Act3.「悪夢」
──ここは、一体どこだ?
長い長い落下感覚から、ほんの一瞬の浮遊感に変わり、静かに何か硬いものの上に着地した直斗は、真っ先にそんな言葉が頭に浮かんだ。
恐る恐る目を開けた彼が見たもの。
それは、たくさんの瓦礫、弾痕、血跡が散乱している、痛々しい土地だった。
どこかの街であることは間違いない。いや、「街である」というより、「街であった」と過去形にした方がより正しい表現になるだろう。
それもそのはず、元は高層ビルだったのであろう建物は全壊し、信号機や歩道の花壇に植えられていた木々も倒れ、今や瓦礫の山の一部と化していた。
その瓦礫の山の上で目覚めた直斗の脳には、既に今の状況整理をするための余力など残されてはいなかった。
彼はとりあえず顔だけ動かし、辺りをゆっくりと見回す。建物がほとんどないせいか、かなり遠くまで視認することができた。
だが、人はおろか生き物の一匹すらも見つけることはできなかった。
──もう、疲れた。
たった一日の間に、直斗は様々な体験をした。
その中には、もう二度と体験したくないような出来事もあった。人間は慣れないことをすると疲れていくというのはどうやら本当のようだ。
その後の思考の全てを放棄し、静かに目を閉じようとした瞬間──。
「!?」
背筋に粟立つような冷たい戦慄が走った。
例えるなら、体中を何かが這い回っているかのような感覚。
もしかして──“あいつ”なのだろうか?
正体がわからない以上、“あいつ”と揶揄することしかできない存在。直斗の体に宿っているかもしれない、影の人格。
いつも考えるより先に行動に移したがる性分の彼にとっては、この状況は苦痛以外の何者でもない。
「くそっ……どうすることもできないのかよ……」
と、ため息と同化したような声を漏らす。
考えることも、動くこともしたくなかった。
しかし、僅かに心に残っていた危険察知能力がそれを許そうとはしなかった。
──ここは危険だ。
本能と言うべきなのだろうか。とにかく直斗自信でも理解できないあやふやな感情が、ここに滞在するのを頑なに否定していた。
「こういう時は素直に従うべきかな……」
ひとりごちつつ、両手を支えに立ち上がる。
「……っと」
不規則な足元の瓦礫に、少しよろめきながらも姿勢を整える。
「さて、どっちに行けばよいのやら……」
目的地があるならまだしも、ここが何県のどこなのか、もしくは──ありえない話だが──地球上ですらないかもしれないこの状況で、彼が向かう指標など皆無と言って差し支えない。
こんな時にSF小説とかならナビゲーションが居てもおかしくないシチュエーションだが、現実にそんなものを求めても詮無いことだと即座に一蹴する。
せめて、先程からずっと背筋を駆け抜けている冷たい感覚の正体が、何か手がかりにでもなってくれれば。という願望が、直斗の脳内を駆け回っていた。
──その時だった。
ここからかなり離れている場所で、何か爆発音のようなものすごい音が響いた。
思わず耳を塞ぐが、間に合わない。
「っ……!」
音は一瞬で鳴りやんだようだが、耳を塞ぐのを遅れたせいか、しばらくキーンという音が残響のように居座っていた。
「なんだったんだ、今の……」
最初はそう思った。
だが、直斗はこの音を何度か聞いたことがある。
二年前の、あの戦争で──。
◇◆◇◆◇◆
「直斗君っ……!」
優奈はこの病室で、もう何度呼んだかもわからない幼馴染みの名前を呼んだ。
けど、その呼びかけに本人からの返答が返ってこない。いつもならすぐに笑って答えてくれるのに……。
──直斗君が倒れたと聞いたのはほんの数十分前だった。
今日は直斗と由人の二人で放課後に勉強会をしていたことは優奈も知っている。彼女も部活さえなければ行っていたかもしれない。
そしてここからは当人から聞いた話だが、由人が飲み物を持ってこようと一階に行って、帰ってきた時にはもう直斗は意識を失っていたらしい。
つまり、由人が一階に行っている数分間の間に何かがあったらしいと考えるのが妥当だろう。
直斗が病院に緊急搬送されたと聞いた時には、母親に買い物を頼まれていた途中なのにも関わらず、すぐさま病院へ駆け出していた。
幸い、スーパーと病院は徒歩でも五、六分くらいで着くほどの近距離だった。
下の受付で病室を聞くと、看護士の制止を振り切り、廊下を全力疾走で走り抜けてしまった。
──あとで謝らないといけないな。
そんな罪悪感に駆られつつ、ものの数十秒でフロントから病室の前まで到着し、一度深呼吸。
両手でスライド式のドアを静かに横に開き病室の中に入る。
病院特有の消毒薬の匂いが立ち込める中、仕切りに使われている薄いカーテンを、音を立てないようにそっと開けていく。
最後のカーテンを開き終わり、目に飛び込んできた光景──。
それは体中を物々しい医療器具に覆われ、目を閉じて横たわっている直斗の姿だった。
優奈より先に病室にいたのは、直斗の妹の晴香と由人の二人だけだった。
二人とも直斗が搬送されたと同時にここに来たのだと彼女は推測した。
晴香は直斗の膝下でずっと泣いていて、由人は俯いていたが、心なしか目元に光るものが見えた気がした。
──その時。
「っ……!」
と声にならない悲鳴を上げたのは紛れもなく直斗だった。
ほんの一瞬、三人の視線が直斗に集まる。
だが、目覚めたというわけではなく、どうやら何かにうなされているらしいと気づいた三人は、再び視線を逸らした。
「ねぇ……お兄ちゃん……どうしちゃったの?」
静かな声で晴香が呟く。
当然、その声に答えるものはない。
優奈も由人もどうすることもできず、ただただ俯いていた。
彼女たちは、無力だった。
うなされる少年を目の前にして、どれほど「助けたい」と願っても、誰もどうしようも出来ない。
これは、検査に立ち会った医師も同様だった。
目立った外傷があるわけではなく、かといって脳へのダメージもない。
これでは両手を上げて「降参」のポーズをとる以外の選択肢があるはずもなかった。
結局、「せめて一緒に居てあげたい」という晴香の願望により、次の日に学校があるのにも関わらず、狭い病室に三人で泊まることになった。