第2話 「ギルドマスター」 ◆
「はぁ、はぁ、はぁ」
小高い丘の上を目指し、少年が足場の悪い岩肌を一心不乱に走っていた。淡い金髪が激しく乱れ、白い頬は上気して赤味を帯びている。
背後から、ばさり、ばさりと恐ろしく大きな羽音が聞こえてきた。
振り返れば、確実に殺される――。
少年の吐く息が白く後ろに流れ、額にじわりと汗が滲んだ。全力を振り絞り、少年は丘の頂上へと駆け上がる。
(ここまで来れば――)
そう思い、後ろを振り返る。
――ばさっ!!
身長の倍ほどもある巨大な大鳥が、今まさに鋭い鉤爪を振り下ろそうとしていた。少年は身をのけぞらせ、とっさに両手を前に突き出すが――。
*
「おい、起きろ。小僧」
野太い声が聞こえて、ノエルは目を瞬いた。
「あれっ、大鳥は?」
「そんなの、俺がとっくに退治したぞ」
「えっ、……どうやって?」
「どうやってって、この火弓と俺の炎魔法で、丸焼きよ。骨まで焼き尽くしてやったぜ」
ニンマリと笑うその男は、年の頃三十代半ば。日に焼けた筋肉隆々の体を武骨な鎧に包み、口元には無精髭を生やしている。いかにも流しの用心棒といった風貌だ。
「あー燃やしちゃったのか。ガルーアの爪、取れなかったな……。でもおじさん、戦士なのに魔法使えるの? 凄いね!」
「まぁな、俺ほどのレベルにもなると魔法くらい……。と言っても、火属性魔法しか使えねぇけどな」
「あのガルーアを一人で倒したんでしょ? 凄いよ!」
少し興奮気味にノエルが褒めると、男は大きな口を開けて豪快に笑った。
「ははっ、このくらい朝飯前だ。噂じゃ、ある伝説のギルドマスターが本気を出せばガルーア数十羽を一瞬で焼き払えるって噂だぜ」
「……あぁ、あいつ図体は大きいけど、火に弱いからね」
一瞬だけ、ノエルの表情が曇った。
ガルーアは巨大で凶暴だが、火に弱い。その体に火を点けると非常に燃えやすいことが知られていた。そんなガルーアから獲れるガルーアの爪は、北の地では簡易的な火薬の代わりとして使われていた。
男はノエルの表情の変化に気付かないまま、話を続けた。
「ところでお前の名前は? こんな荒れ地に子供一人でどこから来たんだ?」
「えっと……僕はノエル。ちょっと用事があって北部地方から来たんだ」
「北部地方と言えばここからまだだいぶ先じゃねぇか。もうすぐ夜が更ける、子供一人じゃ危ないぞ。夜が明けたら俺が送ってやるから、今日はここで休んでいけ」
「あ、ありがとう。じゃあお言葉に甘えて……」
確かに少年の出で立ちは、この岩山では明らかに異質だった。雪兎のような白い耳当てに、白いマフラー、やや上質そうな白いコート。足には厚手のブーツを履いている。背には小さな革製のリュックを背負っているだけで、武器らしい武器は何も持っていない。
薄い色の金髪と真っ白い肌はいかにも外歩きに慣れていなさそうで、まるで『近所を散歩するつもりがうっかり遠くまで来てしまった』という恰好だ。
男は岩場に薪を組むと、燃焼の呪文を短く唱えた。すぐにメラメラと真っ赤な炎が燃え上がる。
少年と男がいる場所は、ちょうど大きな岩と岩に挟まれた砂地になっており、幸いにも冷たい風は入ってこない。さすがに寝心地が良いとは言えないが、寒さを凌ぐにはまぁまぁの寝床だった。
「噂ではな、そのギルドマスターは表舞台から姿を消し、今じゃ一人で自由奔放に暮らしているらしい」
「へぇ、おじさんみたいだね!」
「おじさんて言うな! 俺の名前はカッツェだ」
カッツェと名乗るその男は、伝説のギルドについてノエルに語った。
そのギルドは「クリスマス・ファミリー」と呼ばれ、結成から僅か数年で北国三大勢力の一つにまで急成長した謎の多いギルドだった。入団には何重にも課せられた厳しい試練があり、最近では例え屈強な猛者でも加入できる者はごく僅か……らしい。
「そんなに厳しいところなんだ」
「まぁな。そうやって急成長したギルドは他のギルドから目を付けられやすい。ゆえに、ギルドマスターは姿を隠し、その居場所を誰にも教えていないんだそうだ」
「おじさん、随分とそのギルドに詳しいんだね!」
「えっ?! あぁ……まぁ、風の噂でな」
少し慌てたようなカッツェの顔をノエルが不思議そうな目で見つめていると、ぽいっと寒さ除けのマントを渡された。
「さぁ、もう寝ろ! 明日は早いぞ!」
*
「……ノエル様! 私に一言も無くどこに行っていたんですか! まったく、心配させないでください」
カッツェがノエルを伴って北部地方の村に着くと、几帳面そうなエルフの男が足早に近づいて来てノエルを出迎えた。エルフの男は少し長めの藍色の髪をキッチリと七:三に分けている。
「ごめん、ヴァイス。研究用にガルーアの爪を取りに行っていたら、うっかり寝ちゃって……」
ノエルは頭をかきながらも、悪びれる風でもなく応えている。
「……で、こちらは?」
ヴァイスと呼ばれたエルフの青年は、薄縁のメガネをくいっと押し上げながら、切れ長の鋭い眼差しでカッツェの方を見つめた。
「あ、聞いてよヴァイス! この人はカッツェ。僕をここまで送ってくれたんだ。
でね、カッツェはなんと戦士なのに炎魔法が使えるんだよ! うちのギルドに入ってもらおうよ!」
「ん、お前のギルド……?」
カッツェはまだ事情を呑み込めずに、口を挟む。
「お前とは何ですか! ここにおられるお方は、若干十歳にして各属性の最強魔法を極め、”クリスマス・ファミリー”を立ち上げたノエル=クラウン様ですよ!」
ぴしゃりと言い放つヴァイスの言葉に、カッツェは驚いてノエルとヴァイスを交互に見つめた。
「なにっ?! じゃあ、伝説のギルドマスターというのは……ノエルお前……」
「黙っててごめんね。でもカッツェがもし悪いやつで二人きりの時に襲われたら、僕やられちゃうから。魔導士って近接戦には向かないんだよね。僕も戦士の才能が欲しかったなーー」
顔の前で手をぱちんと打ち合わせ、ノエルがカッツェに謝った。
「だから外を出歩くときは必ず護衛を付けて下さいと、あれほど言ったでしょう!」
「それじゃ逆に目立っちゃうじゃん! 僕だってたまには自由に出歩きたいよ!」
ノエルとヴァイスが口喧嘩を始め、カッツェは困ったように口を挟む。
「えぇと……。それで、俺がそのギルドに入れるっていう話は……?」
「「もちろん」」
ノエルとヴァイスの声が揃う。
「いいよ!」「ダメです」
「えぇーーなんでだよ、ギルドの最高意思決定者は、僕だろ!」
「勝手に決めないでください、人事部門と執行部門に話を通さなければ、許可できません。この男がもしノエル様の暗殺を企む輩だったらどうするんですか!」
「大丈夫! カッツェはいい奴だよ、たぶん」
「そうやってあなたが誰でも彼でも入団を許可するから、人数が増えすぎてしまったんでしょうがっ」
(――なるほどな。結成したばかりのギルドが急成長した原因て、こいつ(ノエル)か……)
カッツェはガルーアが舞う北国の寒空を見上げ、苦笑いしながら呟いた。
この回は、自作短編「ギルドマスター」から連載用に書き直し、一人称→三人称などに変更しています。