第二章『交錯する死』(2)
「だ、だから冗談は……」
「冗談なんかじゃねえよ……お前らにはずっと黙ってたが、コイツは重度の麻薬中毒者なんだ。お前らと初めて出会った、あの時から既に」
その漆黒の瞳は真達を見ているようで、遠くを眺めるような光の無い双眸。重々しく、淡々と、吐き捨てるように言う。
「な、んで……純くんは麻薬なんかに……?」
麻薬中毒者が珍しいわけではない。むしろ、そんな人間は裏社会にゴロゴロいる。
だが、“あの純也が”ということが問題なのだ。この少年は麻薬に手を出すような人間ではないし……第一、中毒者が普段あんなに平常心を保っていられるものだろうか。
「……俺の……せいなんだ」
懺悔のような、小さく弱々しい声。一瞬、誰が放った音なのかさえわからないほど、それは遼平の声色ではなかった。
「初めて純也と道ばたで出会った時、俺は……純也を見捨てた。記憶喪失で行き倒れていたコイツを、俺はそのまま放置したんだ。……けどその後、純也は……偶然……ガラの悪い連中にからまれたみてぇで……抵抗する力も無いまま暴行されて、遊ばれて、無理矢理麻薬を打たれて…………俺が駆けつけた時にはもう、純也は……!」
紅い雫が、一滴床へと落ちていく。
その血は、自分の犬歯で唇を強く噛み締めた遼平の口から。両拳を爪が食い込むほど握り締めて、彼は言葉を続けられなくなる。
その様子を見ていた獅子彦が、これ以上遼平に語らせるのを苦に思い、至って冷静な声で医学的解説を述べる。
「地獄の血――――《ブラッディーヘル》と言ってな、俗称は《ブラッド》。即効性のある新型の強力な覚醒剤だ。その名の通り血のように紅い液体で、微かに異臭を伴う。体内に流し込まれるとすぐに効果を発揮し、理性を失わせるほど精神を興奮させ、破壊衝動の快楽を与え、人間の体力の限界すら突破させる。……要は、我を忘れて、普段より格段に激しく暴れまくるってわけだ。だがそのあまりの薬の強さ故、暴れながら肉体の限界がきて死んでいく。仮に一度理性を取り戻せたとしても、神経はボロボロになっているからすぐに死ぬ、最悪の薬ってとこだ」
長いがなるべく分かり易いように解説してみても、あまりの唐突な真実に仲間達は獅子彦の言葉が呑み込めない。
頭が、理解を拒否したがっている。それでも、目の前に横たわる現実。
「……俺が駆けつけた時にはもう、純也は自我を失ってた。苦しみながら凄まじく暴れるコイツを俺は全力で止めて、なんとか獅子彦に助けてもらったんだ。けど、ブラッドは依存性の高い麻薬で…………今は獅子彦の作った禁断症状を抑える薬を飲んで精神を正常に保ってるが、いつまた暴走するかわからねえ。だから、《約束》したんだ――――再びコイツが暴走するようなことがあれば、俺が、純也を殺すと」
あまりの告白に、誰もが思わず息を呑む。あの澪斗すら。しばしの張りつめた沈黙……けれど、ベッドに腰掛けたままの澪斗が無感情を装って。
「……本気か、蒼波」
「こんなタチの悪ぃ冗談、言わねぇよ。俺が純也を居候にさせてる理由は、それだけだ」
澪斗に返された、冷たい音と漆黒の瞳。いつもふざけた態度ばかりの遼平が見せたその表情は、恐怖すら感じさせる。
「あ……っ、アホなことぬかすな! 純也は、あんたと一緒に居るんを心の底から……!」
幸せに想っていたのではなかったのか。いつも遼平の傍にいた少年は、嘘偽りなど微塵も無い心からの純粋な笑顔で。
それは、隣りにいる男が自分を殺す人間ではなく、かけがえのない大切な存在だったからではなかったのか。
「これは純也自身が望んだことだ。純也が願った、《約束》なんだよ。……時がくれば、俺はその《約束》を果たす」
その言葉に躊躇いや迷いが一切感じられなくて、真は怒りのあまりに遼平の胸倉を掴む。いろんな激情が混ざった、憎しみに近い声で。
「なら、なんで今までそれを黙ってた! せめて麻薬中毒者だって知っとったらあんな場所には行かせなかったんに……っ!」
「……じゃあてめぇらは何なんだよ……」
胸倉を掴み上げられながら、遼平は俯いて震えた低い声を出す。ギリギリと歯を食いしばり、急に顔を上げ真を睨んで、叫ぶ。
「てめぇらにだって、他人に知られたくねぇ過去があんだろうがっ! コイツはな、麻薬中毒者だって知られて嫌われるのが怖くて、ずっと怯えてたんだよ! ずっと苦しんでたんだよ! ……それにいずれ純也は、禁断症状を抑えている強力な鎮静剤の副作用で廃人になるか、暴走して俺に殺される! どっちにしろ、長くは生きられねえ……記憶が無くて、人にはねぇ力があって、余命が短いことを知っていても、コイツは生きようとしてんだっ! それぐらい隠したって、お前らに何の責める言われがある!? 俺が――――!!」
「…………りょ、う……」
小さな、小さな、かすれた息のような音。
その声に遼平の怒号が止まり、見下ろしてみれば、自分の上着の裾をベッドに寝ている少年の指が掴んでいた。まだぼんやりとした意識の中。
獅子彦がベッド脇にしゃがみこみ、純也の脈をとる。そして顔色を覗き込んで。
「目が覚めたか、純也。気分はどうだ?」
「安定してるみたい……まだちょっと眠いけど。ダメだよ遼、病室で大きな声出しちゃ……」
優しく、弱い微笑みしか出来ない表情で、純也は点滴の刺された腕を上げて遼平の制服を掴んでいた。その少年の表情に、熱くなっていた遼平の思考は急激に温度を下げ、真の腕を振り払って沈黙する。俯いた彼の瞳には、再び自責が浮かんでいた。
「まったく、純也の言うとおりだな。……ほれっ、病室で静かにできない無駄に若い奴らは、とっとと出て行けー!」
闇医者は立ち上がって四人の警備員達の襟や腕を掴み、引っ張っていって病室の扉へ押しやる。そして、有無を言わせず全員を閉め出した。
しばらくドアの向こう側で四人が黙りこくって立ち尽くしている気配がしていたが、やがて彼らが無言で帰って行く足音。それが遠ざかっていくのを、獅子彦はドアに背を預けながら聞いていた。
「先生……ありがとう」
「いいや、俺こそ騒がしくさせてしまって悪かったな。…………自分で言いたかったか?」
まだ身体を寝かせながら、少年は首だけ横に向けて闇医者と視線を合わせる。とても悲しそうなのに、それでも懸命に笑顔を作ろうと。
「……いいんだよ。きっと僕からじゃ……言えなかったから……」
泣き出してしまいそうなのを必死に堪えて無理に微笑んでいるが、澄んだ空のようなライトブルーの瞳は震えていた。その眼をサングラス越しに見つめて、獅子彦は首を横に振る。
「そんなことを考えるな。お前はもう、独りにならないから」