第7話 調理器具
ビレッツェの気のない返事に若干気落ちしながらも、リステリアは歩みを進める。その先は調理器具を生業としている店だ。
昼食を済ませた青空食堂からほど近い場所にあったそこに入ると、家具屋のように店主が近寄ってくることも食事処のように注文を聞きにくる人もいない。
静かな空間の中にひっそりと置かれているそれらは多岐に渡っていた。
一応金属を加工する術はあるみたいで、底の深い鍋からフライパンまで一通り揃っており、菜箸やスプーン、フォークといったものまで取り揃えてあった。
中世にも満たない文明であるはずなのに、このあたりはやけに現代染みているな、と思うリステリアだった。
「ん~⋯⋯これとこれは確定だよね」
まず選んだものはフライパンと鍋。その二つがあれば“焼く”“炒める”“煮る”“揚げる”などが出来るので、ほとんどの料理を再現することが出来ることは容易にわかった。
次に彼女が選んだ物は箸。もちろん菜箸も。
「⋯⋯それを買うのか?」
ビレッツェは彼女に確認する。
箸とは貴族や王族のみが扱うことが出来るとされており、幼少期に相当の訓練が必要だと言われている。
平民はそこまでして、食事に拘ることはない。
だが貴族や王族は違うのだ。
その二つの人種は平民よりも難しいことをしたいようで、あえて箸を訓練して毎日の食事ではそれを使うようになっている。
「うん。これがどうかしたの?」
「ああ、いや、なんでもないんじゃ。好きなのを選ぶといい」
自分の娘が彼女に箸の使い方を教えていたとすれば不可思議なことではないと思い至ったビレッツェはすぐに引き下がった。
けれど、箸は高級品なので、ビレッツェはこそこそとまた財布の中を確認する。
それをした後、思い出したかのように、
「リステリア、儂はちょっと用を思い出したからの。帰ってくるまでここで待っておくんじゃよ」
と言い放つ。
「わかった!」
元気よく返事した彼女を後目にビレッツェはとぼとぼと店舗を出て行く。
彼女はそれを見て不思議に首を傾げるのだった。
しばらくの間店舗内をぶらついていたリステリアだったが、ビレッツェが戻ってきたことにより会計へ移る。
「⋯⋯全て合わせて銀貨8枚と銅貨30枚ですね」
日本円に換算すると830円か、と彼女は意外と安くついたと思った。
だがビレッツェは違う。
「(くっ⋯⋯調理器具は高いから嫌なんじゃ!)」
内心泣いていた。
ビレッツェが会計をしてくれた店員に家の住所を書いた紙を渡す。
「夕方頃に全てここに届けてくれ」
「わかりました。ありがとうございました!」
店員は久し振りの上客にホクホク顔で頭を下げ、それをみた二人は次の場所へと向かった。
「次はどこへ行くんじゃ?」
「もう、部屋が汚かったでしょ?だから掃除道具を買いに行くの」
リステリアは察しの悪いビレッツェに嘆息しながらもその表情は明るい。
とても里の皆がいなくなって一日も経っていないとは思えないほどであった。
実際に死体を見たわけでも、死の瞬間を見たわけでもないので幼い精神の混じる彼女にとってはちょうどいい塩梅なのかもしれない。
「掃除道具というと、ここかのう⋯⋯」
ビレッツェは孫を見る。その目は正気か?とでも問いたそうにしていた。
彼にとって、あの部屋はまだ“綺麗”の範疇であり、彼もまた魔力は少ないものの魔法を扱うことが出来るので家全体を毎朝掃除している。
その掃除されているはずの部屋、彼から見ると十分に綺麗な部屋をリステリアはまだ“汚い”と言ったのだ。
それがビレッツェにとって苛立ちよりも感心の方へ傾くというのも、また孫を溺愛しているからか。
店の中に入ったリステリアは手あたり次第に箒の使いやすさを確認していく。
彼女の持論ではあるが、掃除用品は自分の手になじむ物がいいのである。
やがて一つの箒に決めた彼女は今まで柄しか見ていなかったのを穂先の方まで見る。
するとその箒の穂先はふさふさとしている毛がたくさんあり、これなら隅々まで掃除が出来ると納得の出来であることに頷いた。
「これとこれください」
とりあえずは箒と塵取りだけでいいだろうと判断し、彼女はその二つを会計台と呼ばれる、先ほどの店にも置いてあった台座へと乗せる。
すると、自動的に乗せた物を判別し、その合計金額がホログラムのように空中へ現れた。
「お客さんは若いのに目がいいねえ。それはプラチナタイガーって言う魔物の毛を使った奴なんだけどね、掃除するのに最も最適な道具なんだよ。最近は魔法で済ませてやった気になる人が多くなってきたからね、掃除を怠るのはダメだよ?」
店番をしていた青年に微笑みかけられ、リステリアは柄にも頬を赤く染めた。
「⋯⋯ありがとうございます。がんばりますっ」
自分でもわからないような動悸に苛まされ、彼女はビレッツェと共に帰路に着いた。
「ふぅ⋯⋯」
掃除用品だけは先に持ち帰ってきた彼女だったが、前世以来の人の多い場所に行き、多少の疲れを感じたので少し仮眠をとることにした。
仮眠をとるのは居間にある質感のいい椅子。
「それじゃ、お爺ちゃん、御昼寝してきます」
「ああ。ちゃんと起きるんじゃよ」
「次の鐘で起きたら間に合うんだよね?
「そうじゃの」
「わかった、ありがと!それからおやすみっ」
彼女はビレッツェに対し睡眠の挨拶を一方的に押し付ける。
そして間もなく彼女は寝息を立て始めたのであった。
彼女は目を覚ます。
ふと気になり、周囲を見て現在の状態を確認した。
その結果、“まき戻っていない”ことがわかる。
「そうだった、私は、僕は、昼寝を⋯⋯」
まだ寝てからそれほど経っていないというのに、記憶がはっきりとしない。
特に問題があるわけではなかったので、それを放置して彼女は時刻を確認する。
彼女が目を覚ました時間は夕方の鐘の一つ手前の鐘。それを合図にして、目を覚ました。
「とりあえず、顔を洗おう」
呟き、そして洗面所⋯⋯はないので台所へ向かうようにした。
台所では水が出てくる魔道具と呼ばれるものを捻り、前世の知識にある水道と似たような仕組みに感嘆した。
バシャリと音を立てて顔を洗った彼女は近くにあった布で顔を滴る水分をしっかりと拭きとり、その表情にいつものキリっとした顔が戻る。
「よしっ!」
バチンと両頬を叩いた彼女は掃除用品を持ち2階へと上がる。そして二つ目の扉を開いた。
そこがリステリアの部屋なのだ。
荷物が届く前に全て掃除しなければならない、と思い彼女の双眸に力が宿る。
まだ成長途中である彼女の身長よりも長い箒を両手で持ち、魔法の力を一切使わずに部屋を隅から隅まで綺麗に掃除した。
後に残ったのは雑巾がけされた綺麗な床、埃の落とされた綺麗な壁、天井に蜘蛛の巣などあるはずもなく⋯⋯。
ビレッツェはこの日、家中が綺麗になりすぎて腰を抜かした。
やがてその時間はやってくる。
「こちらリステリア様の御宅で間違いありませんか?」
「はい。間違いありません」
「これが荷物になります。重たいので気をつけてくださいね」
「ありがとうございました!」
リステリアは家に荷物を届けてくれた人に御礼を言ってその中身を確認していく。中身に齟齬がないかを確認し終えると、彼女は“サイン”しようと構えた。
けれど、それは中空を切った。
「(ああ、そっか。こっちでは受け取りサインとかないってことかな)」
彼女は納得する。
それも仕方ないことだと思うことにした彼女は一つずつ丁寧に家具を部屋へ運び入れる。
その際、魔法の力で軽くすることが出来る引っ越し用魔道具、という物をビレッツェが用意していたため、安全ですぐに終わらせることが出来た。
彼女はまずベッドを一番奥へと設置する。そこには格子窓がついていて、今は開け放たれていた。
そのベッドの足元付近に、例の箪笥を置くことにしたようだ。
それほど大きくない大きさの3脚のついた球体を設置した彼女はその中心付近を押した。
すると急速に膨れ上がっていき、その形状は箪笥そのものへと変化していた。これは持ち運びに関しては楽だなあ、と思うリステリアだった。
そして、入り口の真横辺りの壁に引っ付けて勉強机を設置する。
勉強机は椅子に座ってするもので、それなりに幅を取るものではあったが、その椅子の座り心地に心を奪われているため全く気にすることは無かった。
次いで彼女がしたのは調理器具。
自室の家具を設置している間に調理器具を購入した分が届いたのだ。
それを彼女は一か所に集めて置いたので、それなりに幅を取っていた。
その調理器具の山を彼女は次々に崩していく。
彼女が買った物は、フライパンや鍋といったものから菜箸、茶碗などに渡り、最後に彼女が取り出した物は“炊飯器”。
もちろん、電気で動くわけではなく魔力で動き出す。
魔力を操れない彼女ではまだ扱うことは出来ないのだが、あって得はあっても損はないと考えたためだ。
だが、これは貴族や王族向けに販売されているだけあって相当に高価な代物であり、ビレッツェが心の中で涙を流していたことは周知の事実だった。
ビレッツェの内心に気付くことなくリステリアは無邪気にはしゃぐ。それは米を自由に食べられるからだろうか。
だが忘れてはいけない。
王国において、米を食べることが許されるのは祝い事の日のみであることを。