表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
過去改変局  作者: 御影のたぬき


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/9

第4話 消せない罪

前回のあらすじ

 過去改変局を訪れた北村誠は、15年前の息子の誕生に立ち会わなかったことを後悔していた。しかし、シミュレーションで改変後の世界を見た北村は、過去を変えても失うものがあることを知る。老人の助言を受け、北村は過去を変えるのではなく、今から息子との時間を大切にすることを選んだ。そして、息子との関係は少しずつ良くなっていった。

 過去改変局の窓口に辿り着くと、男性は立ち止まった。看板を見上げ、深く息をついた。そして扉を開けた。窓口の奥から老人が顔を出した。

「いらっしゃい」

 田中は静かな声で答えた。

「ここが過去改変局ですか」

「そうだ。座りなさい」

 田中が座ると、老人は彼をじっと見つめた。その目には深い疲労と、何か大きなものを失った人特有の空虚さがあった。

「何を変えたい?」

 老人が尋ねた。田中はポケットから一枚の新聞記事を取り出した。黄ばんで角が擦り切れている。8年前の記事だ。

「8年前……俺が、この子を殺した日を」

 8年前の夏。田中誠一は39歳だった。商社の営業マンとして、まずまずの成功を収めていた。ある日曜日の午後。田中は商談の後、車で帰宅していた。天気が良く、気分も良かった。しかし疲れていた。商談は3時間に及び、神経をすり減らした。早く家に帰って休みたかった。

 住宅街を抜ける道。制限速度は40キロ。しかし田中は60キロ以上出していた。そしてカーブを曲がった時——目の前に小さな人影。女の子だった。ボールを追いかけて道路に飛び出してきた。

「危ない!」

 田中は急ブレーキを踏んだ。しかし間に合わなかった。ドンという鈍い音。女の子が宙に舞った。車が止まった。田中は震えながら車を降りた。女の子が道路に倒れていた。血を流している。動かない。

「おい!大丈夫か!」

 田中は駆け寄った。しかし女の子は反応しない。呼吸もしていない。周りに人が集まってきた。

「誰か救急車!」

 誰かが叫んだ。

 救急車が来た。女の子は運ばれていった。警察も来た。

「あなたが運転していたんですね?」

「は、はい……」

 田中は震えながら答えた。

「スピード出してましたね」

「すみません……」

 田中はただ謝ることしかできなかった。その日の夜。警察から連絡があった。

「田中さん、女の子は……亡くなりました」

 田中の頭が真っ白になった。

「死んだ……?」

「ええ。頭部を強く打って、即死だったそうです」

「そんな……」

 田中は崩れ落ちた。

 女の子の名前は小林結衣。7歳だった。小学2年生。田中は逮捕された。罪名は自動車運転過失致死。スピード違反もあった。裁判が始まった。被害者の両親が法廷にいた。母親はずっと泣いていた。父親は田中を睨みつけていた。

「被告は制限速度を大幅に超過し、前方不注意のまま運転していました」

 検察官が厳しく糾弾した。

「被告の軽率な運転により7歳の少女の命が奪われました」

「これは許されない罪です」

 田中の弁護士は反論した。

「被告は深く反省しています」

「また被害者の飛び出しも事故の一因です」

 しかしそれを聞いた被害者の父親が叫んだ。

「ふざけるな!娘のせいだと言うのか!」

「お前がスピード出さなければ!お前がちゃんと前を見ていれば!」

「娘は死ななかった!」

 法廷が騒然となった。田中はただ頭を下げることしかできなかった。何を言っても言い訳にしかならない。自分が結衣ちゃんを殺したのだ。

 判決が出た。懲役2年、執行猶予3年。実刑ではなかった。しかし田中にとって、それは何の救いにもならなかった。裁判の後、被害者の父親が田中に言った。

「お前はこれだけで済むのか」

「娘はもう戻ってこないのに」

「お前は生きて、笑って、幸せになれるのに」

「娘は7歳で人生が終わったのに」

 父親は泣き崩れた。田中は何も言えなかった。その通りだった。自分は生きている。結衣ちゃんは死んでいる。それは変えられない事実だった。

 それから田中の人生は壊れた。会社はクビになった。友人も離れていった。家族も失望した。田中は部屋に引きこもった。毎日、結衣ちゃんのことを考えた。なぜスピードを出したのか。なぜもっと注意しなかったのか。もしあの時——

 田中は何度も死のうとした。しかし、できなかった。死ぬことすら許されない気がした。自分が死んでも結衣ちゃんは戻ってこない。8年が経った。田中は47歳になっていた。しかし8年前から時間が止まったままだった。

 ある日、田中はネットで噂を見つけた。地下鉄の奥に過去を変えられる窓口があるらしい。最初は信じなかった。しかし藁にもすがる思いで探し始めた。そして見つけた。過去改変局。

「あの日を変えたいんです」

 田中は老人に言った。

「スピードを出さなかった自分に。もっと注意深い自分に」

「そうすれば結衣ちゃんは……死ななかった」

 老人はじっと田中を見つめた。

「田中さん、確認したい」

「はい」

「あなたが変えたいのは自分の運転の仕方だね?」

「そうです」

「しかし女の子が道路に飛び出してくることは変えられない」

「わかっています。でもスピードを出していなければ止まれたはずです」

 老人は深く息をついた。そして言った。

「シミュレーションを見せよう」

「しかし一つだけ聞きたい」

 老人が田中を見つめた。

「あなたは本当に過去を変えたいのか?」

「え?」

「それとも罰を受けたいだけなのか?」

 田中は言葉に詰まった。

「俺は……」

「自分を許せないから、過去を変えて自分を消したいだけではないのか?」

 老人の言葉が田中の胸に刺さった。

「……わかりません」

 田中は正直に答えた。

「わからないなら見てみよう」

 老人は奥の部屋を指差した。

 リクライニングチェアに座り、田中は機械を装着された。

「では始める。8年前に戻る」

 老人がスイッチを入れた。田中の意識が遠のいていく。

 気がつくと田中は車を運転していた。8年前のあの日。商談の後、疲れている。しかし田中——過去の田中は違う選択をした。

「疲れてるな……ゆっくり帰ろう」

 田中は安全運転を心がけた。住宅街を制限速度40キロで走った。そしてあのカーブに差し掛かった。その時。目の前に女の子が飛び出してきた。結衣ちゃんだ。ボールを追いかけて。田中は急ブレーキを踏んだ。タイヤがキーッと鳴った。車が止まる。結衣ちゃんの目の前で。間に合った。結衣ちゃんは無事だった。

「危ないぞ!」

 田中は車を降りて結衣ちゃんに駆け寄った。

「ごめんなさい……」

 結衣ちゃんは泣きながら謝った。

「いいんだ。でももっと気をつけなきゃダメだぞ」

「うん……」

 結衣ちゃんは頷いた。その時、近くの家から女性が駆けてきた。結衣ちゃんの母親だった。

「結衣!大丈夫!?」

「ママ……」

 母親は結衣ちゃんを抱きしめた。

「すみません、うちの子が……」

 母親が田中に頭を下げた。

「いえ、無事で良かったです」

 田中は微笑んだ。結衣ちゃんと母親は家に戻っていった。田中は車に乗り込んだ。心臓がまだ激しく鼓動している。

「危なかった……でも間に合って良かった」

 これが改変された過去。結衣ちゃんは死ななかった。

 時間が流れた。田中は普通に生活していた。会社で働き、家族と過ごした。事故のことは時々思い出した。あの時、間に合って良かった。もしスピードを出していたら……しかしそんなことは起きなかった。結衣ちゃんは生きている。

 1年が過ぎた。田中は順調にキャリアを積んでいた。3年が過ぎた。田中は昇進した。5年が過ぎた。田中は部長になった。8年が過ぎた。田中は47歳になっていた。元の世界と同じ年齢。しかしこの世界の田中には罪の重さがわかっていなかった。あの日、たまたま間に合っただけ。運が良かっただけ。

 田中は時々、不注意な運転をすることがあった。スピードを出しすぎたり、脇見をしたり。なぜなら「大丈夫だろう」という油断があったから。そして恐ろしいことに気がついた。この世界の自分はいつかまた同じ過ちを犯すかもしれない。いや、必ず犯すだろう。なぜなら罪の重さを知らないから。人を殺すということがどれほど取り返しのつかないことか、わかっていないから。田中は震えた。この幸せは偽物だ。何も学ばずに得た幸せは脆い。

 シミュレーションが終わった。田中が目を覚ました。田中は涙を流していた。

「結衣ちゃんは……生きていました」

「そうか」

「でも……俺は何も変わっていませんでした」

 田中は震えながら言った。

「罪の重さを知らない俺がそこにいました」

「同じ過ちをいつか繰り返すだろう俺が」

「それは……恐ろしかった」

 老人は深く頷いた。

「田中さん、あなたは気づいたんだね」

「何に……?」

「過去を変えることは学びを消すことだと」

 田中ははっとした。

「学び……」

「あなたは8年前の事故で取り返しのつかない罪を犯した」

 老人は静かに言った。

「それは苦しいことだ。耐え難いことだ」

「しかし、その苦しみがあなたを変えた」

 老人は続けた。

「今のあなたは8年前のあなたとは違う」

「人の命の重さを知っている」

「軽率な行動がどれほど恐ろしい結果を招くか知っている」

「それは結衣ちゃんの死があったからこそ得た学びだ」

 田中は泣き続けた。

「でも……結衣ちゃんは死んでいます」

「俺のせいで」

「それは変わらないんですか?」

 老人は長い沈黙の後、静かに言った。

「田中さん、もう一度聞きます」

「本当に過去を変えたいですか?」

 田中は震えた。

「俺は……」

「結衣ちゃんを生き返らせたいのか」

「それとも自分の罪を消したいのか」

「どちらですか?」

 田中は長い間考えた。そして気づいた。

「俺は……結衣ちゃんを生き返らせたいんです」

「自分の罪を消したいわけじゃない」

「結衣ちゃんに生きてほしい」

 老人の目が優しくなった。

「それならば」

「過去を変えるべきです」

 田中は驚いた。

「え……?」

「あなたの動機は正しい」

 老人は言った。

「自分のためではなく、結衣ちゃんのため」

「ならば変えなさい」

「しかし……学びが消えると……」

「学びは消えません」

 老人は首を振った。

「シミュレーションであなたはすでに学んだ」

「『罪の重さを知らない自分』がどれほど危険か」

「その学びは、改変後の世界でも残ります」

「本当ですか?」

「ええ」

 老人は頷いた。

「過去改変局を経験した者は両方の世界の記憶を持ちます」

「あなたは結衣ちゃんが死んだ世界の記憶を持ったまま」

「結衣ちゃんが生きている世界で生きることになる」

 田中は震えた。

「それは……」

「辛いでしょう」

 老人は静かに言った。

「誰にも理解されない記憶を抱えて生きる」

「しかしあなたはその覚悟がありますか?」

 田中は長い間考えた。そして答えた。

「あります」

「結衣ちゃんが生きているなら」

「その記憶を抱えて生きます」

 老人は深く頷いた。

「わかりました」

「では契約書にサインを」

 田中は契約書にサインをした。老人が機械を操作し始めた。

「では改変を開始する」

 部屋が光に包まれた。田中の意識が遠のいていく。そして——

 気がつくと田中は自分の部屋にいた。見覚えのある部屋。しかし何かが違う。壁に家族写真が飾られている。妻と子供たちの写真。田中は混乱した。これは……改変後の世界か?

 机の上にスマートフォンがある。田中は手に取った。ニュースアプリを開く。日付を確認する。現在。そして検索する。

「小林結衣」

 検索結果が表示された。SNSのアカウントがヒットした。開いてみる。そこには15歳になった結衣の写真があった。笑顔の女の子。友達と楽しそうに写っている。田中は涙を流した。

「生きてる……」

「結衣ちゃんが生きてる……」

 しかし同時に田中は思い出していた。もう一つの世界の記憶。結衣ちゃんを轢き殺してしまった世界。8年間苦しみ続けた世界。その記憶は消えていない。鮮明に残っている。田中は震えた。これから自分は二つの記憶を持って生きていく。結衣ちゃんを殺した記憶。そして結衣ちゃんが生きている現実。

 老人の言葉を思い出した。

「辛いでしょう。誰にも理解されない記憶を抱えて生きる」

 確かに辛い。この記憶は誰とも共有できない。妻にも、友人にも、誰にも。しかし田中は思った。これでいい。結衣ちゃんが生きているなら。

 田中は窓の外を見た。青い空。どこかで結衣ちゃんが元気に生きている。それだけで十分だ。

 それから田中の人生は変わった。会社での仕事は順調だった。しかし田中は決してスピードを出さなくなった。決して不注意な運転をしなくなった。なぜなら知っているから。一瞬の油断がどれほど恐ろしい結果を招くか。同僚が不思議がった。

「田中さん、慎重すぎませんか?」

「いや、これくらいでちょうどいい」

 田中は答えた。

 そして田中は交通安全のボランティアを始めた。学校で講演をした。

「一瞬の油断が人の命を奪います」

「私は……知っています」

「どれほど恐ろしいことか」

 子供たちは真剣に聞いていた。

 ある日、講演の後、一人の女子生徒が近づいてきた。15歳くらい。

「あの、ありがとうございました」

 女子生徒が言った。

「私、道路に飛び出すことがあって」

「でも今日のお話を聞いて、気をつけようと思いました」

 田中はその子を見た。そして気づいた。小林結衣だ。田中は震えた。目の前に結衣ちゃんがいる。生きている。15歳になった結衣ちゃんが。

「あの……大丈夫ですか?」

 結衣が心配そうに尋ねた。田中は涙を拭いた。

「ああ、大丈夫」

「気をつけてね」

「道路に飛び出したら危ないから」

「はい」

 結衣は微笑んで去っていった。田中は涙を流し続けた。良かった。結衣ちゃんは生きている。元気に、幸せに。この記憶の重さを抱えても。結衣ちゃんが生きているなら。それで十分だ。

 過去改変局。老人は一人、窓口に座っていた。田中は過去を変えた。正しい選択だった。老人は思った。過去を変えるべき時もある。変えないべき時もある。大切なのは動機だ。自分のためか。誰かのためか。田中は誰かのために過去を変えた。それは正しい。

 老人は窓の外を見た。いや、過去改変局には窓はない。しかし老人の心の目には、外の世界が見えた。結衣ちゃんが元気に生きている世界。田中がその記憶の重さを抱えて生きている世界。それでいい。

 扉が開いた。新しい依頼者が入ってきた。

「いらっしゃい」

 老人はいつものように迎え入れた。物語は続いていく。人々の選択と共に。そして時には、過去を変えることが正しい選択であることもある。老人はそう信じている。

読みにくい箇所も多いので後日修正するかも知れません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ