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第四章『最善の選択』(1)

「――といった模様で、こちらは準備が整いました故。我々も全力は尽くしますが、決して油断召されぬよう」


「あァ、充分わかっとる。すまんなァ、ウチの支部に来た依頼なのに助けてもろて」


 底なし沼と化した東京湾の濁り、それを眼では憂鬱そうに眺めながらも苦笑する、十三番倉庫の扉に寄りかかった体勢の一人の男がいた。

 踵まで届きそうな、ロングコートによく似た警備服が北風になびく。異臭を伴う朝靄の中で、関西弁の彼は誰かと喋っているよう。だが彼は携帯で通信をしているわけでもないし、周りには誰も居ない。


「それにしても、此度は中野区支部も厄介事に巻き込まれましたな」

「せやなァ……、こんな依頼なら大規模で警備の出来る本社を利用するはずやのに。どうもしっくりこうへん……あんたはどう思う?」

「……“何を”、ですかな?」


 朝靄のどこからともなく響いてくる堅苦しい言葉づかいに、金髪の警備員は苦笑を深くする。本当に、仕事中のアレを相手にしているといつも腹の探り合いだ。

 さりげなくこちらから誘導尋問を仕掛けたつもりが、呆気なく返される。あからさまに『お見通し』とでも言いたいように。


「…………あんたも知っとるやろ、ウチの支部に社長がこないな仕事を回してこうへんのは。訳ありのワイらのために、あの御方は気を遣っておられる。そんな社長が、何故、今回に限ってあのマフィアにウチの支部を紹介したんやろ?」


 マフィアからの依頼状に『貴社の風薙社長より紹介をされ……』などと書いてあり、彼らは紹介されただけで至って素直に、こんな小さな支部へ依頼してきたわけだ。それが妙に引っかかっていたが、ただの勘に過ぎない為に仲間達には打ち明けていない。



「ふむ……情報屋とはいえ、拙者は貴殿にあまり偽りを申し上げたくない。故に申告させていただくと――――社長は“紹介”なされたのではなく、中野区支部を強く“推薦”されたのでござる。『そういった殺傷系の依頼内容なら、中野区支部が打って付けだよね』と仰って」


「な……っ!」


 そのテノールで告げられた真実に、思わず男は壁から身を乗り出す。目の前には誰もいないのに、その瞳を細め、僅かな敵意さえ発し始めた。



「まさか……あの御方が、風薙社長がそんな真似するわけない! 冗談キツイ悪ふざけ言うと、いくらあんたやって怒るでッ」


「怒りを鎮められよ、霧辺殿。貴殿は風薙様を美化しすぎ、盲信なさっているのに気付くべきでござろう。風薙様ならば何かお考えがあってのことでございましょうが、それが“必ずしも霧辺殿も望む結末とは限りませぬ”。主君が導いてくださる結果は常に正しい、けれど霧辺殿、その《最大多数の最大幸福》の中に決して我々は含まれていないことを、貴殿はとうに察しているはず」


 「察し、理解していながら、貴殿はその事実から目を背け浅はかな希望を抱こうともがいておられる」と冷ややかな声を向けられれば、怒りに血が上った男は思わず木刀の柄に手を掛ける。激情の限りに叫ぶのは、どうしても許せない一点だけ。



「いい加減にしぃやっ、シュン! 社長の考えが、ワイの望まない結末? アホか! “風薙社長の目指す結果しかワイは望まない”!! ずっとそうやって生きてきたやろ、そうでしか生きられなかったやろワイら側近はっ! 幸福なんか端から要らん、社長が望まれる結果の為なら何だって――――」



「……部下を切り捨てることも厭わない、と?」


「っ……!?」


 たった一言で大きく勢いを削がれた元戦友に、情報屋は深い溜息を落とす。未だに姿はどこにも見えないが、今の表情は明らかに落胆であろう。らしくないほど心が弱り、思考の整理も出来なくなった友が哀れにすら思えてくる。


「なん、で……今は関係ないやろ、アイツらはっ。主に忠誠を誓ったワイは何だってする、けどっ、アイツらにそんな義務は無いはずや! 社長の、表社会の幸福の為に死ぬ義理なんかアイツらには無いッ!」


「霧辺殿……話の筋が大分ブレております、今の貴殿は矛盾そのものだ。自身の死など受け入れきった貴殿にとっての不幸は『大切な部下を傷つけられること』であり、けれど風薙様が『中野区支部が傷つかざるを得ない仕事』を回したのもまた事実。その擦れ違いが理解出来たから、霧辺殿は怒っておられるのでしょう? なのに何故、拙者に八つ当たった挙句にまだ風薙様に縋ろうとしているのか」


 友の冷え切った言葉は、いつだって正論だ。根が薄情なわけでも冷酷でもなく、いっそ無情なまでの冷静さを貫ける強い精神力の持ち主。それが真にとって掛け替えのない親友である甲賀こうがしゅんだ。


 かつて真を兄のように守り、導き、やがて対等な友として背を預け合い、いつしか身長も年齢すらも追い越してしまった忍者装束の元戦友が、ようやく目の前に姿を現す。出会った当初と同じこちらを諭す眼差しを、十年前と寸分違わぬ顔つきで。永久に十七歳で止まったままの青年は、ふっと哀しみとも憐れみとも取れない表情で目を伏せる。



「……申し訳御座いません、霧辺殿。拙者の物言いが配慮に欠けたことは深くお詫び申し上げます。ですが“拙者は”今一度、どうか霧辺殿に心を落ち着かせ冷静に考えて頂きたかったのです……貴殿が何を護り、何に抗うべきなのかを」



「それは……“シュン”、やな。ありがとう、今のあんたが“甲賀瞬”やなくて助かった」



 ほんの僅かな違いだ。けれど彼の名を呼ぶ時、その本当の姿を知っている者だけがソレを区別し発音できる。一人の人間を呼ぶ声と、一つの道具を喚ぶ音と。


 僅かに緊張を緩められた真に「忍にあってはならぬことですが、やはり嬉しいものですな。ヒトでいられる時間は……貴殿の友として存在できる刹那は」などと漏らしてから、まるで一世紀近く生きた老人のような深い苦笑を漏らす青年。その笑みがらしくないほど悪戯っぽく見えたので「あんたに腹刺された時も爆殺されかけた日も、ワイはずっと親友やと思ってたけどな?」などと執念深い男も返してやる。


 互いに命を預け、時に殺し合ったのも、全ては主君が望んだからこそだ。

 そんな主に絶対的な忠誠を誓った二つの手駒だから、行き着く結論は一つしかない。



「……全ては主君の御心のままに。括弧ワイそろそろ過労死しそうなんですが労災下りますか括弧閉じ、って社長に伝言頼むわシュン」



「確かに承りました、風薙様に葬儀代くらいは申請しておきましょう」



 恐ろしいほどに、冷静で心穏やかな表情だった。

 たとえ絶対に納得出来なかろうとどんなに命令を拒絶しようと、そんな想いは所詮“心”の問題に過ぎない。その時がくれば、部下共々傷つかなければならない場面が来るならば、“身体”は無意識に前へと躍り出るだろう。主君の命に従えと、本能に植えつけられている彼は。


 それでもほんの少しだけ平常心を取り戻せた真は願う。

 どうか、出来うる限り、この身が彼らに向けられる悪意の盾になれたらと。



「にしてもなァー、そんな厄介な仕事回して、ワイらにどーにかさせて、それで社長に何のメリットがあんのやろ? 平社員が考えてもしゃーないことやけども」


「霧辺殿……拙者は貴殿にあまり偽りを申し上げたくないと、述べたはずです。これ以上の詮索は、やめてくだされ」


 気軽な世間話風に問い掛けてみたつもりだが、やはりその辺りのセキュリティーは固いらしい。裏を返せば『それ以上先を問われれば偽りを言うしかない』ということであって、どうやらソコが今回の核心か。

 手駒でしかない真が社長の狙いを知ったところで何がどう変わるわけでもないが、それでも目を細めあらゆる可能性を考えようとしていた時、「おっはよー真~」などとあくび混じりな気の緩む挨拶が届いた。



「相変わらず年取ってると朝早いわよねぇ……あれ、瞬?」


「どうして貴様が此処にいる? 今回の仕事は本社がサポートしてくるのか?」


 予想外の人物に素直な疑問を向ける音と、訝しげな声色での直球ストレートの問い。薄れてきた朝靄が露わにしたのは、青い警備服を整え着こなした希紗と澪斗の二人。

 真は一度思考を止めて笑顔を作り「おはようさん」と返すし、シュンはやっぱり閉じているようにしか見えない細目を緩ませて「お早うございます、安藤殿、紫牙殿。お久しゅう御座います」と軽く頭を下げる。シュンの存在に疑問を抱いた二人の視線は、説明を求めて真に向いた。


「昨日、ワイら自身のこの倉庫の警備配置は指示したやろ? でも、出来ることなら誰にも倉庫に近づかれとうない、麻薬の存在を知られとうない。……なんせ、依頼内容が『狙ってきた者は全て抹殺』なんて物騒極まりないモンやからなァ。そこで、本社の情報部に協力を要請したわけや」


 明るい笑顔で部下に説明をする真を、シュンはただ黙って見つめている。仮面の如く、何の感情も読ませない顔で。


「情報部? なんで情報部なの?」

「……複数による情報操作、か」

「せや、澪斗ご名答ー」

 素直に理解不可の声を上げた希紗の横で、澪斗が一瞬だけ考える仕草を見せて答える。「ピンポーン」と愉快そうに澪斗を指差す真だが、希紗は未だにわからない。


「ねぇ、情報を操作するとどうなるのよ?」

「ふふんっ、それはやなー、」


「つまり、真は『この倉庫に麻薬がある』という情報を隠したかった。物事を隠す時、“無かったように”隠すことは困難であり、すぐに暴かれる。ならば、木を隠すなら森の中、情報を隠すのならば情報屋の中だろう。本社に属する情報屋達に、それぞれマフィアの麻薬取引についてのデタラメな情報を流させる。……そんなところだろう、瞬?」


 「それワイの台詞……」とかアスファルトに落ち込んでいる部長には目もくれず、澪斗はシュンに確認をとる。忍者装束の青年は、爽やかな笑みを浮かべて「さすが、紫牙殿」と頷いた。


「へー、そんな方法があったのね。で、どんな嘘を流したの?」

「そうですな……例えば、拙者はあちらの方に」

 そう言って東京湾へと指差すシュンに、二人の視線が朝靄も消えかけてきた水面へ向く。


「拙者が調べたところ、どうやらこの麻薬は密輸入した物のようでござる。依頼主のマフィアもそこそこ大きい組織。……となると、『都内のマフィアが高価な麻薬を密輸で手に入れた』ぐらいの情報は既に漏れていると考えるべきでござろう。それならば、それをわざと裏付けるような偽りの情報を流すのです。拙者が知人の情報屋達に売った情報は、『千葉県東京湾沿いの密輸港で、取引がある』というもの。つまりこの湾の遥か向こう、対岸の港を、偽情報で麻薬取引の現場にしてみたのでござる」


「なるほど……真実に近い虚偽を捏造することで、信憑性を上げるのか。しかも貴様ら情報部全員が嘘をばら撒けば、混乱させることも出来るな」

「でも瞬、それじゃ瞬の情報屋としての信頼性が落ちちゃうんじゃないの? フォックスとか他の人達も……」


 澪斗はすんなりと納得しているが、希紗が気にかけたのは情報屋の命ともいうべき客の信頼。嘘の情報を売れば、最後は悪い噂が立つに決まっていた。


「ご心配なく。偽情報を売って稼ぐ情報屋など裏社会には掃いて捨てるほど存在しますし、我々情報部はこういった操作がいつでも出来るように本社外に売る情報には時折偽りを混ぜているのでござる。あのふざけた狐などは、『実は密輸は飛行機で行われたから、関東のあらゆる空港を見張るといいよッ』などと大真面目に言いふらしておりました。……しかし、先ほどの紫牙殿のお言葉を一つ訂正いたしますと、我等は本当の情報も流しましたぞ」


「なんだと? どういった意図だ?」


「これだけ密輸の情報が蔓延しているのに、この場所の倉庫だけ噂が立っていないのは不自然でございましょう? よって千三だと評判の情報屋にだけ、本当の情報を教え、売らせるのです。おそらくは誰も耳を傾けないでしょうし、信じる者も皆無。けれど、これによってどこの密輸港で取引が行われているのか、関東及び付近全体の港は全て噂を立てられている為に探し出すのは困難でござろうな」


「あ、あのー……なんか難しい話をしてる時に悪いんだけど、『センミツ』って何? どんな評判?」

 小難しい話を好まず、基本的にはメカニックの知識ぐらいしか詳しくない希紗は、申し訳なさそうに小さく挙手をして質問する。真剣に聞いていた話の腰を折られた澪斗はため息を吐いて顔を逸らしたが、シュンは馬鹿にするような表情は一切見せずに微笑のまま「古い言葉を用いてすみませぬ」と謝ってから説明してくれた。


千三せんみつと申しますのは、『千のうちにわずか三つしか真実がない』という意味でして、つまりは“嘘吐き者”を指す言葉なのです。その情報屋が売る情報はほぼ偽物、しかしそういった千三の情報屋だからこそ操作活動では利用価値があるのでござる。……まるで千三情報屋が、この業界で『密輸麻薬取引の情報』が流行っているのを見て必死に偽情報を作った、かのように思えてきませぬか?」


 噛み砕いてわかりやすいように解説したシュンに、「なるほど、確かに!」と希紗が嬉しそうに手を叩く。彼女はとても感心し、本社の頭脳とも呼ばれる青年に称賛を。


「さっすが情報部の部長! シュンって賢いー!」

「ああ、そこまで綿密な策を講じるには長い年月で積み重ねた経験や知識を全て活用せねばならぬのだろうな。うちの支部の盆暗共とは違う」


 澪斗さえ褒めるが、最後の言葉を聞き取った希紗の「誰がボンクラですって!?」とか「案ずるな、貴様だけではない。そこでまだ落ち込んでいる上司も含まれている」なんていう返事に、シュンは何やら気まずそうに苦笑している。

 そして、にぎやかな男女の口論の前でなかなか言い出せなかったシュンが「あの……」と小さな声でやっと二人の視線を戻させて。



「お褒めの言葉は嬉しいのでございますが、この策は拙者が考えたものではなく――――全て、霧辺殿の指示なのですが」



「「……え」」


 シュンは引きつった苦笑で、もはやアスファルトに泣き崩れている真を指差す。その情けない部長の姿と申し訳なさそうな忍者の青年を交互に見て、希紗と澪斗は疑心全開の表情で同時に「「……本当に?」」と繰り返した。


「我々情報部は霧辺殿より協力を要請され、その細かい指示に従って動いているに過ぎないのです。拙者ごときがこのような策を練ることは……。霧辺殿は風薙様より、側近時代に体術や犯罪心理学から計策術まで、様々な裏の学問を教え込められ、その全てを身につけられた御方なのを……まさかご存じなかったのですか?」


 あまりにも呆然として身体を硬直させ聞いている希紗と澪斗に、シュンはむしろ聞き返してしまう。てっきり、真は部下達にその話をしていると思っていたから。

 冬用の警備服をなびかせる北風と真の微かなシクシクという泣き声だけが、静寂を際立たせていく。


 ……どうしよう、この空気。


「あの、霧辺殿? もしや側近時代の話を部下にされたことが無かったのですかっ? あれほどの努力を積んでいたのに、一度も!?」


「え、嘘っ、真って頭良かったの!? っていうか今の作戦を本当に真が考えたの!? たった一人で、一晩でっ!?」


「それほどの学を会得しておきながら、今まで貴様は何を怠惰していたのだ! 何か知識を隠す理由があったのか!?」


 一気に詰め寄る三人に、真はまだうずくまりながら涙で潤んだ瞳を上げる。そのいじけた姿からは、とても先ほどの策を考案したような才知は窺えないのだが。


 彼は、嗚咽を堪えながら掠れた声で何やら呟き始めた。


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