5奴目 ベル、鳴る、来る
「でもなイク、そこの色ボケナスには気をつけろよ」
と、ニコはレイクを指差す。
「誘惑されても絶対手を出すな」
「はいはい分かってるよ。手は出しません。出す気もありません」
いや、出す気がまったくないと言うと、それはもちろん嘘になる。
ニコもだが、レイクも控えめに見ても美少女だ。
そんな美少女からの誘惑は、思春期男子である俺にとって、悪魔のささやきにも勝る甘い言葉である。
しかしその誘惑に負けて、彼女に手を出すこと、店の商品に手を出すことは許されない。
それだけは絶対に駄目だと、アリスさんにきつく言い含められているのだ。
理由は彼女たちこの店の商品が処女で、そして処女の奴隷には付加価値があるからだとか。
彼女たちに傷を付け、商品価値を下げるようなことがあれば、アリスさんに何をされることやら……。
最悪、元の世界に帰してもらえない、なんてことになりかねない。
だからまあ、正確に言うと手は出さないのではなく、手は出せないのだ。
「約束だぞ? 絶対だぞ?」
「分かってるよ」
「もし童貞じゃなくなったら、ワタシはイクを殺さないといけなくなるからな」
「お前は何の使命を負っているんだ……」
「童貞以外くたばってしめぇ、だ」
「まるで童貞以外の男には価値がないみたいな言い方だな」
「みたいなじゃなくて、実際そうだろ? 男から童貞を取ったら何が残るってんだよ」
「いや、色々残るだろ。ほら、知識とか」
「知識? 死期の間違いだろ? 童貞を失った男に残るのは、死期のみだ」
こわっ、怖すぎだろうこいつ。処女厨どころの話じゃないぞ。
こんな奴を世に解き放っていいのか? このまま牢に閉じ込めていた方がいいんじゃないか?
ん、と言うか、牢に閉じ込めておくで思い出した。
「おいニコ、レイクにも何度も言ったけど、俺、お前にも何度も言ったよな? 勝手に出てくるなって」
既に閉じ込められていない。この屋に、店屋に解き放たれているではないか。
もし俺が非童貞だったら、今頃店内は大惨事だろう。童貞も捨てたもんではない。
「どうして出てきちゃうんだよ」
「仕方ねえだろ、お前がレイクに惑わされるから悪いんだ。それに別にいいじゃねえか、どうせ店からは出られねえんだし」
「まあそうだけどさ」
彼女たちは、たとえ今みたいに牢から出られたとしても、店からは一歩たりとも出ることが出来ない。
そうでなければ、こんな風にわざわざ店の中に留まってはいないだろう。さっさと逃げているに違いない。
アリスさんの説明によると、この店には、例の魔道書を買った知り合いの魔女によって、さまざまな魔法や結界が施されているのだとか。
その中の一つ『絶対隷奴』だったけか。
魔女が命名したらしいこの恥ずかしい名称の魔法のせいで、彼女たちは、俺の許可なしに店から出ることは出来ないのだ。
もし出ようとしたとしても、彼女たちの首につけられた鉄の輪と魔法が反応を起こし、店内に弾き戻される。
可哀想な話だけど、俺にとってはありがたいセキュリティだ。
この魔法がなければ今頃俺は彼女たち商品全員に逃げられ、店に大損失を与え、元の世界に帰るどころか、土に還っていたかもしれないのだから……。
「それで、念のために聞いておくけど、ニコはどうやって鉄格子から抜け出してきたんだ?」
「決まってんだろ、この足で鉄の棒を蹴り曲げてだ」
凄いだろ? と、彼女は俺の胸に背中をあずけ、まるで自転車をこぐかのように馬と同じ形状の両足を交互に上げ下げする。
「だからお前の牢の鉄格子はあんなに歪な形をしていたんだな……」
しかしやっぱりこの店の牢はざるだ。亜人対策がまったくなされていない。
いや、魔女によって魔法がかけられているから、そこまでの設備は必要ないという判断なのかもしれないけど。
それでも商品が勝手に店の中を闊歩するというのは、どうなんだろう。
と言うか思い返せば、アリスさんからは店を引き継ぐに当たって様々な忠告をされたけど、『商品が勝手に牢から出てくるから気をつけなさい』なんていう忠告は一度たりともされていない。
「なあお前らさ、アリスさんが店にいたときも、こんな風に牢から勝手に出てきてたのか?」
「そんなわけないでしょ」
「そんなわけないだろ」
レイクとニコの声が、同時に飛んでくる。
「そんなことしたら怒られるじゃん」
怒られるじゃんって……。
「レイク、俺も一応怒ってるんだけど?」
「イッくんは怒っても全然怖くないし。ねえニコちゃん」
ああ怖くねえ、とレイクの言葉に首肯するニコ。
「なるほど。つまりなんだ、お前らは俺をなめていると」
「なめてないよ。イッくんペロペロ」
「完全になめてるだろ!」
「なめてないってば、まだ」
まだって何!?
「イッくんってば、なめたいのに全然なめさせてくれないし。なめたいどころか、食べたい勢いなのになぁ。イッくんの下半身に生えてるキノコ」
「残念だがレイク、俺の下半身にキノコは生えていない」
「え、そうなの? じゃあイッくんの下半身のそれは一体何なの?」
「何なのって……、えっとそうだな。ムスコ?」
「うっわ、イッくんが下ネタ言ってる~」
「お前が言わせたんだろ!」
「にししし」
くそ、またしてもやられてしまった。
「だからレイク! イクを誘惑するなって言ってんだろ!」
勢いよく捲くし立てるニコ。
きっと膝の上に乗っていなかったら、キャットファイトが再開されていたことだろう。
「今のは誘惑じゃないよ、誘導だよ」
「どっちでも一緒だ! イクに変なこと吹き込みやがって。何が食べたい勢いだ」
ぷんすかぷんすか怒りながら、ニコは再び俺と対面する体勢になって、そして俺の目を見つめる。
「なあイク、ワタシも食べてえ」
「ぶふぉっ!?」
いきなり何を言い出すんだコイツは。
「おいおいニコ、お前までそんなことを言い出したら、いよいよ収集がつかなくなるぞ?」
「あぁ? 何言ってんだイク。まさかお前変なこと考えてんじゃねえだろうな?」
「え、どう言うこと?」
はあ、とニコは大きくため息をついた。
「ワタシが言ってんのは、昼飯のことだぞ?」
「昼飯? あ、ああそう言うことね」
「レイクに惑わされるなって言ってんだろ。惑わされるから、話の全部が変な風に聞こえるんだ」
「いや、今回俺を惑わせたのはお前だ」
「ん、そうか?」
「そうだよ」
紛らわしい言い方をしやがって。
「ふーん、そっか。まあそれはいい」
自由な奴だなぁ……。
「それよりも、ワタシは昼飯が食べたいんだ」
「はいはい。それにしても、もうそんな時間か?」
まだ開店準備が済んでから、そんなに時間が経った気がしないのだけど。
「何だイク、ワタシを疑ってんのか?」
「そういうわけじゃな――」
「ワタシの腹の音を聞いてみろっ」
そう言うとニコは、俺の頭を押さえつけ自分のお腹へと引っ付けた。
布一枚越しの彼女のお腹は、柔らかくて温かくて、生々しい。
やがてそのお腹から、キュルキュルっと可愛い音がする。
そしてそれと同時に、町の教会から、お昼を告げる鐘の音がかすかに響いてきた。
「な、昼飯時だろ?」
なんと正確な腹時計だろうか……。
と言うか、結局午前中、誰もお客さんは来なかったか。
まあいい、これももう慣れっこだ。
「そうだな。昼飯にしようか」
言っても、俺は何も作らないが。作らないと言うか、作れないが。
両親健在の家庭で暮らし、バイトで厨房に立つなどの経験もしたことのない高校生の俺に、まともな料理などできるはずがない。
だから作るのは、ニコだ。
非常に驚いたことに、この口悪くすぐに手の出る落ち着きのない彼女、料理が得意なのである。
料理どころか、家事全般が得意なのである。
これはアリスさんも知っていて、彼女がこの店にいた頃から、食事の用意はニコの仕事だったらしい。
しかしニコは、誰かに料理を教えてもらったわけではないのだとか。
それはそうだろう、商品であり奴隷という身分の彼女にわざわざ料理を教える人間など、いはすまい。
ならどうして、レシピも見ずにこんな美味しい料理が作れるんだと聞くと、彼女は『勘だ』と答えるのだ。
食材や調味料を軽く味見して、それが合わさったらどんな味になるのか頭の中で想像して作るらしい。
それを聞いて驚いた俺が凄いなと漏らすと、彼女は『簡単だ』と答えるのだから、まったく恐ろしい才能である。
ただその才能を発揮するのはまだ早いらしい、お昼の鐘が鳴り止んだところで、今度は店の、来客を告げるベルが鳴り響いた。
お客さんが来てくれたことはありがたいのだけど、なんとタイミングの悪い。
でもだからと言って追い返すわけにもいかない。ようやく来てくださったお客様だ。
「い、いらっしゃいませ!」
俺は急いでニコを膝から降ろして立ち上がり、お客様を出迎えた。