第14話 選ばれし者
前回のあらすじ
過去改変局を訪れた中村香織は、3日前に父の最期に立ち会えなかったことを後悔していた。シミュレーションで父の最期の言葉を聞いた香織は、父が残した手紙にすでにその想いが込められていたことに気づく。香織は過去を変えず、父の言葉通りに生きることを選ぶ。老人は自身の後悔を重ね合わせながら、美咲に会いに行く日を待ち続ける。
深夜1時。
地下鉄の通路を、一人の若い男性が歩いていた。
28歳くらい。カジュアルな服装。
しかし、その目には、普通の人とは違う何かがあった。
鋭さと、優しさと、そして深い洞察力。
名前は、相良透。
過去改変局の窓口の前で、相良は立ち止まった。
看板を見上げ、小さく笑った。
「ついに、見つけた」
扉を開けると、窓口の奥から老人が顔を出した。
「いらっしゃい」
相良は、静かに答えた。
「こんばんは」
「座りなさい」
相良が座ると、老人は彼を観察した。
この男性は、他の依頼者とは何かが違う。
落ち着いている。
まるで、ここに来ることを予期していたかのように。
「何を変えたい?」
老人が尋ねた。
相良は、少し考えてから答えた。
「実は、私自身は過去を変えたいわけではありません」
老人は、驚いた。
「では、なぜここに?」
「あなたに会いに来ました」
相良は、真剣な目で老人を見つめた。
「私に?」
「はい。過去改変局の管理人に」
相良は、続けた。
「私、心理学者なんです」
「時間と記憶の関係を研究しています」
「そして、この場所の噂を聞いた」
老人は、警戒した。
「研究対象として、ここを調べに来たのか?」
「いいえ」
相良は、首を横に振った。
「私は、ここで起きていることに興味があります」
「でも、暴こうとしているわけではありません」
「むしろ……助けたいんです」
「助ける?」
「はい」
相良は、老人を見つめた。
「あなたは、長い間ここで人々を導いてきた」
「しかし、あなた自身は苦しんでいる」
「そうじゃありませんか?」
老人は、言葉に詰まった。
この若者は、どこまで知っているのか。
「私には、見えるんです」
相良が続けた。
「人の心の傷が」
「あなたは、深い後悔を抱えている」
「大切な人との約束を破ったこと」
「そして、ここに閉じ込められたこと」
老人は、震えた。
「どうして……そこまで……」
「わかりません」
相良は、正直に答えた。
「ただ、感じるんです」
「あなたの苦しみを」
老人は、深く息をついた。
そして、静かに言った。
「あなたは、何者だ?」
「ただの心理学者です」
相良は、微笑んだ。
「でも、人の心に寄り添うことが、私の使命だと思っています」
老人は、しばらく相良を観察した。
この若者は、嘘をついていない。
純粋に、人を助けたいと思っている。
「相良さん、あなたは過去を変えたくないと言った」
「はい」
「では、何をしに来たのか?」
老人が尋ねた。
相良は、少し考えてから答えた。
「あなたの話を、聞きたいんです」
「私の……話?」
「はい」
相良は、頷いた。
「あなたは、何十年もここで人々を導いてきた」
「しかし、あなた自身の物語を、誰かに話したことはありますか?」
老人は、はっとした。
確かに、話したことはない。
ずっと、一人で抱え込んできた。
「話すことで、楽になることもあります」
相良が優しく言った。
「私は、心理学者として、あなたの話を聞きたい」
「でも、それ以上に、一人の人間として、あなたを理解したい」
老人は、長い沈黙の後、口を開いた。
「わかった」
「話そう」
「私の、物語を」
老人は、相良に自分の過去を語り始めた。
50年前、健太郎という名前だったこと。
物理学者として、時間論を研究していたこと。
美咲という恋人がいたこと。
約束を破り、彼女を失ったこと。
そして、過去を変えようとして、改変事故に巻き込まれたこと。
相良は、黙って聞いていた。
時々、頷きながら。
「それから、何十年も、ここで人々を導いてきた」
老人は、続けた。
「次の継承者が現れるまで、待っている」
「そうすれば、ここから出られる」
「美咲に会いに行ける」
「美咲さんは、今どうしているんですか?」
相良が尋ねた。
「わからない」
老人は、首を横に振った。
「ただ、最近、時間を超えて手紙が届いた」
「彼女は、私を許してくれていた」
「そして、幸せに暮らしたと」
老人は、美咲の手紙を取り出した。
相良に、見せた。
相良は、手紙を読んだ。
そして、静かに言った。
「美しい手紙ですね」
「ああ」
「美咲さんは、あなたを愛していた」
「今でも、愛している」
相良の言葉に、老人は涙を流した。
「でも、私は会えない」
「ここから、出られない」
「次の継承者が現れるまで」
相良は、しばらく考えた。
そして、尋ねた。
「継承者とは、どんな人ですか?」
「わからない」
老人は、答えた。
「前の管理人は、メモを残していた」
「『次の継承者が現れたら、役目を譲れ』と」
「しかし、どんな人が継承者なのか、書いていなかった」
「もし、継承者が現れたら、どうやってわかるんですか?」
「それも、わからない」
老人は、困った顔をした。
「ただ、感じるのだろうと思う」
「この人だ、と」
相良は、深く頷いた。
「なるほど」
二人は、しばらく黙っていた。
そして、相良が口を開いた。
「もし、私が継承者だったら、どうしますか?」
老人は、驚いて相良を見た。
「え……?」
「もし、私がこの役目を引き継げるなら」
相良は、真剣な目をしていた。
「あなたは、自由になれる」
「美咲さんに会いに行ける」
老人は、震えた。
「しかし……あなたは過去を変えたいわけではないと……」
「過去を変えたいわけではありません」
相良は、頷いた。
「でも、あなたを助けたい」
「そして、人々を導くという役目に、意味を感じます」
老人は、戸惑った。
「しかし、この役目は……辛いぞ」
「時間の狭間に閉じ込められる」
「自由を失う」
「それでも、いいのか?」
相良は、微笑んだ。
「私には、守りたいものが特にありません」
「家族も、恋人も、いません」
「仕事も、自由業です」
「でも、人を助けることが、私の生きる意味です」
「相良さん……」
老人は、涙を流した。
「もし、私が継承者になれるなら」
相良は、続けた。
「喜んで、この役目を引き受けます」
「あなたの代わりに、人々を導きます」
老人は、長い間相良を見つめた。
そして、気づいた。
この若者の目に、特別な光がある。
それは、他の依頼者にはなかった。
「もしかして……」
老人は、呟いた。
「あなたが、次の継承者なのか?」
その瞬間。
窓口のカウンターが、淡く光り始めた。
老人も、相良も、驚いた。
「何だ……これは……」
老人が呟いた。
光は、徐々に強くなった。
そして、カウンターの上に、古い羊皮紙が現れた。
そこには、文字が浮かび上がった。
「継承の条件
次の管理人となる者は、以下の条件を満たす者である。
一、過去を変えるためではなく、他者を助けるために来た者。
二、深い共感力と洞察力を持つ者。
三、自らの自由を犠牲にしても、人々を導く意志を持つ者。
四、現管理人が、心から信頼できると感じた者。
これらの条件を満たす者が現れた時、継承が可能となる。
継承を行うには、現管理人と新管理人の合意が必要である。
継承が完了すれば、現管理人は時間の狭間から解放される。
新管理人は、時間の狭間に入り、役目を引き継ぐ。
継承は、一度きり。慎重に決めるべし。
時間の番人より」
老人と相良は、羊皮紙を読んだ。
そして、顔を見合わせた。
「相良さん……」
老人が震える声で言った。
「あなたは、すべての条件を満たしている」
相良は、深く頷いた。
「そうみたいですね」
「しかし、本当にいいのか?」
老人は、尋ねた。
「自由を失うんだぞ」
「時間の狭間に閉じ込められる」
「何十年も、いや、何百年も」
相良は、微笑んだ。
「構いません」
「私は、この役目に意味を感じます」
「人々の心を癒し、導くこと」
「それが、私の使命だと思います」
老人は、涙を流した。
「本当に……いいのか?」
「はい」
相良は、力強く頷いた。
老人は、深く息をついた。
そして、決断した。
「わかった」
「継承を、行おう」
羊皮紙が、再び光り始めた。
そして、新しい文字が浮かび上がった。
「継承の儀式
現管理人と新管理人は、以下の誓いを立てる。
現管理人は言う:
『私は、この役目を次の者に託す。長い間、人々を導いてきた。今、その役目を終える時が来た』
新管理人は言う:
『私は、この役目を引き受ける。人々を導き、過去と未来をつなぐ。時間の管理人として』
二人が誓いを立てた時、継承が完了する」
老人と相良は、向かい合った。
老人が、震える声で言った。
「私は、この役目を次の者に託す」
「長い間、人々を導いてきた」
「今、その役目を終える時が来た」
相良が、力強く答えた。
「私は、この役目を引き受ける」
「人々を導き、過去と未来をつなぐ」
「時間の管理人として」
その瞬間。
部屋全体が、激しく光に包まれた。
老人の体が、透明になっていく。
相良の体が、この空間に定着していく。
時間の流れが、入れ替わる。
老人は、時間の狭間から解放される。
相良は、時間の狭間に入る。
光が、収まった。
老人は、自分の手を見た。
透明だった体が、実体を取り戻していた。
時間の感覚が、戻ってきた。
「これは……」
老人は、呟いた。
「自由……?」
相良は、窓口の椅子に座っていた。
まるで、最初からそこにいたかのように。
「おめでとうございます」
相良が、微笑んだ。
「あなたは、自由になりました」
「美咲さんに、会いに行けますよ」
老人は、涙を流した。
「相良さん……ありがとう……」
「いえ」
相良は、首を横に振った。
「こちらこそ、ありがとうございます」
「この役目を与えてくれて」
老人は、窓口を振り返った。
50年間、いや、時間の感覚を失っていたから正確にはわからないが。
長い間、ここにいた。
「私は……これから、どうすればいいんだ?」
老人が尋ねた。
相良は、優しく言った。
「元の世界に戻ってください」
「そして、美咲さんを探してください」
「まだ、間に合うかもしれません」
「しかし、50年も……」
「時間の狭間では、時の流れが違います」
相良が説明した。
「あなたが50年と感じていた時間も」
「外の世界では、もっと短いかもしれない」
「あるいは、もっと長いかもしれない」
「行ってみなければ、わかりません」
老人は、希望を抱いた。
「美咲に……会えるかもしれないのか……」
「はい」
相良は、頷いた。
「急いで、行ってください」
老人は、扉に向かった。
しかし、途中で振り返った。
「相良さん」
「はい」
「本当に、ありがとう」
「あなたのおかげで、私は救われた」
相良は、微笑んだ。
「私こそ、あなたから大切なことを学びました」
「人の心の痛み」
「そして、癒しの方法」
「これから、その知識を活かします」
老人は、深く頭を下げた。
そして、扉を開けた。
扉の向こうには、明るい光があった。
地下鉄の通路ではなく、別の場所への入口のようだった。
老人は、一歩踏み出した。
そして、光の中に消えていった。
相良は、一人、窓口に座った。
これから、自分が管理人として、人々を導いていく。
相良は、窓口のカウンターに手を置いた。
古い、古い木。
何十年も、何百年も、ここにある。
「よろしくお願いします」
相良は、カウンターに語りかけた。
その時、扉が開いた。
一人の若い女性が入ってきた。
「あの……ここで、過去を変えられるんですか?」
女性が尋ねた。
相良は、微笑んだ。
「変えられる。座りなさい」
女性が座ると、相良は尋ねた。
「何を変えたい?」
物語は、続いていく。
新しい管理人と共に。
人々の後悔と共に。
しかし、希望もまた、続いていく。
一方、老人——もう老人ではなく、健太郎——は、光の中を歩いていた。
そして、気がつくと、見覚えのある場所にいた。
大学のキャンパス。
しかし、様子が違う。
新しい建物が建っている。
学生たちの服装も、現代的だ。
健太郎は、キャンパスの掲示板を見た。
日付が書いてあった。
2026年1月。
健太郎は、愕然とした。
50年以上、経っていた。
いや、正確には、約55年。
美咲は、今、何歳だろう。
75歳……いや、76歳くらいか。
まだ、生きているだろうか。
健太郎は、急いで図書館に向かった。
そこで、卒業生名簿を調べた。
美咲の名前を見つけた。
住所も、書いてあった。
健太郎は、その住所に向かった。
電車に乗り、バスに乗り換え、数時間かかった。
そして、小さな町に着いた。
静かな住宅街。
美咲の家は、そこにあった。
健太郎は、深呼吸をした。
そして、インターホンを押した。
「はい」
女性の声。
年老いた声だが、聞き覚えがあった。
「あの……美咲さんですか?」
健太郎は、震える声で尋ねた。
しばらく沈黙があった。
そして、扉が開いた。
そこには、一人の老婆が立っていた。
白髪で、深い皺が刻まれた顔。
しかし、その目は、健太郎の記憶の中の美咲と同じだった。
「あなた……」
老婆が、震える声で言った。
「健太郎……?」
健太郎は、涙を流した。
「美咲……」
二人は、長い間、見つめ合った。
そして、美咲が言った。
「おかえりなさい」
健太郎は、泣き崩れた。
「ただいま……」
「ずっと、待っていたわ」
美咲も、涙を流した。
55年の時を経て、二人は再会した。
過去改変局。
相良透は、新しい管理人として、人々を迎え入れ続ける。
物語は、終わらない。
しかし、一つの物語は、幸せな結末を迎えた。
健太郎と美咲の物語。
長い、長い別れの後の、再会。
つづく




