あまり考えたくはないマイナス方向の想像はしていたものの、その言葉は想像を超えていた。
「あぁ、手の感覚が無くて気付かなかった。………ボクはもうすぐで死ぬんだよ。」
レケの脳裏に横切ったのは、私と一緒にいる間人間を食べてるような記憶はないという事実であった。
寝てる間に行ってるのなら筋は通るかもしれないが、可能性としては現在の状況から鑑みるに低いだろう。
「もしかして、何も食べてないから?」
私は焦りや不安がありながらも、手遅れになる前に聞かなければならなかった。
「うん、そうだね。元々、死の一歩手前に来てたけど、レケの血のおかげで数カ月は繋ぎ止められた。ありがとう。」
もう生きることを諦め、これから死ににいくような安らかな表情と共に目を閉じた。
あまりにも唐突の別れの言葉に実感が沸かない。
私は席を立って、フェアツェルトの側に行き、腕を掴もうとした。
「私、まだ一緒に……え…。」
腕を掴んだ瞬間に腕ごと崩れ砂になった。
それは夢の終わりを告げる、冷たい現実を少女に知覚させた。
私はその場凌ぎだとしても覚悟を決めて、知りたかった質問をした。
「ねぇ、なんで人との共存を願ったの?」
その言葉にフェアツェルトは目を開いて、正面の席に座るよう促した。
「ボクはね。そこそこ偉い悪魔だったんだ。そんなボクは傲慢な心の隙間を狙った悪魔に座を奪われそうになり、戦争は始まった。そのときに出逢ったマーリンという男に助けてもらったことが始まりだね。」
ボクの城はそこそこ大きな結界があって、中には入れば、方向も距離も宛てにはならない。そんな中、安心しきったボクは敵の一撃を受けてしまった。そこからはドミノ倒しで沢山の攻撃を貰いながら敵を倒した。
窓から差し込む外の光は暗闇の中に光る炎の色。
敵味方問わず、様々な阿鼻叫喚が響き、剣と盾の激しい金属音が鳴る中で瀕死だったボクに止めの一撃を与えようとする悪魔の存在に気付けなかった。
そこに現れたのはフードを深く被ったハスキーな声をした男だった。彼の魔術により、成りを潜めていた悪魔は呆気無く死を迎えた。
彼はボクにこう言った。
「私は今、友達になれる悪魔を探していてね。良かったら地の王。友達にはなってくれないかな?」
助けてくれたのは間違いないし、助かる道があるとすればこの男を利用するしかないと思い、差し出した手を握り締めた。
だが、握り締めただけでは終わらなかった。
呼び出される度に教会で保護してた子供達の相手をさせられた。しかし、関わっていくうちに思った。
マーリン、一体何歳だよとね。
あぁ、いや違った。
それも確かに彼と関わった数十年の月日と共に姿の変わらない彼を見て思ったことではあるが、それとは別で只の食料であった人間達が愛しく感じ始めたんだよ。
この時がずっと続けばいいと願ったけど、こういうことに限って、崩れるのも時間の問題さ。
部下が内密に話があると言って、内心なんのことだろうと疑問を持っていた。
「話があると聞いたが何か用か?セエレ。」
何処かの貴族を連想させる服に、羽が刺さった帽子と白い髪に釣り目が似合う女性悪魔。彼女はボクの腹心で最も信用が出来ると共に慈愛の深い故に恋人のような存在でもあった。
そんな彼女からの初めての呼び出しだ。
期待はあれど、不安はなかった。
しかし、期待は裏切られ、とうとうその時がやってきた。
「率直にお聞きしますが、人と関わりがあると小耳に挟みました。事実ですか?」
悪魔の暗黙のルールの1つで人と関わりを持ってはいけないというものがある。正式な手続きをすれば、関わることも良しとされるが、恐らくはボクに食べる気が無いのは、最も忠実だったセエレだからこそ、ボクと会話することで察したのだろう。
セエレは俯いて悲しそうな表情でそうですかと呟いた。
その後は逃げることに精一杯な毎日さ。
なんたって、悪魔中に指名手配として、賞金が掛けられているのだからね。
恐らくはマーリンも子供達を連れて別の教会に移ってるだろうと察した上で、自らの欲と戦いながら辿り着いた先が君のところだったというわけだ。
「ボクはね。未だに、子供達との笑顔が忘れられない。だからといって、セエレ達と戦いたくもないんだよ。そんな我儘で強欲なボクが辿り着いた結論は人との共存だよ。」
「そう……。私も共存した世界が見たかったわ。」
レケは突然立ち上がった。そして、キッチンへと歩いて行った。
少し時間が経ってから持ち出してきたのは包丁であった。
フェアツェルトは天然だったとしても頭が悪い訳ではない。何をしようかなど直ぐに気付いた。
「私も見たかったけど、今更フェアツェルトが居なくなった世界なんて興味がないの。私の為にも私を食べて……。」
両手で包丁を首に宛てた。
段々と恐怖のせいか包丁を持つ手が震え始めた。
フェアツェルトは自身の体が崩れることなんてお構いなしに立ち上がった。
片足は崩れても必死に這って、止めようとした。
レケは涙を流し、笑顔と共に包丁を深く横へ抉った。血飛沫が這っていたフェアツェルトに向かった。未だに、意識はあるのか、悲痛なうめき声をしながらフェアツェルトの方へ倒れ込む。
血が円のように広がるその姿を見つめていた。
フェアツェルトからは声にならない嗚咽と共に沢山の涙が溢れる。
血を被り赤く染まったその悪魔は少しずつその体の血を飲んだ。崩れる体が修復されると、肉を屠った。骨も残らず噛み締めるように食べた。
そして、残った魂を最後に呑み込む。
血を洋酒として酔い痴れるその姿は正に悪魔そのものだった。溢れる涙はまるで酸のよう。
狂気的なその日常は狂気で幕を閉じたのだ。