霜柱
ザクザクと、土を砕く感触が靴底を介して足の裏に伝わる。
冷えた大地から伸びた霜柱は、潔のいい音と共に潰れていき、砕けた氷の破片が寒さから逃げ回るように踏み荒らした痕跡を残していた。
戸車がレールの上を転がる音が聞こえ、顔を上げると目の前の格子戸に男性が立っていた。
ダウンから手を出して体の横に携え、深く一礼する。
「…ご苦労様です」
久保田義之、37歳、被害者の一人息子、妻子と共に他県に住んでいる。
「…親父は、自分勝手でクズでした、お袋に手を挙げる事もあったし、だから、俺は遠くに逃げるようにこの家を出たんです」
彼は淡々と、何処か懺悔とも取れるように言葉を並べた。
突然家族を失った人間の表情というのは、とても見ていられない。
“ギリギリを保っている”、そんな顔をしている。
「…それでも、親父は汗と油塗れになりながら俺の事を養ってくれたんだ… あんな父親だけど、それでも、俺の唯一の…」
久保田義之は手を強く握り締め、震えながら言葉を紡ぎ出す。
家族を失った悲しみに加え、犯人に対する怒りと悔しさから力が入らずにはいられないのだと、俺には分かっていた。
「刑事さん、絶対に犯人を捕まえて下さい、お願いします」
「はい、全力を尽くします」
頭を下げて久保田義之を見送り、体勢を戻すと戸を開ける彼の後ろ姿を見た。
感情が休み所を失い、疲れが滲んだ背中。
軽い音で開く扉に重厚感すら感じるほど、憔悴し切っていた。
かつての自分が静かに重なり、味わった事のある感覚が蘇る。
薄氷の上に立つ感覚。ヒビ割れた足元が崩れてしまわないよう目を閉じて封じ込め、久保田家を後にした。
横殴りの西陽が眩しく刺さる夕方4時。
俺はとある施設の前にいた。
子供達の賑やかな声が響いていて、まるで壁の向こうは寒い冬ではない別の世界でも広がっているかのようだ。
立派な佇まいのその建物からは高級外車に乗った親達が子供を乗せて次々と帰宅していく。
その中から、建物と不釣り合いな自転車を押す女性が姿を現した。
「あ、お巡りさんじゃん、どうしたの?」
「よっ、ちょっと聞きたい事があってさ」
自転車後方のチャイルドシートには冬服を着込んだほっぺたがまん丸の子供が乗っている。
「あれ、眼鏡くんは?」
「今日は非番」
明美は自転車を傾けてサドルを腰で支えると、会話をする体勢を整えた。
「宮本詩音と塚原慎一の関係について教えて欲しい」
俺の言葉に明美は眉毛を上げて「え?」と言った顔をする。
「関係も何も、ただの同僚だと思うよ」
明美の返事は想定していた答えだった。だから、それ以上は追求しないつもりでいたが、明美の次の言葉に俺の体は前のめりになる。
「でも、塚原は詩音ちゃんの事好きだと思う」
「…それの根拠は?」
「塚原ってさ、前も言ったけどポンコツなんだよね、何やらせても中途半端で、みんな呆れを通り越して諦めてたの、でも詩音ちゃんはずっと根気強く仕事教えててさ」
ポケットからおもちゃを出しながら子供が退屈しないようにあやす明美。その話はみなまで聞くまでもなく、恋に落ちるその状況は安易に想像出来た。
「たまにぽーっとしながら詩音ちゃんの事見てたよ、塚原のやつ」
「宮本の方はどうだったんだ?」
「詩音ちゃんは何とも思ってなかったと思うよ、ただの仕事仲間として見てたと思う」
「塚原は、宮本が社長からセクハラを受けていた事も知っていたのか?」
「あんな小さい職場で働いているのに、知らない方がおかしいよ」
そう言い終えると明美は一点を見つめて顔が曇り始める。俺が何を探ろうとしているのか勘付いたようだった。
「あ、職場の人間関係を洗っているだけだから、勘繰るなよ、それよりここ、すげぇな、セレブ幼稚園って感じだな」
背後の幼稚園を指差し、話題をすり替える。
「あぁ、うん、セレブなの、うちの旦那全国に30店舗くらい展開してるパチ屋のオーナーだから」
「は!?」
モッズコートにスニーカーを履いたカジュアルな服装の明美からは想像出来ない言葉が出て来た。
「お前、働かなくてもいいじゃん」
「んー、あのね、お巡りさん、働くってお金だけじゃないでしょ?」
「え?」
「自分の親も共働きだったから、私はこの子に働く親の背中を見せたいの、お金があって当たり前、養ってもらって当たり前、そんな考えで大人になって欲しくないの」
その言葉に、俺は面食らった。
「…お前、凄いな」
俺がそう漏らすと明美は声を出して笑った。
「私は警察の方がすごいと思うよ、身を削ってんなぁって思うもん、お巡りさんも10年前からそうだけど、いつも気い張って疲れた顔してるしさ」
疲れた顔、そう言われてもピンと来ないし、身を削っているつもりもない。これが当たり前だと思っているから。
ふと、今朝見た背中が頭を過ぎる。
「これが俺の日常なんだよ…」
明美と別れ、車を走らせていると前方に見覚えのある後ろ姿の人物が歩いていた。
肘に買い物袋をぶら下げ、両手で何かを抱えているようだった。
距離を取ってその人物の横を通り過ぎると、サイドミラーに袋を抱える宮本詩音の姿が写る。
エコバッグの持ち手が切れたのだろう。
時折吹く強い風に目を細めながら、バランスの悪い袋を落とさないように注意して歩いている。
俺には関係ない。
赤の他人だ。
そう思いながらもアクセルから足が徐々に浮き上がっていた。
何処か悔しさに似た気持ちを抱きながらも、俺はシフトレバーをRに入れる。
宮本詩音の横でブレーキを踏み、窓を開ける。
俺を見ると「あ」と笑顔を見せた。
「…送ってやる、乗ってけ」




