短編『地球観察レポート 「連動型広告とバーチャルリアリティの発達した世界」』
【地球 2049年4月10日】
私は三日前から、惑星文明観察員としてこの地球に派遣された。
地球は青く美しい星だが、近づいてつぶさに見てみれば他の観察対象惑星とそう変わらない。そこに住む知的生命体は、大国が表立って戦争こそしないものの、法律や科学などの面では未だ途上の最中にあって、小国は貧しさに苦しんでいる。もちろん、原始的生活をいとなむような文化黎明期の知的生命体ほど荒々しい生活をしてはいないが、先進的な我々の文明に比べれば遥かに後進的で雑然とした生活レベルにあるといえよう。
観察員としての仕事は始まったばかりだが、既に地元の食べ物とベッドが恋しい。任期は100年。まだまだ先は長い。
【地球 2052年6月27日】
観察員として赴任してから3年がたつ。ウラシマシステム(体感時間を圧縮してくれるシステム)により、体感時間としては実質3ヶ月ほどしか経過していないのだが、一人でいるとどうも時間の流れが遅く感じられる。
さて、今回はすこし面白い話題を用意できた。地球では未だ劇的な変化こそ見られないが、興味深い革新の兆候がひとつ浮かんできた。
まず地球のインターネット業界では、かつての我々と同じく、検索エンジンなどを運営する巨大な企業が買収に買収を重ねて様々なサービスを牛耳っている。ネットサーフィンをしている際に表示される広告もそのひとつだ。
こうした広告は、その巨大企業が管理する蓄積データを元に表示されている。
例えば一人の地球人が、Aというサイトで『X』という商品を購入したとする。すると、サイトAとは一見関係のないようなサイト(この場合はサイトBとする)に、『X』と関連のある広告が表示されるようになる。
これはサイトAとサイトBが、どちらも巨大企業であるCの傘下にあり、「サイトAで『X』を購入した」というデータが、サイトBに表示される広告の自動選別に利用されるためだ。
つまり、巨大企業を介したデータの共有化がなされているということだ。もしサイトAで『Y』という商品を購入した場合は、サイトBで表示される広告は『Y』にまつわるものになるし、『Z』という品を買った場合は『Z』の広告が表示されるようになる。もちろん商品を購入していなくても、その商品ページにアクセスするだけで、この効果が発揮されるケースもある。そのほかにも、ユーザーの検索データをもとに広告を表示したりするなど、データの取得元や表示方法は様々だ。
私はこうした広告表示メカニズムを総称して『連動型広告』と名付けた。
そして2050年代、こうした巨大企業によるデータの平行活用は、ついに日常生活に関連するものにも食い込み始めた。
この時代の地球では、既にコンタクトレンズを使用して網膜に映像を投影する手法が確立され、一般に浸透し始めている。いわゆるVRコンタクト(VR=バーチャルリアリティ)と言われるものだ。専用のコンタクトレンズを通して、バーチャルリアリティの世界を視ることができる。
これを装着して街中を歩けば、様々な電子広告が街中を飛び交う様子を確認することができるし、街ゆく人々を見てみれば、プライバシーを犯さない程度の個人データ(簡潔なプロフィールなど)が表示されるようにもなっている。我々が日常的に体感している仮想現実を作り出す技術が、この地球ではようやく一般的なものとして普及しはじめたのだ。
もちろんネットを牛耳る大企業の数々がこれを見逃すわけはない。仮想現実内での電子情報の活用効果を最大にするため、巨大企業がここ1年ほどで、バーチャルリアリティに関わる企業を次々に買収していった。
その目的は言わずもがな、バーチャルリアリティ世界での『連動型広告』の活用だ。傘下企業から寄せ集めたデータを使い、街中に飛び交う電子広告の内容をユーザー好みにフィッティングするというのは、確かに効果的かつ効率的な情報活用術だ。それまでの地球では、街中に掲げられている広告というのは、全ての人に対して同じものを見せていくというスタイルだった。だがVRコンタクトが広く一般化した後は、それぞれのユーザーの好みに合った広告が適時表示されていくことになる。
つまり、複数のVRコンタクトユーザーが全く同じ広告表示位置を見ていたとしても、そこに見えている広告は同じとは限らない。ある人に見えている広告は新しい医薬品のものかもしれないし、またある人に見えている広告は自動車販売のためのものかもしれない。そんなふうに“見ている人”によって表示される広告の内容が、全く違ったものになっていくのだ。
もちろん、試みとしては未だ試験段階にあるため、実際の効果のほどはわからないが、革新的な出来事にはかわりないし、我々にとっても、今後の地球観察の目玉となるであろうことは間違いない。
この3年間、辺境の惑星に赴任してきたことを後悔するばかりであったが、途上文明の観察もなかなか悪くないと思い直してきた。
今後どうなっていくのか、実に見ものだ。
【地球 2088年11月3日】
惑星観察員として地球に赴任してから、もう随分経過した。こちらの生活にも慣れたもので、最初のころのように体調を崩すことも少なくなった。
さて、前々から報告してきた地球文明の進化だが、最近それに陰りが見え始めてきた。この星は途上文明としては異例の進化スピードを誇ってきたのだが、このところ進化率が徐々に衰えてきている。報告メールに添付したデータを見てもらえばわかるとおり、特にここ数年の伸び率低下は異様だ。低下そのものは10年前から始まっている。
最初は私も、途上文明によく見られる『足踏み状態』に陥っているのかと思っていたのだが、それにしては停滞期間の長さと進化率低下のペースが異様すぎる。
そこでどのような問題が発生しているのか詳しく調べてみたが、どうやらこれはバーチャルリアリティの普及と、随分まえに報告した『連動型広告』が大きな原因となっているらしい。
以前から報告していたように、バーチャルリアリティ内での『連動型広告』の効果は絶大だった。
特にVRコンタクトが普及してからは、連動方法のバリエーションも爆発的に増えた。今では毎時毎分のバイオリズムデータまでもが巨大企業のデータバンクに蓄積されていき、VRコンタクトや身の回りの様々なデバイスに転送されていく。そうすると各機器のコンピュータはデータを細かく分析、その日の服装や毎食の献立、読みたい書籍まで、何もかも自動的に選んでくれるのだ。
たとえば朝目覚めた時は、その瞬間の気分を正確に汲み取って、統計学的に導き出した“最も気持ちよく目覚められる音楽”を勝手に鳴らしてくれるし、ベッドから這いずりでる頃には、その時の気分に合った朝食が自動的に食卓へと並べられるのだ。そして朝食を平らげると、そばには寝巻きから着替えるための衣服が一通り揃えられてある。こちらも察しの通り、その日の気分にマッチしたものがチョイスされている。
しかし、このあまりに便利すぎるサービスが、地球人の文明としての成長に歯止めをかけているらしい。
仮想現実にまで侵食した『連動型広告』と、それを応用した生活サポートが、日常生活の中で生じる細々とした思考機会をことごとく排除してしまったため、イノベーションに必要な創造的閃きまでも阻害してしまっているのだ。
考えても見て欲しい。バーチャルリアリティが普及してから生まれた若い地球人などは、過度に充実した生活サポートのおかげで、生まれてからずっと「その人好みのもの」ばかり与えられてきたことになる。そうなれば、結果として自分の好みに沿った物事しか考えられなくなるのも、なんら不思議ではないはずだ。
発達しすぎたバーチャルリアリティによる生活の補助が、思考の放棄を生じさせ人間を骨抜きにする。この地球文明の間では、これが完全に社会問題と化してしまったのだ。いや、もはや惑星規模での社会的病理と言えるかも知れない。それほどにこの問題は根深いものになってしまっている。
もちろん、業務をサポートしてくれる観察用コンピュータも私と同じ結論を出した。因果関係は証明されているのだ。詳しくはデータとして添付しておいたので、そちらを参照してもらいたい。
もしかすると、このままでは地球文明が崩壊してしまうかもしれない。悲観的にすぎる意見かもしれないが、私にはそう思えてならないのだ。
だが、我々には途上文明に対しての不可侵が定められている。ただただ彼らを観察することしかできないのだ、私には……
【地球 2112年3月19日】
地球文明はずいぶん堕落してしまった。衰退の一途だ。
この惑星にはかつてローマ帝国やオスマン帝国などという大国があったようだが、驚く程の広大な国土を誇りながらも、次第に国力が衰え壊滅してしまった。この地球も、かつてはローマやオスマンに比ぶべくもないほど巨大に膨れ上がったが、今ではその栄華の残滓すら残ってはいない。
国のためではなく、ただ自分たちが生き残るためだけに戦争を繰り返す人々。警察機構も形骸化し、盗みを働いてはぼろ切れのように殺されていく子供たち。阿鼻叫喚の図とはこのことを言うのだろうか。当初こそ見るに耐えかね、観察も疎かになっていた私だが、今では人の死や悪意の氾濫にも慣れきってしまった。
医者がいうには精神病の一種とのことだ。医療技術が進み、精神病の概念すら希薄になっている我々の文明では、私のような者はたいへん珍しい存在だという。
幾度も提出した転属願いが一向に受理されないため、結局私は職そのものを辞することになった。
これが私の送信する最後の観察レポートとなる。しばらくは片田舎にでも住んで療養するつもりだが、もはや怒りや喜びが自分の中に湧いてくるとは思えない。治療としてテクノロジーに頼ることも、今では何故だか恐ろしいのだ。
……レポートからすこし話が逸れてしまった。細かい観察データは添付して送信してある。特に語ることはないので、詳しくはそちらを参照して欲しい。
これにて私の最終レポートを終了させてもらう。連絡自体もこれで最後になるだろう。
それでは、お元気で。
正確には拡張現実、MRの話なんですが、わかりやすさを重視してバーチャルリアリティ、仮想現実と称しています。