16. wind
16. wind
谷を目指して歩く。
村の外にも、密度は低いものの色とりどりの花が咲き乱れている。
だが、そのひとつひとつに目を向けると、村では見られなかった種類の花が多く存在していることに気づく。
「シン様、本当に・・・想像の斜め上を行くことをしましたね。」
エドナがまだ驚愕の抜けない表情で言葉を漏らす。
対して、シンはやはり笑顔で緩慢に答える。
「谷にどういう魔物が住んでいるか想像つかない。そして、冬眠から醒めたその魔物たちがどれだけ凶暴かも未知数。不安要素は少ない方が良いからね。」
カルディオが背を向けた瞬間、シンは誰の目にも留まらぬ速さで短剣を抜き、カルディオに峰打ちを決めて気絶させた。
唯一シンの行動を目に留めていたエドナが声も出ないほど驚愕し、その間にシンは自分の行動に気づかなかったカナエと村長に、急に気を失ったと言ってカルディオを預けた。
ミナトが心配で最近寝ていなかったのだろう、と結論付けたふたりによって、憐れな婚約者は呆れられながら運ばれて行った。
谷に足を踏み入れると、花を踏まずに歩くのが難しかった。
咲き乱れる花の上を、花と同じように色彩豊かな蝶が乱舞し、幻想的な景色を作り上げる。
蝶を目で追うと色とりどりの花が背景となり、花を目に留めると蝶が視界を美しく揺らす。
ふたりは暫くその様に見惚れていた。
遮るものがいなければ、時を忘れて見入ってしまいそうな光景に包まれて。
「春花を摘みに来たのではないな。」
風の音に紛れて、澄んだ声が響く。
少年のような高い声。
辺りを見回すが、声の主は見つからない。
ただ、美しい花々の審美会と蝶の乱舞が繰り広げられている。
ひとしきり見回すと、ふいに頭上の陽光が遮られた。
巨大な鳥が光を遮ったのだ。
それは花の上に静かに降り立ち、シンとエドナを見据えた。
「お初にお目にかかる、遠方より来たりし者よ。」
エドナはやはり唖然とし、シンはその鳥の改まった言葉遣いに何となく浅く一礼する。
「我が名はシルフ。大気を循環させ、季節を巡らせる精霊。」
シンが感嘆する。
「谷に住む風の精霊って・・・シルフだったんだ。風の精霊の頂点に会えるなんて、思っていなかった。」
普段冷静な青年が本当に珍しく、その言葉に興奮の色を混ぜる。
シルフから心地よい風が吹く。
敵意はないようだ。
「汝らは・・・西の湖からの遣いの者か?」
ラクシュミのマナを察知したのだろう、シルフが尋ねる。
シンが否定し、用件を伝えた。
「キキョウは未だ谷にも咲かぬ。」
シルフがきっぱりと言った。
「あなたの力で咲かせることも、できませんか・・・?一輪だけで良いのです。」
シルフの力をもってすれば花を咲かせることも可能かもしれない。
エドナが恐る恐る尋ねた。
シルフはその澄んだ瞳を僅かに細めてエドナを見つめた。
「可能だ。・・・だが、それはできぬ。」
矛盾する返答に、エドナが戸惑いを見せる。
「キキョウは梅雨前に咲く。それを雪解けの今咲かせることは、季節の巡りを変えることだ。ヒトの都合により、自然の流れを乱すことは許されぬ。」
至極真当だ。シルフはこの土地の季節を司っている。人間の勝手な都合で季節を巡らせることなどできない。
エドナが肩を落とすのを見て、シルフは顔を上げた。
春ののどかな陽光がその瞳に差し込む。
「だが、春を告げる歌が聴けないのは寂しいものがあるな。」
シルフは目を閉じて続けた。
「遠方より来たりし者よ。もし汝らがハルムの民であれば、我はこの話をしなかっただろう。」
シンとエドナの注意を惹きつけ、シルフは続ける。
「谷を西に一里ほど下ると、伏水の湧く池がある。その地は昨年キキョウがよく咲いた。・・・池の水が、花の代わりとなろう。」
シンが問いかける。
「でも、一筋縄では行かないんだね。」
ハルムの村人に教えられない、ということは池へ行くことが危険だということだろう。
旅人であればある程度の戦闘技能は備えている筈である。
それを見込んで、この風の精霊は助言をしているのだと想像がつく。
シルフは頷き、翼を広げた。
「池は、魔物たちの冬のねぐらとなっておる。」
急に難易度が高まった。
魔物たちの冬のねぐらということは、今の時期は冬眠から覚めた魔物が餌を求めて闊歩していることだろう。
そこに飛び込むということは、相当な危険を意味する。
「行く行かないは汝らの判断。春風は待たぬが我らは待とうぞ。」
巨大な翼で大気を打ち、シルフは浮上していった。
「綺麗だったね・・・。」
飛び去っていくシルフを見送りながら、シンが言葉を落とした。
「最後の言葉、どういう意味なのでしょうか。春風は待たないけれどシルフは待つ・・・?」
疑問を咀嚼するエドナに、シンが太陽に目を細めながら答える。
「花が咲いている季節は終わってしまうから、今を逃したら今年の花祭りはできない。けれど、シルフたち精霊は来年を待つよっていう意味じゃないかな。」
さて、とシンが西を見据えた。
存外襲い来る魔物は少なかった。
シンとエドナが池の周りに足を踏み入れた時に、早速大きなキツネのような魔物が飛びかかってきた。
それをシンが一撃で返り討ちにしたところ、他の魔物が退散したのだ。
見せしめのようになったしまった、とシンは決まりが悪そうにしていたが、無用な争いが避けられた。
キツネの魔物の次の相手が現れたのは、エドナが池の水を汲み終わった後だった。
近くの木が激しく騒めいたと思うと、タカに獅子の胴体を繋げたような魔物が落ちてきた。
シンが嫌悪の声を漏らす。
エドナが魔物の性質を尋ねると、シンが声を落として答えた。
「グリフィンだよ。本来は平原や山地の魔物だからこんなに木に囲まれた中で遭遇することは無いのだけれど・・・ここで冬眠していたんだろうね。素早い上に飛んで、どこまでも獲物を追いかる。そして何より厄介なことに、術式に長けている魔物だよ。」
魔物解説をしながらも、シンは一歩ずつ後ろに下がる。
エドナもそれに続いた。
が、グリフィンも静かにふたりの人間を見据えながら前方ににじり寄るので、その距離は縮まらない。
「シン様、ここで戦わないのですか?」
エドナが小声で尋ねる。
「さっきから、魔物の気配が濃いんだ。グリフィンの相手をしている間に横から襲われる可能性が高い。ここは、一気に森を抜けて開けた場所で相手をしよう。」
シンは短時間で構築した策をエドナに話し、短く合図を出して走り出す。
エドナも並んで走り出すと、グリフィンが駆けて追いかけてきた。
「シン様!」
エドナが走りながら叫ぶ。
「こういう時って、転ぶのがお決まりですよね!」
こんな時に何を言っているのか。
どこか楽しそうに言うエドナに、シンが突っ込みを入れる。
「絶対にやめてね!」
シンもエドナも転ぶことは無かったが、前方に想定外のものを見つけた。
エドナが立ち止まり、それを抱きかかえる。
シンも立ち止まって後ろを振り返ると、グリフィンが残り数メートルの位置まで迫ってきていた。
鋭い嘴を振りかざす。
シンが抜刀してその嘴を弾き返したが、グリフィンはひるまずに距離をとり、術式の詠唱を始めた。
「エドナ、走って!」
シンが指示を出し、エドナが駆けだす。
グリフィンの周囲で青白い光が踊る。
詠唱速度が速い。
「久しぶりだなあ。」
シンが呟き、長剣を鞘に納めた。
空いた左手をグリフィンに向ける。
「カザハネ。」
普段の笑顔を解き、言葉を放つ。
周囲の風が凝集し、刃となってグリフィンへ向かう。
風の刃はグリフィンの片目を切りつけ、術式詠唱を遮断した。
無詠唱で術式を放った。
グリフィンが怯んでいる間に、それに背を向けてエドナを追いかけた。
「やっと森を抜けられましたね・・・。」
エドナが息を切らしながら声を出す。
その腕には、角の生えた小さな猫のようなものが抱えられていた。
青白い光をまとっている、精霊の子だ。
駆けるグリフィンに踏みつけられては、いくら精霊と言えどもひとたまりも無い。
とっさに拾ったのだ。
「まだ気は抜けないよ、グリフィンは諦めが悪いんだ。・・・怒らせたしね。」
シンが言いながら森のほうを見据える。
と、エドナの腕の中の精霊が急に鳴いた。
「にゃーん!」
その声に乗って青白い光が放たれ、巨大な膜となって森を包み込んだ。
「驚いた・・・この精霊の子、結界を張ったよ。」
シンが感嘆を漏らす。
森と平原の間に生物の通れない壁を形成したのだ。
精霊はエドナの腕から抜け出し、結界の前に立ってこちらを振り返った。
優しくひと鳴きする。
さっきはありがとう。もう傷つけなくても大丈夫。
そう言ったように聞こえた。
シンとエドナが顔を見合わせて頷く。
「魔物が精霊を故意に攻撃することは無いから大丈夫だよ。行こうか。」
優しい風が吹きすぎる中、花に満ちる村に向けて歩みを進めた。
とんでもないことをさせてしまいました…




