第二章『交錯する死』(1)
第二章『交錯する死』
「よし、鎮静剤が効いてきたな。もう心配いらない」
「……そうか」
ずっとベッドの横から腰を曲げて処置をしていた獅子彦が、思いっきり背伸びをして肩をほぐす。そのベッドの反対側で丸イスに座る遼平は安堵の息を漏らして、横たわる少年を見た。
ベッドには、まだ顔は青白いままだが静かに眠る純也。か細い腕に刺された、太い点滴の針。
闇医者・炎在獅子彦の地下病院、病室の一番奥のベッドにその小さな身体は寝かされていた。
「コイツは今日、あの薬を飲んだのに。なんで発作が起こる?」
「お前にも以前言ったはずだ、あの薬は単に正常時での発作を防ぐものでしかないと。……実際アレに近づいてしまったら、効果なんてほとんど無い」
白壁によりかかり、獅子彦は首を横に振る。遼平は自分の膝を握り拳で叩き、俯いて。
「あそこに近づくにつれ、純也の様子がおかしかったんだ……俺がもっと早く気付いていれば……!」
「……仕方ないさ、お前らがアレに近づくのは随分と久しぶりだったんだ。それに、お前は健全者だ、微かな臭いでは気付けない」
そう言ってはみるものの、遼平と瞳が合ってやはりそれがただの気休めにしかならないと悟る。いくらフォローしても、この男の自責の念は変わらないのだと。
獅子彦の特殊な眼が使える、相手の心を読める『読心術』。
今、彼の瞳に映る遼平の心の中は、激しい後悔と自責、そして切願と嘆き。それらが渦巻き、強い精神的な痛みに襲われて苦悩しているのが手に取るようにわかってしまう。
(遼平はいつもこうだな……)と、獅子彦は心の中で静かな吐息を。
“あの過去”絡みのことになると、まるで人が変わったように複雑な理性に悩まされる。翼が死んだあの時から、遼平は人間の貪欲さと卑劣さに絶望し、知性で考えることを放棄するようになったのに。
けれど、皮肉なことに翼絡みの“あの過去”のことになると、人間らしい自己嫌悪や罪の意識に苛まれる。その弱った姿はまるで別人で、祈るように両手を組んで震える姿は、とても裏社会で恐れられる《鬼》には見えなくて。
誰よりも強い精神力故に、全ての闇を自分一人で背負っていこうと。
「……獅子彦、これからの純也のことなんだが……」
「わかっている。俺もそう思っていたところだ」
しばらく俯いて沈黙していた遼平が、ふと顔を上げて獅子彦に何かを頼もうとする。しかし心を“読む”以前に遼平の考えることがわかっていた獅子彦は、皆まで聞くことなく頷いた。
「じゃあ……」と遼平が言葉を続けようとした矢先、ふと病室に響いたのはノック。
「炎在先生ー、遼平と純也来てまっかー?」
「真か。入っていいぞ、二人ともいる」
闇医者の許可を得て、真がドアを押し開けてくる。彼の後ろには、澪斗と希紗が。
「早かったな。打ち合わせはもう終わったのか?」
「あァ、こっちはすぐ終わった。それより、純也は……」
病室のドアへ振り返った遼平を見、それからその奥のベッドに眠る純也を見て真が心配そうな顔つきになる。
希紗も不安げに少年へ繋がれた太い点滴管を見やるし、澪斗は隣のベッドに無言で腰掛けて鋭い目線を獅子彦に向けた。
「……たかだか風邪で、随分と大袈裟な治療をするのだな」
「ま、俺の病院は完璧看護だからな」
「…………炎在先生。ワイらかて冗談でココに来たわけやないんです。あの純也の反応は、どう見たって風邪なんかやない。純也は、どうしたんですか」
獅子彦の能力を知っているからこそ、真は本気の眼差しを合わせて。それに対して闇医者はサングラスを指でかけ直し、その奥で瞳を閉じる。壁にもたれ、腕を組んだ姿勢で天井を仰いだ。
「そうだな…………遼平、お前に任せる」
「……わかった。純也は……」
誤魔化すのも、真実を言うのも自由だと。
獅子彦は、その決断を遼平に委ねた。その権利は本来ならば純也のモノ、けれどその責任は遼平のモノだから。
遼平はイスから立ち上がって、三人の仲間を見回す。そして死んだように眠る純也を見下ろし、俯き、何度も唾を飲んで言葉を躊躇い、最後に顔を上げてようやく口を開いた。
「純也は――――――――麻薬中毒者なんだ。……かなりの重度の」