一
ぐちゃぐちゃとミンチ肉をこねるような音がする。
気持ちが悪い。またあの夢だ。自分が殺される時の夢だとはっきり分かる。
視界が真っ黒なのは目を瞑っているからだろう。
夢の中で僕は目を開けて、周りを見なければならない。
自分が切り刻まれて行く光景を見るのはきついものがあるが、痛みがあるわけじゃないから我慢できる。
目を開けて、少しでも体がある場所のヒントを得なければ。
いっせーので、目を開ける。白目を向いた女の顔が眼下にあった。
うわっ!
驚いた僕は悲鳴を上げて目を覚ます。薄暗い視界にぼんやりと彼女の背中が見える。
ここは現実だ。夢の中じゃない。ともすればパニックに陥りそうな自意識にそう言い聞かせる。
まばたきを数回。深呼吸を3回。大分、落ち着いてきた。酷い悪夢だった。まるで僕が人殺しをしているかのような。現実には僕は殺されて、こんな状態だっていうのに……
溜息が出る。結局、体の在り処について手がかりを得ることは出来なかった。
視線を窓の方へ向ける。
朝までまだ時間はありそうだけれど、もう一度眠る気になれない。
また同じ夢を見るのが怖かった。
……いや、待てよ。犯人の視点なら、僕の体の手がかりがつかめるかもしれない。犯人は僕をばらばらにして、切り取った生首を彼女の部屋の前へ届けた。どうして彼女の部屋の前に届けたのかは分からないけど……ともかく、それ以前の行動を夢で見ることが出来たら、犯人が僕の体をどう処分したのかきっと分かるはずだ。
僕は彼女が寝ているほうを一瞥する。これ以上、彼女に迷惑を掛け続けるわけにはいかない。
息を吸って吐いて。気持ちを落ち着けてから僕は再び目を瞑る。
もう一度あの夢が見られるように、願いながら――
――
ざく、ざく、ざく。土を掘る音がする。
体が熱い。全身で呼吸をしながら必死に穴を掘っている。なんのための穴か。考えなくとも分かる。埋めるためだ。死体を埋めるため。
汗の玉が頬を伝う。拭うこともせずに穴を掘り続ける。
真っ暗な森の中。穴を掘る音以外、聞こえる音はない。まるで全ての生物が死に絶えたかのような場所で男が穴を掘っている。
僕はそれをただじっと見ている。男の視点ではない。上から全てを見下ろしている感じだ。
男の傍らには首のない死体がある。
あれが僕の体。視界をめぐらせる。
この山を僕は知っている。昔、登ったことがある。誰かと一緒に登った。誰とだったかは覚えていない。
いつの間にか音が止まっていた。
男が僕の体を穴の中に放り込む。そして、両手を合わせた。
自分で殺しておいて追悼のつもりか? ふざけた奴だ。どんな顔をしているのか見てやろうと僕は目を凝らす。
僕の意思に呼応するかのように視界が変わる。カメラが切り替わったように、男の姿が近づく。
もう少し――あと少しで男の顔が見える。ゴクリ。湧き上がる唾液を飲み込んだその時
「ミキ! 起きて、ミキ」
声とともにふわっと宙へ持ち上げられた。
僕はハッと目を開ける。僕が見たのは男の顔ではなく、彼女の苦笑まじりの顔だった。
「よく寝てたね」
少し呆れたような声に、夢を見てたんだ、と苦い顔で答える。
「夢? それって殺される時の?」
彼女が眉を寄せて問いかけてくる。
僕はそれに頷いて、でも森の場所は分からなかったよ、と伝える。
そう、と彼女は相槌を打ち「ねえ、これ見て」と僕に地図を差し出してきた。開かれたページの一角に赤いチェックマークがある。
どういうことかと目で問いかけると彼女はマーキングされた場所を指差し「ここって山でしょ。もしかしたら、ミキが夢で見た森と関係あるんじゃないかと思って」と言った。
そういわれると、意味深なマーキングだ。
この地図は誰の地図? 僕は彼女に問いかける。
「前にミキがうちに来た時に忘れていったのよ」
僕が? 記憶にない。けれど、彼女が言うんだからそうなんだろう。
僕が持っていた、山のところにマーキングがしてある地図。何故、僕はこの山にチェックマークを書いたんだろう。
僕は山登りが好きだったの?
「さぁ? 聞いたことないけど……」
じゃあ、なんでチェックしてあるのかな?
「登ろうと思ってたのかしら?」
誰かと一緒に登ろうと思ってたのかも。ふとそんな気がして口にすると、彼女は訝しげに眉を寄せた。
「その誰かが、ミキをそういう風にした犯人ってこと?」
断言は出来ない。僕は曖昧な表情を浮かべる。彼女は難しい顔で地図に視線を戻す。
彼女の呼吸を数える。吸って、吐いてを3セット。思い切ったように彼女が口を開いた。
「行ってみる?」
山へ、行く。夢の中で見た可能性のある山へ。僕の身体がある可能性のある山へ。
どんな風になっているのだろう。さすがに白骨化はまだしていないだろうけど、腐敗がはじまっていてもおかしくはない。
想像して少し気持ちが悪くなる。彼女は僕の返事を静かに待っている。その真剣な眼差しを受けて、気持ちが悪そうだから行きたくないとは言えない。
大体、気持ちが悪いというなら生首なのに意識がある僕の存在そのものが気持ち悪いのだ。
そんな気持ちが悪い僕のために骨をおってくれている彼女のためにも早く僕がどうなったのかを知らなければならない。
そもそも、この山があの山かどうかもまだ分からないのだ。
よし、行こう。僕はそう決意して彼女を見やる。
その時、ピンポーンと暢気にインターフォンが鳴った。
彼女が溜息をついて立ち上がる。そして、少し待っていてというようにチラリと僕を見てから玄関先に向かった。
リビングと玄関先を繋ぐドアはしっかりと閉まっておらず、彼女と訪問者の声が微かに聞こえてくる。
男性だ。一言二言交わして彼女がチェーンを外す。
障害物が一つなくなったからか、声がよりはっきりと聞こえるようになった。
胡散臭ささえ感じるほど和やかな声で男が改めて挨拶をしている。それに対して彼女の声は硬い。
一体、誰なんだろう?