Act7.「異変」
「はぁー……、今日も疲れたなぁ〜」
授業を全て消化し、開放感に浸っていた優奈は、ため息と共にそう呟いていた。
──いつもなら、ここで直斗君が隣から話しかけてくれるのに。
左斜め前の席の由人も話し相手がいないせいか、何だかつまらなそうだ。
ちなみにこの後、彼と一緒に直斗が入院している総合病院までお見舞いに行く予定がある。
しかし、優奈が由人と二人きりになって話したのは今朝が初めてで、話す話題も正直言って皆無だ。
元気だけがとりえの彼女も、気まずい空気を打破できるハイスペックな会話力は持ち合わせていない。
放課後になり、いつ話しかけるべきかしばらく迷っていたが、このまま黙っていても埒が明かないので、ついに意を決して、
「よし、島崎君! 行こう!」
と、大声で叫んだ。
すると、由人は少しビクッとしながらこちらを振り返り、
「あ、ああ。わかった」
何だこのテンション? とでも言いたげな顔でそう答えた。
──しまった……驚かしてしまったかな。まぁいいや。とりあえず行こう。
心の中で自己完結しつつ、視点と体を廊下の方向に向けた。由人がまだ準備を済ませていないので、優奈だけが先に廊下に出ようとした──。
次の瞬間、突然何者かからブレザーの裾を掴まれた。
「うわっ!」
進行方向とは真逆に引っ張られた優奈は、驚きと共に後ろに倒れそうになるのをどうにか堪える。
素早く姿勢を立て直し、後ろを振り返った優奈の目に映ったのは、少し俯き気味で立つ、親友の花音だった。
「どっ……どうしたの、花音ちゃん?」
「あ、あの……私も行っていい?」
「えっ?」
おそらく話の流れから考えるに、直斗のお見舞いのことを言っているのだろう。
直斗と花音は何度か話したことがあるらしく、意外と意気投合していたようだ。優奈には全然よく分からないSF何とかっていう話題で……。
──あれほど話してたわけだし、直斗君の心配をするのも当然だよね。それに、私と島崎君の二人で総合病院まで行くのはちょっと厳しいし。(精神的に)
彼女を連れていくことに何のデメリットもないと判断した優奈は、
「いいよ、一緒に行こう!」
という結論に至った。
「あ、ありがと……」
花音は俯いたまま、とても小さな声でそう答えた。
その後、嬉しそうに──優奈にはそう見えた──、
「ちょっと待ってて!」
と言って、鞄を取りに教室へと消えていった。
そして廊下には優奈と、準備を済ませた由人だけが残された。
あ、結局気まずくなったじゃん。というツッコミを心中に留め、優奈はどうやってこの状況を打破するべきかと考えていた。
だが、優奈よりも先に、おそらくこちらも同じことを考えていたのであろう由人が仕掛けてきた。
「な、なぁ。星宮」
「ど、どうしたの。島崎君」
数秒の静寂。
「宇宙人って、いると思うか?」
聞き間違えでないことは確かだろう。
由人はこんな危機的状況(精神的に)で未確認生物の話を振ってきたのだ。
──普通、こういう時って無難な話題から始めない!?
とはもちろん口に出さず、
「な、何で宇宙人!?」
そう聞き返すと、
「いや、何となく」
と、真顔での返答が戻ってきただけだった。
要するに、話題が無さすぎるが故の異問だったらしい。
しかし、この気まずさを打破できるかもしれない話題を無下に捨てることもできない。
何か答えないと。
優奈は普段ではありえない状態まで脳をフル回転させて、うまく話題を繋ぐ返答を考えた。
ここで、普通に「いないんじゃない?」で答えると、間違えなく会話がそこで途切れる。
かと言って、あんまりわざとらしい返答──例えば、「実は私、宇宙人に会ったことあるんだぁ」とか──だと、これからの由人の優奈を見る目が大きく変わってくるだろう。
返答の模索と、それに対する否定案をひとしきり出し切ったところで、優奈はとある一つの回答に思い至った。
わざとらしくもなく、かと言って話題が途切れることもなさそうな返答。
──だけど、これは私のイメージに関わる可能性が……。
でも今は迷っている暇はない。
私のモットーは、未来より今を大切にする! だし。
数々の脳内葛藤を片付けた優奈は、いよいよ覚悟を決めた。
軽く息を吸い、
「う、宇宙人は、いるんじゃないかな!」
「!?」
──終わった、変な目で見られた。
これで優奈には明日から「不思議ちゃん」というレッテルが貼られるのだろうか。
今更ながら自分の言ったことに対して、後悔の念を抱きつつ、由人の返答を待った。
だが、彼の返答は優奈の予想の斜め上を行くものだった。
「おぉ、やっぱりそう思うか!」
「え?」
「いやぁー、宇宙人を信じているという人に出会ったのは、この一六年間という短い人生の中で初めてだよ」
満面の笑みでそう言い放った。
それもそれで何だか嫌なんだけど。という思念を捨て去り、どうにか話題を繋いだ安心感に心を委ねる。
──その後、ひたすら島崎君が宇宙人存在説について熱く語りつづけたことは言うまでもない。
花音が戻って来たのは約十分後。
優奈が心を宇宙人やらUMAやらに侵略されかけていた頃だった。
「ごめん、遅くなった」
「遅すぎるよっ!」
もう既にツッコミがツッコミでなくなっていた。
◇◆◇◆◇◆
「それで、宇宙人がどこの世界に住んでいるかという仮説のことなんだが……」
つい先ほど、学校内で花音と合流し、こうして総合病院へと続く道を歩いている最中なのにも関わらず、由人は延々と話を続けている。
優奈が数分前に余計なことを言ったばっかりに、こんな状況に陥っているわけだが、何も話さずに気まずくなるよりはマシだろう。
ちなみに、花音はというと、
「……というのではないかと俺は思う。園田はどうだ?」
「私も同意見だわ」
という感じに、普通に会話に溶け込んでいるわけだ。
優奈は、念のためと花音に耳打ちで確認を取る。
「あの、花音ちゃん、嫌なら無理に話に乗らなくても……」
「いや、私も宇宙人とか興味あるから」
「…………」
──こっ、この二人は仲良くなれる……!
確かに、これで花音の人間関係が広がるのであれば優奈にとっても喜ばしいことなのだが、「宇宙人」という話題なのがちょっと気になるところだ。
「そろそろだな」
二人の今後の関係について途方に暮れかけていた優奈の思考が、由人の何気ない一言によって現実へと引き戻される。
前方へと目を向けると、由人の言う通り、総合病院が目視できる距離まで近づいていた。
「あれが、総合病院?」
お見舞いに来るのが初めての花音は心なしか嬉しそうに聞いてくる。
「うん、そうだよ」
優奈は一言、そう答えた。
「せっかくだし、お見舞いに何か買っていかないか?」
由人の提案に、優奈と花音はほぼ同時に頷いた。
「確か、近くに大きなショッピングモールがあったはずだよ」
優奈は言いつつ、自分のあやふやな記憶を辿り、由人にどうにか場所を伝える。
「えーと、あそこの角を左に曲がって、突き当たりを右……だったかな」
「ふむふむ」
くねくねとした道を右へ左へ歩き、道案内を始めてから数分、例のショッピングモールを確認することができた。
辛うじて目的地に到着できたのも、ある程度地域に詳しい花音の補足説明があっての物種だろう。
お見舞いに何を買おうかなどと楽しく会話をしながら店内に入った瞬間、優奈は異様なまでの寒気を感じた。
まるで、何者かが彼女達が来るのを待っていたかのような感覚。しかも、寒気という感覚的な面だけでなく、視覚的──つまり、店内の様子も何かがおかしかった。
見たままでこの状況を説明するならば、
「人が全くいない」
今までここには何度か来たことがあるが、その時は駐車場にたくさんの車が止めてあり、店内は「賑やか」の一言だったはずだ。
しかし、今優奈の視界に映るものは花音と由人の二人のみだった。
「どうしたの、優奈?」
呆然と立ち尽くす優奈を見て不審に思ったのであろう花音が、隣から声をかけてきた。由人も心配そうな顔で優奈を見ている。
「えっ!? いや……、何でもないよ」
二人は不審に思わないのだろうか。しかも夕方という時間帯も相まって、人が全くいないという状況は万に一つもありえないはずだ。
私がおかしいのだろうか?
一瞬ながら、優奈はそう考えた。
──そうだ。私は疲れ切っているせいで、錯覚に陥っているんだ。きっと、二人には店内にいる人がちゃんと見えているんだ。
それならこの状況にも一応の説明はつく。
もう考えることすら嫌になった優奈は、勝手な自己解決で思考を停止させてしまった。
──くだらないことを考えている時間があるなら、さっさとお見舞いを買って直斗君に会った方がいい。
心からそう思った。