第四章『最善の選択』(2)
「だって……ワイの昔の話なんて、誰も興味持ってくれへんかったし……」
セルフでミステリアスな雰囲気を醸し出す澪斗や謎そのものな純也に比べ、何をどう頑張っても目立つわけがなかった真の本社時代。あまりに庶民臭いせいで、元エリートであることも誰もが忘却の彼方だ。
「……お労しや、霧辺殿……!」
シュンが、目頭を押さえて「くっ」と顔を背ける。
「で、でも、真ってあんまり作戦とか警備配置なんて指示しなかったじゃない!?」
「昔も今も地道に指示出しとるよ、地味な仕事だけ。他は……希紗が面白がって勝手に作戦立てるから……」
変な格好をした芸人まがいの窃盗集団が来た時は「偉大なるハンムラビ法典より抜粋っ! その名もっ、【目には目を、歯には歯を・ロスキーパー大作戦】よ!」とか言って、ヒーローごっこをさせられた。
双子と同僚の特殊能力に目をつけ、襲撃者への不意打ちを狙った時は「警備配置なんだけど、私に策があるわ。ちょっと特殊な、ね」と、真が助言やアドバイスを言う間も与えずに、自信満々で既に作戦の準備を整えていた。
そんなメカニッカーの奇想天外な行動の陰で、真の地道かつ安全な策が目立つことは絶対に無かった。
「あー……いや、その……ごめん、真……」
希紗は部長の訴えかけてくる瞳を直視出来ず、冷や汗をかきながら俯いて小さくなる。
「しかし、自己主張をしなさすぎだろうっ? そういった知識を隠していた理由を答えろ!」
「別に隠してたわけやなくて……発揮する機会が無かっただけで……」
そもそもこの支部、依頼がほとんど来ない。来たら来たで、ペットの世話とか害虫駆除とか花見の場所取りとか動物園から逃げ出した猿の捕獲とか、肉体労働ばかりな上にもうソレは“警備員”の仕事ですらなかった。
「…………」
遠くを見やる眼差しで、澪斗はゆっくり気まずそうに首を右へ向けたままもう何も言わなかった。
「せっかく社長に学問教えてもろても、仕事が来ない支部じゃ何の役にも立たん。エエもん、どうせワイなんかボンクラや、イジられ役や、影が薄いんや。ワイなんかァ……っ」
ボロボロと涙を零し始めた真に、それぞれ三人が動揺して彼らなりに励まそうと試みる。
「お二方共っ、貴殿らは霧辺殿を何だと心得ているのですか!? 霧辺殿も泣きやんでください、もっとご自分に自信を持ってっ」
シュンは珍しく横目で澪斗と希紗を責める視線を向けてから、真には手拭いを渡す。それを受け取った真は木綿布で顔を押さえて、涙を堪えようと肩を震わせていた。
「ホントにごめんってば真! 私達は入社してからすぐに中野区支部に配属されたから、真の評判なんて知らなかったし……は、反省だってしてるわよ!? ただ、普段の態度からは全っ然そんなスゴイ人には見えなくて……」
希紗は真の背をさすりながら明るさで誤魔化そうとしてみるが、あまりフォローになっていない。しかも何でもかんでも後に引きずって復活できないのが真だ。
「えぇいっ、男がいつまでもめそめそするな! そもそも貴様が部長らしい振る舞いをせんのがいかんのだっ!」
「だって……ワイどうせ、《ボンクラ》なんやろ……?」
「う……いや、それは……」
ウルウル、という擬音語が似合いそうな瞳を向けられ、澪斗さえ言葉に詰まる。普段なら凹んだ時は適当に無視して自然復活を待つのだが、今回は放置するとそのまま東京湾に身を投げそうな気がした。
「霧辺殿、どうかもう嘆かずに……。えっと……あ、コレで心を癒してくだされ」
困り果てた後にシュンが懐から取り出して真に見せたのは、数枚の写真。それを覗いた真の眼が、一瞬で輝き、ソレを奪い取るように手にして。
「ユリリーンっ! ユリリンや、ユリリンやァ! ワイの女神~っ!!」
「「「…………」」」
さながら猫じゃらしに喜ぶ猫のように、愛妻の写真を掲げながらいい歳の男がアスファルトを転げ回る。その様子に、安堵や唖然などの想いが複雑に絡む三人。
「今泣いたカラスがもう笑った、な……これが俺達の上司なのか……」
「……ねぇ瞬、本当に、本っ当に、真があの作戦を考えたの?」
「は、はい……。霧辺殿は実に才知溢れるお方…………だったと思うのですが……」
人は、無自覚に己の中に様々な人格を持つという。だが、こんなにもコロコロと気性が変わるのは情緒不安定過ぎるのではないだろうか。ストレスを溜めすぎてどこかおかしくなってしまったのでは、と三人が心配になった頃。
真の黒い瞳が、才知と理性の煌めきを取り戻したのだ。左手に掴んだ写真を汚さないように右腕をバネにした力だけで身体を跳躍させ、険しい顔つきでシュンに詰め寄る。
「……ちょっと待てや。なんであんたがユリリンの生写真持っとるん? しかもユリリンだけが映ったこんなレアなモンをっ! 隠し撮りやないかァ!!」
「い、いや、あの、それは……フォックスが、あの狐めが拙者に持たせた物でしてっ。ヤツが盗撮したので、拙者は……」
「どっちにしろ同じやがなァァ!!」
「あの狐めが女好きなのが悪いのですっ! 『真に何かあったら切り札にコレが使えるよッ! クスッ、人妻っていうのも僕は嫌いじゃないなーッ』と言って――」
「斬るッ! そこへ直れエェェ!!」
「何故拙者がー!?」
泣き、喜び、最後には怒りで暴れ出した部長に、もう見ていられないとばかりに二人の部下が静かに黙して両側から押さえ込む。「今日こそあの化け狐を祓ってくれるわァァァ!」とか意味不明なことまで叫びだした真の眼前に再び友里依の写真を突き出して、深呼吸させ、鎮静を待つことに。
五分後。
「さて、広げた情報トラップの為に、この場所を探り当ててくるんはごく少数と思われる! その少数さえも殺めないために、ワイにもう一つ策がある」
霧辺真はすっかりいつもの調子に戻り、精神的に疲労した三人の前で何事も無かったかのように語っていた。ちなみに、しっかりと愛妻の写真は胸ポケットにしまってある。
「……結局はやはりあの写真が効くのでござるな……」
「えぇ、所詮は真だものね……」
「少しでも見直した俺が愚かだった……」
もうこれ以上ややこしいことにならないよう、彼らは真に聞こえないぐらいの呟きを零す。真が何やら説明していたのだが、その辺は聞き逃してしまった。
「――っちゅーわけで、これから五日間、気を抜かんで警備してほしい。シュン、あんたの方にも世話をかける」
「いえ、我等は全て霧辺殿の指示に従うまで。……正直、拙者ではそのような策は考えられませぬ」
爽やかな笑みを向ける青年に、真は刹那だけ物悲しく瞳を伏せてから苦笑する。
「せやな、あんたならこんな中途半端な策は講じん。ワイはいつまで経っても甘いままやわ……」
甲賀瞬なら、いや本社の警備隊に居る人間なら、こんな仕事で一々悩むことなく全てを葬り去るだろうに。忍の彼にしてみれば、『敵を殺めないため』などと訳の分からない目的の策など考えたこともあるまい。
そして霧辺真は、この策がいかに不安定で不確実なものであるかも十二分に理解していた。
「その“甘い策”、優し過ぎる防衛線をも、我等が護りきってみせましょう。……では霧辺殿、拙者はそろそろ部下達に次の伝令をしてこなくては」
「あァ、ほんまに悪いなァ、忙しくさせてもうて。ワイら仕事中は携帯の電源を切ってるさかい、訊きたいことがあれば今のうちに訊いてくれるか?」
「……一つだけ、お願い事がございます。図々しい願いだと承知の上で――――拙者が提示した《報酬》を、先に頂きとう存じます」
「え、お金取るの?」なんて言い出した希紗に、真が笑いながら「ちゃうちゃう、金銭やあらへんよ」と返す。シュンは、真に頭を下げたまま微動だにしない。
「エエよ、その願いは叶える。今回は随分と大規模な操作させて、そっちを酷使させてもうた。本来なら情報部の各支部への協力は無償やけど……シュンの願い通り、《何でも知りたい情報を教える》。まァ、ワイの知っとる限りのことやからあんまり役に立たんとは思うけどなー」
「ご了承いただき、有難う御座います。……ところで、今日はまだ蒼波殿をお見かけしませんな?」
もう一度深く礼をしてからシュンはやっと顔を上げる。朝陽が靄を払っていく中で、あの紺髪の男が来る気配は無い。
『蒼波』という単語を聞いて真が僅かに顔を歪めたのも、シュンは決して見逃さなかっただろう。
「あー、遼平ねぇ……。きっと、いつもの遅刻やと思うわ。相変わらずルーズで困ったヤツやわァ」
「あははは」と笑い飛ばす真に、明らかな違和感。澪斗や希紗でさえ気付いてしまうほどの。
「なるほど、遅刻でございますか。純也殿も今回は非番のようですし……やはり安静処置ですかな、麻薬に近づいてしまっては?」
「当然よ、あんな症状が出ちゃったら入院も――――」
「希紗っ!」
「えっ……、なに、真?」
怒号のように声を張り上げながら希紗の前に腕を出したが、時既に遅い。心の中まで探ってくるようなシュンの細い瞳に、真が険しい目線で返す。
「甲賀瞬、あんた……いつから純也の麻薬中毒に気付いとった? しかも鎌かけるような真似しおって……」
「“いつから”、ですか。そうですな……少なくとも、霧辺殿が知るよりもずっと前から。貴殿は今回の依頼品が麻薬であることを、依頼状からご存じだったはず。けれどそんな場所へ純也殿を連れて行ったということは、貴殿は彼の病に昨日まで気付いていなかった……違いますかな?」
真が今回の依頼に「気が向かない」と言っていたのは依頼品が麻薬だと知っていたからで、それを純也達に黙ったまま現場へ連れて行ってしまった為に、彼だけに重くのしかかる罪悪感があった。そのことに今更気付きながらも、何も言葉が出ない部下の二人。
先程まで親しみを込めた温かな声色で喋っていた二人の空気とかけ離れた、まるで殺し合う寸前の敵同士のような冷たさを孕んだやりとり。その急変ぶりに希紗と澪斗は驚き、機械音声よりも感情を見せないシュンの言葉に身を強張らせた。
「ワイの……問いに答えんか。本社は《いつから》知ってた? どこからその情報を……!」
「拙者は情報屋ですぞ、情報源を明かすはずがありますまい。問いに答えるのは拙者ではなく、貴殿でござる。純也殿は入院中でございますか……ふむ、予想していたより症状が重くなりましたな……」
睨んでくる真の目線など無視しているのか、シュンは細目を更に伏せて右手を口元に寄せ、考える仕草をする。希紗と澪斗の混乱の視線さえ、気にする様子は無い。
「それでは《報酬》でござる、教えていただきましょうか――――純也殿の麻薬による病の詳細と、蒼波殿がその件にどう関わっているのかを」