第9話 壊れた約束
前回のあらすじ
過去改変局を訪れた西村拓也は、8年前に親友の雄介を自殺で失ったことを後悔していた。シミュレーションで改変後の世界を見た西村は、どんなに支えても救えない人もいることを知る。西村は自分を許すことを学び、雄介の死を受け入れることを選んだ。老人は一人、古い写真を見つめながら、自身の過去に思いを馳せる。
深夜0時30分。
地下鉄の通路に、足音が響く。
軽やかだが、どこか焦っているような足音。
一人の若い女性が、過去改変局の窓口に駆け込んできた。
20代前半か。カジュアルな服装。
息を切らしていて、頬は紅潮していた。
名前は、桜井美月。
窓口の奥から、老人が顔を出した。
「いらっしゃい」
美月は、荒い息で答えた。
「やっと……やっと見つけた!」
「座りなさい」
美月が座ると、老人は水を差し出した。
「落ち着いて。ゆっくりでいい」
「ありがとうございます」
美月は、水を飲んだ。
「何を変えたい?」
老人が尋ねた。
美月は、明るい声で言った。
「6年前……私が、親友と約束を破った日を!」
6年前の春。
桜井美月は、19歳だった。
美術大学の1年生。絵を描くことが大好きだった。
美月には、親友がいた。
名前は、川上さくら。
高校時代からの親友。
二人は、同じ美術大学に進学した。
「美月、大学生活楽しいね!」
さくらが、嬉しそうに言った。
「うん!高校の時より自由だし」
「私たち、ずっと一緒だね」
「もちろん!」
二人は、笑い合った。
美月とさくらは、いつも一緒だった。
授業も、昼食も、放課後も。
二人で絵を描き、夢を語り合った。
「ねえ、美月」
ある日、さくらが言った。
「私たち、卒業したら一緒に画廊やろうよ」
「画廊?」
「うん。二人で作品を展示して、販売するの」
「素敵!」
美月は、目を輝かせた。
「じゃあ、約束ね」
さくらが、小指を出した。
「約束!」
美月も、小指を絡めた。
「卒業したら、二人で画廊を開く」
二人は、笑顔で約束した。
それから、二人は夢に向かって頑張った。
課題を手伝い合い、展覧会に一緒に行き、互いの作品を批評し合った。
しかし、2年生の秋。
美月に、転機が訪れた。
大学の教授が、美月を呼んだ。
「桜井さん、君の作品、素晴らしいね」
「ありがとうございます」
「実は、知り合いの画廊オーナーが、君の作品に興味を持っているんだ」
「え!?」
「卒業後、そこで個展を開かないかと」
美月は、驚いた。
「個展……ですか」
「ああ。チャンスだよ。考えてみてくれ」
「はい……」
美月は、嬉しかった。
しかし、同時に戸惑った。
さくらとの約束は、どうなるのだろう。
その夜、美月はさくらに相談した。
「さくら、実は……」
美月は、教授の話を伝えた。
さくらの顔が、一瞬曇った。
しかし、すぐに笑顔になった。
「すごいじゃん、美月!」
「でも、私たちの約束……」
「気にしないで。美月のチャンスだよ」
「本当にいいの?」
「うん。私も、いつか追いつくから」
さくらは、明るく言った。
しかし、その目には、寂しさが浮かんでいた。
美月は、それに気づいていた。
数週間後、美月は決断した。
個展の話を、受けることにした。
さくらに伝えた。
「さくら、私……個展、やることにした」
「そっか。良かったね」
「ごめん……約束、破ることになっちゃって」
「いいって。美月、頑張ってね」
さくらは、笑顔だった。
しかし、それから二人の関係は、少しずつ変わっていった。
さくらは、美月を避けるようになった。
一緒に昼食を食べなくなった。
放課後も、別々に帰るようになった。
美月は、罪悪感を感じた。
しかし、個展の準備が忙しく、さくらと向き合う時間がなかった。
3年生の春。
美月の個展が開かれた。
大成功だった。
多くの人が訪れ、作品も売れた。
美月は、一躍注目の新人画家になった。
しかし、さくらは個展に来なかった。
美月は、招待状を送った。
しかし、返事はなかった。
美月は、さくらに連絡した。
「さくら、個展来てくれなかったね」
「ごめん、用事があって」
「そっか……」
「おめでとう、美月。成功したんでしょ」
「うん……でも、さくらに見てほしかった」
「また今度ね」
電話が切れた。
それから、二人は疎遠になった。
美月は、個展の成功で忙しくなった。
企業からの依頼、雑誌の取材、次の個展の準備。
さくらは、大学で地道に作品を作り続けていた。
しかし、注目されることはなかった。
卒業式の日。
美月は、さくらを探した。
しかし、さくらは式に来ていなかった。
美月は、さくらのアパートを訪ねた。
インターホンを押した。
しかし、反応がない。
隣人に聞いた。
「川上さん、引っ越しましたよ」
「え?いつですか?」
「先週ですね」
「どこに……」
「さあ……聞いてないです」
美月は、愕然とした。
さくらが、いなくなった。
連絡先も、わからない。
それから、3年。
美月は、25歳になっていた。
画家として、順調に活動していた。
個展も何度か開き、評価も高かった。
しかし、心のどこかで、ずっとさくらのことを考えていた。
あの時、約束を守っていれば。
二人で画廊を開いていれば。
さくらは、今どうしているのだろう。
美月は、さくらを探した。
SNS、共通の友人、大学の同窓会。
しかし、見つからなかった。
さくらは、消えてしまったようだった。
ある日、美月は偶然、さくらの作品を見つけた。
小さなギャラリーで。
展示されていた絵は、間違いなくさくらのものだった。
美月は、ギャラリーのオーナーに聞いた。
「この絵を描いた人、知っていますか?」
「ああ、川上さんですね」
「どこにいるんですか?」
「さあ……作品だけ預かっているんです」
「連絡先は?」
「教えられないんですよ、本人の希望で」
美月は、落胆した。
さくらは、自分を避けているのだろうか。
そして、美月は過去改変局の噂を聞いた。
最後の希望だった。
「あの時の約束を、守りたいんです」
美月は、老人に言った。
「個展の話を断って、さくらと一緒に夢を追いたかった」
「そうすれば、今も一緒にいられたはずです」
老人は、じっと美月を見つめた。
「美月さん、確認したい」
「はい」
「あなたは、成功を捨てても、友情を選びたいと?」
「はい」
「本当に、それでいいのかね?」
美月は、頷いた。
「成功しても、さくらがいなければ意味がないんです」
「あの子は、私の親友でした」
「一緒に夢を叶えるはずだったんです」
老人は、深く息をついた。
そして、言った。
「シミュレーションを見せよう」
「しかし、一つだけ覚えておきなさい」
「選ばなかった道には、それなりの結果がある」
「わかっています」
美月は、決意を込めて答えた。
リクライニングチェアに座り、美月は機械を装着された。
「では、始める。6年前に戻る」
老人が、スイッチを入れた。
美月の意識が、遠のいていく。
気がつくと、美月は教授の研究室にいた。
6年前の、あの日。
教授が、個展の話を持ちかけた日。
「桜井さん、考えてくれたかね?」
教授が尋ねた。
美月——過去の美月は、答えた。
「すみません、教授。お話、お断りさせてください」
「え?なぜだ?」
「私、親友と約束があるんです」
「約束?」
「はい。一緒に画廊を開くって」
「しかし、これはチャンスだぞ」
「わかっています。でも、約束の方が大切なんです」
教授は、残念そうな顔をした。
「そうか……わかった。君の決断を尊重するよ」
「ありがとうございます」
これが、改変された過去。
美月は、個展の話を断った。
時間が流れた。
美月は、さくらに報告した。
「さくら、個展の話、断ったよ」
「え!?なんで!」
「だって、私たちの約束の方が大切だから」
「美月……」
さくらの目に、涙が浮かんだ。
「ありがとう……でも、いいの?」
「いいの。私たち、一緒に夢を叶えるんだから」
「うん……」
二人は、抱き合った。
それから、美月とさくらは協力して作品を作り続けた。
卒業後、二人は小さな画廊を開いた。
資金はなかった。
場所も、古いビルの一室。
しかし、二人は幸せだった。
1年が過ぎた。
画廊は、細々と続いていた。
作品は、あまり売れなかった。
生活は、苦しかった。
美月は、アルバイトをしながら画廊を続けた。
カフェ、レストラン、深夜のコンビニ。
絵を描く時間は、減っていった。
さくらも、同じようにアルバイトをしていた。
二人とも、疲れていた。
2年が過ぎた。
画廊は、経営が厳しくなった。
家賃が払えない月もあった。
ある日、さくらが言った。
「美月、もう無理かもしれない」
「え?」
「画廊、続けられないかも」
「そんな……」
「現実を見ようよ。私たち、全然売れてない」
さくらの声は、暗かった。
美月は、必死に考えた。
「もう少し、頑張ろうよ」
「でも……」
「私たちの夢だよ。諦めたくない」
「美月……」
さくらは、泣いた。
3年が過ぎた。
画廊は、閉店した。
もう、続けられなかった。
美月とさくらは、それぞれ別の道を歩み始めた。
美月は、デザイン会社に就職した。
さくらは、美術教師になった。
二人とも、絵描きの夢を諦めた。
ある日、美月は街で個展のポスターを見た。
若手画家の個展。
そこに展示されている作品は、美月が3年前に断った個展で展示するはずだった作品に似ていた。
美月は、その個展に行った。
作品を見て、涙が出た。
これが、自分の未来だったかもしれない。
さくらに電話した。
「さくら、元気?」
「うん……まあね」
「今日、個展見てきたんだ」
「そう」
「私たち、間違えたのかな」
「え?」
「あの時、私が個展を受けていれば……」
美月の声が、震えた。
「美月、何言ってるの」
「だって、私たち、結局夢を諦めたじゃない」
「それは……」
「もし、私が成功していれば、さくらも違う道があったかもしれない」
「美月、後悔してるの?」
「わからない……」
電話が、重苦しい沈黙に包まれた。
そして、さくらが言った。
「美月、私たち、もう会わない方がいいかもね」
「え……」
「お互い、辛くなるだけだから」
「さくら……」
「ごめん」
電話が切れた。
美月は、呆然とした。
結局、さくらを失った。
そして、成功も失った。
何のための選択だったのか。
シミュレーションが終わった。
美月が、目を覚ました。
美月は、泣いていた。
「最悪でした……」
「そうか」
「約束を守っても、結局失敗して」
「さくらとも、疎遠になって」
「何も残らなかった……」
老人は、静かに言った。
「美月さん、あなたは気づいたかね?」
「何に……?」
「約束を守ることが、必ずしも正しいとは限らないことに」
美月は、顔を上げた。
「でも……約束は大切じゃないんですか」
「大切だ。しかし、状況は変わる」
「あなたとさくらさんが約束した時、個展の話はなかった」
「状況が変わったのに、約束に縛られる必要はない」
老人は、続けた。
「さくらさんは、あなたに個展を受けてほしかったのかもしれない」
「本心では」
「でも、親友として、応援すると言った」
「あなたがそれを受け入れていれば、さくらさんも納得できたはずだ」
美月は、震えた。
「じゃあ、私は……間違っていたんですか」
「元の世界で、個展を受けたことは」
「間違っていない」
老人は、首を横に振った。
「ただ、さくらさんともっと向き合うべきだった」
「個展を受けた後も、彼女を支え、一緒に夢を追い続けることはできたはずだ」
美月は、はっとした。
「そうか……」
「個展を受けることと、さくらを大切にすることは、両立できたんだ」
「私が、さくらから逃げていただけだった」
老人は、深く頷いた。
「自分の成功に罪悪感を感じて、さくらさんから距離を置いた」
「それが、二人の関係を壊した」
「約束そのものより、その後どう向き合ったかが大きかったのだろう」
美月は、長い間考えた。
そして、言った。
「過去を、変えません」
「そうか」
老人は、微笑んだ。
「私、さくらを探します」
「もう一度、ちゃんと向き合います」
「約束を破ったことを謝って」
「でも、私の選択も理解してもらえるように話します」
美月は、立ち上がった。
「そして、もし許してくれるなら」
「今からでも、一緒に何かできるかもしれない」
「遅くないですよね?」
老人は、優しく言った。
「遅くない」
「人間関係は、いつからでも修復できる」
「大切なのは、向き合う勇気だ」
「ありがとうございました」
美月は、深く頭を下げた。
美月が去った後、老人は一人、窓口に座っていた。
老人は、引き出しから古い写真を取り出した。
若い頃の老人と、笑顔の女性。
二人とも、幸せそうだった。
「私も、かつては約束を破った」
老人は、呟いた。
「彼女との約束を」
「そして、それが改変事故につながった」
老人は、写真を見つめた。
「あの時、私も過去を変えようとした」
「約束を守った世界を見ようとした」
「しかし、事故が起きた」
「そして、私はここに閉じ込められた」
老人は、写真を戻した。
そして、窓を見た。
外は、相変わらず暗い通路だった。
「いつか、私もここから出られるのだろうか」
「次の継承者が現れたら」
「私は、彼女のもとへ行けるのだろうか」
しかし、その答えは、まだわからない。
3ヶ月後。
美月は、ついにさくらを見つけた。
地方の小学校で、美術教師をしていた。
美月は、学校を訪ねた。
放課後、さくらが教室から出てきた。
「さくら!」
美月が呼びかけた。
さくらが、振り向いた。
「美月……?」
「久しぶり」
「どうして、ここに……」
「あなたを、探してた」
二人は、近くのカフェに入った。
最初は、気まずい沈黙が続いた。
そして、美月が口を開いた。
「さくら、ごめん」
「何が?」
「約束を破ったこと。それから、あなたから逃げたこと」
美月は、涙を流した。
「私、罪悪感があって、あなたと向き合えなかった」
「でも、それは間違いだった」
「ちゃんと話すべきだった」
さくらも、涙を流した。
「私も、ごめん」
「美月の成功を、素直に喜べなかった」
「嫉妬してた」
「そして、逃げた」
二人は、泣きながら話し続けた。
3年間の空白を、埋めるように。
やがて、さくらが言った。
「美月、私ね、今でも絵を描いてるんだ」
「本当?」
「うん。趣味だけど」
「見せて」
「いいの?」
その日、美月はさくらのアパートを訪ねた。
壁には、たくさんの絵が飾られていた。
どれも、美しかった。
「さくら、これ……すごい」
「ありがとう」
「ねえ、一緒に個展やろうよ」
「え?」
「二人で。私の作品と、あなたの作品」
「でも……」
「遅くないよ。今からでも、夢を叶えられる」
さくらの目に、光が戻った。
「本当に?」
「本当に」
二人は、笑顔で抱き合った。
半年後。
美月とさくらの二人展が開かれた。
小さなギャラリー。
しかし、多くの人が訪れた。
オープニングで、美月が挨拶した。
「今日は、来てくださってありがとうございます」
「この展覧会は、私と親友の川上さくらの作品展です」
「私たちは、かつて一緒に画廊を開く約束をしました」
「でも、私は別の道を選びました」
「それで、長い間、彼女と疎遠になっていました」
「でも、再会できました」
「そして、今日、約束を叶えることができました」
会場から、拍手が起こった。
さくらが、美月の手を握った。
「ありがとう、美月」
「こちらこそ」
二人は、微笑み合った。
約束は、遅れて叶った。
しかし、それでも良かった。
大切なのは、諦めないことだった。
過去改変局。
老人は、今夜も窓口に座っている。
老人は、思った。
約束。
それは、時に人を縛る。
しかし、時に人を支える。
大切なのは、約束に縛られることではなく、約束の本質を理解することだ。
老人自身も、かつて約束を破った。
そして、それを後悔した。
しかし、今なら理解できる。
約束を守ることより、大切なことがあったのかもしれない。
扉が開いた。
一人の老婆が入ってきた。
「あの……過去を変えたいんです」
「座りなさい」
老人は、いつものように迎え入れた。
物語は、続いていく。
人々の選択と共に。
そして、老人自身の物語も、少しずつ明らかになっていく。




