第16話 新たな管理人の試練
前回のあらすじ
健太郎は美咲と再会し、彼女の町で新しい生活を始める。最初は空虚さを感じていた健太郎だが、美咲の勧めでボランティア活動を始め、再び人を助ける喜びを見出す。過去改変局では、相良透が新しい管理人として人々を導き始める。健太郎からの感謝のメッセージを受け取った相良は、自分の使命を確信する。
深夜2時30分。
過去改変局の窓口に、相良透は座っていた。
管理人になってから、まだ数週間しか経っていない。
しかし、すでに多くの依頼者が訪れていた。
過去を変えたいと願う人々。
相良は、一人ひとりに向き合い、導いてきた。
今夜は、まだ誰も来ていなかった。
相良は、窓口のカウンターに手を置いた。
古い木の感触が、手のひらに伝わる。
「健太郎さんは、何十年もこの椅子に座っていたんだな」
相良は、呟いた。
「孤独だっただろう」
「辛かっただろう」
相良は、自分の選択を振り返った。
自ら、この役目を引き受けた。
自由を捨てて、時間の狭間に入った。
後悔は、ない。
しかし、時々、寂しさを感じる。
誰とも話せない。
誰にも会えない。
ただ、依頼者を待つだけ。
その時、扉が開いた。
一人の若い男性が入ってきた。
20代後半。スーツを着ている。
しかし、その様子は、尋常ではなかった。
顔は青白く、目は虚ろ。
手は震えていて、まともに歩けないようだった。
「座りなさい」
相良は、急いで椅子を勧めた。
男性が座ると、相良は水を差し出した。
「まず、落ち着いてください」
「ありがとう……ございます……」
男性は、震える手で水を飲んだ。
相良は、男性を観察した。
心理学者としての訓練が、役立つ。
この男性は、極度のストレス状態にある。
何か、重大な出来事があったのだろう。
「何を変えたい?」
相良が優しく尋ねた。
男性は、しばらく黙っていた。
そして、震える声で言った。
「昨日……俺が、会社で大きなミスをした日を」
名前は、橋本大輔。28歳。
IT企業のエンジニア。
昨日の朝。
橋本は、重要なプロジェクトを任されていた。
新しいシステムのリリース。
クライアントは、大手銀行。
橋本は、最終チェックをしていた。
コードを確認し、テストを実行し、問題ないことを確認した。
そして、上司に報告した。
「橋本、大丈夫か?」
「はい。すべて問題ありません」
「本当だな?これ、失敗したら大変なことになるぞ」
「大丈夫です。何度も確認しました」
上司は、頷いた。
「わかった。じゃあ、リリースしてくれ」
「はい」
橋本は、リリースボタンを押した。
新しいシステムが、稼働し始めた。
最初は、問題なかった。
しかし、数時間後。
銀行から、緊急連絡が入った。
「システムが、おかしい!」
「顧客の口座情報が、正しく表示されない!」
「すぐに止めろ!」
橋本は、血の気が引いた。
急いで、システムを確認した。
そして、気づいた。
重大なバグがあった。
テストでは見つからなかったバグ。
しかし、本番環境では、致命的な問題を引き起こすバグ。
橋本は、すぐにシステムを停止した。
しかし、すでに遅かった。
数百人の顧客情報が、誤って表示されていた。
銀行は、大混乱に陥った。
顧客からのクレームが殺到した。
ニュースでも、報道された。
橋本の会社は、謝罪会見を開いた。
損害賠償も、請求された。
数億円規模の損失。
橋本は、責任を問われた。
上司に、厳しく叱責された。
「橋本!お前、確認したと言っただろう!」
「すみません……」
「すみませんじゃない!お前のせいで、会社が潰れるかもしれないんだぞ!」
橋本は、何も言えなかった。
自分のミスだ。
自分が、会社を、銀行を、顧客を、裏切った。
橋本は、その日、会社を早退した。
家に帰っても、何もできなかった。
ただ、自分を責め続けた。
そして、過去改変局の噂を思い出した。
藁にもすがる思いで、探した。
そして、見つけた。
「あの日、俺がもっと慎重にチェックしていれば」
橋本は、相良に言った。
「バグを見つけられたかもしれない」
「リリースを止められたかもしれない」
「こんなことには、ならなかった」
相良は、じっと橋本を見つめた。
この男性は、自分を責めすぎている。
このままでは、壊れてしまうかもしれない。
「橋本さん」
相良が静かに言った。
「あなたは、ちゃんとチェックをしたんですよね?」
「はい……でも、見つけられなかった」
「それは、あなたの能力不足だと思いますか?」
「え……?」
相良は、続けた。
「テストで見つからなかったバグ」
「本番環境でのみ発生するバグ」
「それは、誰にでも起こりうることです」
「あなただけの責任ではありません」
「でも……」
橋本は、震えた。
「でも、俺が確認したと言った」
「俺が、大丈夫だと言った」
「それが、間違いだった」
相良は、深く頷いた。
「確かに、結果的には間違っていました」
「しかし、あなたは故意に間違えたわけではない」
「最善を尽くした上での、ミスだった」
「最善を尽くしても……ダメだったんです」
橋本は、泣き始めた。
「俺は、信頼されていた」
「でも、裏切った」
「もう、誰も俺を信じてくれない」
相良は、立ち上がった。
そして、橋本の肩に手を置いた。
「橋本さん、シミュレーションを見ますか?」
「見ます……お願いします」
リクライニングチェアに座り、橋本は機械を装着された。
「では、始める。昨日に戻る」
相良が、スイッチを入れた。
橋本の意識が、遠のいていく。
気がつくと、橋本は会社にいた。
昨日の朝。
リリース前の最終チェックをしている。
橋本——過去の橋本——は、さらに慎重にチェックした。
一つ一つのコードを、丁寧に読んだ。
テストも、何度も実行した。
そして、気づいた。
ある特定の条件下でのみ発生するバグ。
本番環境を想定した、より詳細なテストを実施した。
バグが、見つかった。
「これは……まずい」
橋本は、すぐに上司に報告した。
「部長、バグが見つかりました」
「何だと!?」
「リリースを、延期すべきです」
上司は、困った顔をした。
「しかし、銀行との約束が……」
「でも、このままリリースしたら、大問題になります」
「……わかった。延期しよう」
これが、改変された過去。
橋本は、バグを見つけた。
時間が流れた。
リリースは、1週間延期された。
橋本は、バグを修正した。
そして、再度テストを実施した。
今度は、問題なかった。
1週間後、システムをリリースした。
成功だった。
銀行からも、感謝された。
「バグを見つけてくれて、ありがとう」
「もし、あのままリリースしていたら、大変なことになっていた」
上司も、橋本を褒めた。
「橋本、よくやった」
「慎重にチェックしてくれたおかげだ」
橋本は、安堵した。
良かった。
ミスを、防げた。
しかし、その数ヶ月後。
別のプロジェクトで、トラブルが起きた。
橋本ではなく、別のエンジニアのミスだった。
しかし、そのエンジニアは、ひどく責められた。
「お前、ちゃんとチェックしたのか!」
「橋本を見習え!彼は、ちゃんとバグを見つけたぞ!」
そのエンジニアは、うつ病になった。
会社を、休職した。
橋本は、罪悪感を感じた。
自分が褒められることで、他の人が傷ついている。
そして、さらに時間が流れた。
橋本は、昇進した。
チームリーダーになった。
しかし、プレッシャーが増した。
常に完璧を求められる。
ミスは、許されない。
橋本は、疲れ果てた。
毎日、遅くまで働いた。
チェックに、チェックを重ねた。
ある日、橋本は倒れた。
過労で。
病院に運ばれた。
医者が言った。
「このままでは、体が持ちませんよ」
「休養が必要です」
橋本は、休職した。
しかし、休んでいても、不安だった。
自分がいない間に、何か問題が起きるのではないか。
橋本は、精神的に追い詰められていった。
シミュレーションが終わった。
橋本が、目を覚ました。
橋本は、呆然としていた。
「バグを……見つけました」
「ええ」
「でも……その後の人生が、辛かった」
相良は、深く頷いた。
「橋本さん、あなたは気づきましたか?」
「何に……?」
「完璧を求めることの、代償に」
橋本は、震えた。
「完璧に……なろうとしすぎた……」
「そうです」
相良は、静かに言った。
「人は、ミスをする生き物です」
「どんなに注意しても、どんなに努力しても」
「ミスは、起こる」
「それを、受け入れることが大切です」
橋本は、涙を流した。
「でも、俺のミスで、多くの人が迷惑を受けた」
「それは、事実です」
「しかし、それで人生が終わるわけではありません」
相良は、続けた。
「大切なのは、ミスから学ぶこと」
「そして、次に活かすこと」
「完璧になろうとするのではなく」
「成長し続けることです」
橋本は、長い間考えた。
そして、言った。
「過去を、変えません」
「そうですか」
相良は、微笑んだ。
「俺、ミスをしました」
「それは、事実です」
「でも、そこから学びます」
「次は、もっと良くなります」
橋本は、立ち上がった。
「ありがとうございました」
「どういたしまして」
「俺、会社に戻ります」
「そして、ちゃんと謝罪します」
「できる限りの償いをします」
相良は、頷いた。
「それがいい」
「完璧である必要はありません」
「ただ、誠実であればいい」
橋本が、扉に向かおうとした時、相良が呼び止めた。
「一つだけ」
「はい?」
「自分を責めすぎないでください」
「あなたは、最善を尽くした」
「それで、十分です」
橋本は、深く頷いた。
「はい……ありがとうございます」
橋本が去った後、相良は一人、窓口に座った。
相良は、自分の手を見つめた。
これが、管理人の仕事。
人々の心に寄り添い、導く。
しかし、簡単ではない。
一人一人の苦しみは、重い。
それを受け止めることは、相良自身も疲弊させる。
「健太郎さんは、何十年もこれを続けたのか」
相良は、呟いた。
「すごいな……」
その時、窓口のカウンターに、小さな光が現れた。
そして、メッセージが浮かび上がった。
「相良へ
管理人の仕事は、辛い。
しかし、意味がある。
あなたが救った人は、また誰かを救う。
それが、連鎖していく。
あなたは、一人ではない。
私も、かつてそこにいた。
そして、今、ここから応援している。
頑張ってください。
健太郎」
相良は、涙を流した。
「ありがとうございます……」
相良は、決意を新たにした。
健太郎のように、人々を導き続けよう。
いつか、次の継承者が現れるまで。
数週間後。
橋本は、会社に戻っていた。
謝罪会見にも、同席した。
深く頭を下げた。
会社は、橋本を解雇しなかった。
むしろ、彼の誠実な態度を評価した。
「橋本、今回のことは、確かにお前のミスだ」
上司が言った。
「しかし、お前は逃げなかった」
「ちゃんと責任を取ろうとした」
「それは、評価する」
橋本は、涙を流した。
「ありがとうございます……」
「これから、もっと慎重に仕事をしてくれ」
「でも、完璧を求めすぎるな」
「ミスは、誰にでもある」
「大切なのは、そこから学ぶことだ」
橋本は、頷いた。
「はい……」
それから、橋本は変わった。
以前ほど、自分を追い込まなくなった。
ミスを恐れるのではなく、学ぶ姿勢を持つようになった。
そして、後輩のミスにも、優しくなった。
「大丈夫。ミスは誰にでもある」
「次から、気をつければいい」
橋本は、相良の言葉を、実践していた。
過去改変局。
相良透は、今夜も窓口に座っている。
扉が開いた。
一人の老婆が入ってきた。
「あの……過去を変えたいんです」
「座りなさい」
相良は、優しく迎え入れた。
「何を変えたい?」
「40年前、私、娘を叱りすぎたんです……」
老婆は、涙を流した。
相良は、深く頷いた。
「話してください」
物語は、続いていく。
新しい管理人、相良透と共に。
そして、彼が導く人々の物語も。
相良は、健太郎から学んだ。
そして、今、自分の道を歩いている。
一人ではない。
健太郎が、見守ってくれている。
そして、いつか現れる次の継承者のために。
相良は、この役目を全うする。




