第三話 再試合! 思い出のカバー!?
小豆のブルーギルは、十分によいセッティングであった。8の字のコースをすいすい走り、カーブでもそれほど減速しなかった。
「へぇ、すごいね。小滝君のミニF」
曲松素直は、その走りに感心した様子だった。
相模原第一中学二年の彼は、放課後父の代わりに店番に立つことが多く、常連の小学生からは「すなおにいさん」、高校生以上からは「すなおくん」と呼ばれていた。
小学生高学年のときはプラモデルの造型に嵌っており、初心者のプラモデラーに解説をしていた。
六年生のときに店に捨てられたカードを拾い集め、デッキを組んで周りを唸らせたりと、おもちゃやゲームに関する知識が深く、アイデアが広いのだ。
最近はマイクロカーに嵌り、店のパソコンに専用ソフトをインストールして、独自のカバーを作成しているらしい。
肩にかかるさらりとした髪を無造作にまとめており、人受けのよさそうなのんきな顔をしている。レンズの大きなメガネがいつも下がっている彼は、ぱっと見ひょろってしていて頼りない。けれど、何かに集中するときのそれは凄まじく、話かけても、ごはんの時間になっても、それを妨げることが出来ないらしい。
たまに彼の家から「できた」と声がすることがあり、颯も前にお店の前でそんな声を聞いたことがあった。
「はい。でも、負けちゃいました……」
「それは?」
「第二世代のテックカバーです。シャークカバーだったかな……」
「へぇ……シャークカバーか。東京での先行発売だけど、まだ二週間かそこらかな? それで君のブルーギルに勝つなんてね……」
カバーの命はセッティング。それを誤ればレースで勝つことなどできやしない。
普通、新しいカバーを手にしたときは、慣らし運転を繰り返して調整し、いきなり試合に挑むことはしない。
その意味では小豆の行動も理にそぐわないのだが、彼もそれなりにマイクロカーに造詣があり、形になるまでしあげていた。今日はそれを見せたいが故の勇み足だったのかもしれない。
一方、大吾のシャークカバー。販売から二週間で、しかも自分で改造の手を入れるテックカバーでの仕上げは目を見張るところがあり、素直の表情が硬くなった。
「あ、颯」
ひょいと店から顔を出す二つ編みの女の子。丸い瞳とニコリと笑うと笑窪のできる柔らかホッペ。可愛らしい雰囲気を振りまく彼女は、颯の前に行くとその鼻を突く。
「さっきアンタの声がしたんだけど、どこ行ってたの? 今日は棚卸しでお兄さん忙しかったのに」
どうやらお店の手伝いをしていたらしい彼女は、ハタキ片手に頬に埃をつけていた。
「曲松が忙しかったからって俺には関係ねーだろ? つか、小町、何やってるんだよ? っていてえ!」
小町と呼ばれた女の子は持っていたハタキで颯をぺしりと叩く。
「いっつもお兄さんにお世話になってるでしょ? アレ壊した、直してくれ。これ壊した直してくれって……。たまにお手伝いしてもバチは当たりません。それに、姉のことを呼び捨てにしない!」
「ぐぅ、この暴力お姉さまめ……」
「はい、よろしい」
「いいんだ……」
一応お姉さまと呼ばれたことに頷く小町。すると、小豆が彼女の前に出る。
「あ、あの、小町さん。お願いです。どうか、どうか僕らの敵討ちをしてください!」
「「は?」」
小町と颯の声が重なる。
「おいおい、女なんかにマイクロレーサーなんてできんのか? つか、無理だろ……っていてえ!」
再び振り下ろされるハタキに、颯は振り返る。
「さっきからいてえな! 人の頭を棚みたいに扱うな!」
「はいはい、棚ほど何もつまってないもんね。それより女なんかってなによ?」
腕組しながら睨む小町に、颯はふんぞり返る。
「小町……小町姉ちゃんにマイクロレースなんてできるのか? 聞いたことないぜ?」
「颯君、しらないのかい? 君のお姉さん、市の大会で五位入賞だよ? さっきの長谷部大吾は六位。実力的には小町さんのほうが上だよ」
ちょんちょんとそでを引っ張る小豆の耳打ちに、耳を疑う颯。
「へ? 初耳なんだけど」
目をしばたかせて、小豆と小町を見返す。
「そりゃそうよ。言ってないもん」
小町も当然とばかりに胸を張る。
「だって、マイクロカー持ってた?」
「持ってるわよ? この前、入荷してくれたやつ。このドルフィンカバーとパンサーカバーがね」
店の中から小町が持ってきたのは、濃紺色と白い斑点が左右に一つずつあるカバーのマイクロカー。
「すごい、第二世代機だ! シャークカバーと同時に東京で先行発売されたんですよね!? シャークカバーが直線耐久仕様なら、ドルフィンカバーはコーナリングでも安定して走れる万能機!! これなら長谷部兄弟なんて目じゃないです!」
一人興奮する小豆に、迅雷姉弟は引きつりながら笑う。
「ん~、ご期待に添えなくて申し訳ないけど、ドルフィンカバーはまだ調整が済んでないのよ。多分、小豆君のブルーギルより遅いと思うよ。パンサーカバーならあるけど、あっちも耐久仕様に変えてるし、アニマルだから悪路は苦手なのよね……」
渋る小町に小豆はがっくりと肩を落とす。
「でも、お兄さんなら……」
小町はそっと素直のほうを見ると、そこにはいつもと変わらぬ笑顔の素直がいた。
「うん。話を聞くに、杉流し川の川原でのコースだよね? そこだと小町さんの未調整のドルフィンカバーや耐久仕様のパンサーは辛いね。でも、実はそれに適したマイクロカーがあるんだ。ちょっと待ってて……」
そう言うと素直は店の奥へと走っていき、どたどたと何か手に戻ってくる。
「これさ」
差し出されたマイクロカーは、黄色を基調とし、橙の斑点が犇くアニマルカバーだった。
「これって、チーターカバー?」
第一世代、第二世代を加えても、直線だけなら最速とされるチーターカバー。
しかし、その軽さとスピードゆえ、ちょっとした弾みでコースを大きくそれてしまい、また、コーナリングに耐えられるようにパーツをつけることが難しく、素人お断りの悪名高いカバー。
「うん。これならきっと何とかなるよ」
「いくら直線でも、チーターじゃ……」
笑顔の素直と対照的に、小豆は怪訝な表情。それもそのはず、チーターカバーは公式試合でほとんど記録を残せず、失格の名に連ねられる回数でのみ断トツなのだ。さらに得意の耐久でさえスピード故に激しくコースアウトし、ゴリラにすら負ける始末。
「いや、そうじゃねえ。それだけじゃねえ……これは……まさか……」
よくよく見ると、そのフロントカバーには斑点以外にも模様が見えた。それを模様ではないと見抜いたのは、颯の記憶にある苦い一ページ。
「俺のチーターカバーじゃないか!!!」
颯の驚きもさることながら、その声に一瞬皆が驚いていた……。
**
押入れにしまった古い記憶。悔しさと恥ずかしさと一緒に封印したはずが、どうして素直の手にあるのか? おそらく小町の仕業だろう。
「くそ、勝手なことしやがって……」
古傷を無理やり思い起こさせる小町の余計なお世話に苛立つ颯は、ぶちぶち言いながらも川原を目指していた。
「ねえ、このチーターカバー、すごいよ……。ちょっと中を見せてもらったけど、フロントカバーが驚くほど軽いんだ。一度これ、壊れたんだよね? 修復するとパテとか接着剤で変に膨れたりして重くなるんだけど、これすごい軽い。きっと後ろからかなり削っているんだね。それに、ギア比。この黒いの見たこと無いけど、数えてみたら奇数なんだ。普通ありえないよ、こんなギア比。不思議なのはさ、どうしてこんなにタイヤシャフトががたがたなんだろ、わざと隙間を入れてるみたいでさ……。普通はぴったりとぶれないようにするんだけど、素直さん、どうしてだろう……。他にも……」
かつてのマイクロカーをあまり見たくない気持ちがあり、小豆に持たせていた颯。しかし、それは間違いらしく、延々ぐだぐだと解説、薀蓄を語りだされる始末。
「あーあー、わかったから返せ。ったく、こんなんの何が楽しいんだか……」
颯は川原でマイクロカーを走らせている二人を見つけると、小豆からマイクロカーを取り返すと、さっそく走っていった。
「あ、待ってよ、颯君!」
かくしてリベンジマッチの行方はいかに……?
**
「と、いうわけで、俺のチーターカバーと勝負しやがれ! 俺が勝ったら、川原でのサッカー……は禁止だけど、皆の邪魔をするな!!」
大吾を前にチーターカバー手にして啖呵を切る颯。しかし、大吾は彼の持つマイクロカーがチーターカバーであることを知ると、一瞥するだけで自分のマイクロカーに向き直ってしまう。
「なに言ってんだ。お前らは負けたんだから出てけよ。そういう約束だろ?」
代わりに悟がやってきて、半笑いで颯をドンと押す。
「俺は負けてねーぞ!」
むっとしながら掴みかかる勢いで前に出る颯。激しく視線が交差する。
「へん、やる前から勝負なんてわかってるよ。お前のミニF、チーターカバーじゃん。川原の悪路でそんなの走らせたら、今度こそ川ポチャだぜ?」
小豆と同じ心配要素を語る悟に、颯はちらりと小豆を見る。すると彼もやはり半信半疑なところがあるらしく、弱気な表情であった。
「う、うるへ~! これは素直の兄ちゃんが太鼓判押したマイクロカーだ!」
「なに? 素直だと……」
それまで颯など眼中になかった大吾だが、素直の名前を聞くと颯に向き直る。
「なるほど、リベンジマッチか……。いいだろう、受けて立つ」
「え? けど、兄ちゃん、こいつのチーターカバーだぜ? やるだけ時間の無駄だよ」
「ああ。コイツのチーターカバーならな。だが、素直がセッティングしたとなれば話は別だ……。これはある意味リベンジマッチでもあるからな……」
驚く悟だが、兄には逆らえず、孫悟空を手にする。
「悟、悪いがこの勝負本気でやりたい。俺とこいつのタイマンでやらせてくれ」
「え? なんでだい?」
「というか、もし俺の勘が正しければ、今の孫悟空では追いつくことも出来ない」
「な!? そりゃたしかにチーターカバーは第一世代最速、いや、テックカバーを除けば、第二世代にも負けていないさ。けど、野外コースじゃ……」
「悟、頼む」
悟の言葉に大吾は頷かず、ただまっすぐに颯のマイクロカバーを見る。
その瞳は、先ほど小学生五人を相手にしたときとはまったく違う、真剣さがあった。
「わかったよ、兄ちゃん」
こうなった兄を説得することはできないと、頷く悟。
「すまんな。それとキャッチャーを頼む。おい、そっちの小さいの、小豆だったな。お前はそいつのキャッチャーをしろ」
「え? あ、はい……」
大吾の提案に小豆と悟の表情が変わる。それは大吾の勝負にかける気持ちを、小学生マイクロレーサーながらに汲んでのことだ。
「……なあ、キャッチャーってなんだ? 野球でもするのか?」
一方、耳慣れない言葉に颯は小豆の袖を引っ張る。
「う、うん。キャッチャーってのは文字通りキャッチするんだ。直線コースだと、レーサーがゴールまでに追いつけないことがあるからね。壁に激突してクラッシュしないように、あらかじめゴールで待ち構えてキャッチする人のことなんだ」
「へぇ……」
なるほどと頷く颯は、昔、初めてチーターカバーを走らせた時にそれがむちゃくちゃ速くて追いつけなかったことを思い出す。
「よし、サッカー野郎。勝負はさっきと同じで橋のたもとがゴールだ」
チューンナップを終えた大吾は自慢のダガージョーを手にして向き直る。
「ああ。それじゃあ小豆、頼む」
「うん、がんばってね、颯君」
「ああ、って言っても、がんばるのはコイツだけどな」
颯は修復されたマイクロカーを手に、複雑な気持ちでいた……。
**
スタート地点に並ぶ大吾と颯。
第二世代、先行発売のシャークカバーテック・ダガージョー。
先ほどの試合を振り返ればバトル仕様の恐ろしいマイクロカーなのだが、開始前にセッティングを変えたらしく、先ほどのような禍々しさが薄れている。
颯なりにも、それが無用なウェイトを外したスピード重視の仕様なのだと気付いた。
市の大会六位の腕前がどの程度のものかはわからないが、小豆や他の面々は入賞にかすりもしないことを考えれば、それは侮れないものなのだ。
対し第一世代最速のチーターカバー。
素直のおもちゃ好きは理解しているものの、スピード重視の暴れ馬であるチーターカバーが、果たしてこの悪路を走りきることが出来るのか? その不安が拭えなかった。
「俺がこの石を川に投げる。それがゴーの合図だ。いいな?」
「ああ」
「それじゃあ、パワーオン!!」
二人はほぼ同時にスイッチを入れる。
次の瞬間、マイクロカーが咆哮を上げる!!
モーターが走り、シャフトが軋み、唸る!!
ジュビシィシィシィシィィィィイイイイイィッ!!
「む、やはりチーターカバー! 凄まじいモーター音だ!! おそらく平坦な道なら追いつくことも出来ないか!?」
「えっと、そうなの!?」
小石が宙を舞い、落下に転じる。
「だが、俺のシャークカバーだってスピード重視のカバーだ! 全ては悪路のジャグ次第!!」
「よくわかんないけど、わかった!」
ポチャン……!
同時に走り出す二体のマイクロカー!!
初速が違うチーターカバーはぐんぐんスピードを上げ、開始数メートルでダガージョーに差を付け始める。
『わあ! 両者一斉にスタートした! だが!? さすが第一世代最速のチーターカバー! ぐんぐん加速して、ダガージョーを寄せ付けない!』
橋のたもとでは小豆が手をメガホンのようにして必死に叫ぶ。
「(何言ってるか聞こえないけど、アイツ、目いいな。めがねいらないんじゃね?)」
颯は小豆の知られざる一面に呆れながら、チーターカバーを追いかける。
開始数秒で立ちふさがる小石や背の低い草。二人のマイクロカーに容赦なく襲い掛かる。
『だが! やはりチーターカバー! 小石や草といった障壁にどう対応する!? 復帰可能の野外ルールとはいえ、相手は第二世代の狩人、シャークカバー! もたもたしてたら追いつかれて食いちぎられるぞ!!』
面白そうに解説する小豆に、隣にいた悟も思わず「どっちの味方なんだ?」と首を傾げる。
目前に迫った小石。チーターカバーはその速度と軽さゆえ、少しの段差でも大きくジャンプする。
『しまった~! ここで颯君のチーターカバー! 大きくジャンプ! バウンドの最中はタイヤが空回転! 速度が安定しないぞ! だが大吾さんのダガージョーは車体の幅のおかげか、ギリギリ隙間を抜く! かなり有利か!? いや! どういうことだ!』
着地したチーターカバーは全くバウンドせず、直後に速度を取り戻す。
「なに! あの高さを飛んでまったくバウンドせずに再加速だと? まさか、FJA搭載か!?」
驚く大吾。それは小豆や悟も同じであり、皆一瞬目を疑う。一人そのすごさがわからない颯は眉間に皺を寄せてしばし悩む。
『おい、小豆、あれはどういうことなんだ!?』
『うん、えと……そうか、わかった! 素直さんは悪路でチーターカバーがジャンプすることを読んでいた。だから、着地の衝撃を緩和するために、タイヤシャフトの止め具をわざと緩めたんだ! そうか、なるほどなるほど、それにタイヤシャフトに遊びの隙間を入れることで悪路にタイヤ自体が上手く接地しながら走れるんだ! もちろんモーター荷重は増えるけど、短距離、コーナリングを考えなくていいのであれば、これは有りだ!』
「なるほどな、さすが素直だぜ! コースを聞いただけで万全のセッティングを整えてくるとはな! だが、俺の高加速だって負けていないぜ!」
大吾は小石にコースを変えられたダガージョーを手にし、復帰と同時にコース取りをしなおす。
この数十分、コースの下見もしていた大吾は、比較的平坦な箇所を見極めており、ベストポジションで復帰させる。
「いけ! 俺のダガージョー!!」
バシュズババァァァアアアアァアアンン!!!
そして再び爆速加速!! 砂煙を後方に巻き上げ、ぐんぐん伸びる!!
『ああっと! さすがは第二世代、スピードマシン! ギアの積載が違う! 加速度の安定が段違いだぞおおお!!』
小豆は明らかに変わったモーター音に、手でマイクの真似をして、悟に向ける。
『がっはっは、兄ちゃんは次の耐久レースのために、8ギアを買ったのさ!』
『なんと! まさか8ギアだってええ!! モーター負荷を上げることを犠牲に、速度の安定を受けるギア! ネギを越える負荷はモーターにどれだけ負担をかける? それとも、まさか、アドヴァンススピードモーターか!? さきほどはフレッシュマンスピーディアモーターだが? どうです? 悟君!』
安定した加速、直線仕様といって差し支えないアドヴァンストスピーディアモーターの生み出す時速三十三キロ!!
『さすが小豆! よくわかったな。兄ちゃん、本気だしてんのさ!』
『勝負の行方は俄然わからない!!』
二メートル近くはなれた二つのマイクロカーだが、悪路に捕まるチーターカバーを追い上げる。
「なんてこった! くそ、俺もコースチェンジするか?」
「おいおい、コースアウトしそうにない復帰はルール違反だぜ? お前のマシンはおおよそ直線でゴール目指してんだから、それはできない!」
「きっしょー、なんか納得いかねー」
追い上げられる焦りから、颯は歯軋りをする。
そして、最後の十メートル、平坦な路面が続く最後のスパートだ!
「颯君! のこり十メートルだ! がんばって!」
「兄ちゃん! お願いだ! 追い抜け!」
声援を上げる二人に、二人のマイクロレーサーはマイクロカーを見る。
二つのマイクロカーが十メートルのラインを超えたとき……!!