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第二章『交錯する死』(4)

「乗れ」



 名前で呼び止められて、何かと思って振り返ったら、いきなり。


 希紗がその言葉の意味もわからず疑問符を頭の上に浮かべまくっている間に、澪斗は既に愛車の運転席に乗り込んでいた。そして、呆然とした顔で突っ立っている希紗に、眉間にシワを寄せながらもう一度、「乗れ」と言う。


「……え?」


 やっと出てきた言葉は、一文字だけ。しかも、全く状況が理解出来ていない、という意味の。そんな希紗に、澪斗は呆れたような顔で助手席を指差す。


「言語が理解出来ない馬鹿は蒼波だけで充分だ。早く助手席に乗れ。家まで送ってやる」


 その言葉に、今度は絶句。もはや希紗は疑問とか驚きの声さえ出せない。ポカンと口を開けたまま澪斗を直視していると、彼も怪訝そうに見つめ返してくる。


「どうした? まるで悪魔が人間に親切にしているのを見たような顔をして」


「そんな光景見たことあるの? ……っていうか、その比喩の通りだわ……」


 常に良くも悪くも直球ストレートど真ん中の発言ばかりの澪斗が、最近、馬鹿真面目な彼にしては珍しい『比喩』という会話技術を覚え始めた。しかもその比喩が妙に的を射る。やはり氷見谷に帰って人間性を取り戻したのか……しかし果たしてコレは喜ぶべき成長なのだろうか。


 普段と同じ無感情そうな顔で言ってきたから、別に何か企んでいるわけではないとわかるのだが。だからこそ、希紗は澪斗の真意がわからない。

 とりあえず助手席のドアを開け、乗り込みながら彼女は問う。


「どういう風の吹きまわし? 珍しいじゃない、澪斗が車で送ってくれるなんて」



「明日からの依頼、かなり厄介なのは貴様もわかるだろう。俺達は、誰から狙われてもおかしくない状況にある。そんな時に、こんな暗い夜道を女一人で歩くのは危険だ。よって、貴様に万が一の事が無いように俺が家まで送ってやる…………という迷惑な頼み事を、真からされたのだ」



「……最後の一言が無かったら、私嬉しかったんだけど……」


 「何故だ?」と不思議そうに尋ねてくる澪斗に、本当に人の心が……いや、乙女心がわかっていないと溜息を吐く。まぁ、乙女心に敏感な澪斗なんて想像しただけでも気持ち悪いのは確実だが。



「希紗、顔が奇妙に歪んでいるぞ?」


「うわっ、女の子に普通そういうコト言う!? もう、なんでもいいから車出してよっ!」


「俺に指図するな」


 顔を赤くして頬を膨らませ、女がフロントガラスを指差す。その言葉に不機嫌になりながら、男はエンジンをかけた。




 同僚の自宅位置を把握している澪斗は、今更道を訊くまでもない。制限時速を守りながら、青いスポーツカーは走る。

 しばらく無言の車内。けれど、ふと希紗が。


「真、なんだか一番先に帰っちゃったけど……どうしたのかしら?」


「おそらく炎在医師の病院だろうな」


「純くんのトコ、か……」



 獅子彦に病室を追い出されてから、四人はとりあえず事務所に戻った。依頼は明日からということで、その警備計画を立てるために。


 だが、どこか上の空で警備配置を棒読みする真、誰とも目を合わせようとしないで俯く遼平、瞳を伏せたまま腕を組んで無言を貫く澪斗、落ち着かなさそうにそわそわと手元をいじる希紗で、事務所は最後まで嫌な空気のまま。

 誰もが暗黙の内にわかっているのだ、全員あの少年のことを考えているのは。けれど、決して誰もその名は口にしなかった。


「真のことだ、あのまま純也を放ってはおけまい。かなりショックだったようだからな」


「それは私も同じよ、まさか純くんがジャンキーだったなんて……」



「……軽蔑する、か?」



「そんなことないっ! 澪斗だって、純くんを軽蔑なんかしてないでしょ!?」


 身を乗り出すように横へ振り返り、希紗は叫ぶ。その必死な顔を横目で一瞥して、澪斗は再び視界を正面に向けた。


「……さぁな。まぁ、己の意志に反して中毒になってしまったのなら、同情には値するだろうが」


「同情なんて言い方……しないでよ……」


 同情などをすることが、もう既に軽蔑に繋がっているような気がして。見下しているような気がして。

 事務所に居る間ずっと、『どうしたら純也を助けられるだろう』とか『これから彼にどう接すればいいのだろう』とか悩んだのに、希紗には答えが出なかった。無力で無知な自分が、ひどく嫌になる。



「純くんはいつも……自分の最期を感じながら生きてたのかな」


 鎮静剤の副作用によって廃人となるか、遼平に殺されるか。どちらにしろ、あまりに残酷な結末ではないか。そんな自分の最期がわかっていて、何故あの少年は今まであんな表情で笑っていられたのだろう。


「純也は愚かではないからな、忘れたことは、あるまい」


「遼平も、ずっと……。ねぇっ、私達じゃ助けられないの!?」


 十字路の信号が赤になり、車はゆっくりと停止する。その赤を見上げながら、厳しく諭すように「希紗」と口にした。



「俺達には、純也の命をながらえさせる力も手段も無い。……人は遅かれ早かれ、必ず、死ぬ」



 希紗の僅かな切望すら否定する、重苦しい言葉。しかしそれは、紛うことなき事実であり真実であった。


 そんな男の横顔は、職人の彫刻のように怖ろしいほど整いすぎていてかつ、人形以上に感情を浮かばせない。



 澪斗の言葉は真実で、真理。冷たすぎる現実を突きつけられて、希紗は反論の言葉が浮かばない。抗いたい、けれど彼女もわかってしまうのだ、この問題にハッピーエンドなど存在しないこと。




「……だが、俺達に出来ることが無いわけでもない」


「澪斗……?」


 男の方から切り出された言葉。

 彼は今にも泣き出しそうな希紗へ振り向き、ふっと何かを伝えるように眼を細めた。何故だかその瞳が、『まだ泣くんじゃない』と穏やかに言ってくれているような気がして、彼女は涙を堪える。



「気にしないことだ。純也や蒼波からしてみても、俺達に気遣われるのは逆に心苦しいだろうしな。蒼波の言うことが正しいのならば、純也はそれでも生きようとしているのだろう? 俺には、貴様らと共に居た時の純也が、不幸だったようには見えん。……遅かれ早かれ、人は必ず死ぬ。ならば、大切なのは《どのように死んだか》ではなく、《どうやって生きたか》ではないのか? 今までのような幸福を感じて生きていければ、どのような最期だとしても純也なら笑顔で逝ける……俺は、そう思う。そう、願う」



 あの澪斗が、他人の……純也の心を思いやって出した答え。突き放すようでいて、何の解決策でもないようで、けれど少年の幸福を想って彼が辿り着いた結論。

 その“答え”通りに少年と接していくには、かなりの覚悟が必要で、困難なのに。



「……それが澪斗の、答えなのね」


 微笑みを取り戻せた希紗は、目の端の涙を拭う。自分の“答え”を述べた澪斗の眼が、とても温かく見えたから。いつもの無愛想な表情なのに、彼の言葉に、その穏やかな音に、救われた気がしたから。


「別に、俺の答えというわけではない。……ただ、純也ならばこう願うかもしれん、と思っただけだ」


「それに遼平も、ね」


「あんなヤツはどうでもいい。結果的に蒼波も含んでしまっただけだ」


 遼平の名を出されて不機嫌になった澪斗に、可笑しくて小さな笑いを堪える。そんな希紗にむっとした表情になりながらも、澪斗は信号が青に変わったので再びアクセルを踏み込んだ。


 うっかり遼平への答えまで出してしまい、それに不機嫌になって顔にその感情を如実に表す澪斗に、思わず緩んでしまう頬。なんだか自分で墓穴を掘った彼がいつになく可愛らしくて、彼女はクスクスと肩で震えを抑えてみる。


「……笑うな。不愉快だ」


「だ、だって澪斗が自分一人で不機嫌になってるから〜」


 先ほどの涙は笑い泣きに変わり、希紗は目尻を指で擦ってついに笑い出してしまう。ハンドルを握る澪斗の指先が小刻みに揺れるのが、わかる。


「まったく、何なんだ貴様は…………落ち込んでいたと思ったらすぐに笑いおって」


「あれ? もしかして澪斗、私のことも気にかけていてくれたの?」


「違うっ、誰が貴様のことなど気にかけるものか!」


 冗談混じりで言ってみたら、すごい勢いで振り向かれて叫ばれてしまった。澪斗が猛否定するために身を乗り出してきた為、笑っていた希紗と顔同士がとても近くなる。その超至近距離に、希紗の鼓動が一気に速まり、顔面が熱くなってかなり焦った。


「ちょっ、澪斗っ、前見てよ前っ! 運転中でしょっ!!」


「あ、あぁ、すまん……」


 何故だろう、澪斗自身も自分の言動に動揺したように、眼鏡を指で直しながらフロントガラスに顔を向ける。無理矢理何かの感情を抑えているのがわかってしまう表情だったが、顔を反対側の窓ガラスに逸らして赤面している希紗にはそれが見えなかったのは、果たして幸か不幸か。



 後ろへ流れていく街の灯りを見て、彼女はふと夜空を仰ぐ。冷たく蒼い月だけが浮かぶ、漆黒の闇を。



 真は、遼平は、純也は――――今頃どうしているだろう。


 音にならないように唇だけ小さく動かして、「私達は純くんを想ってるよ。……みんなが幸せであれるように、私は祈ってるよ」と。

 今まで、皆のどんな過去を知っても何があっても、自分達は仲間であれた。『中野区支部』であれたではないか。


 それなら。


 何を今更、悩んでいたのだろう。何を考える必要があったのだろう。“答え”なんて今更、出さずとも。




「……どうした、希紗? 貴様は無理をすることはない、だから――」


「ううん、違うの。私、なんだからしくなかったみたい。もう、大丈夫。……さぁ〜て、心機一転! 新しいセキュリティトラップの案が浮かびまくりそうだわ!」


 大きく両腕を伸ばして、彼女らしいあの遊び心に満ち溢れた顔になる。「貴様の発明もある意味、厄介なんだがな」と呟いた澪斗も、その声音は余裕の冷たさに戻れて。


「また変なトラップを作るなよ、貴様の罠は敵味方区別なく陥れるからな……」


「今回は大丈夫だって! せっかく湾に添ってる倉庫なんだし、海の幸を使うに限るわよね! ナマコとかどうかしら?」


「絶対やめろ! あんな気味の悪い生物……何に使う気だ!? 大体、東京湾にナマコがいるものかっっ」


「あはははっ、やっぱり澪斗、『ナマコ苦手』なんだ? 聖斗せいとの言ってた通り〜」


 冗談にまんまとはまった澪斗の顔色を見て、彼女は手を叩いて喜ぶ。澪斗の双子の兄、聖斗からの入れ知恵だったようだ。


「希紗、兄上の御迷惑になるだろうっ、あまり連絡をとるな!」


「え〜、でも聖斗、いつも嬉しそうに通信に出てくれるけど? 案外ヒマなんじゃない?」


「う……、あ、兄上はその優しい御心(ゆえ)に貴様を気遣っておられるのだっ、きっと! 研究の邪魔になるだろうがっ」


「はいはい、わかりましたよ〜だ。……でも、澪斗はちゃんと連絡してあげてね? 聖斗、本当は澪斗と喋りたいんだと思うから。あ、私はそこのアパートの前で下ろしてもらっていいわ」


 兄の話になると途端に敏感になる澪斗にまた笑ってから、希紗は明るい小綺麗なアパートを指差す。男は念のために周囲の気配を調べてみるが、どうやら危険な気配は感じない。それに一人で頷いて、女を下ろしてやった。



「送ってもらってごめんね、助かったわ」


「希紗」


「ん?」



「明日から、過酷な仕事になる。今夜はよく身体を休めておけ」



「……ありがと、澪斗」


 少しはにかんだ笑みで、希紗は車内の澪斗に手を振ってからアパートに入っていく。ちゃんと自室に安全に戻るまで後ろ姿を確認して、彼は車を出した。






 ハンドルを切ってから、気晴らしにとラジオのスイッチを入れる。洋楽のどこか物悲しいジャズが、英語で静かに流れて。


「まったく、今日は騒がしい一日だったな。……全員、どうかしている」


 ふとそんな言葉を口にしてしまってから、少しだけ自分自身に驚いた。独り言など、らしくない。



「……どうかしているのは俺も、か。純也、貴様は――――」



 独言を紡ぐのをやめ、澪斗は欠けた蒼い月を見上げる。都市の汚れた大気が見せる、幻想的な蒼。

 傲慢な人間に色を犯された衛星は、かつての星々と同じようにいつかこの空から消えるらしい。黒く濁った都市ガスに、隠されて。



 少しずつ、消えてゆくその光。暗く濃く深い人間の闇に強引に葬られる、その儚さは――。




 ――感傷など彼らしくない。月を誰かに重ね合わせてしまうなんて尚更、らしくない。


 しかし澪斗さえ、心のどこかで願ってしまうのだ。あの少年の幸福な生を。



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