Act12.「セシア」
──私は一瞬だけ、夢を見た。
いつか直斗君が目を覚まして、またみんなで笑いあっている……。
直斗君、島崎君、花音ちゃん、そして私。
ほんの一瞬だけど、そんな夢を見ていた。
もちろん現実になったらどれだけ嬉しいことか。
けど、逃げることを諦めて、死ぬ方を選んでしまった私がそんな贅沢を言っていいはずもないだろう。
全てが惰性的になりかけた、その時だった。
《本当に、それでいいの?》
どこからか声がした。
男性か女性の声かと問われれば、どちらかといえば女性に近い声質だった。
誰かとも知れぬ天の声に対し、独り言のように心中で呟く。
──そりゃあ私だって、死にたくはない。
《じゃあ、もうちょっとだけ頑張ってみなよ》
まるで優奈の心を読み透かすかのように、天の声は彼女との対話を始める。
驚きを伴った刹那の逡巡の後、憤りをぶつけるように優奈は答えを返した。
──どうすればいいの? 私一人の力じゃあの人達には勝てないんだよ……。
今度は少しの間があったが、しっかりとした返答が来る。
《大丈夫、あなたは死なない。私が……私が守るから……》
「はっ!」
不意に覚醒し、同時に息を呑む。
もう目前までナイフが迫っている。閃く銀色の刃が照明に反射して、優奈の視界を覆う。
しかし、その凶器が彼女の身体を貫くことは無かった。
様々なことが立て続けに起こったのだ。
まず、目にも止まらぬ速さで何か小さな物体が目の前に飛来。それは優奈の目の前数センチまで迫っていたはずのナイフの側面に火花を伴って直撃し、軌道が逸れたナイフは彼女の体のすぐ左の床に音を立てて突き刺さった。
その後、少し遅れて優奈の体の右側すぐ近くに、ごく小さな石ころだけが落下した。
優奈はすぐに状況を理解することができた。
要するに、小石がナイフの軌道を逸らしたということだろう。
ここまでの事象が揃えば、この程度の思考に至ることは容易だが、それを信じられるかと問われれば別問題だ。
そこまで考えたところで、右側から聞こえた──小石が飛んできた方向だ──何者かの声で現実に引き戻される。
「何してるの、 早く逃げて!」
聞き覚えがある澄んだ声だった。
恐怖のあまり動かなくなった体の中で、どうにか顔だけを傾け、声の主の方を見る。
そこに立っていたのは、数時間前まで学校で会っていた転校生の少女。
「セシア……さん?」
思わずそう呟いた。
優奈の無事を確認して安堵のため息を漏らしたセシアは、小石を投げ切った姿勢のまま再び叫んだ。
「気をつけて! そいつは能力者よ!」
能力……者?
いや、そんなはずはない……。
優奈の脳内に、否定的な内容が次々と浮かんでくる。
彼女たちのような普通の人間、通称「prototype」と、能力者として覚醒した人類、通称「psychicer」の二大勢力が、つい昨年まで全面戦争をしていたということは記憶に新しい。
そして、その記憶が正しければ、戦力差で圧倒的に不利だった「psychicer」の勢力はどこか別の場所へ撤退したと聞いていたはずだ。
優奈が状況理解をしようとする間にも、現実はどんどん進行していく。
「チッ……、他にも能力者がいたのか」
黒服は毒づき、ナイフを床から引き抜くことを諦め、視線を優奈からセシアに移した。
直後、再び超速度の小石が飛来。
小石は黒服の左頬を掠め、そのまま一〇メートルくらい離れた背後の壁に深い穴を穿った。
「次は当てるわよ」
セシアは冷たく言い放ち、更なる投擲物を手にする。
それを見た黒服は身動き一つせず、セシアの方を見据えたまま応じた。
「フン、果たしてこれを見た後でもそんなことが言えるのかな?」
黒服がパチンと指を鳴らすと、ついさっき優奈が走ってきた通路から、三つの人影が姿を現した。
その内の二つは──花音と由人だった。
二人とも手足を縄で縛られていて、由人の方は所々から出血が見える。花音を守るために抵抗したのだということは想像に難くない。
そこまでを優奈とほぼ同時に理解したのであろうセシアも、静かに唇を噛んでいる。由人の必死の頑張りを無下にはできないと考えたのだろうか。
「そんな……そんなの卑怯だよ!」
優奈は自分が一番危険な状況下であるのを忘れ、思わず叫んでしまっていた。
すると黒服は視線を優奈の方へ向け、
「黙っていろっ、小娘っ!」
荒々しく叫び返しながら左脇腹を思いっきり蹴り上げた。
「っ……!!」
一瞬息が詰まり、声にならない呻きを漏らす。
黒服は優奈を軽く一瞥した後、セシアの方を向き、
「アンタも両手を上げて大人しくするんだな」
一言、それだけ言い放った。
なおも抵抗手段を考えていたように見えたセシアだが、仕方なく無抵抗の意を示す両手を上げる。
「よし、この二人も縛れ」
黒服は先ほど花音と由人を連れてきた男に向かって言った。
指示を受けた男は慣れた手つきで優奈とセシアの両手両足を縛り、さらに白い布で目隠しまでしてきた。
暗闇と化した視界の中で四人は背中を押されながら、訳もわからない方向へと誘導されていった。
──私の……せいだ。
優奈は、ふと自分のとった行動を思い出す。
──私が黒服のところへ行かなければ、みんなは……!!
失意に苛まれる間に、優奈がいつも付けている黄色い髪留めが音もなく落下したが、そんなことを気にする余裕など彼女には無かった。
途中で階段を降りたり、右へ左へと移動しながら、だんだん周りの温度が無機質に下がってきたように感じる。
そして数分後、金属の物らしきドアがギィーと開く音と共に四人は中へと突き飛ばされた。
「ここにしばらく入っていろ」
黒服たちの言葉を最後に再び金属ドアは閉められ、辺りは目隠しをしていてもわかるほどの暗闇と化した。