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夢の終わりに  作者: 新兎
第四夜
7/9


※※



 出発を決めたあとの彼女の動きは早かった。あっという間に着替えて軽くメイクをしたと思ったら、僕をクーラーケースに入れて部屋を出る。ここまでに30分もかかっていないかもしれない。

 女の人は出かけるまでに時間がかかるとはよく言うけれど、彼女は真逆だ。そんな彼女と友人だった僕は生きてた頃はどうだったんだろう?と、どうでもいいことが少し気になった。


「雨弱くなるといいね」


 クーラーボックスの中にいる僕に彼女が声をかけてくる。

 そうだね、と返事をして、あんまり話しかけると変に思われるよ、と忠告するのも忘れない。彼女は僕の存在を認識しているけど、傍から見たら彼女は一人なのだから、どうしたって盛大な独り言になってしまう。


「それもそうね」


 僕の忠告に彼女がクスリと笑った。


 山への道程は昨夜のうちに調べていたのでスムーズに事は進む。電車を乗り継いで、あとはバス。ガタンゴトン、揺られ揺られて数時間。

 その間、僕の忠告どおり、彼女が僕に話しかけることは一度もなかった。おかげでかなり退屈だった。あんまり退屈すぎて居眠りをしたくらいだ―ーもしかしたら自分の体とご対面するかもしれないっていうのに、暢気な話だけど。



 バスが目的の停留所に着く頃には雨はすっかり小降りになっていた。


「この分なら大丈夫そうだね」


 彼女が安心したように呟く。

 小降りになったとはいえ雨の日だ。さすがに登山客はいない。というか、元々あまり登山に向いた山ではないのだけれど。

 こんな山をどうして僕はマークしていたんだろう?


「また降り出す前に急がないと」


 僕の入っているクーラーボックスを担ぎなおしながら彼女が言う。そうだね、と僕は答えた。

 ザックザックと靴が泥を跳ねる音がする。その足は速い。

 いくら天気が悪いからってあんまり急ぐと危ないんじゃないかと僕は思い、その旨を彼女に伝える。


「大丈夫よ、ちゃんと気をつけてるから」


 朗らかに彼女が言う。あんまり緊張感がなさすぎてどうにも心配だ。

 僕に体があれば彼女が転んでも助けてあげられるんだけど。思っても栓ないことだ。

 外の様子が見えるように蓋をあけておいてよ、せめて彼女がどんな悪路を辿っているのか知っておこうと僕は言った。


「濡れるわよ?」


 彼女の心配する声に僕は、構わないよ、と答える。

 少しの間の後、クーラーボックスが地面に置かれる振動が起き、視界がゆっくりと開けた。


「本当に大丈夫?」


 僕を覗き込みながら彼女が笑う。

 いつの間にか、彼女はレインコートを着ていた。それでも少し前髪が濡れている。

 口調は軽いものだったけれど、やっぱり僕をここまで運ぶのは大変だったんだろう。

 彼女の苦労に比べたらここで濡れることなんて大したことじゃない。もし彼女が転んで僕がクーラーボックスから転がり落ちたとしてもだ。

 大丈夫だよ、と僕は彼女を安心させる言葉を返す。


「なら、いいけど……どうかな? 少しは見覚えある?」


 彼女はもっと景色が見やすくなるように僕を抱えた。僕は彼女の腕の中から視界をめぐらす。

 ちょっとやそっとじゃ人が来そうにないほど鬱蒼と木々が生い茂っている。見覚えがあるといえば見覚えがあるような、ないといえばないような。こういう景色はどこも似たようなものだから。

 僕が答えに窮していると「もう少し奥だったかな」と彼女が独り言のように言った。

 その口振りに違和感を覚える。なんだろう? まるで彼女が彼女じゃないような、奇妙な感覚。


「もう少し進んでみる?」


 空を見上げながら彼女が言う。

 また少し空模様が悪くなってきている。帰りのことを考えるとあまり奥に行くのは危険だ。

それに――ここに来ればなにか思い出すかもしれないと思ったけれどそんなことはなかった。僕はまだなにも思い出せていない。


「そうね、闇雲に探しても仕方ないしね」


 僕の答えを予想したのか彼女が空を見上げたまま言う。

 なぜかその姿がここから早く立ち去りたいと思っているように僕には見えた。

 天気のことを抜きにしても誰もいない山の中は不気味だから彼女がそう思っても別におかしなことではないはずだけれど、どうしてかまた奇妙な感覚を覚える。

 ねぇ、と僕は彼女に声をかけた。「なに?」と彼女が視線を僕に落とす。

 もう少しだけ奥に行ってもらえないかな? さっきは帰ろうと思っていたのに気がつくと僕は彼女にそうお願いしていた。


「……いいけど」


 少し迷う素振りを見せたが彼女は頷いてくれた。

 あ、このまま運んでもらえるかな? 彼女が僕をまたクーラーボックスに入れようとしたので僕は慌ててそう言ってみる。外を見ながらだったらなにか思い出せるかもしれないと思ったのだ。


「そうね、それがいいよね」


 僕の考えに彼女も納得してくれた。

 生首を抱えて歩くのは気持ちのいいものじゃないだろうけど、本当に彼女は優しい。ただの友達だったなんて信じられない。


 やっぱり彼女は僕と愛し合っていたんじゃないだろうか? 普通だったら考えにくいようなことをつい考えてしまうのは、僕が生首で、もう性別なんてどうでもいい存在になっているせいだろうか? それとも元々僕はそういう性志向だったんだろうか?


 僕は少し彼女の横顔を眺める。彼女は険しい顔をしていた。僕はその顔を知っていた。見たことがあった。それは彼女が僕を――いや、違う。そんなはずはない。おぞましい想像を僕は振り払おうと目を瞑る。


「どうかした?」


 異変を感じたのか、彼女が問うてきた。僕は目を開ける。そこにはいつもの優しい顔の彼女がいる。

 そうだ、こっちが本当の彼女だ。僕は瞬きをしながらそう思い込もうとする。訝しげに彼女の眉根が寄った。


「大丈夫?」


 大丈夫、と答えたかったけれど上手く言葉が出てこない。


「ねぇ、本当にどうしたの?」


 ますます眉根を寄せて彼女が僕を覗き込む。まるで僕がなにかに気づいたことを恐れるような顔だ。

 なんでもない、なんでもないよ。僕は答える。

 彼女は黙って僕を見つめ、そして「なにか思い出した?」と低い声で聞いてきた。ざわっと首筋があわ立つ。どうして僕はこんなにも彼女に怯えているのだろう。彼女を恐れているのだろう。

 視界を過ぎる夢の光景。切り刻まれている、なにかが。


 切り刻んでいるのは、誰?

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