第11話 二つの未来
前回のあらすじ
過去改変局を訪れた岡田雅人は、25年前に恋人の千尋からの手紙を読まず、彼女の誕生日に会えなかったことを後悔していた。老人は初めて自分の過去を語り、愛する人・美咲との約束を破り、改変事故で時間の狭間に閉じ込められたことを明かす。岡田はシミュレーションを見て、千尋が自分を許していたことに気づき、自責の念から解放される。老人は今も美咲に会うことを願いながら、次の継承者を待っている。
深夜1時30分。
地下鉄の通路を、二人の人影が歩いていた。
若い女性と、その母親らしき中年女性。
二人は、過去改変局の窓口の前で立ち止まった。
「母さん、ここでいいの?」
若い女性——名前は、藤本沙織、27歳——が尋ねた。
「ええ、間違いないわ」
母親——藤本久美子、52歳——が答えた。
二人は、扉を開けた。
窓口の奥から、老人が顔を出した。
「いらっしゃい」
老人は、二人を見て少し驚いた表情をした。
過去改変局に、二人で来る依頼者は珍しかった。
「座りなさい」
老人は、椅子を二つ用意した。
二人が座ると、老人は尋ねた。
「何を変えたい?」
沙織と久美子は、顔を見合わせた。
そして、沙織が口を開いた。
「5年前……私が、母の反対を押し切って結婚した日を」
5年前の春。
藤本沙織は、22歳だった。
大学を卒業したばかりで、恋人がいた。
名前は、木村拓哉。同じ大学の先輩。
拓哉は、優しくて誠実な男性だった。
しかし、一つ問題があった。
フリーターだった。
「沙織、俺、まだちゃんとした仕事に就いてないけど……」
拓哉が、申し訳なさそうに言った。
「いいよ。拓哉は、音楽の夢を追ってるんだから」
「でも……」
「私、待てるよ。拓哉が成功するまで」
沙織は、微笑んだ。
拓哉は、バンドをやっていた。
まだ売れていなかったが、情熱を持って音楽を続けていた。
ある日、拓哉が沙織にプロポーズした。
「沙織、結婚してくれ」
「え……」
「まだ、ちゃんとした収入はないけど」
「でも、お前と一緒に生きていきたい」
拓哉は、真剣な目をしていた。
沙織は、嬉しかった。
「うん……喜んで」
二人は、抱き合った。
しかし、沙織の母親・久美子は、猛反対した。
「沙織、あんた正気なの!?」
「母さん……」
「フリーターと結婚するなんて!」
「拓哉さんは、ちゃんと音楽で頑張ってるよ」
「音楽なんて、食べていけるわけないでしょ!」
久美子の声は、厳しかった。
「母さん、でも私、拓哉さんのこと愛してるの」
「愛だけで、生きていけると思ってるの?」
「お金がなかったら、どうやって生活するの?」
「子供ができたら、どうするの?」
沙織は、言葉に詰まった。
確かに、母親の言うことは正しかった。
しかし、拓哉を諦めることはできなかった。
「母さん、私たち、何とかするから」
「何とかなるわけないでしょ!」
「私は、認めないわ」
久美子は、頑なだった。
沙織は、悩んだ。
母親を説得できない。
しかし、拓哉も諦められない。
そして、決断した。
「母さん、ごめん」
「私、拓哉さんと結婚する」
「反対を押し切ってでも」
久美子の顔が、歪んだ。
「沙織……」
「ごめんなさい」
「わかったわ。好きにしなさい」
「でも、二度と私を母親だと思わないで」
久美子は、そう言って部屋を出て行った。
沙織は、泣いた。
しかし、後戻りはできなかった。
沙織と拓哉は、結婚した。
小さな式。
久美子は、来なかった。
新婚生活は、苦しかった。
拓哉のバンドは、なかなか売れなかった。
沙織は、働きながら家計を支えた。
1年が過ぎた。
拓哉のバンドは、解散した。
メンバー間で、意見の対立があった。
拓哉は、落ち込んだ。
「沙織、ごめん……」
「いいよ。気にしないで」
「俺、夢を諦めた」
「え……」
「もう、音楽じゃ食べていけない」
「ちゃんと就職する」
沙織は、複雑な気持ちだった。
拓哉が夢を諦めることは、悲しい。
しかし、現実的には、安心でもあった。
拓哉は、就職した。
営業の仕事。
給料は、安かった。
しかし、安定していた。
2年が過ぎた。
沙織は、妊娠した。
嬉しかった。
しかし、同時に不安だった。
「拓哉、大丈夫かな」
「何が?」
「子供、育てられるかな」
「大丈夫だよ。俺、もっと頑張るから」
拓哉は、笑顔だった。
しかし、生活は厳しかった。
子供が生まれると、出費が増えた。
拓哉は、残業を増やした。
沙織は、育児に追われた。
3年が過ぎた。
拓哉は、疲れ切っていた。
毎日、夜遅くまで働いた。
家にいる時間は、ほとんどなかった。
ある日、拓哉が言った。
「沙織、ごめん」
「何が?」
「お前を、幸せにできてない」
「そんなことないよ」
「いや、お前の母さんの言う通りだった」
「俺じゃ、お前を幸せにできない」
拓哉の目には、涙が浮かんでいた。
沙織も、泣いた。
「拓哉、そんなこと言わないで」
「でも……」
「私、拓哉と一緒にいられるだけで幸せだよ」
「本当に?」
「本当だよ」
しかし、沙織の心の奥では、母親のことを思い出していた。
母親は、正しかった。
愛だけでは、生きていけない。
5年が過ぎた。
沙織は、27歳になっていた。
子供は、3歳。
拓哉は、相変わらず働き続けていた。
ある日、沙織は偶然、母親に会った。
スーパーで。
「母さん……」
「沙織……」
久美子は、驚いた顔をした。
「久しぶり……」
「ええ……」
二人は、気まずそうにしていた。
「母さん、元気だった?」
「ええ……あなたは?」
「うん……何とか」
沙織の顔は、疲れていた。
久美子は、沙織を見て、何かを悟った。
「沙織、辛いでしょ」
「え……」
「無理してるでしょ」
久美子の目には、涙が浮かんでいた。
沙織は、泣き崩れた。
「母さん……ごめんなさい」
「母さんの言うこと、聞けばよかった」
「でも……でも、拓哉さんのこと、愛してるから」
「わかってるわ……」
久美子は、沙織を抱きしめた。
それから、二人は少しずつ関係を修復した。
久美子も、孫に会いたかった。
沙織も、母親の支えが必要だった。
そして、ある日。
久美子が言った。
「沙織、過去改変局って知ってる?」
「え……?」
「過去を変えられる場所があるらしいの」
「そんなの……」
「私、調べたの。本当にあるみたい」
久美子は、真剣な顔をしていた。
「母さん、どうして……」
「あなたを、救いたいの」
「あの時、私がもっと優しく話していれば」
「あなたは、別の選択をしたかもしれない」
「そうすれば、今、もっと幸せだったかもしれない」
沙織は、戸惑った。
「でも、私、拓哉さんと別れたくない」
「わかってる。でも、せめて可能性を見てみましょう」
「どんな未来があったのか」
久美子は、懇願した。
そして、二人は過去改変局を探した。
そして、見つけた。
「母が反対した時、私が素直に聞いていたら」
沙織は、老人に言った。
「拓哉さんとの結婚を、諦めていたら」
「どんな人生だったのか、知りたいんです」
老人は、じっと二人を見つめた。
「久美子さん、あなたは?」
久美子が答えた。
「私は、あの時もっと優しく話していたら」
「沙織が、違う選択をしたかもしれない」
「それを、見たいんです」
老人は、深く息をついた。
「お二人とも、過去を変えたいと?」
「はい」
「しかし、それは二つの異なる改変だ」
老人は、説明した。
「沙織さんが結婚を諦める世界」
「久美子さんが優しく話す世界」
「どちらを見たい?」
沙織と久美子は、顔を見合わせた。
そして、沙織が言った。
「両方、見られませんか?」
「両方……?」
「はい。どちらの未来も、知りたいんです」
老人は、しばらく考えた。
そして、頷いた。
「わかった。異例だが、両方見せよう」
「ただし、一つずつだ」
「まず、沙織さんが結婚を諦めた世界」
「次に、久美子さんが優しく話した世界」
「お願いします」
二人は、頭を下げた。
リクライニングチェアが、二つ用意された。
沙織と久美子が、それぞれ座った。
老人が、機械を装着した。
「では、始める。まず、沙織さんが結婚を諦めた世界を」
老人が、スイッチを入れた。
二人の意識が、遠のいていく。
【第一のシミュレーション:沙織が結婚を諦めた世界】
気がつくと、沙織は5年前の実家にいた。
母親の久美子と、話している。
「母さん、わかった」
過去の沙織は、言った。
「拓哉さんとの結婚、諦める」
「沙織……」
「母さんの言う通りだよ」
「愛だけじゃ、生きていけない」
沙織の目には、涙が浮かんでいた。
久美子は、沙織を抱きしめた。
「ありがとう、沙織」
「辛い決断だったわね」
「でも、正しい選択よ」
沙織は、拓哉に別れを告げた。
「拓哉さん、ごめんなさい」
「沙織……」
「私、あなたと結婚できない」
「なぜ……」
「母の言う通り、あなたには安定がない」
「私、将来が不安なの」
拓哉は、悲しそうな顔をした。
「そうか……わかった」
「ごめんなさい……」
「いや、俺が悪かったんだ」
「ちゃんとした仕事に就いてなくて」
拓哉は、去って行った。
これが、改変された過去。
沙織は、拓哉との結婚を諦めた。
時間が流れた。
沙織は、就職した。
事務の仕事。
安定していた。
1年が過ぎた。
沙織は、会社の同僚と付き合い始めた。
名前は、佐藤健。
真面目で、収入も安定していた。
久美子は、大喜びだった。
「沙織、良かったわね」
「うん……」
「佐藤さん、いい人そうじゃない」
「そうだね」
しかし、沙織の笑顔は、どこか寂しかった。
2年が過ぎた。
沙織は、佐藤と結婚した。
立派な式。
久美子も、満足そうだった。
新婚生活は、順調だった。
お金の心配はなかった。
佐藤の給料は良く、沙織も働いていた。
3年が過ぎた。
子供が生まれた。
沙織は、幸せだった。
しかし、心のどこかで、何かが足りない気がした。
ある日、沙織は街で偶然、拓哉を見かけた。
拓哉は、スーツを着ていた。
どこかの会社員になっていた。
沙織は、声をかけようとした。
しかし、やめた。
もう、関係ない人だから。
しかし、その夜、沙織は泣いた。
拓哉のことを、まだ愛していた。
佐藤は、良い夫だ。
しかし、拓哉のような情熱はない。
5年が過ぎた。
沙織は、27歳になっていた。
元の世界と同じ年齢。
表面的には、幸せだった。
安定した生活。
優しい夫。
可愛い子供。
しかし、心は満たされなかった。
いつも、拓哉のことを思い出した。
もし、あの時……。
【第二のシミュレーション:久美子が優しく話した世界】
次のシミュレーションが始まった。
今度は、5年前の同じ場面。
しかし、久美子の対応が違う。
「沙織、フリーターと結婚するの?」
久美子が尋ねた。
しかし、声は優しかった。
「うん……母さん、ごめん」
「謝らなくていいのよ」
久美子は、微笑んだ。
「母さん、反対しないの?」
「正直言えば、心配よ」
「でも、あなたが選んだ人なら、信じるわ」
沙織は、驚いた。
「母さん……」
「ただ、一つだけお願い」
「何?」
「拓哉さんに、会わせて」
「ちゃんと話をしたいの」
数日後、拓哉が藤本家を訪れた。
久美子は、拓哉と話した。
「拓哉さん、娘をよろしくお願いします」
「はい……」
「ただ、一つだけ」
「はい」
「音楽を続けるのはいいけど、沙織を不安にさせないで」
「アルバイトでもいいから、安定した収入を持って」
「そして、いつか音楽で成功したら、沙織を楽にさせてあげて」
拓哉は、深く頭を下げた。
「わかりました。必ず、沙織を幸せにします」
「信じてるわ」
久美子は、微笑んだ。
これが、改変された過去。
久美子は、優しく受け入れた。
時間が流れた。
沙織と拓哉は、結婚した。
久美子も、式に出席した。
祝福してくれた。
拓哉は、約束を守った。
バンド活動を続けながら、アルバイトもした。
収入は多くなかったが、安定していた。
沙織も、働いた。
二人で、家計を支えた。
そして、久美子が時々、支援してくれた。
お金を渡すのではなく、食材を持ってきたり、子守を手伝ったり。
家族として、支え合った。
2年が過ぎた。
拓哉のバンドが、注目され始めた。
小さなレコード会社と契約できた。
「沙織、見てくれ!」
拓哉が、嬉しそうに言った。
「やったね!」
沙織も、大喜びだった。
久美子も、喜んでくれた。
「拓哉さん、おめでとう」
「ありがとうございます、お母さん」
「これからも、頑張ってね」
3年が過ぎた。
拓哉のバンドは、メジャーデビューした。
アルバムが、売れた。
収入が、増えた。
沙織は、仕事を辞めて、育児に専念することができた。
子供も生まれた。
幸せだった。
5年が過ぎた。
沙織は、27歳になっていた。
拓哉は、音楽で成功していた。
沙織は、愛する夫と子供と一緒にいた。
久美子とも、良好な関係だった。
すべてが、うまくいっていた。
シミュレーションが終わった。
沙織と久美子が、目を覚ました。
二人は、しばらく黙っていた。
そして、沙織が口を開いた。
「母さん……」
「ええ……」
「母さんが優しく受け入れてくれた世界では、すべてがうまくいってた」
「そうね……」
久美子は、涙を流した。
「ごめんなさい、沙織」
「あの時、私が厳しすぎたから」
「あなたを、苦しめることになった」
沙織も、泣いた。
「でも、私も悪かった」
「母さんの気持ちを、考えなかった」
「ただ、反抗しただけだった」
老人は、静かに言った。
「お二人とも、気づきましたね」
「何に……?」
「親子の関係は、どちらか一方が悪いわけではない」
「お互いの歩み寄りが、必要だということに」
沙織と久美子は、頷いた。
「でも……」
沙織が言った。
「もう、過去は変えられないですよね」
「拓哉さんは、今も苦労してる」
「私も、辛い」
老人は、首を横に振った。
「過去は変えられる」
「しかし、あなたたちは本当に変えたいのかね?」
沙織と久美子は、顔を見合わせた。
そして、沙織が言った。
「いえ……変えたくありません」
「え?」
久美子が、驚いた。
「だって、拓哉さんとの結婚を諦めた世界では、私、幸せじゃなかった」
「確かに、安定はあったけど」
「心が満たされなかった」
沙織は、続けた。
「今は辛いけど、拓哉さんと一緒にいられる」
「それだけで、幸せなんだ」
「母さん、ごめん」
久美子は、微笑んだ。
「いいのよ、沙織」
「私も、わかったわ」
「大切なのは、あなたが幸せかどうか」
「お金じゃない」
そして、久美子が言った。
「私、これから拓哉さんを支えるわ」
「あの時できなかったことを、今からする」
「家族として」
沙織は、母親を抱きしめた。
「ありがとう、母さん」
二人が去った後、老人は一人、窓口に座っていた。
老人は、思った。
親子の絆。
それは、時に壊れる。
しかし、修復もできる。
老人自身も、かつて美咲との関係を壊した。
約束を破り、彼女を失った。
そして、ここに閉じ込められた。
もし、あの時……。
老人は、頭を振った。
今は、そんなことを考えても仕方ない。
しかし、いつか。
次の継承者が現れたら。
美咲に会いに行こう。
そして、謝ろう。
それまで、待つだけだ。
数ヶ月後。
沙織と拓哉の家に、久美子が訪れた。
手に、たくさんの食材を持って。
「お母さん、ありがとうございます」
拓哉が、頭を下げた。
「いいのよ。家族なんだから」
久美子は、微笑んだ。
その日、三人は一緒に食事を作った。
笑い声が、家に響いた。
孫も、久美子に懐いた。
「おばあちゃん!」
「はいはい、可愛いわね」
久美子は、孫を抱き上げた。
沙織は、その光景を見て、涙が出た。
幸せだった。
お金はないけど、家族がいる。
それだけで、十分だった。
過去を変えなくて、良かった。
過去改変局。
老人は、今夜も窓口に座っている。
扉が開いた。
一人の若い男性が入ってきた。
「あの……過去を変えたいんです」
「座りなさい」
老人は、いつものように迎え入れた。
物語は、続いていく。
人々の選択と共に。
そして、時には、過去を変えないことが最良の選択であることもある。
老人は、そう信じている。
時間の管理人として。
過去と未来をつなぐ者として。




