43奴目 飛行の試行
洗面所で顔を洗い庭に出た。
日本で言えば春に近い気候である現在の異世界の朝は、山の上であることも合わさって少し肌寒い。
「時間も時間だしな……」
教会の鐘がまだ鳴っていないので、時刻はまだ六時前だ。
薄っすらと霧さえかかっている。
「まったくライムの奴、こんな朝早くから起こしやがって」
ただそんな時間でありながら、庭には既にレイクとリフォンの姿があった。
レイクは光合成をし、リフォンはよく分からないが、横に広げた両手を上下に振っている。
と言うかこんな早くから牢の鍵は開けていないのだけど。
「おはようリフォン。本題に入る前に一つ質問があるんだけど、お前はどうやって牢から抜け出してるんだ?」
「おはようございますイクトさん。そんなの簡単ですよ、横を向いて格子の間をスッと」
……相変わらずのザルな牢だ。
「で、本題だけど。そんなに手を振って、一体何をしてるんだ?」
「これですか? これは飛ぶ練習をしてるのです。前にも言いましたけど、わたし翼はあるんですけど飛べないんですよ」
「ああ、そう言えばそんなことを言っていたな」
「はい。翼があるのに飛べないなんて本当に恥ずかしい……」
ですのでこうして、レイクさんに教えを請い飛ぶ練習をしているのです。
そう言って、上下に振っていた手のスピードを強めるリフォン。
「ふにににっ、でもどれだけやってもやっぱり飛べないんですよね……」
「そりゃそうだろうな」
「ですよね。わたしなんかが飛ぶなんて大それたことをできるわけがないですよね。わたしにできるのは、せいぜいドブにはまるくらいです」
ドブにはまるのも、それはそれで結構難しいことだとは思うけど。
「そうじゃなくてさ。飛びたいなら手ではなく羽を使えよ」
「金を使うんですか? そうですか、世の中結局金ですか。ちなみにいくら払えば飛べるようになるのでしょう」
「いくら払っても飛べません」
そんなスマホのゲームじゃあるまいし、課金したからといって人は飛べるようにはならない。
夢はお金では買えないのだ。
「いいか、もう一度言うぞ? 空を飛びたければ手ではなく羽を、翼を動かせ。お前の背中にはせっかくそんなものが付いてるんだからな」
「ですがレイクさんには、飛びたければ手を上下に動かせと教わったのですが」
リフォンは同意を求めるようにレイクに顔を向けた。
「どういうことだレイク。どうしてリフォンに嘘を教えたんだ?」
「嘘じゃないよ。手を上下に動かせばトブことができるじゃん」
「どれだけ手を上下にに動かしたところで人が飛べるわけがないだろ」
「本当に? じゃあ試してみる?」
と、手の平を筒状にして上下に振ってみせるレイク。
「お前の言ってるそれはリフォンの飛ぶとは意味が違うだろうが!」
「え、そうなの? リフォンちゃんの言ってるトブって、昇天のことだよね?」
「飛翔のことだ!」
「何だやっぱり違わないじゃん。“ひしょう”“しょうてん”三文字も同じ」
「完全に一致させろよ!」
三文字同じだから同じ意味とか、言葉はそんな単純なつくりになってないから!
「え? えっちさせろ? いいよ」
「そんなこと言ってないわバカヤロウ!」
「だからいいよって、ヤろう?」
ダメだ、本当にこいつだけはどうしようもない……。
「ちなみに、手じゃなくて腰を振ってもトベるよ?」
「よしリフォン、俺がその練習に付き合ってやろう」
ニヤニヤと笑みをこぼすレイクは、もう放っておくとした。
「本当ですかイクトさん」
「ああ、任せてくれ」
まあ翼のない俺が力になってやれるかは微妙だが。
でも翼がないからこそ出てくる発想もあるかもしれないし、無駄ではないだろう。
「ではまずいつもの練習をお見せしますので、見ておいてください」
リフォンの背に生えた黄金の翼が、ふわりと広がる。
「ではいきますよ」
きゅっと口元を引き締め、少し前屈し、バサバサと翼を羽ばたかせ始めたリフォン。
しかし音は立派に響いているのだが、肝心の体がまったく浮く様子がない。
しばらくして彼女はぷはぁと息を吐くと、翼をたたんだ。
「ふう、ふう……どうでしょうイクトさん」
どうもこうも、可愛い。可愛すぎて、俺の理性が飛ぶところだった。
「わたし的には歯応えならぬ、羽応えがない感じなのですが」
「んー、その羽応えってのは俺にはよく分からないけど、とりあえず飛べそうな雰囲気ではないな」
でしょう、とリフォンは肩を落とす。
「じゃあさ、俺がリフォンを上に投げるってのはどうだ? 思い出したんだけど、子どもの頃弱って飛べなくなっているトンボを上に放り投げたら、飛んだことがあったんだよ」
「結構エグイことをしますねイクトさん」
「まあ子どもの頃のことだし許してやってくれ」
「でも自力で地面から浮き上がるより、そっちの方がよさそうです」
そんなわけで、やってみることになった。
「準備はいいか? いくぞ、せーのっ」
リフォンのわき腹を掴み、精一杯上へと放り投げる。
「お、おぉおぉー」
「さあ羽ばたけリフォン!」
しかし羽ばたくも、彼女はそのまま落下してきた。
その体を受け止め、もう一度放り投げる。
「いっけー!」
「おぉおぉ、おほほっ」
が、結果は初めと同じ。
続けて何度も何度も放り投げる。
ただ何度やっても結果は同じ。
「何だか楽しいですねこれーっ」
あげくの果てには羽ばたくのも忘れ、そんなことを言い始めるリフォン。
これではもはや、単にたかいたかいをして遊ぶ親子じゃないか。
「あはははっ」
それにしても可愛い。
可愛すぎてやっぱり俺の理性の方が飛びそうだ。
「って、ゴホン……リフォン目的を忘れているぞ」
「目的? イクトさん、目的って何でしたっけ?」
「おいおい、飛ぶんだろ?」
「は、そうでした忘れてました。ごめんなさい……わたしって記憶力ないんですよね。散歩するどころか、三歩歩いただけで忘れることとかがよくあって」
鳥頭なの……?
「まあ、記憶力以外のものもないんですけどね、ふふ」
「ふふってまったく、お前はとことんネガティブシンキングな奴だな」
「はい。何ならネガティブシン・キングと呼んでくださっても構いません」
「……呼ばねえよ」
お前は悲観の王ではなく百獣の王だろう。
「さあそんなこと言ってないで、次の案に移るぞ」
次に俺が出したのは、助走を付けるという案。
飛行機が滑走路を走行してから離陸するところから得た着想なのだが。
「よし、俺も一緒に走るからリフォンも頑張れよ。よーいどん!」
自分で放った合図とともに、俺は庭の端から反対側の端を目指して走り始めた。
リフォンも俺の少し後を、トテトテと付いてくる。
「いいぞリフォン、そのまま羽ばたくんだ」
「はいっ!」
しかし返事だけは立派だが、地面を駆けるばかりで空を翔ることはまったくない。
そしてそのまま、反対側まで走りきってしまった。
「よし、もう一回だ。折り返すぞ」
「はい! とりゃー!」
が、結果は言わずもがな。
何度折り返してもどれだけ走っても、飛べない。
「さぁイクトさんもう一回です! あの柵に向かって走りましょう!」
最終的に、またもや目的を忘れ遊び始めるリフォン。
だからこれでは単に駆けっこをする親子ではないか。
「あはははっ、楽しいですねー!」
まあ可愛いからいいか。俺の理性はとうとう飛んでしまった。
その後俺とリフォンは、ライムがやってくるまで遊び続けたのだった。
今日も読んでいただき、ありがとうございました。




