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過去改変局  作者: 御影のたぬき


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8/15

第8話 繰り返す悪夢

前回のあらすじ

過去改変局を訪れた青木奈々は、7年前の交通事故で記憶を失ったことを後悔していた。シミュレーションで改変後の世界を見た奈々は、記憶を失う辛い経験も今の自分を作る大切な要素だと気づく。奈々は過去を受け入れ、同じ苦しみを持つ人々を助けるカウンセラーとして生きることを選んだ。老人は自身の過去に思いを馳せながら、今夜も新たな依頼者を待っている。

 深夜3時。

 地下鉄の通路は、いつにも増して静かだった。

 蛍光灯の一つが、不規則に明滅している。

 一人の男性が、過去改変局の窓口に辿り着いた。

 30代前半。スーツは乱れ、ネクタイは緩んでいる。

 目は充血し、顔色は悪い。まるで何日も眠っていないようだった。

 名前は、西村拓也。

 窓口の奥から、老人が顔を出した。

「いらっしゃい」

 西村は、荒い息で答えた。

「頼む……もう限界なんだ」

「座りなさい」

 西村が座ると、体全体が震えているのが見えた。

 老人は、静かに水を差し出した。

「まず、落ち着きなさい」

「ありがとう……」

 西村は、水を一気に飲み干した。

「何を変えたい?」

 老人が尋ねた。

 西村は、震える声で言った。

「8年前……俺が、あいつを止めなかった日を」

 8年前の冬。

 西村拓也は、24歳だった。

 IT企業で働き始めて2年目。

 同期入社の親友がいた。

 名前は、加藤雄介。

 雄介は、明るくて社交的だった。

 西村とは正反対の性格。

 それでも、二人は仲が良かった。

「拓也、今日も残業か?」

 雄介が、西村のデスクに来た。

「ああ。プロジェクトが佳境でさ」

「真面目だなあ。俺なんて、定時で帰るけど」

「お前は、それでも仕事できるからな」

 西村は、苦笑した。

 雄介は、確かに優秀だった。

 効率よく仕事をこなし、上司からの評価も高かった。

 しかし、ある日から様子がおかしくなった。

「拓也、ちょっと相談があるんだけど」

 ある日の昼休み、雄介が言った。

「どうした?」

「最近、眠れないんだ」

「え?」

「仕事のこと考えると、不安で……」

 雄介の顔は、疲れていた。

「大丈夫か?無理すんなよ」

「うん……でも、頑張らないと」

「休んだ方がいいんじゃないか?」

「いや、大丈夫。ちょっと疲れてるだけだから」

 雄介は、無理に笑った。

 それから、雄介の様子はさらにおかしくなった。

 遅刻が増えた。

 ミスも増えた。

 上司に怒られることも多くなった。

 西村は、心配だった。

「雄介、本当に大丈夫か?」

「大丈夫だって」

「でも、明らかにおかしいぞ」

「心配すんなって。俺、強いから」

 雄介は、強がった。

 しかし、ある日。

 雄介が会社に来なかった。

 西村が電話をかけても、出なかった。

 次の日も、来なかった。

 西村は、雄介のアパートを訪ねた。

 インターホンを押しても、反応がない。

 管理人に頼んで、鍵を開けてもらった。

 部屋の中は、荒れていた。

 そして、雄介はベッドで寝ていた。

「雄介!大丈夫か!」

 西村は、駆け寄った。

 雄介は、生きていた。

 しかし、ひどく衰弱していた。

「拓也……」

「おい、どうしたんだよ」

「もう……疲れた」

 雄介の目は、虚ろだった。

 西村は、雄介を病院に連れて行った。

 医者は、言った。

「重度のうつ病ですね」

「うつ病……」

「すぐに治療が必要です。入院を勧めます」

 雄介は、入院した。

 西村は、毎日見舞いに行った。

「雄介、ちゃんと休めよ」

「うん……」

「仕事のことは、気にすんな」

「でも……俺、もう会社に戻れないかもしれない」

「そんなことないって」

「みんなに、迷惑かけた」

「気にすんな。みんな、お前のこと待ってるから」

 西村は、励まし続けた。

 1ヶ月が過ぎた。

 雄介は、少し回復した。

 退院の話も出始めた。

「拓也、ありがとうな」

 雄介が言った。

「お前のおかげで、何とか持ち直せた」

「良かったよ」

「でも、まだ不安なんだ」

「大丈夫。ゆっくり治せばいい」

「うん……」

 そして、退院の日が決まった。

 その3日前。

 西村は、仕事が忙しくて見舞いに行けなかった。

 翌日も、行けなかった。

 大きなプレゼンがあったのだ。

 そして、退院予定日の前日。

 西村は、病院から電話を受けた。

「西村さん、加藤さんが……」

「え?」

「病室から、いなくなりました」

「どういうことですか!?」

 西村は、病院に駆けつけた。

 雄介は、本当にいなくなっていた。

 警察が捜索を始めた。

 そして、3日後。

 雄介は、見つかった。

 川で、浮いていた。

 自殺だった。

 西村は、呆然とした。

 なぜ。

 なぜ、雄介は死んだのか。

 葬式で、雄介の母親が言った。

「西村さん、ありがとうございました」

「いえ……」

「あなたは、雄介を最後まで支えてくれた」

「でも、助けられなくて……すみません」

 西村は、泣き崩れた。

 それから、西村は自分を責め続けた。

 あの時、もっと雄介の側にいれば。

 もっと話を聞いてやれば。

 プレゼンなんて、どうでもよかったのに。

 西村は、夢を見るようになった。

 雄介が、川に飛び込む夢。

 西村が、止めようとする。

 しかし、間に合わない。

 雄介は、水の中に消えていく。

 その夢を、何度も何度も見た。

 毎晩。

 西村は、眠るのが怖くなった。

 仕事も、手につかなくなった。

 上司に怒られても、何も感じなかった。

 ただ、雄介のことばかり考えていた。

 1年が過ぎた。

 西村は、会社を辞めた。

 別の会社に転職した。

 しかし、そこでもうまくいかなかった。

 夢は、止まらなかった。

 雄介が、毎晩現れる。

 「なぜ、助けてくれなかったんだ」

 そう言っているように感じた。

 3年が過ぎた。

 西村は、何度も転職を繰り返していた。

 どこに行っても、雄介の影がつきまとった。

 5年が過ぎた。

 西村は、カウンセリングを受け始めた。

 しかし、良くならなかった。

 夢は、止まらなかった。

 8年が過ぎた。

 西村は、32歳になっていた。

 もう、限界だった。

 眠れない。

 夢を見るのが怖い。

 雄介を、助けられなかった罪悪感が、消えない。

 そして、過去改変局の噂を聞いた。

 最後の希望だった。

「あの時、俺が雄介の側にいれば」

 西村は、老人に言った。

「プレゼンなんて休んで、病院に行けば」

「雄介は、死ななかったかもしれない」

 老人は、じっと西村を見つめた。

「西村さん、確認したい」

「はい」

「あなたが変えたいのは、雄介さんの側にいたという選択ですね?」

「そうです」

「しかし、雄介さんが自殺を選んだこと自体は、変えられない」

「……わかっています」

 老人は、静かに言った。

「つまり、あなたが側にいても、雄介さんが自殺を選ぶ可能性はある」

「でも……俺が話を聞いていれば、止められたかもしれない」

「あるいは、止められなかったかもしれない」

 老人の言葉が、西村の胸に刺さった。

「それでも、試したいんです」

 西村は、必死に訴えた。

「今のままじゃ、俺は生きていけない」

「毎晩、雄介の夢を見る」

「もう、8年間も苦しんでいる」

「どうか……過去を変えさせてください」

 老人は、深く息をついた。

「わかった。シミュレーションを見せよう」

「お願いします」

 西村は、頭を下げた。

 リクライニングチェアに座り、西村は機械を装着された。

「では、始める。8年前に戻る」

 老人が、スイッチを入れた。

 西村の意識が、遠のいていく。

 気がつくと、西村は会社にいた。

 8年前の、あの日。

 大きなプレゼンの前日。

 上司が言った。

「西村、明日のプレゼン、頼むぞ」

「はい……」

 しかし、西村——過去の西村は、言った。

「すみません、明日休ませてください」

「え?何言ってるんだ!」

「友人が、入院していて……そばにいてやりたいんです」

「そんなの、後でいいだろう!」

「いえ、今じゃないと意味がないんです」

 上司は、怒った。

「お前、それで会社を休むのか!」

「はい。申し訳ございません」

「わかった。好きにしろ。ただし、評価は下がるぞ」

「構いません」

 西村は、病院に行った。

 雄介の病室。

 雄介は、ベッドに座っていた。

「拓也?どうしたんだ、こんな時間に」

「お前に会いに来た」

「仕事は?」

「休んだ」

「え……」

「お前の方が、大事だから」

 雄介の目に、涙が浮かんだ。

「拓也……」

「どうした?何か悩んでるのか?」

「……実は」

 雄介は、話し始めた。

「退院したら、また仕事に戻らなきゃいけない」

「それが、すごく怖いんだ」

「またダメになるんじゃないかって」

「みんなに、迷惑かけるんじゃないかって」

 西村は、雄介の手を握った。

「大丈夫だ。お前は一人じゃない」

「俺がいる。みんながいる」

「ゆっくりでいい。焦る必要はない」

「でも……」

「心配すんな。お前のペースで、戻ってくればいい」

「拓也……」

 雄介は、泣いた。

 西村は、その夜、雄介と一緒に過ごした。

 いろんな話をした。

 昔の思い出。

 これからの夢。

 雄介は、少しずつ笑顔を取り戻した。

 これが、改変された過去。

 西村は、雄介の側にいた。

 次の日、西村は会社に行った。

 上司に怒られた。

 評価も下がった。

 しかし、西村は後悔しなかった。

 そして、雄介の退院の日。

 西村は、迎えに行った。

「拓也、ありがとうな」

「気にすんな」

「俺、頑張ってみるよ」

「ああ。応援してる」

 雄介は、会社に復帰した。

 最初は、リハビリ勤務。

 短時間から始めた。

 西村は、毎日雄介をサポートした。

 1ヶ月が過ぎた。

 雄介は、順調に回復していた。

 仕事も、少しずつこなせるようになった。

 しかし、ある日。

 雄介が、また休んだ。

 西村が電話をかけた。

「雄介、大丈夫か?」

「うん……ちょっと、調子悪くて」

「無理すんなよ」

「わかってる」

 次の日、西村は雄介のアパートを訪ねた。

 雄介は、部屋にいた。

 しかし、様子がおかしかった。

「拓也……」

「どうした?」

「もう、無理なのかもしれない」

「何言ってるんだ」

「俺、やっぱりダメなんだ」

「そんなことない」

「いや、ダメなんだよ!」

 雄介は、叫んだ。

「お前がどんなに支えてくれても、俺の中の不安は消えない」

「仕事に行くのが怖い」

「失敗するのが怖い」

「生きているのが、怖いんだ」

 西村は、必死に説得した。

「雄介、一緒に病院行こう」

「いや……」

「頼む。俺、お前を失いたくない」

「拓也……ごめん」

 雄介は、泣いた。

 西村も、泣いた。

 その日、西村は雄介を病院に連れて行った。

 医者は、再入院を勧めた。

 雄介は、頷いた。

 西村は、毎日見舞いに行った。

 仕事を早退して。

 休日も。

 雄介のそばにいた。

 しかし、3ヶ月後。

 雄介は、また病室から消えた。

 西村は、必死に探した。

 警察も、捜索した。

 そして、見つかった。

 川で。

 雄介は、死んでいた。

 西村は、崩れ落ちた。

 なぜ。

 あんなに、そばにいたのに。

 あんなに、支えたのに。

 結局、同じ結末だった。

 シミュレーションが終わった。

 西村が、目を覚ました。

 西村は、激しく泣いていた。

「同じだった……」

「そばにいても、雄介は死んだ」

「なぜだ……なぜなんだ……」

 老人は、静かに言った。

「西村さん、辛い真実だが」

「雄介さんの死は、あなたのせいではない」

 西村は、顔を上げた。

「でも……」

「あなたがどんなに支えても、救えない人もいる」

「それは、あなたの責任ではない」

 老人の言葉が、西村の心に響いた。

「雄介さんは、深い闇の中にいた」

「あなたの支えは、確かに彼を照らした」

「しかし、その闇から抜け出すには、彼自身の力が必要だった」

「あなたには、それを代わることはできない」

 西村は、震えた。

「じゃあ、俺は何もできなかったんですか」

「いや」

 老人は、首を横に振った。

「あなたは、できる限りのことをした」

「それで十分だ」

「でも、雄介は死んだ」

「ああ。しかし、それはあなたのせいではない」

「あなたは、自分を責めすぎている」

 老人は、続けた。

「雄介さんの死を背負う必要はない」

「悲しむことはいい。しかし、自分を責めるのは違う」

 西村は、長い間泣き続けた。

 老人は、黙って待っていた。

 やがて、西村が落ち着いた。

「先生……俺、どうすればいいんですか」

「夢を止める方法はありますか」

 老人は、静かに答えた。

「夢は、あなたの心の叫びだ」

「雄介さんを救えなかった罪悪感が、夢を生んでいる」

「その罪悪感を手放すことが、夢を止める方法だ」

「どうやって……」

「許すんだ」

「誰を?」

「自分自身を」

 老人の目が、西村を見つめた。

「あなたは、十分に頑張った」

「雄介さんのために、できることはすべてした」

「それでも救えなかった」

「それは、あなたの責任ではない」

「自分を、許しなさい」

 西村は、長い間考えた。

 そして、言った。

「過去を、変えません」

 老人は、頷いた。

「雄介は、死んだ」

「俺は、彼を救えなかった」

「それは、事実だ」

 西村は、涙を拭いた。

「でも、それは俺のせいじゃない」

「俺は、できることをした」

「それで、十分だったんだ」

 西村は、立ち上がった。

「ありがとうございました」

「どういたしまして」

「俺、これから……自分を許してみます」

「それがいい」

 老人は、微笑んだ。

 西村が、扉に向かおうとした時、老人が呼び止めた。

「一つだけ」

「はい?」

「雄介さんは、あなたに感謝していたはずだ」

「最後まで、支えてくれたことに」

「それを、忘れないでください」

 西村は、深く頷いた。

「はい……忘れません」

 西村が去った後、老人は一人、窓口に座っていた。

 老人は、自分の手を見つめた。

 皺だらけの、古い手。

 この手で、何人の人を導いてきただろう。

 老人も、かつては西村のように苦しんでいた。

 大切な人を失い、自分を責め続けていた。

 そして、過去改変局を訪れた。

 しかし、改変事故が起きた。

 老人は、時間の狭間に取り残された。

 そして、この窓口の管理人となった。

 それから、何年経ったのだろう。

 いや、何十年か。

 時間の感覚が、曖昧になっている。

 老人は、呟いた。

「私も、いつか誰かに許してもらえるのだろうか」

「自分自身を、許せる日が来るのだろうか」

 しかし、その答えは、まだ見つかっていない。

 半年後。

 西村は、カウンセリングを受けながら、少しずつ回復していた。

 夢は、まだ見る。

 しかし、頻度は減った。

 ある日、西村は雄介の母親に会いに行った。

「おばさん、お久しぶりです」

「西村さん……」

 母親は、驚いた顔をした。

「今日は、謝りに来ました」

「え?」

「雄介を、救えなくてすみませんでした」

 西村は、深く頭を下げた。

 母親は、西村の手を取った。

「西村さん、顔を上げて」

「……」

「あなたは、雄介のために本当によくしてくれた」

「私、知ってるのよ。雄介があなたをどれだけ信頼していたか」

 母親の目に、涙が浮かんだ。

「でも……」

「あなたのせいじゃないわ」

「雄介は、病気だったの」

「誰のせいでもない」

 母親は、優しく言った。

「だから、自分を責めないで」

「雄介も、きっとそう思ってるはずよ」

 西村は、泣いた。

 長い間、求めていた言葉だった。

 許し。

 それが、やっと得られた。

 その夜、西村は久しぶりに深く眠った。

 夢は見なかった。

 いや、見たかもしれない。

 しかし、それは悪夢ではなかった。

 雄介が、笑っている夢。

「拓也、ありがとうな」

 そう言って、手を振っている。

 西村も、手を振り返した。

 目が覚めた時、西村は涙を流していた。

 しかし、それは悲しみの涙ではなかった。

「さよなら、雄介」

 西村は、呟いた。

「もう、大丈夫だ」

 窓の外では、朝日が昇り始めていた。


 過去改変局。

 老人は、今夜も窓口に座っている。

 しかし、今夜は誰も来なかった。

 老人は、古い書類を整理していた。

 その中に、一枚の写真があった。

 若い頃の老人。

 そして、もう一人、笑顔の女性。

 老人は、写真を見つめた。

「もう、何年になるだろうか」

「私がここに来てから」

 老人は、写真を戻した。

 そして、窓口に座り直した。

 まだ、役目は終わっていない。

 いつか、継承者が現れるまで。

 老人は、ここにいる。

 時間の管理人として。

 過去と未来をつなぐ者として。

 扉が、ゆっくりと開いた。

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