第4話 「聖杯」 ◆
うっすらと雪が舞う北部地方の小さな村。煉瓦を丸くドーム状に積み上げたこじんまりとした家の一つが、この地方を治めるギルドの本部拠点だった。
外は氷点下の気温にも関わらず、厚いレンガの壁と燃え盛る暖炉の火のお陰で、家の中は充分に暖かい。
戦士カッツェは、エルフの青年ヴァイスとギルド長である少年ノエルに向かい合って椅子に座り、自身がはるばる南方の国から北部地方まで旅をしてきた理由について、重々しく語り始めた。
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「南の地に伝わる『聖杯』の伝説は、知っているか?」
「『聖杯伝説』ですか……。遥か昔、創造主である神がこの世界を作り終えたのち、神の力を龍の形の盃に込め、大地の奥深くに埋めた。その聖杯を手にした者は、神と等しい力を持つことができる。……という伝説のことですね」
ヴァイスが、エルフに伝わる太古の伝承をカッツェに述べた。
「そうだ。いま、南の地に異変が起きている。魔物が突然強大な力を持ち、人を襲うようになったのだ。魔導学者の中には、魔物族が伝説の『聖杯の力』を手に入れたのではないか、と懸念している者もいる」
「しかし……エルフ族最古の長老たちの中でも、『聖杯』などという物が実在するのか意見が分かれているものですよ。神の力を宿せるという聖杯が本当にこの世に存在するのだとしても……この世に生きる生命がそんな強大な力を使いこなせるはずがありません。魔物族が伝説の聖杯を手にしたという根拠は、何かあるのですか?」
ヴァイスは眉間に皺を寄せ、顎に手を当てる。あまりに突然なカッツェの話に、未だ信じきれないという表情だった。
「根拠は無い。調査に送った兵団はことごとく全滅し、帰ってきた者はいないからだ。しかし、何もせずに手を拱いていても、南方の村は次々と魔物に襲われてしまう。俺の故郷も……魔物にやられた」
カッツェが硬い表情でそう告げると、ヴァイスとノエルは目を見開き言葉を失った。それでもカッツェ自身は落ち着いた声で、簡潔に事態の説明を始めた。
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故郷を失ったカッツェは、しばらくの間、南方諸国の各地で日雇いの傭兵をして生計を立てていた。そんな生活の中で目にしたのは、南方諸国の王族達の目も当てられない醜態だった。
南方諸国の王たちは、精鋭として送り込んだはずの調査兵団が全滅したことで、完全に恐慌状態に陥っていた。
各国が自分の国を守ることしか考えておらず、諸外国をまとめて指揮を執ることのできる権力者が誰一人としていなかったのだ。それどころか、自分達だけが助かろうと早々に他国へ亡命する王族も出る始末。
その結果、南方諸国はじりじりと国力を下げつつあった。さらに悪いことに、「国力低下に付け込まれて他国から攻め込まれるのでは」と懸念した王族は、他国への救難(SOS)も出し渋っていた。
このままでは、いずれ南方諸国だけではなく、世界各地が魔物に制圧されてしまう――。カッツェはそう危機感を抱き、生来の正義感から居ても立ってもいられず、各地の魔導士や戦士に協力を仰ぐべく、単独でこの北部地方まで旅を続けて来た。
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そこまで話して、カッツェは息をついた。
「すまぬ。事情も知らぬ北国の者に突然こんな話をすること自体、礼儀を欠いているのは重々承知している。しかし、俺の勘だが……事態は一刻を要するように思えるのだ」
カッツェが改めてノエルとヴァイスに向き直り、深々と頭を下げた。
「お前たちの腕を見込んで、お願いする。どうか、南方諸国を魔物から守るため力を貸してはくれまいか」
カッツェの言葉に、ノエルとヴァイスは一瞬だけ顔を見合わせ、即座に回答した。
「もちろん協力するよ! むしろ、なんでもっと早く言ってくれなかったの!」
「そうです。世界規模の危機に比べたら、ギルド同士の領地争いなど取り止めたものを」
「すまん、正直に言おう。お前たちが俺の力を測っていたように、俺もお前たちの真の実力をこの目で確かめたかったのだ……。
北の地に、二人の最強術師が束ねるギルドがあるという噂は、かねがね聞いていた。しかし実際に会ってみて、お前たちがあまりに若く……こんな若者を危険に巻き込んで良いのかと思い、言い出すきっかけを失っていたのだ。
だが、今日この目で見て確信した。お前たちは正しい心と力を持つ術師だ。
俺が南方からこの地に来るまでに協力を仰いだ術師や戦士は皆、先に南方諸国へと向かっている。
俺は、噂を頼りに北部最強の術師――つまりお前たちを探しにここまで来た。
俺はこれから南方諸国に戻る。どうか、一緒に来てほしい」
そう話し、カッツェは再度頭を下げた。
*
「事情はわかりました。我々だけでなく、最大限の協力も要請しましょう。すぐに準備に取り掛からなければ」
ヴァイスはすぐに立ち上がり、早速ギルド中枢部隊の招集にかかる。
「大丈夫、安心して。きっとうまくいくよ」
ノエルも立ち上がり、力強くカッツェを励ます。
まだ十代の年端もいかない少年が中年の男を励ますというのもおかしな図だが、何故かノエルの言葉には不思議な説得力が感じられた。
(これが、「精霊の加護を一身に受けた少年」と異名をもつ者の力なのか……)
そう考えながら、カッツェはノエルとヴァイスに丁重に礼を述べた。
「最後にもう一つお願いがあった。聖杯の話と南方の魔物襲撃の話、あまり一般市民には話さないでくれ。北の国の民までパニックに陥ってしまっては困る」
「心得ています。適当な理由をつけて、私とノエル様だけがギルドを抜けた方が良さそうですね。後のことは、代任者を立てて任せておきましょう」
ヴァイスがてきぱきと様々な書類や手紙を準備しながら答えた。
「本当に何とお礼を言ってよいか。……お前たちの助力に、感謝する」
北国の民の真摯な姿勢に感銘を受けながら、カッツェははるか故郷の南方の国々へと思いを馳せるのだった。