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第三章『約束の想起、忘失の総記』(1)


 純白に輝く羽を持った、無垢で無邪気で無知な天使が、人間の世界に舞い降りました。



 光の天使は、そこで初めて人間と出会います。

 ところがその人間は、闇の人間だったのです。

 何も知らない天使は、その者に強く触れてしまいました。


 闇の人間は無情にも光の天使を置いて去りましたが、次に現れた人間達にも天使は喜んで触れます。


 もう一度、もう一度だけでもあの闇の人間に会いたい一心で、天使は人間達の甘言かんげんを信じ込んでしまいます。



 気が付けば、天使の美しい羽は彼らによって力ずくでむしり取られ、痛めつけられ、玩具のようにもてあそばれていました。



 地上は汚いトコロ。世界は醜いモノ。人間は惨いシュゾク。

 けれど無知な天使は、どのような仕打ちを受けてもそんなコトは思いもしませんでした。


 ――――傷つけられ過ぎたその心はもはや、何かを“思う”ことすら出来なかったのです。



 ただ、




 ただ、初めて出会ったあの闇の人間の名を慕い呼び続けながら、もう一度だけ彼に触れてほしかったと願いながら、穢された身のまま白い闇の中で息絶えたのです。









第三章『約束の想起、忘失の総記』

 


 その年は、久々の厳冬だった。こんな汚れた都市東京にも、白が降り積もるぐらいの。


 ウチの事務所の部長が「こんな真っ白な日て、天使とか舞い降りてきそうやない?」とか言ってやがった。バカじゃねーの、二十歳はたち越えた男が“天使”って、ロマンチック通り過ぎて寒いんだよボケ。


 滑りやすい雪を踏みしめ、まだまだ降ってくる粉雪を忌々しげに見上げて俺はワイバーンを引きずっていた。朝は雪なんて降ってなかったから、タイヤに巻くチェーンがない……俺の運転じゃ、スピンして事故起こしちまう。だから、無様にもこのクソ寒い中を大型バイク引きずって帰路を辿ってるわけだ。

 こんなみっともないところを見られたくなくて、俺は裏路地を歩いてる。青いヘッドライトだけは点けて、まだ黄昏時なのに薄暗い路地を照らしながら。



 ふと、正面数メートル先の雪が盛り上がっている場所に気付く。

 なんでココだけ盛り上がってんだ?


 そう思ったのは一瞬で、次の瞬間には理解できた。あぁ、なんだ……行き倒れか。



 白い髪に雪と同じくらいの真っ白な肌、そして病院の入院患者みてぇな白い服。痩せ細ったその小さな身体は、うつ伏せになって既に半分雪に埋もれていた。



「おい、ンな所に寝てんじゃねーよ。邪魔だろが」


 おそらく死体だとわかりつつ、一応見下ろして声をかけてみる。すると頭の上の雪が僅かに落ち、首が動いた気がした。ほんの微かに、だが。

 ……生きてんのか?

 後ろ襟首を掴み、そのまま驚くほど軽い身体を引き上げてみる。四肢をぐったりと垂れさせながらも顔は僅かに上がり、幼い男子だとやっとわかった。

 疲れ切った表情なのに、瞳は水晶のような澄んだライトブルー。


「なんだ、生きてんじゃねぇか。てっきり死んでんのかと思ったぜ」

 

 ちっ、面倒臭ぇーモン拾っちまったな……。

 まぁ、俺には関係ねえんだが。行き倒れなんて裏社会じゃ珍しくもなんともねぇからな、通るのに邪魔だから道の脇にでも置いておくことにした。



「だ……れ……?」



 あ?

 とても小さな、絞り出したような声だったが、俺の耳は聞き取れた。にしても、いきなり初対面で「誰?」はねぇだろ。


「俺が誰だろうとお前には関係ねえよ。邪魔だから、どいてろ」


 そう言って、横の壁際に下ろした……つもりだった。が、あまりにもそのガキの身体が軽すぎたために、放り投げるようなカタチになっちまったんだ。

 壁に背中を軽くぶつけ、そのまま糸の切れたマリオネットのように崩れ落ちていく身体。……そして、もう微動だにしなくなる。


 まさか……死んだ?


 このまま無視して帰るには、少々寝覚めが悪い。しょうがねえから、俺はワイバーンを壁に預け、らしくもなく雪の地面に膝をついてチビのガキを抱き起こしてやった。


「おい、おーい、死んだのかー? ……生きてるよな?」


 ぐったりと首を落とし目を開かない顔の頬を軽く打ってみて、驚いた。コイツ、もうほとんど体温がねぇ。

 でも、さっきは確かに喋ったんだ、ついさっきまで生きていたはずなんだ。なのに、この冷たさ……それに骨と皮だけみてぇな細い腕、指。


 仰向けに抱きかかえてみて気付いたが、このチビ、服に血の跡がある。何かに貫かれたように左腕の服の部分に穴が空いていて、その周りの血はコイツのものだろう。だが、服は全く無事なのに胸から腹部にかけて所々にある大きな紅いシミ。

 誰かの血を浴びたのか……? 掠り傷なんてレベルの量じゃねえ、こんなに出血すりゃ大の男でもヤバイことくらい、俺にだってわかる。

 コイツ、一体……。



「だれ……誰なの……?」



 弱々しく開く瞳と同時に、チビはまた同じことを言った。生きてたのか……っていうか、なんでそんなに俺の名前を?


「あのなぁ、その前に――」




「僕は…………だれ?」




 は……?

 コイツが訊いてたのは、俺じゃなく自分の名前? ンなバカな。自分が誰だかわからないってのか?


「お前……自分の名前がわからないのか?」


「……うん……ねぇ、僕は誰……? 何も思い出せない……」


 『思い出せない』ってことは、捨て子のように“元から名前が存在しない”わけじゃねえんだろう。

 まさかこのチビ、記憶喪失とかいうやつなんじゃ……。


 俺の腕の支えから自力で上半身を起きあがらせてみるものの、もう体力の限界なのかチビはぐらりと再び後頭部から倒れていく。コンクリの壁に頭をぶつけないように、俺は焦ってチビの頭に右腕をまわし、なんとか抱き留めてやった。ったく、何なんだこのガキ。


 まるで氷を抱いているように冷たいチビの身体。やはり寒いのか、それとも何かに怯えているのか、俺の腕の中でずっと震えていた。小さな白い手で、俺の上着をぎゅっと握ってくる。



「……っ、生き、ろ……じゅんや……?」



 ふと、チビが自分でも驚いたような顔で呟いた言葉。口が勝手に喋ったように。そして、俺の顔を見上げてくる。


「ジュンヤだよ…………僕、純也! 僕の名前っ! 誰かがそう言ってたんだ……!」


 な、何なんだよいきなり。まぁ、思い出せたなら良かったんじゃねーの?


「誰に言われたんだよ、『生きろ』とか」


「えっ……と、だれ……誰? 温かい人……僕の――――」


 目を瞑って、おそらく頭の中に浮かぶ人物をはっきりとイメージしようとしているんだろう。でも、思い出す為に俺に強く抱きつくのはやめてほしいんだが。



「せんせい…………そう、“先生”! 先生の声だった……」



 先生? 教師ってことか? 学校の、とは限らねぇけど……でも、少しおかしくねぇか?

 普通、一番に思い出すのは家族なんじゃねーの?

 ……まぁ、俺は全然精神学だの医学だのわからねぇから、なんとも言えねえけど。


「良かったな、思い出せて。で、お前はこれから――」

 『どうするんだよ?』と訊きたかった俺の言葉は、遮られる。チビは、予想外のことを言ってきやがったんだ。



「僕、純也! お兄さんは?」


「別に、お前には関係ねぇだろ……」


「僕は、純也。お兄さんのお名前はっ?」


 屈託のない、どこまでも純粋な笑顔で。その笑みが、何故か強烈な懐かしさを感じさせた。

 だから、つい答えてしまったんだろう。




「俺の名は……蒼波、遼平」




 これが俺達の出会いで、全ての始まりだったんだ。



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