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第二章『交錯する死』(5)

 大きなバッグを抱えながら、地下への階段を降りていく。最後の段から足を下ろした時、遼平は病室の扉の前に立っている獅子彦に気付いた。


 おそらく、遼平を待っていたのだろう。「よぉ」と軽く手を上げて獅子彦は彼に向き直る。


「今、真が来てる。純也と面会中だ」


「……真が?」


 その一言を聞いただけで睨むように鋭くなる遼平の瞳。その眼を見て、獅子彦は苦笑で首を横に振る。


「大丈夫だ、お前が心配するような事態にはならないと前もって真を“読んだ”から、安心しろ」


「本当か?」


「俺がお前に嘘をつく必要がないだろう? 真も困惑していたし、純也をあのまま独りにさせておくのも良くないと思ってたからな、丁度良い」


 それでもじっと獅子彦が立ち塞がる扉を見つめる遼平の瞳を気付かれないように一瞬で“読んで”、彼はサングラスを指で引き上げる。遼平が『獅子彦を押し飛ばしてでも病室に入るべきかどうか悩んでいること』を読心術で知っても、闇医者には男が出す答えがわかっていた。



「…………わかった、じゃあ俺は帰る。コレを純也に渡しておいてくれ」



 おそらく純也の着替えなどが詰められているのであろうバッグを差し出し、遼平はすぐに踵を返す。その背中に、獅子彦は言葉を投げかけて。


「まぁ待てよ。お前に話しておきたいことがある」


「獅子彦?」


 白衣のポケットに両手を突っ込みながら、闇医者は立ち止まった男の横を通過し、地上への階段へ向かう。階段の一歩手前で振り返り「いいだろう?」とどこか重みのある笑みを向けられ、それに遼平は黙ってついていった。



     ◆ ◆ ◆



「……で、なんだよ話って」



 獅子彦の地下病院がある廃ビルの二階、おそらく元は何かのオフィスだったであろう広い部屋。埃は積もり、紙くずが散乱し、窓ガラスが全て割れている。コンクリの壁も剥き出し状態だ。


 そんな荒れた暗闇の部屋を何事もないように歩いていき、獅子彦はガラスの無くなった窓から黙って夜空を見上げる。それにならうように遼平も窓辺まで進み、獅子彦とは逆に夜景を背にして、その沈黙を守った。


 獅子彦がポケットから煙草を取り出したのを横目で見て、遼平は左手でライターを突き出し、器用にも獅子彦がくわえた煙草の先に火をつける。それから自分が出した煙草にも着火し、同時に紫煙を吐いて。


「遼平、煙草は『百害あって一利なし』、だぞ?」


「うるせぇ、お前が最初に出したんだろうが。医者のくせに吸ってんじゃねーよ」


「わかってるけどやめられないんだよなー。何より、頭が冴える」


 楽しそうに笑いながら夜闇へ紫煙を吐いていく獅子彦とは逆に、遼平は不味そうに俯きながら煙草を吸って、言う。


「それで、いい加減『話』とやらを始めろよ」


「あぁ……お前もわかってると思うが、純也の容態のことだ。一応、報告しておこうと思ってな」


「……どうなんだ?」



「単刀直入に言って、良くはないな。《ブラッド》の臭いを嗅いでしまったことで、身体が昔の服薬状態を思い出してしまった。いつも三日に一度飲ませていた鎮静剤じゃ、全く効果がない。だから今日はより強い鎮静剤を打ったが……その分、副作用も大きい。純也は当分ここに入院させる、心配するな、安静にしていれば大丈夫だ」




「……今のところは、か」



 低い声で鋭く言われ、一瞬獅子彦は息が止まる。その声音も言葉も、いつもふざけている遼平からでは考えられないものだったから。



「……その通りだ。結果的に、また純也の命を削ってしまったことには変わりないな。『毒をもって毒を制す』……言葉通り、麻薬の症状を抑えるために毒薬を使っている状況だ。強力な鎮静剤は、確実に純也の身体を蝕んでいる」



 横目で遼平を窺ってみると、彼は硬く瞳を閉じて何かの感情を堪えていた。両拳を握り締め、俯きながら。

 獅子彦は、言葉を続ける。



「正直、今生きているのが不思議なくらいなんだ。お前にも言ったと思うが、純也の余命は保って一年だとあの当時は診断した。ところが、あんな小さな身体のどこにそんな力があるのか、驚異の生命力であの子は生き延びている。……遼平、お前は一体純也にどんな魔法をかけた?」



「俺は何もしてねーよ。ただ俺は、アイツが暴走した時に殺す役目……純也を苦しみから解放する凶器なんだ。それ以下でも、以上でもねぇ」



 その言葉は、まるで己に言い聞かせるように。『それ以上』の想いを、持たないように。



「たとえお前がそう思っていたとしても、純也はお前を求めているんじゃないか? お前を……慕っているんじゃないのか?」


「やめてくれ……アイツは何にも知らないんだ。純也をあんな身体にしたのは、俺なんだぞ……!」



 ついに煙草を噛み潰し、遼平は背後の壁を右腕で叩く。拳の下のコンクリに、亀裂を生じさせるほどの力で。

 そんな彼を更に追い詰めてしまうことをわかりながら、それでも、まだ闇医者には言わなければならないことがあった。主治医として……唯一、蒼波遼平の全てを知り、見守る者として。



「それと遼平……純也の『記憶』についてなんだが」


「純也の記憶……? それがどうかしたのか?」


「最近、純也に変化が見られないか? どこかおかしいところとか……」


 そう言われ、遼平が思い出すのは先日のクリスマス・イヴの日のこと。純也が、遼平との記憶を忘れかけていた。

 それに最近、やけに純也がボーッとしていることが多い気がする。放心状態というか、どこか上の空な感じが。


「まぁ……小さくだが変化があるな。でも、俺との記憶を忘れるのが記憶喪失から治る『反動』なんだろ? なら、アイツの記憶が戻ってきてるってことじゃねえのか?」


 『記憶喪失患者は、元の記憶が戻る時に稀に、記憶を失っていた頃のことを忘れてしまう』、それを『反動』だと教えてくれたのは獅子彦だ。だが、遼平の言葉に獅子彦は首を横に振る。



「純也が記憶喪失になってから、もう約三年ほどになる。これほどまでに長い期間が経過しても思い出せないということは……もう、元の記憶が戻る可能性は極めて低い。だとすれば、何故今、純也の記憶が曖昧になっているのか――――原因はおそらく、鎮静剤の副作用だ」



「は……?」


 遼平が顔を上げ、獅子彦が振り向く。サングラスの奥の特殊な瞳を見据えて、遼平自身も目を見開いて。



「一度でも麻薬を使用してしまった人間には何らかの障害が起きるのは、知っているな。それは麻薬が、脳をおかすからだ。タチの悪い麻薬になると、脳髄を溶かすぐらいに。……そして俺が純也の麻薬依存症のために作った鎮静剤……アレもまた、麻薬に近い成分が含まれている。さっきも言っただろう、『毒をもって毒を制す』、と。だから、純也の肉体と神経は少しずつ鎮静剤に壊されていき、やがては廃人……あの薬の場合は、植物人間となる」



「あと……あとどれくらい時間があるんだっ? なあ教えてくれよ獅子彦っ! 純也が意識を保っていられるのは、あとどれだけ……っ!」


 遼平のこんな青白い顔を見るのは何年ぶりだろう。必死に問い詰めようとして、男は獅子彦の両肩を掴む。今の遼平に心の余裕など無い……その証拠に、彼の握力で獅子彦の肩の骨が軋みそうだ。が、それでも闇医者は最悪の告知をしなければならない。



「……俺にも、わからない。今日明日、血流障害や呼吸器停止が起こっても何もおかしくない。俺が診断した限りの余命を、純也はとうに過ぎているんだ。……いつ廃人となっても、おかしくないんだよ」



 あまりにも酷な言葉を口にしてしまう、自分を悔いる闇医者。本当はもうこれ以上、遼平に重荷を背負わせたくないのに。

 けれど獅子彦は、遼平に嘘がつけない。その心の闇を照らしてやることも、出来ない。



 なのに。



「悪ぃ、獅子彦。お前は、俺の無茶な頼みを聞いてくれただけなのにな。全て俺の責任なのに、お前に当たるような真似して……悪かった」



 両手を下ろし、遼平の身体から力が抜けていく。俯くと、黒に近い髪が表情を隠してしまう。



「全てがお前の責任だったわけじゃない。遼平は何でも、独りで抱え込みすぎなんだ。本当のことを話したら少しはお前も純也も楽になれるんじゃないか? ……お前が、そこまで純也にこだわる理由を」



「純也に話せってのか……? ンなこと出来ねぇよ……本当のことを知ったら、純也は……。あの時、翼を止めて俺が自分で死んでいれば……あの時、俺が純也を見捨てなければ、こんなことには……っ!」



 遼平は窓に向き直り、横の縁へ左拳を叩きつける。残っていたガラスが砕ける音と共に、皮膚に欠片が深く突き刺さって紅を流すが、それでも何度も何度も、遼平は縁を壊し続けていた。



「……やめろ遼平。そんな風に苦しむお前を、翼も純也も、望んじゃいない。あいつらは、お前の幸福を願っていたはずだ」



「本当に幸せになるべきだったのは、あいつらだったのに……! 俺はっ、俺の手はっ! 壊すことしか出来ねぇ……護るために、壊すしか……」



 途中から我を失ってガラスを粉砕していた左拳が、不意に止まる。気が付くと、ガラス片に裂かれ、貫かれた左手は血であふれていた。







 あの冬、雪の日から、もう三年が経つ。



 破壊の左手は、今年も真紅に染まっていた。





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