三寒四温
『今季最大級の最強寒波到来』
そんなキーワードをニュースで度々見聞きするようになってから、逃げ場のない寒い日が続いている。
壁のスイッチを押すと、蛍光灯を爪で弾いたような音が鳴った後、暗い工場内の明かりが付いた。
ただの黒い四角の塊が色を浮かび上がらせ、プレス機だと主張する。
被害者は機械の中間部に頭を打ち付けている。
それが示すのは少し離れた場所から突き飛ばされたという可能性だ。
機械に取り付ける金型が置いてある棚は、ちょうどその少し離れた場所にあった。
金型は高価で、物によっては百万単位する物もあるそうだ。
棚の周辺で首を動かしていると、壁との間に何か落ちているのを見つけた。
白い蒸気を吐きながら腕を伸ばし、ペンの先でそれを引き寄せる。
それは、黒い端切れで、乾いて凝固した油の塊と共に細かな粒子が付いている。
俺はそれをビニール袋に入れて持ち帰る事にした。
窓ガラスをノックして室内にいる金本の注意を引き、煙草の箱を見せる。
金本は肩の張りを下ろすと、手に持っていた書類を机に戻した。
「どうだ?何かあったか?」
「いや、今の所何も出てこないですね」
俺達は今、久保田製作所で捜査をしている。
俺は遺体発見現場を、金本は書類関係に目を通していた。
2人で灰皿を囲って煙草を蒸していると、前方にある建物の扉が開き、そこから宮本詩音が出て来た。俺たちに気付くと軽く会釈をする。
彼女は髪を一つに結い、作業着の上にエプロンを着ていた。
製品の入ったコンテナを運び、荷台の上に積もうと腕に力を入れている。
俺は視線を逸らし、灰皿の方に体を向ける。
すると、そこにいたはずの金本の姿が無い。
「すみません、ありがとうございます」
「いえいえ」
金本は吸いかけの煙草を捨てて宮本詩音の手伝いをしに駆け寄っていた。
「1人でお仕事を?」
「はい、取引先が納期の延期を申し入れてくれたのですが、沢山の人に迷惑をかけてしまうので、この建物なら仕事してて良いって聞いたので…」
「ほぉ、そうですか」
会話をする2人に入る気はなく、聞く素振りも見せず、俺は背を向ける。
「宮本さんは真面目ですね」
「いえ、そんな、普通ですよ」
会話の中に「うふふ」と笑い声が時折聞こえてくる。
チラと目線を向けると金本の眼鏡がほんのり白く曇っていた。
小洒落たチェスターコートでピシッと決めてるのに、メガネを曇らせているその様子は少し間抜けに見えた。
「夕方まで仕事されるのですか?」
「いえ、もう終わるのでそろそろ帰ろうかなと思ってます」
「それなら家まで送りますよ、今日は寒いし」
その言葉に俺は反応する。
「ねぇ、いいですよね?大澤さん」
俺にそう投げかけてくる金本の横では、宮本は申し訳なさそうに首を振っている。
「…いいよ」
彼女の赤くなった手を見たら駄目とは言えなかった。
「宮本さんは久保田製作所で勤めて長いようですが、中学を卒業してから直ぐに?」
「いえ、最初は高校に通っていたのですが、父が家を出た後、9年前に母が病気で亡くなって、…それで母も勤めていた今の会社の奥さんが正社員として雇ってくれたんです」
「なるほど、そうだったんですね」
俺は助手席に座りながら、サイドミラーの端に映る宮本詩音の口元を見ていた。
宮本は、母親の生前からを含めると長らくお世話になっている、そう言って久保田夫妻への感謝を口にした。
感情の昂りからか声を震わせている。
しばらく車を走らせ、到着した宮本の家は単身者向けの小さなアパートだった。
簡単に質問をしようと思い、一緒に車を降りる。
「家族と住んでるって言っていたけど、今居るのか?」
「あ…えっと…」
宮本は目線が定まらず、しどろもどろになる。
この子はそんなに俺の事が怖いのだろうか。
すると突然後頭部に衝撃が加わり、ガクンと頭が前に倒れた。
目線の先にはサッカーボールが転がっている。
「姉ちゃんに近づくな!あっち行け!」
後ろを振り向くとランドセルと大きな水筒をぶら下げた男の子が仁王立ちで俺を睨んでいた。
「寛くんっ」
宮本が慌てたように声を出す。
「姉ちゃん、そいつらから離れろ!」
「寛くん、違うの、この人達は警察の人で、」
俺はボールを足の甲に乗せると膝まで掬い上げ、膝で蹴り上げて手に乗せる。
「良い度胸してんじゃねぇか、坊主」
「…オッサンも、やるじゃん」
宮本寛、10歳、小学生4年生、姉の詩音と2人で暮らしている。
「三寒四温…」
ポツリと呟くと宮本詩音は少し驚いたような顔を俺に向けた。
その表情を横目で把握しつつも、知らんぷりしていたが、ずっと見てるので耐えれず俺は顔を向ける。
目が合うと詩音の顔がふにゃりと緩み、柔らかな笑顔を見せた。
「それ、気づいた方初めてです」
「…たまたま、知ってただけだ」
見ていられず、視線を逸らす。
「寛くん、ついでだからちょっと聞いても良いかな?」
金本が膝に手をついて顔を下げ、宮本寛に声を掛ける。
「何?」
「火曜日の夜はお姉さんとずっと家に居ましたか?」
「うん、その日はサッカークラブの練習があって、姉ちゃんは仕事の帰りに迎えに来て、そんでずっと一緒に居た」
「途中で1人でどっか行ったりしなかった?」
「え?、ずっと居たよ、俺と一緒に」
「ありがとう、これで君のお姉さんのアリバイは証明されたよ」
「すげー、本当に“アリバイ”とか言うんだな」
当たり前の事を言っているだけだが、寛は小学生らしくリアクションしてみせた。
「なぁ、銃で人を撃ったこともあるのか?」
寛は俺を見て好奇心丸出しで聞く。
「いや、俺は無いよ」
「なんだ、つまんねぇの」
「俺はな、銃とか卑怯な物は使わねぇんだよ、拳で倒す派だから」
握り拳を作って寛を見ると、鼻の穴を開いて驚きと興奮を滲ませていた。
「…ふーん、あっそ」
そう言いながらも顔は固まっていて言葉と相まっていない。
それを見た俺は軽く吹き出す。子供はこう言う所があるから面白い。
宮本詩音も口に手を当てて弟の事を見ている。
そしてその詩音に穏やかな眼差しを送る金本が、何だか訝しく感じ、俺は目を細めた。
宮本姉弟を見送り、俺と金本は署へと戻るため再び車に乗り込む。
助手席でスマホに目を落としていると、ハンドルを握る金本が口を開いた。
「不謹慎な事言って良いですか?」
「何だ?」
「…お嫁さんにしたいなぁって」
突拍子もない言葉に俺は飲んでいたコーヒーを吹き出してしまう。
「不謹慎の前に唐突だな」
「ちょっとお恥ずかしいんですけど、宮本さんは、何と言うか、理想的なんです」
「……分かってると思うけど、」
「分かってますよ、その辺はちゃんと弁えてます、職務執行が最優先ですから、ひと段落するまで口説くつもりはないです」
「なら、いいけど…」
正直な所、金本の気持ちを理解できなくも無い、宮本詩音には古風な女性の奥ゆかしさを感じる。
守ってあげたくなるような、助けてあげたくなるような。放って置けない、そう感じてしまうのだ。
…なんて、理解してしまう自分に、溜息が出てしまう。
きっとこの職に就いているから余計にああ言うタイプは気になってしまうのだろう、そう考え、自分の中で燻るものに蓋をした。
「そういえば、塚原慎一のSNSを見つけたぞ」
署に戻るとスマホの画面を目の前に突き付けられながら報告を受ける。
「インディーズバンドのボーカルしてるらしくて、そのアカウントなんだけど、」
「バンドのボーカル!?」
塚原の意外な顔に、驚きを隠せなかった。
あんな覇気のない若者が人前で歌う事があるのか。
人と言うのは本当に、見た目では分からないものだ。
教えてもらったアカウントを覗いてみる。
音楽やライブの告知の書き込みがほとんどで、別段変わったところはない。
遡って見ていると、少し気になる書き込みを見つけ、スクロールする指を止める。
『いつか絶対に売れてやる。そしたら迎えに行くから。だから、それまでそこに居て欲しい。』
誰宛かも分からず、文字だけの投稿。
俺にはそれが、ラブレターに見えた。




