第18話 時の重み
前回のあらすじ
美咲は心臓病を患っており、健太郎に隠していたが、やがて入院することになる。健太郎は美咲のそばに付き添い、最期の時間を共に過ごす。美咲は健太郎に「人を助け続けてほしい」と願いを残して旅立つ。悲しみの中、健太郎は美咲との約束を守り、再びボランティア活動に戻る。相良は健太郎を励まし、互いに使命を果たし続ける。
過去改変局。
相良透が管理人になってから、1年が経とうとしていた。
時間の狭間では、時の流れが曖昧だ。
しかし、相良は依頼者の数で、おおよその時間を把握していた。
約365人。
ほぼ毎日、誰かが訪れていた。
相良は、窓口に座りながら、考えていた。
この1年で、多くの人を導いた。
過去を変えた人もいる。
過去を受け入れた人もいる。
それぞれの選択。
それぞれの人生。
相良は、充実感を感じていた。
しかし、同時に疲労も感じていた。
一人一人の苦しみを受け止めること。
それは、相良自身の心にも重くのしかかる。
「健太郎さんは、何十年もこれを続けたのか……」
相良は、呟いた。
「本当に、すごい……」
その時、扉が開いた。
一人の女性が入ってきた。
しかし、その女性は、他の依頼者とは何かが違った。
落ち着いていて、穏やかで。
まるで、ここに来ることを恐れていないかのように。
相良は、直感した。
この人は、特別だ。
「いらっしゃい」
相良は、いつものように言った。
「こんばんは」
女性は、静かに答えた。
「座りなさい」
女性が座ると、相良は彼女を観察した。
30代前半。
服装は、シンプルだが品がある。
目には、深い洞察力がある。
「何を変えたい?」
相良が尋ねた。
女性は、少し考えてから答えた。
「実は、私は過去を変えに来たわけではありません」
相良は、驚いた。
どこかで聞いたような言葉。
「では、なぜここに?」
「あなたに会いに来ました」
女性は、相良を見つめた。
「過去改変局の管理人に」
相良は、息を呑んだ。
これは……まさか……。
「私の名前は、芦田澪です」
女性は、自己紹介した。
「精神科医をしています」
「そして、この場所のことを、研究しています」
「研究……?」
「はい」
澪は、頷いた。
「時間と心の関係」
「過去への執着と、それからの解放」
「そのメカニズムを、理解したいんです」
相良は、警戒した。
「研究対象として、ここを調べに来たのか?」
「いいえ」
澪は、首を横に振った。
「私は、ここで起きていることを暴こうとしているわけではありません」
「むしろ……理解したいんです」
「そして……」
澪は、相良を真っ直ぐ見つめた。
「あなたを、助けたいんです」
相良は、澪をじっと見つめた。
この言葉も、どこかで聞いたような。
そう、1年前。
自分が健太郎に言った言葉だ。
「芦田さん、あなたは……」
相良が言いかけた時、澪が続けた。
「相良さん、あなたは1年間、ここで人々を導いてきました」
「しかし、あなた自身は苦しんでいる」
「そうじゃありませんか?」
相良は、言葉に詰まった。
図星だった。
「あなたは、孤独です」
澪は、静かに言った。
「誰とも話せない」
「誰にも理解されない」
「ただ、依頼者の苦しみを受け止め続ける」
「それは、あなた自身を疲弊させている」
相良は、震えた。
「どうして……そこまで……」
「わかるんです」
澪は、微笑んだ。
「人の心の痛みが」
「あなたの痛みが」
相良は、涙を流した。
自分でも気づかないうちに。
「相良さん、私に話してください」
澪が優しく言った。
「あなたの苦しみを」
「あなたの孤独を」
「一人で抱え込まないでください」
相良は、長い間黙っていた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「芦田さん、私は……」
相良は、自分の1年間を語り始めた。
365人の依頼者。
それぞれの苦しみ。
それぞれの後悔。
相良は、一人一人に寄り添った。
心理学者としての知識を活かして。
しかし、それは簡単ではなかった。
ある人は、子供を失った悲しみに耐えられず、過去を変えようとした。
ある人は、犯してしまった罪に苦しんでいた。
ある人は、愛する人を救えなかった後悔に囚われていた。
相良は、すべてを受け止めた。
しかし、それは相良自身の心に、重くのしかかった。
「時々、思うんです」
相良は、涙を流しながら言った。
「私は、本当に彼らを助けられているのか、と」
「彼らの苦しみを、軽くできているのか、と」
「それに……」
相良の声が震えた。
「孤独なんです」
「誰とも話せない」
「健太郎さんからのメッセージはありますが」
「それだけでは……足りない」
澪は、黙って聞いていた。
そして、相良の手を握った。
「相良さん、あなたは十分に頑張っています」
「あなたが救った人は、たくさんいます」
「そして、あなたの孤独も、私にはわかります」
相良は、澪を見つめた。
「芦田さん……」
「私、あなたを助けたいんです」
澪は、真剣な目をした。
「そして……もし可能なら」
「この役目を、引き継ぎたいんです」
相良は、驚いた。
「え……?」
「私は、人の心に寄り添うことが、使命だと思っています」
澪は、続けた。
「精神科医として、多くの患者を診てきました」
「しかし、医療には限界がある」
「薬や療法では、救えない人もいる」
「でも、ここでは……」
澪は、窓口を見回した。
「過去を見つめ直すことで、人は変われる」
「それを、私は手伝いたい」
相良は、戸惑った。
「しかし、芦田さん、この役目は……」
「辛いですよね」
澪は、頷いた。
「孤独で、苦しい」
「でも、意味がある」
「そう思いませんか?」
相良は、長い間考えた。
そして、気づいた。
この人は、自分と同じだ。
いや、もしかしたら、自分以上に、この役目に適しているかもしれない。
その時、窓口のカウンターが、淡く光り始めた。
相良も、澪も、驚いた。
光は、徐々に強くなった。
そして、カウンターの上に、古い羊皮紙が現れた。
文字が浮かび上がった。
「継承の条件
次の管理人となる者は、以下の条件を満たす者である。
一、過去を変えるためではなく、他者を助けるために来た者。
二、深い共感力と洞察力を持つ者。
三、自らの自由を犠牲にしても、人々を導く意志を持つ者。
四、現管理人が、心から信頼できると感じた者。
これらの条件を満たす者が現れた時、継承が可能となる。」
相良と澪は、羊皮紙を読んだ。
そして、顔を見合わせた。
「芦田さん……」
相良が震える声で言った。
「あなたは、すべての条件を満たしている」
澪は、深く頷いた。
「そうみたいですね」
「しかし、本当にいいのか?」
相良は、尋ねた。
「自由を失うんだぞ」
「時間の狭間に閉じ込められる」
「何年も、何十年も」
澪は、微笑んだ。
「構いません」
「私は、この役目に呼ばれている気がします」
「運命のように」
相良は、涙を流した。
自分が1年前に感じたこと。
澪も、同じように感じているのだろう。
「でも、芦田さん、まだ早いんじゃないか?」
相良が言った。
「私、まだ1年しか経っていない」
「健太郎さんは、何十年も……」
「相良さん」
澪が遮った。
「時間の長さは、関係ないと思います」
「大切なのは、役目を果たすこと」
「そして、次の人に託すこと」
「それに……」
澪は、相良を見つめた。
「あなたは、もう十分に頑張りました」
「1年間、休みなく人々を導いてきた」
「それだけで、十分です」
相良は、長い間考えた。
そして、気づいた。
確かに、疲れている。
心が、限界に近づいている。
このまま続けても、いつか壊れるかもしれない。
そして、澪なら。
この人なら、任せられる。
「わかった」
相良は、決断した。
「継承を、行おう」
羊皮紙が、再び光り始めた。
そして、新しい文字が浮かび上がった。
「継承の儀式
現管理人と新管理人は、以下の誓いを立てる。
現管理人は言う:
『私は、この役目を次の者に託す。人々を導いてきた。今、その役目を終える時が来た』
新管理人は言う:
『私は、この役目を引き受ける。人々を導き、過去と未来をつなぐ。時間の管理人として』
二人が誓いを立てた時、継承が完了する」
相良と澪は、向かい合った。
相良が、震える声で言った。
「私は、この役目を次の者に託す」
「人々を導いてきた」
「今、その役目を終える時が来た」
澪が、力強く答えた。
「私は、この役目を引き受ける」
「人々を導き、過去と未来をつなぐ」
「時間の管理人として」
その瞬間。
部屋全体が、激しく光に包まれた。
相良の体が、透明になっていく。
澪の体が、この空間に定着していく。
時間の流れが、入れ替わる。
相良は、時間の狭間から解放される。
澪は、時間の狭間に入る。
光が、収まった。
相良は、自分の手を見た。
実体を取り戻していた。
時間の感覚が、戻ってきた。
「これは……」
相良は、呟いた。
「自由……」
澪は、窓口の椅子に座っていた。
まるで、最初からそこにいたかのように。
「おめでとうございます」
澪が、微笑んだ。
「あなたは、自由になりました」
「元の世界に、戻れますよ」
相良は、涙を流した。
「芦田さん……ありがとう……」
「いえ」
澪は、首を横に振った。
「こちらこそ、ありがとうございます」
「この役目を、与えてくれて」
相良は、窓口を振り返った。
1年間、ここにいた。
多くの人を、導いた。
「芦田さん、一つだけ」
相良が言った。
「何ですか?」
「孤独を感じた時は、健太郎さんにメッセージを送ってください」
「彼は、必ず返事をくれます」
「そして、いつか次の継承者が現れるまで、頑張ってください」
澪は、深く頷いた。
「わかりました」
「ありがとうございます」
相良は、扉に向かった。
そして、振り返った。
「芦田さん、あなたならできます」
「信じています」
澪は、微笑んだ。
「ありがとうございます」
「相良さんも、幸せになってください」
相良は、扉を開けた。
扉の向こうには、明るい光があった。
相良は、一歩踏み出した。
そして、光の中に消えていった。
澪は、一人、窓口に座った。
これから、自分が管理人として、人々を導いていく。
澪は、窓口のカウンターに手を置いた。
古い、古い木。
健太郎が触れた木。
相良が触れた木。
そして、今、自分が触れる木。
「よろしくお願いします」
澪は、カウンターに語りかけた。
その時、扉が開いた。
一人の若い男性が入ってきた。
「あの……ここで、過去を変えられるんですか?」
男性が尋ねた。
澪は、微笑んだ。
「変えられる。座りなさい」
男性が座ると、澪は尋ねた。
「何を変えたい?」
物語は、続いていく。
新しい管理人、芦田澪と共に。
一方、相良透は、光の中を歩いていた。
そして、気がつくと、見覚えのある場所にいた。
大学のキャンパス。
自分が教えていた大学。
掲示板を見た。
日付が書いてあった。
2027年2月。
相良は、驚いた。
1年と少し、経っていた。
時間の狭間では1年だったが、外の世界でも同じくらいだった。
相良は、自分の研究室に向かった。
そこには、かつての同僚がいた。
「相良!?」
同僚が、驚いた顔をした。
「どこに行ってたんだ!」
「1年以上、連絡が取れなくて……」
相良は、微笑んだ。
「ちょっと、長い旅に出ていたんです」
「旅?」
「ええ。そして、戻ってきました」
相良は、新しい人生を始める準備ができていた。
過去改変局での経験を活かして。
人々を助け続ける。
それが、相良の使命だから。
過去改変局。
芦田澪は、今夜も窓口に座っている。
扉が開いた。
また、新しい依頼者が訪れた。
物語は、続いていく。
そして、いつか訪れる、完結の時まで。




