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第三章『約束の想起、忘失の総記』(8)

『お姉ちゃん、きっといつか会いに来るから。ごめんなさい、ごめんなさい遼平……こんな私を許して……』


 俺の両肩に手を置いて、そう言い残して姉貴は連れて行かれた。



『…………』


 親父は、俺に異端の血と力だけを残して、背しか見せずに姉貴と去っていった。



『くっ、来るんじゃないわよっ、化け物っ! アンタなんか私の子じゃない、アンタなんか生まれなければ良かったのに! 嫌っ、来ないで……っ、嫌ああぁあぁっっ!!』


 唯一の肉親となったお袋の、最後の言葉。俺の声なんか、お袋に届くはずがなかった。



『ありがとう……遼平。遼平が親友で、本当によかっ……』


 俺を愛してくれた《家族》で、初めての親友は、俺に殺されながら笑顔で逝った。





 みんな……みんな俺の前から消えていく。


 俺のせいで…………指が触れた瞬間に、その映像は闇に呑まれ、壊されていく。


 もう何度目だろう、この真っ暗な夢は。闇へ浸り、どこまでも堕ちていく、この感覚は。








 ――――光――――?



 遠く、遥か遠く、上の方で何かが光った気がした。堕ちていく俺の手じゃ届かない、遠ざかっていくけれど。


 それは白に近い……銀色の光。こんなに離れているのに、その温かさがここまで届く。優しく、柔らかく、一筋の光が伸びてくる。



『――う……りょう……』



 誰だ? 俺を呼んでいるのか? 光のお前は誰だ? 闇の俺を……求めるのか?



 光へ手を伸ばし、闇の中を浮上していく。何故かはわからないが、行かなければいけない気がしたんだ。俺を待ってるヤツがいる。


 俺は光にはなれない、誰かを照らし温めてやることは出来ない。けど、闇はその静寂で悲しみを包み込める。


 待ってろ、必ずお前を迎えに行く。お前を独りにはしないから……泣くな――。





 俺の指が光に触れたが、その銀の光は闇に呑まれることはない。優しく、静かに、光と闇は混じり合っていった。



     ◆ ◆ ◆



「……っ、痛ぇ……」


 俺の意識を戻したのは、痛覚だった。腹をきつく何かに縛られていて……その痛みで目が覚めたんだ。



「あぁ悪い、起こしてしまったか? ま、一週間近く寝てれば、そろそろ目が覚めるとは思ってたが」


 聞き慣れた低い男の声に首を向けると、俺が寝かされているベッドの横に獅子彦がいた。その手に持った包帯を見る限り、どうやら俺の腹を縛り上げているのはそれらしい。俺の顔のすぐ脇に、血が染みた包帯が山になっていた。


「ちょっときつく巻きすぎじゃねぇのか……返って痛いぞ」


「お前なぁ、内臓の半分近くを切断された状態の手術に、どれだけ俺が苦労したと思ってんだ? 輸血は足りないわ、一時は心肺停止状態にまで陥るわで、俺がどれだけ冷や汗かいたか……これくらい我慢しろってのっ」


 思いっきり巻きかけていた包帯を引っ張り、更に強く傷口が締めつけやがった獅子彦。その痛みに思わず呻き声をあげてしまった。


「いってぇーっ、何しやがんだこのぼったくりヤブ医者! 俺が動けねぇからって調子乗んなよっ」


「お前が元気に動けたって、俺に勝てるかどうかは五分五分だろ。それと、『ヤブ医者』ってのは訂正しろよな。誰が重傷患者のお前ら二人を治してやったか忘れたのか?」


 ま、まぁ、確かにあれだけ致命傷を負った俺が生きてるのは、獅子彦のおかげであって―――



 ――――!?



「そうだ獅子彦っ、チビは!? 純也は助かったのかっ!? 『お前ら二人』ってことは……!」


「…………ああ、あの子も一命は取り留めた。もう既に意識を回復させてはいるが……ただ……」


「ただ?」


 俺の腹に包帯を巻き終えた獅子彦が、視線を逸らす。いつにないその仕草に、違和感を覚えて聞き返していた。



「……あの子に、会いたいか?」



「助かったんなら、俺はアイツに謝らなきゃいけねえ。とりあえず少しは動けるみてぇだし、会っていいだろ?」


「……俺は……お前が苦しむ姿を見たくない。遼平は、何でも独りで背負い込むから……」


「は? どういう……意味だよ」


「…………ついて来ればわかる。今あの子は眠っているはずだ」


 そう言うと、獅子彦は松葉杖を俺に渡して病室のドアを開ける。俺は杖をたよりになんとかベッドから立ち上がり、骨の節々が軋むのを感じながらついて行った。




「……おい獅子彦、この廃ビルの地下ってこんな奥まであんのか? ってか、どこまで歩かせる気だよ」


 獅子彦がいつも居る診察室は地上からの階段を降りてすぐの場所にあって、俺が寝ていた普通の病室はその隣り。この廃ビルの地下は……というより、もはやこのビル全体が、暗黙の内に獅子彦の所有物になっている。

 所々の天井に古い蛍光灯があるが、通路はぼんやりと薄暗い。そのせいで、どこまで廊下が繋がっているのかわからなかった。


「あの子が居るのは、一番奥の部屋だ。……それにしても、にわかには信じられないな、『風を操った』なんて……」


 俺に『なんでそんな部屋に居るんだよ?』と問わせないような、話題のすり替え。けど、俺も一応気になっていたことだからその話題に乗る。


「俺だって今思うと信じられねぇよ、あんな力。けど、あの時はそんなことを深く気にしてる場合じゃなかったんだ。実際、この眼で見たわけだしな……」


「あぁ、俺もその情報は“読んだ”し、お前の傷口は刃物以上に鋭利な『何か』に切られていた。信じざるを得ない、といったところだ」


「獅子彦、あの力の正体がわかるか? アイツは――」


 松葉杖で必死に歩いている俺に速度を合わせる獅子彦が、軽く俯いて首を横に振る。


「……いや、俺もあんな能力は聞いたことがない。それに、詳細を本人に訊きたくても、今はままならない状況だ」


「『ままならない状況』って……何なんだよ。おい、純也は助かったんだろ? 意識も回復したんだろ? お前、さっきから何隠してんだよっ?」


 さっきの物言いといい、獅子彦は明らかに何かを隠して……困っている。そんなハッキリしない言葉に、俺が更に追及しようとしたその時。



 突然、派手な金属音と何かを強打する大きな音、そして悲鳴にも似た叫び声が聞こえてきた。それは、この通路の奥から。



「くそっ、もう薬が切れたのか……!」


「あっ、獅子彦待てよっ、何なんだよっ!」


 いきなり走り出していった獅子彦を追おうとしたが、脚が痛んで走るのは無理。それでも松葉杖に頼りながら精一杯の速さで俺も最奥の部屋へ急ぐ。


「ったく、何だってんだよ!?」


 開け放たれた扉、獅子彦が駆け込んでいった部屋の光景を見て、俺は絶句した。





 冷たいコンクリが剥き出しの壁、電球一つしか照らさない小さな部屋。ベッドというより明らかに“実験台”のような、四角い鉄箱に横たわる純也。その細い両腕に刺さる無数の点滴と巻かれた包帯、そして――――両手首や両足、腰から首まで何重にも拘束する鉄鎖。



「はあああぁっ、があああぁあぁぁぁああっ!!」


 言葉のわからない猛獣のように、純也は己の身体を拘束する鎖を引き千切ちぎらんばかりに黒い鉄箱の上で暴れる。頑丈に寝台に固定されている鎖は、本当に今にも千切られそうで。小さな身体で鎖に抵抗し、手足で鉄の寝台を強打する純也を、獅子彦は必死に押さえ込もうとしていた。


「あぁあっ、苦し……っ、りょ…………あああああああぁぁあああ!」


「遼平、何ボーっと見てんだっ、手伝え!!」


 獅子彦の言葉に、ようやく我に返る。俺は思わず松葉杖を投げ出し、暴れる純也に駆け寄っていた。

 一見すると俺と闘ったあの時と同じようだが、何かが違う。そう、『破壊衝動』で暴れているんじゃなく、『苦痛』に身悶えているような……。


「純也、純也っ! 獅子彦っ、俺はどうすればいい!?」


 純也が寝かされている鉄箱は、ひどく冷たかった。そこに両手を置いて、俺は向かい側に立つ獅子彦に、身を乗り出し焦って訊く。


「遼平、お前はこの子の身体を押さえていてくれ。俺が鎮静剤を打つから、それが効くまで、押さえ込んでろっ」


 白衣のポケットから注射器の入ったケースを取り出した獅子彦に、頷く。だが喚いて身悶える純也の手足を押さえ込むのは、今の俺にとってかなり難しかった。純也の物凄い力を押さえ込もうとすると、腹や右腕の縫われた傷口が開きそうになる。


 もう俺の全体重をかけ、横から伸し掛かるように押さえ込むしかなかった。その時に左腕を純也に深く噛まれたが、そんな痛みで手を引くわけにはいかない。獅子彦が慎重に純也の腕に注射針を刺し、鎮静剤を流し込んでいく。

 その後数十秒程度はまだ渾身の力で暴れていたが、やがて純也の抵抗が弱くなっていく。そしてようやく動かなくなったと思ったら、首を落とし気を失って静かな寝息を立てていた。



「はぁ、はぁ、は……っ……な、んなんだよ、これ……」


 とりあえず状況が落ち着いたことを確認して、俺は純也から身体を離す。獅子彦は空になった注射器をしまうと、暴れた反動で純也の腕から抜けた点滴管を刺し直しながら話し始めた。


「……この子の一命を、今は取り留めた。しかし打たれた麻薬が、最悪だったんだ……よりにもよって、《ブラッディーヘル》だった」


 その名前……確か、新種の麻薬だったか? 《ブラッド》なんて呼ばれてる、『地獄の快楽を与える』とかいう……。

 俺の瞳を直視して、心を読んだ獅子彦は頷いて言葉を続ける。



「そうだ。しかしこの薬の快楽など僅か一時で、後は興奮し、狂ったように暴れるだけ。大抵の人間は、脳を侵されて筋肉や神経に無茶苦茶な指示を出され、限界を超えてすぐに死ぬ。奇跡的に一度落ち着いたとしても、この子のように……麻薬を打たなければ禁断症状で激痛を味わう。一度薬を打たれてしまっては、もう、命は長くない。その死が訪れる瞬間まで、苦痛から逃れられない」



「なんで……なんで、そんな……っ」


 黒い鉄箱の上で全身を鎖で拘束された姿はまるで、拷問を受ける囚人。点滴が刺された腕は腫れ上がり、鎖が巻き付けられた手首や喉には圧迫された内出血の痕、寝顔は疲労のためか苦しそうで涙の跡が幾重にも頬に。

 握った白い手は氷のようで、ひどく痩せ細っていて、薄い皮膚を通して微かな脈が俺の指でも感じられる。


 歯を食い縛って純也の手を握る俺に、獅子彦はまだ追い討ちを。



「今この子に打ったのは“鎮静剤”……正確には、『禁断症状を抑えるための弱い麻薬』だ。一時しのぎだが、この子を苦しみから解放するには麻薬を投与するしかない。《ブラッド》の麻薬依存性は桁外れに高すぎる。だがこの方法もおそらく長くは保たないだろう……身体が《ブラッド》を求めて再び暴走するか、鎮静剤に含まれる麻薬で廃人となるか。……現段階の医学では、助かる術は無い」



 獅子彦の言葉が、心の奥底まで深く突き刺さっていく。もう純也に触れることが出来なくて、身体に力が入らなくて、俺は瞳を見開いたまま床に両膝をつける。がっくりと首は項垂れて、小刻みな身体の震えは止まらなくて。



「お、れの……せいで……俺のせいでっ! 俺が触れたせいで、コイツまで苦しみながら死んでいく! 俺と出会わなければ、俺が存在しなければ、純也だって生きられたのにっ!!」



 本当に、俺は天性の破壊者だったんだ。この宿命に抵抗することは、逃れることは、所詮無理だったんだ。

 何一つ救えない――――誰かを護れるわけがなかった。





「……遼平、さっきこの子に腕を噛まれただろう。治療するから診せてみろ」


 俺の横にしゃがみこみ、獅子彦が穏やかな声で言う。わかってる、獅子彦は俺に追い討ちをかけたかったわけじゃない。むしろ、俺を苦しめないために事実を隠そうとしていた。

 人の心が“読める”から、人の考えることの予測がつくから、余裕のある、人が安心できるような態度をとる。誰に対しても平等に接する。それが獅子彦だ。



「…………悪い……しばらくココで独りにさせてくれねぇか。少し、頭を整理したい……」


「あぁ……わかった。鎮静剤の効果が消える頃にはまた来る」


 本当に獅子彦には感謝してる……こんな俺を理解し、心配してくれて――――だから。



 出て行こうとしてドアノブに手をかけた獅子彦が、ふと立ち止まる音。俺は床にへたり込んで背を向けたまま、顔を合わせることが出来なかった。


「もうお前に何度も言ってるけどな…………闇を独りで背負い込まないでくれ。お前の心が、壊れてしまう」


「……悪ぃ、獅子彦」


 俺の過去の全てを知りながら、それでも穏やかな声をかけてくれる――――だからこそ。




 扉は閉まり、獅子彦の足音は遠ざかって。その微かな残響さえ耳に届かなくなった頃。








「あ……ぁ……っ、ああああああああああぁぁあああぁあああああっ!!!」



 一滴の涙さえ落ちない、破壊者の慟哭が狭い部屋の空気を震撼させていく。あまりの大音量で自分が失神しそうなほど、喉から血が出るまで、ただ言葉にならない想いを叫び続けた。両手で頭を床に押さえつけ、うずくまる体勢で。

 許されないのはわかってる……けど、世界の全てに、俺の存在を謝るように。埃で汚れた床に額を擦りつけて。





 俺の心に亀裂が入り、少しずつ壊れていく音。その慟哭を、この惨めな姿を、目の前にしたらお前が苦しむだろ?


 だからこそ獅子彦――――いや、誰にも、この闇は見せられない。



 全ては俺が生まれたが故の罪なのだから……償いようのない罪なのだから……この闇、苦痛を、全ては俺が背負うんだ。



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