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第三章『約束の想起、忘失の総記』(11)

 しばらくすると純也の意識も明確になってきて、自分の置かれている状況を理解できるようになった。身体の怪我は治りきっているし、栄養失調も回復してきたし。


 そんなある日、獅子彦と純也の今後を話し合った。と言っても、俺は最初から純也を引き取る気でいたんだが。


 孤児院や施設に預けるのは心苦しいし、俺が純也を放棄したことになる。そんなのは嫌だ、絶対ダメだ。最後の時まで俺は純也の傍に居ると、誓ったのだから。

 そして何より、表社会にアイツ一人を放り出して、後遺症を背負った純也が孤独な晒し物にされるのだけは回避したかった。


 獅子彦曰く、不意に記憶が戻ることもあるらしい。そして記憶を取り戻した時に“反動”のような感じで、記憶喪失の間のことを忘れる可能性がある、と。

 それは、願ってもないことだ。俺と出会ってしまった穢れた記憶を全て忘れ、純也は元の居場所に帰れる。そうなれたら、純也はどんなに幸せか……なのに。


 ――――なんで、少しだけ胸が痛むんだよ。今は微かな痛み、けれどそれは一秒ごとに増していきそうで。



「それでも……かまわない。記憶が戻れば、それに越したことはねぇじゃねえか。俺が純也を傷つけたんだ、償う義務が、俺にはある」

 どうか俺を忘れて、純也が幸福な居場所へ帰れることを――――その短い命が尽きる前に、どうか。


 獅子彦は腕を組みじっと俺の目を見つめて悩んでいたが、やがて根負けして渋々頷いた。


「……わかった、もう少しだけ様子を見て、近々退院させよう。まぁぶっちゃけ、お前らの一件の治療費も半端じゃない額になってるからなー、これ以上入院されてると、俺の病院が潰れかねん」


「はぁっ? 確かに俺達大怪我してきたが……そんなに治療費が……!?」


「おう。手術費や入院費はもちろんのこと、オリジナルの特効薬、鎮静剤の麻薬、栄養剤……その他諸々。この裏東京一の闇医者を訪ねてきたってことは、もちろん覚悟してあるんだろうな?」


 そろばんを持ち出して物凄い指さばきで玉を弾いていく獅子彦……その顔はどこまでも楽しそうで、俺には生粋の悪魔に見える。指はいつまでも長い間止まることがなく、どんどん値が跳ね上がっていく。


 くっそ、最近はマトモな仕事してねーから大金なんか無いのに……仕方なかったじゃねーか、あんな状態の純也を治療できるのは、獅子彦くらいしかいねぇんだから。治療費、どうしよう……踏み倒したらまた獅子彦と血で血を洗う羽目になるんだろうな……コイツの闘い方は厄介なんだよなぁ……。


 パチンッ、と最後の玉が弾き終わった音。恐怖で引きつり、冷や汗が流れる顔で獅子彦のそろばんを覗いた瞬間、俺は生まれて初めて幽体離脱を体験し、そのまま魂が昇天しかけた。

 そろばんの読み方は詳しく知らねぇが、こんなに横の玉まで弾かれているのは初めて見た。今までの最高金額の七千万だって、ここまで横には行ってなかったような。


「……なぁ、獅子彦……」


「ん、なんだ?」



「…………肺って、二つあるから一つ減っても大丈夫だよな……?」



「臓器を売るまで切実か? っていうか、一つでも肺を失って大丈夫なわけないだろ」


「じゃあ身売り……」


「誰がお前なんか買うか。そんな人間国宝級な物好き、一度見てみたいがな」


 俺の捨て身で必死な案を、獅子彦は呆れ顔で一蹴しやがる。じゃあどうしろってんだよ! この遠回しに殺意を感じる治療費を!?




「……ま、今回の治療費は、別にいらないんだけどな」



「――――へ?」


 い、今、何て言った!? 獅子彦が、あの守銭奴の獅子彦がっ、金の亡者の獅子彦がっ!?


「オイ、誰が金の亡者だ。……俺の気分が変わらない内に、純也と話を付けてこい。あの子の精神はまだ不安定だが、お前の近くにいることで直に落ち着いてくるだろう」


 今日は最高潮くらいに気分が良いのか、それとも変なモノでも食ったのか、そろばんの玉を全て落として獅子彦は俺を診察室から追い出す手の仕草をする。

 バカみてぇに目を見開いてイスに座ったままの俺の前で、立ち上がる獅子彦。


「獅子彦、なんで――」



「……お前が誰かを『本気で護りたい』と再び思うことが出来て、更に生き延びてくれた。“保護者”として、それで充分さ」


 今度は唖然としてポカンと口を開けた俺の髪を、グシャグシャに撫でてくる。どこか嬉の感情を含んだ、優しいニヤつきの苦笑。

 “保護者”……こんな汚れた人間でも、お前は俺の保護者役を買って出てくれるのか? 俺の闇を全て知っておきながら。



「っ、親父面すんじゃねーよ、俺だってもう大人だっ」


 軽く睨み返してやったが、どこか口元がほころぶ。「まだまだ遼平はガキさ」と苦笑する獅子彦に背を向け、診察室を出て行く。俺は嬉しかったのかもしれないが、正面向かって礼を言うなんて、ガラじゃない。






「お前の闇を少しでも和らげてやることが、俺には出来ない。……こんなにも無力な保護者ですまない、遼平……」



 診察室の扉を閉めた後に聞こえた、小さな謝罪。きっと獅子彦はその言葉が俺の耳に届くことがわかってて、口にしたんだと思う。



「……あんたは無力なんかじゃねえ、限界まで尽くしてくれた。闇は元から俺の定めだから――――ありがとな、獅子彦」


 俺の呟きはあっちには届かない。でも、言葉として口に出させてくれ。



 《言葉》にしなくても伝わる俺達だからこそ、一番大切なことは口にしたい。その音がギリギリで届かない間隔、それが俺達の距離。


 それでいいんだよな? 獅子彦――。



     ◆ ◆ ◆


 病室のベッドでは、純也がクマのぬいぐるみを抱き締めて幸せそうに眠っていた。獅子彦が作ってやった、質素ながらも市販されていそうな完璧な出来の物だ。純也はとてもそのプレゼントを喜んだので、似合わないことこの上ない闇医者の少女趣味も、こんなところで役に立った。


 いつもなら自然に目が覚めるまで傍で待っていてやるが、今日はこれからの大切な話があるから起こすことにする。


「純也、純也。起きろ」


「ふぁ……? んぅぅ……なぁに、りょう?」


 軽く揺すられただけで目覚める純也は、とろんとした眼を擦りながら上半身を起きあがらせる。その無垢で、無知で、無邪気で穏やかな笑顔に、どう説明すればいいのか。これからのことを……今までのことを。


「……純也、よく聞いてくれ」


 いつになく真剣な顔つきをする俺に、不思議そうに小首を傾げてきょとんとする純也。その澄んだ青い瞳に、俺は自分の罪を言えるのか?


「まず……そうだな、お前は、風を操ることができるみたいなんだ」

 とりあえずは自身の能力から教えるべきだろうと、俺は考えた。


「……え? 『風を操る』?? そんな……人がそんなことできるわけないよ、りょう」

 「ホントに出来たらスゴイけどね〜」なんて冗談だと勘違いする純也に、どう証明すればいいんだ?


「嘘じゃないんだ、俺だって実際に見た時は目を疑ったが……確かにお前は、風を自在に操ってた」


 俺の言葉に何かに気付いて急に真顔になった、その表情に一瞬怯えた。鋭くなった澄んだ瞳は、濁りきった俺の心を貫いていく。



「……りょう、“どこで”僕が風を操っているところを見たの? 僕はその力で、“何をした”の……?」



「そ、れは……っ」


 俺はバカだ……その力とあの事件は、直結しちまうじゃねえか。

 言えるか? 『お前が俺の巻き添えに暴行された場所でその力を使った』と? 『風を操るその不可思議な力で、大勢の人間を殺した』なんて?


 獅子彦が何度か純也の思考を検査をした後に、『純也はほとんどの一般常識を知らない。どんな環境で育ったのかわからん。……が、驚異的に知性が高い。やはり、普通、ではないな』とか言っていたのを今更思い出す。

 そんな知性を持つ純也に、頭の回転が遅い俺がどう誤魔化せる? 何より……その真摯な眼差しに、どう嘘がつける?

 

 それでも……。


 それでも、言えるかよ……『その力で、お前は人を殺めた』だなんて、絶対に――!




「ねぇ……ねぇっ、答えてよりょう! その力は僕の記憶と関係あるの!? どうやったら風を操れるのっ!?」


 いつの間にか冷や汗で濡れていた俺の手を掴み、強引に身を乗り出して純也は詰め寄ってくる。コイツがそこまで焦っているのは、俺が青ざめた顔で震えていたからだと、気付くのが遅すぎた。

 問い詰め続ける純也と、頭の中の葛藤で沈黙する俺。……けど、不意に純也は黙り込んで俺の手を離した。何かに憑かれたような、感情のこもらない低い声で呟いて。



「そう、だ……自分、で、確かめればいいんだよね……?」



 無理に微笑もうとしているんだろうが、目が笑えていない。寝ながら抱いていたあのクマのぬいぐるみを両手の平に乗せ、温度も光も無い瞳で睨みつけると、地下の室内に風が吹き始め――。



 ふわふわと宙に浮いたぬいぐるみは、一瞬にしてバラバラに切り裂かれた。



 あの時の男達と同じように、見るも無惨に。

 あの時の粉雪と同じような、純白の綿毛をばら撒いて。



「あ…………ぁ……あ……うあああああああああああッッ!!」



 その舞い散る綿毛を呆然と見上げながら掠れた声を上げていたが、それはやがて甲高い悲鳴になる。頭を両手で押さえ込みガクガクと震え始めて、完全にパニック状態に陥っている純也。



「白が……紅が……たくさん人が死んでて……っ、身体がすごく熱くなって、頭が真っ白になって、全部壊したくて……消えろ消えろきえろキエロ…………りょうが怪我してる……人がたくさん死んでるっ!!」



 純也の頭の中に、あの光景が蘇ってるっ? しかも時間軸が乱れていて、衝撃的な場面や激痛の記憶だけが。



「ぼく、が、ころし、た……? 今みたいに、この力で僕がみんなを殺し…………りょうも傷つけて――っ!?」



「違うっ! 違うんだ純也! あいつらを殺したのは俺だっ、お前じゃない! 俺の怪我も、お前とは一切関係ない……!!」



 発狂寸前まで高ぶった純也の感情を治めようと、咄嗟にとった行動はその小さな頭ごと抱き締めることだった。

 “純也”という存在が今にもこの場で崩壊してしまいそうで、両腕に力を強く込め必死に耳元で、何度も「違うんだ」と繰り返す。



「りょうは……殺してないよ……覚えてないけど、わかるんだ。だって、りょうは優しい人だもん。頭が真っ白になった時、何も考えられなくなったけど、一つだけ……一言だけが僕の中にあった。――『全て消えてしまえ』って……」



 理性に寸止めされた発狂、思い出してしまった破壊衝動への罪悪感、それらは涙をはけ口として溢れて流れ出す。俺はまた、何もフォローしてやれないのか……この闇で雫を包み込むことしか出来ないのか?

 嗚咽混じりに、涙止まらないその瞳で、俺の両腕を強く掴み、純也は。



「ねぇ……りょう、お願、い…………僕を――――」


 言うな! 頼むから、その続きを言うな……言わないでくれ……!!




「――――殺して」


 俺はお前に、生きていてほしかったんだよ……。




「自分じゃ……死ねないの……死に方も、思い出せないの……っ。でも、いつまた人を殺そうとするかわからない、りょうを傷つけたりしたら、もう、ぼく……! お願いっ、早く化け物を殺してっ!」


「やめろ、やめろそれ以上言うなっ! 大丈夫だ、今のお前は人を殺したりしない。原因は、麻薬だったんだから」


 その涙の溢れたライトブルーの瞳を直視するのは、とても胸が苦しい。それでも、両肩を掴んで、目を合わせながら説得しようと焦り過ぎていた。


「麻薬……? 僕、麻薬のせいで暴れたってこと……?」


「あぁ。だから、麻薬に近づかなければ、」


「りょう。麻薬には、必ず『依存性』がある。きっと僕は、再び麻薬を求めて暴れるよ」


 なんで、そんなことがわかるんだ……!?

 一般常識にうといはずの純也が、なんで薬に限ってそんなことを知ってる?


「だからねりょう、もう二度と誰かを傷つけないために、今すぐ僕を、」




「嫌だっ!!」




 もう理屈とか、善悪とか、そんなんじゃねえ。“感情”だ、俺の身勝手な感情。ただそれだけが脳を支配して、俺に怒鳴らせた。


「あ……ごめん……こんな嫌なコト頼んで……」


「そうじゃねえ! 俺の手なんかいくら汚れたっていいっ、けどな、微かでもまだ光ある命を壊したくねぇんだよ!! 俺は……もう、光を絶ちたくない……」


 純也の両腕を掴んだまま膝から崩れ落ちていく俺は、どこか縋りついているようにも見えただろう。実際、そんな心情だったんだ。これ以上純也に「殺して」と願われたら、俺は自ら死を選ぶかもしれない。


 まだ生きられる、まだお前は光の道を歩けるんだ……残り少なくても。その道を絶ちたくない、『生きろ』と人に望まれたお前の未来はっ!




「じゃあ……《約束》しようよ、りょう」


「……約束?」


 俯いて歯を食いしばっていた俺に、温かくて穏やかな声がかけられる。顔を上げると、少しだけ憂いを帯びた、純也の微笑みがあった。



「今じゃなくていいから。僕が再び麻薬によって暴れた時、誰かを傷つけようとしたら――――僕を殺して?」



 それが純也の頼みで、その己を省みない願いはやっぱり、どこか翼に似ていて。

 俺が壊したくないのは何だ? 俺が一番壊したくなかったのは、何だった?


 純也の命、その小さな身体……確かにそうだが、一番は、



 ――《光》温かな心を、護りたかった。




 無邪気で無知で、誰よりも優しいその心を、温かな光を、傷つけないために。

 純也が紅で穢れ、その心に深い傷を刻み苦しむくらいならば、いっそのこと。

 その時は、俺の手で。




「……わかった、その《約束》、受けよう。ただし、ンな一方的な約束じゃ守れねぇ。俺にメリットがある条件付きなら、いい」


「条件?」


 不安そうな顔つきになって俺の『条件』の内容を待っている純也の、綺麗な白銀髪を撫でてやりながら一度にやけ、そして真剣な眼で言い放った。




「暴れてしまう時が来るまで、お前は一生懸命――――生きる努力をしろ」



「生きる……努力?」



「そうだ。生き延びて、生き抜いて、絶対に命を諦めるな。お前は俺が殺してやるから、それまでは。……できるか?」



 少し混乱気味の純也に微笑んでやり、「生きろ」とだけ言う。その言葉に敏感に反応した純也は、意志の強い瞳で首を縦に振った。

 だから右手の小指を立てて差し出してやったら、俺の小指を不思議そうに見つめてきた。


「これはな、『指切り』って言うんだよ。人と約束する時に、小指を結ぶんだ。『約束を破らない』っていう証」


 子供っぽくても、どんな誓約書よりも、『指切り』は約束の確かな証だと思う。

 俺のしてきた事を全て思い返した上でそれでも、もう一度、お前に“れる”のだから。




「《約束》だね、りょう」



「あぁ、絶対に守る」



 絡んだ小指の温もりは微かでも、あまりに重要な約束。けれど俺達はその時確かに、互いに笑顔でいられた。



 それは、白い闇が街を支配した冬、闇と光が《約束》を交わした日。










   ◆  ◆  ◆





 白い闇で息絶えた光の天使は、一度はその身を堕とされ、化け物と成り果てます。


 けれどその化け物の前に、再びあの闇の人間が現れました。


 闇の人間は己の全てを賭け、化け物の前に立ち塞がり、命の限り叫びます。



 “奇跡”を起こすことが出来るのは人間だけ。

 天使も、悪魔も、神でさえも成し得ない“奇跡”を起こしたのは、闇の人間でした。



 化け物の身から奇跡で救われた、けれど既に天使の羽を奪われていたその者は、何になったのでしょう?




 ……闇の人間と優しく残酷な約束を交わした瞬間、その者は《光の人間》になれたのです。純白の羽の代わりに、掛け替えのない大切な人を手に入れて。



 闇が光を呑み込むか、光が闇を消し去るか。

 それとも、それ以外の道を二人は歩んでいくのか――――さて、



 物語は、未だに紡がれ続けているようです。




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