俺の女な高校デビュー 其のⅤ
磯の香りがほのかに漂っている海辺の公園。
寮からの距離が近く、なんとなく雰囲気もいいこの場所は、この付近の学生が集まる場所になっている。
もちろん、学生に限らず遊具目当てに訪れる子供や、休憩がてら立ち寄るお年寄りも多い。
俺が女として高校デビューしてから、一週間が経っていた。
時の流れとは早いもので、気が付けばあっという間に時間は過ぎていく。
高校生活だけでなく女の子としての生活にも少しずつ慣れ始めた今日、咲姫から二人で話がしたいと頼まれたのだった。
「どう?女としての生活は。そろそろ慣れた?」
そう言って俺の方を見るのは横に座っていらっしゃる咲姫さん。
咲姫の姿は学校で着ている制服とは違う、昔から見ているいつもの私服姿だった。
俺に負けず劣らず可愛い咲姫は、何を着ても似合う。
それこそ、どっかの民族衣装を着ても似合うのではないかというほどだった。
等間隔で何個も置いてあるベンチのうち一つに隣り合って座り、俺と咲姫は話をしている。
「まぁ、ぼちぼち。」
「そっか。」
咲姫の質問に対して適切な回答が見当たらず、ついつい素っ気ない回答をしてしまう。
そんな今の俺は、いつものような女の子の服を着ていない。
白いワイシャツに青いジーパンを履いている、完全な男の子ファッションだった。
まだ春なので海風が冷たいと思い、念のため持ってきた黒いジャンパーを羽織っている。
元々長い髪は地毛だったので頭の後ろで結わいて少し大きめの帽子で隠し、万が一の時に備えて目元を隠す黒いサングラスを胸ポケットに入れている。
クラスメイトにバレるわけにはいかない。俺も相当必死だった。
「あんたが女子になるなんて言いだした時は本当に病院に連れて行こうかと思ったけど・・・。まさか本気だったとわね。しかも実行する辺りがまた怖いわ。」
口ではそう言っている咲姫だが、本心は違うのだろう。
何年間も咲姫のことを見てきた俺だからこそ分かる。
咲姫は本気で悩んでいる人を蔑んだり、馬鹿にしたりは絶対にしない。
どんな悩みだろうと、本気で悩んでいる人には優しく手を差し伸べ全力で協力する。
それが、天宮咲姫だった。
「結構危なっかしい時もあったけどな・・・。未だに体育の着替えをどうするべきかが思いつかん。」
「それは深刻な問題ね・・・。」
途端に渋い顔になる俺を見て、咲姫も真似て渋い顔をする。
阿吽の呼吸で冗談を交し合い、互いの顔を見て笑う俺と咲姫。
傍から見れば仲のいいカップルにでも見えるのだろうか。
「いやでもそれって結構重要な問題よね。」
「そうなんだよね。」
いきなり真顔になった咲姫に突っ込まれて俺も真面目に返す。
正直に言うとこれは今まで生きてきた中でも屈指の修羅場だ。
俺がスカートを脱げばその先に広がるのは男物のパンツとお粗末な起伏。
そんなものを女子更衣室で晒せばすぐさま俺は退学だろう。
「それに関しては後で考えましょう。最悪トイレで着替えるなりすればいいでしょ。」
突然、咲姫が話を替えるように切り出す。
これは、あれだな。長年の勘で分かる。
咲姫が俺を説得しようとしている。何を説得するのかまでは察せないが。
俺はあえて気づいていないふりをして、咲姫の話を聞くことにした。
俺が黙っていると、咲姫はおもむろに口を開き、話始めようとする。
ゆっくりと、慎重に言葉を選んでいる。咲姫が大事な話をする時の癖だ。
「私、小さいころからあなたのこと知ってるじゃない?物心ついた時から、あなたは私の近くにいた。」
小さい頃の懐かしい記憶を思い出し、咲姫は目を細める。
「あなたの家のことは勿論理解しているわ。だからこそ、あなたがなぜ女の子になりたいのかもちゃんと分かってる。」
静かに咲姫の口から紡ぎ出されるその言葉達は、確実に俺の心に積もっていく。
「できることなら、あなたには男の子としての本来の人生を歩んでほしい。だけど、あなたは今更男の子に戻るつもりはないんでしょう?」
俺はその言葉に、無言で小さく頷く。
「それなら、私にはどうすることもできない。あなたの人生だもの。好きなように生きればいいわ。」
そこで咲姫は一旦言葉をきる
そして、小さくだが確かに聞こえる声でこう言った。
「でもね、男であることを決して後悔したり恨んだりしないで。どんな家族でも、お父さんはあなたのお父さん。お母さんはあなたのお母さん。姉妹はあなたの姉妹なんだから。」
そこまで言うと、咲姫は静かに口から吐息を漏らす。
そして、俺の方を向いて笑いながら立ち上がった。
「はい、これで私のお説教は終わり。付き合ってくれてありがとね。」
「いやいや、いいってもんよ。俺にとってもありがたいお話だったしな。」
笑い返しながら俺も立ち上がる。
咲姫と並んで寮へ帰る間、俺は考えていた。
きっと咲姫は俺の心配をしてくれている。
このままでいたらこの先もずっと咲姫に心配をさせてしまうだろう。
自分はやはり男として生きた方がいいのか。
それが誰にも迷惑をかけずに上手く生きていける方法なのだろうか。
「親父・・・分かんねぇよ。」
その答えは簡単には出ないようだった。